更新日2016/8/27
長野県北部の旅その5
長野市2 皆神山周辺2016/5/5〜5/7
妻女山と森将軍塚古墳の間に見学したのは、皆神山とその周辺。
地図g
皆神山 皆神神社 |
長野市松代町豊栄 撮影日2016/5/6 |
皆神山は、日本のピラミッドといわれている。
皆神山は
標高659m(比高差280m)の溶岩ドーム。
皆神山は松代群発地震の震源地として
世界的に有名になった。
形状が円錐形の見事な独立山のため古来より霊山として信仰の対象となり、
最近では世界最大最古のピラミッドであるといわれている。
標高697m、山麓の周囲は約8km、山頂は中の峰・東の峰・西の峰に分かれている。
きれいな丸い形から、
「太古につくられた世界最大のピラミッド」という説が起こり、一部信仰の対象となった。
地元の人たちが「ピラミッド祭り」を行なっている。
山頂には、皆神神社(熊野出速雄神社クマノイズハヤオジンジャ)がある。
皆神神社 主祭神である出速雄命は、 当地方開拓の祖神として天下の泰平と五穀豊穣をもたらす神として崇敬されている。 現在の社殿は康応元年(1389)の再建と伝えられていて 旧埴科郡中最古の建造物といわれている。(長野県指定文化財) 木造弥勒菩薩坐像は長野市指定文化財となっている。 |
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神門 |
正面にあるのは、実は侍従神社だそうな・・・ |
社殿右手の、奥に通じる参道 |
奥にある富士浅間神社 |
富士浅間神社の社殿後ろの謎の石組?何? |
富士浅間神社背後は、ゴルフ場だそうな・・? |
皆神山に何をしに来たかというと、小丸山古墳を見学に来たのだが、
あまりにも簡単な案内図のため、見つけられずに帰ってきた・・・・。
小丸山古墳の案内図 皆神山山頂から 北西にやや下った尾根先端にある。 右側の池は、 クロサンショウウオの産卵池となっている。 (長野市指定文化財) |
小丸山古墳は 径30mの円墳 高さ4.6m 墳頂には大山祇命を祀る。 葺石あり |
小丸山古墳は、第三十四代舒明天皇の第三皇子古人大兄皇子の墓とも 出速雄命の御墓所とも伝えられている。 |
山頂の神社駐車場から歩きで探したが、もう少し向こうだったようだ。残念・・・・・。
南大平古墳 | 長野市松代町豊栄 撮影日2016/5/6 |
皆神山の中腹にある岩戸神社は古墳だ。
南大平古墳は 径18mの円墳 高さ6.2m 皆神山の南斜面に分布している南大平古墳群の中の1基。 墳丘と石室は岩戸神社となっている。 横穴式石室は全長7.7m 玄室長さ3.94m・奥壁幅2m・高さ2.25m 古くから開口しているので、出土物は不明。 |
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墳丘 案内板には 「岩戸神社 御祭神 天照大神 皆神山ピラミッドの入口ではないかと言われ、 その奥は謎とされている。」 と書かれている |
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車道から見上げる南大平古墳 |
横穴式石室開口部 |
玄室内部 |
玄室から外を見る |
桑根井鎧塚1号墳 桑根井鎧塚古墳群 |
長野市松代町豊栄 撮影日2016/5/6 |
桑根井鎧塚1号墳は、皆神山東麓にある豊栄団地の公園の築山として保存されている。
桑根井鎧塚古墳群は 13基確認されていて、 |
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桑根井鎧塚1号墳 南から見た墳丘 積石塚古墳だというが、普通の墳丘 中央あたりに 横穴式石室があったのかなぁ |
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同じ公園内の桑根井鎧塚1号墳の南にある墳丘の方が積石塚らしく見えるが、詳細不明・・・。
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桑根井空塚古墳 長野県史跡 |
長野市松代町豊栄 撮影日2016/5/6 |
桑根井鎧塚1号墳から北東に約300m。
現在墓地として利用されているため墳丘の一部が削平されている。
桑根井空塚古墳は 直径17mの円墳 、高さ3.4m 土石混合墳丘 竹原笹塚古墳と同じような合掌形天井の横穴式石室が南に開口している。 石室は全長6.1m、羨道長さ1.1mで、 羨道入口は両側壁に板石を横長に立てかけた横口状をていしている。 玄室は長さ4.2m・幅1.45m・高さ2.1mの長方形で竹原笹塚より小さい。 側壁は厚さ80cm程度の石塊を並べて石室基底石とし、 右側壁からは4枚、左側壁からは3枚、羨道に左右1枚ずつの板石を 縦長に組み合わせて合掌形にし、奥壁も若干内傾させている。 大正13年に、瑪瑙製勾玉1、碧玉製管玉1、糸切り底の須恵器坏1が発見されたと 「松代町史」に記載されているが、現在所在不明。 古墳時代後期の築造と推定されている。 皆神山の東南、藤沢川の左岸の段丘につくられている。 合掌形石室は、 山梨県王塚古墳、福島県前ノ山古墳、山形県松沢1・2号墳以外は、 長野盆地に集中する特異な形態の埋葬施設である。 (説明板から) |
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説明板の後ろに横穴式石室開口部がある。 |
現代の墓石の横に 合掌形石室が南に開口している。 |
合掌形石室開口部 入口に仏像らしきものが置かれている |
石室内部 |
奥壁部分 |
石室内部から外を見る |
桑根井空塚古墳の北西50mにも積石塚がある。桑根井久保古墳という。
桑根井久保古墳 一見して積石塚に見えるが詳細不明。 |
桑根井久保古墳 墳裾に積石が見えている。 |
桑根井空塚古墳の説明板の中に出てきた竹原笹塚古墳とは、皆神山の北にある。
竹原笹塚古墳の東には、菅間王塚古墳がある。
この2つの古墳は、桑根井空塚の北北西約1.5kmくらいのところにあるのだが、位置がはっきりしない。
二日目の宿・戸倉上山田温泉柏屋に着いてから、ネットで調べて翌日見学。
竹原笹塚古墳 長野市指定史跡 |
長野市松代町 撮影日2016/5/7 |
北側の道沿いに案内表示かある。
竹原笹塚古墳は 直径26m・高さ3.6mの土石混合の円墳 石室の大部分は破壊されているが、 南向きに開口している合掌形石室は 全長6.8m 玄室の長さ5.4m・玄室の幅1.8m 玄室の基部は平らな面を内に向けて、高さの同じ大石で四方を囲み、長方形の竪穴を設けている。 その基部上に長さ1.5m、幅1.7〜1.0mの平石3枚づつを中央に傾けて立て、 石室中軸線の上方で組合わせて屋根形を造り、羨道部も同様の構造となっている。 副葬品として鉄製の馬具や矢じりがある。 古墳時代後期の6世紀半ば頃の築造と推定されている。 長野盆地にある合掌形石室の多くは、 おもに大室古墳群にみられる箱形石棺の蓋石が三角屋根形となる小型のタイプで、 横穴式石室構造で大型の合掌形石室は、 現在のところ竹原笹塚古墳と桑根井空塚古墳の2基しか残っていない。 |
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北の道路に入口がある。 |
壊れかけた墳丘 |
合掌形横穴式石室 |
石室内部 |
奥壁部分 |
内部から外を見る |
方向を変えて見ると、立派な積石塚 |
墳頂からみた合掌形石室の屋根部分 |
菅間大塚古墳 長野県指定史跡 |
長野市松代町東条 撮影日2016/5/7 |
南から菅間の集落に入ると、いくつか案内板があるので、何とか墳丘前までたどり着くことができる。
北から行こうとして失敗してしまった。
南西斜面、標高478m付近につくられている。
菅間大塚古墳は 直径34m・高さ6.7mの積石塚形式の円墳である。 墳丘は、近くで産出する径30cm前後の安山岩質石塊のみで積み上げられている 墳頂部は比較的平坦で、斜面の下方に下積みが延びて平坦面をつくり、段築となっている。 墳丘中心よりやや山側に埋葬施設が露出しており、 追葬の横穴式石室(長さ4m・幅1.3m)と考えられている。 馬具・直刀・須恵器が出土したと伝えられている。 正式な発掘調査ではないが、露出している埋葬施設とは別の埋葬施設が昭和45年ごろ確認された。 現在は埋め戻されているが、 墳丘表面から約1.2m下に、長さ3.5m・幅1.25mの赤色塗彩された合掌形石室がある。 こちらが中心埋葬主体部と考えられている。 長側壁に左右4枚、短側壁に2枚ずつの厚みのある板石を並べて基部とし、 天井石として長側壁側に3枚、短側壁側に2枚ずつの板石を内傾させて立てかけている。 写真や実測図などの資料がなく、出土物も確認されていないため、 6世紀前半ころの築造と推定されているが、定かではない。 長野県下最大規模の積石塚古墳で、合掌形石室がある古墳として重要である。 (平成20年設置の説明板から) |
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菅間王塚古墳 墳丘 |
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方向を変えてみる墳丘 |
墳頂に露出している横穴式石室 |
この古墳の山側には、直径19m・高さ4.3mの積石塚状の円墳が1基隣接している。
藪だが・・・・ |
裾には積石が確認できる。 |
合掌形石室が見られないのが、非常に残念・・・。
布施塚古墳 へつづく