更新日2016/7/8
長野県北部の旅
その1・飯山市 木島平村2016/5/5〜5/7
雑事に追われていたら、春の旅が5月になってしまった。
ゴールデンウイーク後半に2泊3日で、長野県北部に向かう。
草木の緑が鮮やかになってきていて、古墳見学には、時期が遅すぎた・・・。
5月5日 早朝5時に自宅を出発、白山ICから北陸自動車道
入善PAで、用意してきたおにぎりで朝食
上越JCTから上信越自動車道に入り
8時過ぎ、豊田飯山ICから一般道
豊田飯山ICからすぐの道の駅「ふるさと豊田」で休憩
古墳見学が始まる。
地図g
勘助山古墳 長野県指定史跡 |
飯山市静間 撮影日2016/5/5 |
山頂南東の県道から、遊歩道がある。
道路脇の案内板
「長野県史跡 勘助山古墳入口」
「水梨子沢遊歩道ミズナシサワユウホドウ」
と書かれている。
勘助山古墳は、勘助山(標高440m)頂上にある。ふもとからの比高差は80〜100m。
10分ほど登ると、墳丘。
墳丘全長40mの前方後方墳 前方部長14m・くびれ部幅11.5m・後方部長26m 墳丘図 勘助山古墳測量調査報告書(1994)から 前方部が東にある。 後方部と前方部の主軸が同一直線上にない 左右の墳丘が非対称であり、 墳丘の南側を意識した造りである。 山頂に立地することや前方部が小さいことから、前期古墳と考えられている。 不整な後方部の平面形が正方形でなく長方形で、 その長辺に前方部が接続している形は北陸地方にも見られる。 飯山市や新潟県に近接する地域では、 弥生時代後半から北陸地方の土器の流入が始まり徐々にその傾向が強くなる。 この古墳はこのような状況下に築かれたものと考えられている。 長野県内の古墳総数が3500基を上回るが、前方後方墳は10基に満たない。 (説明板から) |
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勘助山古墳 左・後方部 パノラマ写真 |
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墳丘の向こうに説明板 手前・後方部 奥・前方部 |
後方部から前方部を見る |
前方部脇から後方部を見る |
前方部から後方部を見る |
飯山市内では、勘助山古墳・法伝寺2号古墳・有尾1号古墳の3基の前方後方墳が確認されている。
法伝寺古墳群 2号墳は市指定史跡 |
飯山市静間 撮影日2016/5/5 |
勘助山古墳の北約3kmの法伝寺境内にある。
ちょうど、除草の作業日で、人が集まっている。
方墳の法伝寺1号墳と前方後方墳の法伝寺2号墳を見学したが、もう1基あるらしい。
(3基の墳丘が確認されている)
法伝寺1号古墳 | |
一辺26m・高さ4mの方墳 墓地の中にある、立派な方墳。 | |
南から見た墳丘。 墳丘上にお堂がある。 |
西から見た墳丘。 |
2号墳は、1号墳のすぐ北にある。
法伝寺2号古墳 飯山市指定史跡 | |
全長23mの前方後方墳 最大幅18.5m・高さ2.6m 周溝が一部認められている。 周溝内から土師器坏が出土している。 かつて後方部頂の地中から鉄剣が出土しているが、主体部は未発掘。 4世紀後半の築造と推定されている。 平成8年に確認調査 (説明板から) |
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法伝寺2号古墳全景 左・後方部 除草作業お疲れさまです! |
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前方部脇から後方部を見る |
前方部から後方部を見る |
後方部頂 |
後方部から前方部を見る |
面積・体積から考えると、方墳の1号古墳の方が立派だが、
前方後方墳の2号墳が主墳だろう。
有尾古墳群 1号古墳は飯山市指定史跡 |
飯山市飯山有尾 撮影日2016/5/5 |
地図を見ると、ちょうどトンネルの上にある。
車で行けるかどうか不安だったが、飯山生涯学習センターの横から山に入り、北上して南下。
ちょうど有尾1号墳の説明板にたどり着く。
有尾1号古墳説明板
この左に有尾1号古墳がある。
標柱の右側には、有尾2号古墳がある。
有尾古墳群は、3基確認されている。 有尾1号古墳は 墳長35mの前方後方墳 最大幅22m、高さ3.5m 4世紀後半の築造と推定されている。 後方部に比べて前方部が短い 発掘は一切されていない。 (説明板から) 有尾2号古墳(小丸山古墳)は 18×16m? 高さ約2.5m 通称「小丸山」で、県史では方墳の可能性あり。 有尾3号古墳は 径約13m、高さ約1.4m 2号墳の南側にあるか、明瞭な墳丘はない。 |
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有尾1号古墳 左・後方部 |
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前方部から後方部を見る |
後方部から前方部を見る |
後方部頂 ぼこぼこ大きな穴が空いているが、 戦時中の松根油採取の穴だということだ。 |
有尾2号墳 |
有尾3号墳はわからなかった。
大池古墳群 飯山市指定史跡 |
飯山市大池 撮影日2016/5/5 |
有尾古墳群の北約1kmに、大池古墳群がある。
大池1号墳は 径21m・高さ3mの円墳 大池2号墳は 径15m・高さ2mの円墳 |
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南から見た大池古墳群 墓地の背後に 左2号・右1号が並ぶ。 HP「埼群古墳館」様と 同じアングルだが、 草が茂って よく見えなくなった。 |
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右の1号墳 |
左の2号墳 |
茶臼山古墳群 | 飯山市照里 撮影日2016/5/5 |
大池古墳群の北約3kmにある、大きな墳丘が1号墳。
県道から一本西側の農道を行くとあるが、藪になっていて、見過ごしてしまいそう。
そばで、アスパラの収穫作業をしている女性が、この山は茶臼山だと教えてくれた。
茶臼山古墳群は 3基 確認されている。 1号墳は 径42.5m・高さ5.5mの円墳 2号墳は 径18.0m・高さ2mの円墳 3号墳は 径6.0m・高さ5.5mの円墳 |
茶臼山1号墳の墳丘 径40mを超えているので山みたい |
茶臼山1号墳は 墳頂平坦面も広い! |
緑が鮮やかで、墳丘がよく見えない・・・・
JR飯山線 戸狩野沢温泉駅で休憩。
戸狩野沢温泉駅スタンプ
島崎古墳 | 飯山市常郷 撮影日2016/5/5 |
遠くからでも、よく見える墳丘。
径15mの円墳となっているが、もっと大きく見える。
島崎古墳は 径15mの円墳 (という以外の情報がない・・・) | |
北から見た島崎古墳 |
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北西から見た墳丘 方墳のようにも見える。 |
南から見た墳丘 |
墓地となっているが、墓石の名字がみな同じなので、一族の墓地かな。
飯山市では、ほかに大塚古墳群・馬場古墳群・飯綱堂古墳があり、
いずれもそばまで行ったが、見学できなかった。
LAWSON飯山瑞穂豊店にて買い物、昼食。
根塚遺跡 県指定史跡 |
木島平村往郷 撮影日2016/5/5 |
木島平村には農地の中に独立した丘が3つあり、その一つの丘・根塚から、弥生時代の鉄剣が出土した。
根塚遺跡は、飯山盆地の東南部に位置し、 馬曲川の氾濫による扇状地の扇央部から扇端部にかけて 点在するほかの3つの塚(大塚、平塚、小塚)とともに塚群を形成している。 過去における遺跡は現範囲よりさらに西側に分布していたとされ、 昭和40年代の基盤整備事業によって西側低地部分が削られ、 遺跡の半分近くが消滅したと考えられている。 現範囲は、東西105m 南北58m、表面積3500u、標高329.66m、 圃場との標高差は7〜10mで、北側の急崖を除いては丘頂部から数段の郭状形態をなしている。 根塚遺跡の図 (説明板から) 平成8年(1996)、圃場整備の計画区域内の記録保存を目的とした調査で、 弥生後期に属する二振りの鉄剣が発見された。 そのうちの一振りは、 柄頭に一つ、柄尻に二つの渦巻文を有していたことから、「渦巻文飾鉄剣」と命名された。 この鉄剣は、朝鮮半島南部の加耶地域からもたらされた舶載品である。 ほかの一振りも中茎の目釘穴のほかに孔があることから、 同じく加耶地域からもたらされた舶載品であると認定された。 村では遺跡の重要性を鑑み、平成8年度に遺跡全体を買収し村有地として遺跡の破壊を防ぐこととなる。 平成9年度〜平成12年度に、末調査部分の学術調査。 |
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<遺物と遺構>
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東から見た根塚 |
塚上では、360度の景色を眺めることができる |
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石列の向こう側が円形墳丘墓 |
剣が出土した斜面 |
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東側の麓に柄鏡形敷石住居址がある。 稲荷境遺跡で発見された 縄文時代後期の柄鏡形敷石住居址を移築復元したもの。 (というが、一面の雑草でよく分からない。) 西に円形部、東に張出部が配置された住居。 円形部は直径約4m、 円形部から張り出し部までの長さは約6m。 土器片、打製石斧1、磨製石器2が出土 南に隣接してあるカマドは、蟹沢遺跡で発見された平安時代住居址のものを復元している。 |
農地の中に、三つの独立丘陵はとっても目立つ。
もう一つの独立丘陵
「平塚」
木島平村には、和栗古墳という合掌形石室のある古墳があるようだが、見学しなかった。
山の神古墳(中野市) につづく