更新日2016/8/15

  第2日目、善光寺見学後から、3日目にかけて、長野市内と千曲市を行ったり来たりしたので、
  見学した順ではなく、地域ごとにまとめて紹介しようと思う。

長野県北部の旅・その4  千曲市1
妻女山と森将軍塚古墳
2016/5/5〜5/7

今回の旅は「将軍塚」と名がついた古墳を全て見学しようというつもりだが・・・・・。

屋代地区を取り囲むように丘陵上に築かれた4基の前方後円墳
  森将軍塚、有明山将軍塚、土口将軍塚、倉科将軍塚は、一括して埴科古墳群として国史跡に指定されている。

地図g

まず土口将軍塚古墳のある妻女山へ。
国道403号線から妻女山への登り道があり、妻女山松代招魂社の駐車場に駐車。

妻女山松代招魂社

戊辰戦争の際の松代真田藩藩士の戦死者の霊を祀るために
      明治2年に建立した。

その後の戦没者969柱の霊も合祀されている。
ここから徒歩で、五量眼塚古墳、土口将軍塚古墳、堂平大塚古墳を見学する。

妻女山駐車場からつづら折りの山道を歩いていたら、

カモシカに遭遇!

  


長坂峠

右奥に進むと、五量眼塚古墳と土口将軍塚古墳に至る

左へ進むと、堂平大塚古墳に至る





五量眼塚古墳 長野市松代岩野
撮影日2016/5/6

長坂峠から、5分ほどで到着。駐車場からは比高差100m程。標高512.8m。
この古墳の頂が妻女山山頂となる。

 五量眼塚古墳は 造出し付円墳  東西40.3m・円部径35.2m、西側高さ3.8m・東側高さ6.3m
  葺石がある。2段築成
  円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪が出土。
  埴輪の特徴などから倉科将軍塚古墳や土口将軍塚古墳と近い年代と推定されている。
  土口将軍塚古墳と同じ薬師山の尾根上で、より高い尾根最高所に築かれている。

五量眼塚古墳(斎場山古墳ともいう)
左側に造出

斎場山・妻女山山頂
 上杉謙信陣営跡でもある。


土口将軍塚古墳
県史跡
千曲市生萱
撮影日2016/5/6

 五量眼塚古墳から西へ500m、標高450m付近だから、比高差60mほどを下ることとなる。
まず見えるのが前方部先端。

 土口将軍塚古墳は   全長67.7mの前方後円墳
   後円部径40.5m、同高8.1m、前方部幅30.5m、同高3.9m
  2段築成  全面に葺石あり
  墳頂部と中段テラスには、円筒埴輪、朝顔形埴輪を中心に
    少数の形象埴輪を交えた埴輪列がめぐり、全体で700本と推定されている。
  器面に「叩き」を施した埴輪が出土、全国的にも類例の少ないものである。
  後円部中央に2基の竪穴式石室が検出されたが、破壊が著しく詳細不明
  鉄鏃、甲冑片、土師器などが出土
  5世紀中葉前後の築造と推定されている。(説明板から)

墳丘復元想定図  (説明板から)


昭和57〜61年 重要遺跡確認調査




前方部から後円部を見る

前方部先端 この奥に後円部

後円部頂  奥が前方部

後円部から前方部を見る

後円部側(西側)に古墳名の標柱と説明板がある。

 土口将軍塚古墳から五量眼塚古墳を通り、長坂峠まで戻り、南へ。
そこから登り坂と下り坂で堂平大塚古墳に到着。

堂平大塚古墳 千曲市土口
撮影日2016/5/6

土口将軍塚古墳から堂平大塚古墳まで急いで歩いても30分かかる。

 堂平大塚古墳は   径16mの円墳 、高さ3.3m〜4.8m
  土口集落を見おろす丘陵斜面の狭い平坦地に築かれている。
  南向きに開口する横穴式石室は全長8.5m
   玄室長4.2m、最大幅2.9m、奥壁幅2.5m、中央部高さ3.1m、奥壁高さ2.8m
   羨道。現存長3.8m、幅1.8m、高さ2.3m。
   全体に自然石を小口面が横長になるように積んでいる。
  古くから開口し、出土遺物などは知られていない。
  石室の形態から7世紀前半〜中葉の築造と推定されている。
 かつて堂宇があったと伝えられている
 また昭和30年代まで民家があり、物置として使われていた。

堂平大塚古墳

発掘調査後に
  周囲が整備されたようだ

開口部側から見た墳丘

開口部

羨道から玄室を見る。

玄室内部

奥壁から天井部

玄室から外を見る

堂平大塚古墳から松代招魂社の駐車場に戻る。駐車場近くで「信州の里山トレッキング」の著者・林盛幸氏と出会う。
インターネット上で公開されていた林氏の作った地図を持って、妻女山に来ていたということに気づいた。
ありがとうございました!

妻女山に駐車していた時間は約1時間40分だった。

千曲市には、有名な森将軍塚古墳がある。
森将軍塚古墳館のそばのファミリーマートちくまあんずの里で昼食後、古墳館駐車場へ。

森将軍塚古墳は、15年前のゴールデンウイークに一度来ている。
その時も古墳見学バスで森将軍塚古墳まで行った。

森将軍塚古墳
国指定史跡
千曲市森
撮影日2016/5/6

   

古墳館駐車場から見上げる
  森将軍塚古墳



森将軍塚古墳館をまず見学して、古墳見学バスに乗る。貸切状態のバス。

ふもとの駐車場は標高約350m、森将軍塚の標高は約490m。有明山将軍塚古墳の標高は約544m。

 森将軍塚古墳
 森将軍塚古墳全長100m・幅45mの前方後円墳
  後円部は長径50mの2段築成、高さ11m  前方部は一段築成、長さ41m、高さ4m
  裾は貼石で古墳の形が整えられている。
  約80000個の葺石 約200本の埴輪
  刀、剣、勾玉、管玉、三角縁神獣鏡などが出土している。
  4世紀代の築造と推定されている
1992年に復元整備


森将軍塚古墳の形

やせ尾根につくられているので
   いびつな形をしている。

森将軍塚古墳

15年前の森将軍塚古墳
:今とほとんど変わらない
周辺は違うのかもしれない・・・・・


前方部手前から見た森将軍塚古墳

後円部手前から見た森将軍塚古墳
左奥・前方部
 森将軍塚古墳・後円部
  後円部には巨大な竪穴式石室が設けられていた。
   大きさは 長さ13.8m・幅8.8mの二重の石垣で囲まれた墓壙の中央に、
     石英閃緑岩の板状の石を小口積みにして作られた竪穴式石室がある。
       長さ7.6m・幅2m・高さ2.3m
   副葬品には、鏡や剣・刀、翡翠製勾玉・碧玉製管玉などがある。
   鏡は三角縁神獣鏡で、長野県下では唯一の出土


復元された竪穴式石室 (古墳館展示から)

後円部の墳頂部 石室が石で表わされている。

残されていた副葬品  (古墳館展示から)
 左から   土器 鎌 矢じり 剣  管玉  三角縁神獣鏡の模型 三角縁神獣鏡の破片

後円部先端のテラス  ずっと奥に2号墳

後円部北側のテラス  ずっと下に9号墳
 森将軍塚古墳・前方部
  後円部と同様に千曲川から運び上げられた玉砂利が敷きつめられ、埴輪が立て並べられていた。

前方部の埋葬施設

長さ2〜3mの竪穴式石室2基が見つかっている。
その一つの3号石室から
 剣・ガラス玉・碧玉製管玉が出土。
 腕飾りを両手首にしていたと考えられている。
残っていた骨や歯から
 40才くらいの男性が埋葬されていたと推定されている。
ほかにも、組合式箱形石棺や埴輪棺などの埋葬施設がある。


3号石室が石で示されている

2号石室が石で示されている。

3号石室の副葬品
  (古墳館展示から)

 管玉 ガラス小玉

 剣


 小さな埋葬施設
 小型埋葬施設群分布図

 

      (古墳館展示から)

南側くびれ部裾にある埴輪棺

3号墳横の組合式石棺


 森将軍塚古墳周辺の小円墳


周辺の小円墳群配置図

12基の小円墳が見つかっている。


上は北東方向となる


11号墳は調査の結果、
 平安時代の積石塚となり、
  4号墓と名前が変わった

森将軍塚古墳前方部手前にある4号墓。
12号墳は4号墓の後ろに隠れて見えない

右奥の墳丘が4号墓で平安時代の積石塚
中央手前の小さい墳丘が12号墳

森将軍塚古墳上から見た3号墳
 くびれ部裾辺りにある
左に箱形石棺の埋葬施設がある。

3号墳は、横穴式石室がある円墳
 6世紀後半の築造と推定されている。
馬具が出土している

森将軍塚古墳上から見下す
手前左4号墳 手前右5号 奥右9号墳

奥左10号墳 奥右9号墳  右4号墳
9号墳は5世紀末〜6世紀初めの築造と推定されている。

森将軍塚古墳後円部先端のテラスから見下す
後円部後方の陪塚群
手前から8・7・14・13・6号墳

手前から14号墳、13号墳、6号墳、
ずっと奥に2号墳

尾根伝いに直線上に並ぶ

手前6号墳
ずっと奥に2号墳

2号墳 尾根の先端にある。
小円墳の中では最大(径20m)で最初につくられた。
組合式石棺に男女2遺体が納められていた。
墳裾には埴輪や土器が置かれていた。

手前から6号墳、13号墳、14号墳、7号墳
奥は森将軍塚古墳後円部

左奥から右手前へ
森将軍塚古墳後円部、14号墳、 13号墳 6号墳

       

 森将軍塚古墳からの景色

森将軍塚古墳後円部からの景色
中央に出っ張った尾根に倉科将軍塚古墳がある。

森将軍塚古墳後円部からの景色
奥の尾根の左先端頂部に土口将軍塚古墳がある。


有明山将軍塚古墳
千曲市指定史跡
千曲市屋代
撮影日2016/5/5

森将軍塚古墳そばのバス停から、森将軍塚古墳の反対方向(西)の道を、10分ほど登った所にある。
森将軍塚古墳の西300mほどの丘陵尾根鞍部にある。標高544m付近にある。

 有明山将軍塚古墳全長37mの前方後円墳
  葺石あり  埴輪なし
  前方部東側と後円部に段築がある。

有明山将軍塚古墳図

(森将軍塚古墳内説明板から)

前方部の方が高い?
 墳丘の主軸に合わせた長さ6mの竪穴式石室がある。
 勾玉や管玉などと矢じりや斧など鉄製品がわずかに見つかったが、
      ほとんどは盗掘により持ち去られていた。
 有明山将軍塚古墳は、
    森将軍塚古墳に続いて築造された前方後円墳で、
      その後、倉科・土口将軍塚古墳が築造されたことがわかった。
 平成11年に範囲確認調査         (説明板から)

左・後円部  パノラマ写真

前方部斜脇から後円部を見る

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

有明山将軍塚古墳から降りる時
正面に森将軍塚古墳を見る

森将軍塚古墳のバス停から、もっと遠いかと思ったが、案外近かった。

古墳見学の送迎バスでふもとに戻る。

千曲市には、もう一つ「倉科将軍塚古墳」(千曲市生萱)がある。
倉科北山の丘陵尾根上にある。
倉科郵便局の西に駐車場があり、大日堂の後ろに登山道があるそうだが、
    今回は見学を見送ることとした。
比高差約200mという険しさにちょっと怖気づいてしまった。

 倉科将軍塚古墳は  墳長78mの前方後円墳 
    後円部径42m・同高8m  前方部幅46m・同高6.5m 
  主体部は未確認だが、竪穴式石室の存在が考えられている。
  5世紀代の築造と推定されていて、
     森将軍塚古墳・川柳将軍塚古墳に次ぐものと考えられている。

長野市には川柳将軍塚古墳というのもあるが、後日紹介します。

長野市松代 皆神山 へつづく

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