更新日2011/7/8
長野県飯田市から山梨県へその3
飯田市32011/4/29〜5/1
二日目にはいる。(2011/4/30) 飯田市の見学の二日目。
ビジネスホテル「エルボン飯田」で 朝食後
7:40 エルボン飯田 出発
座光寺古墳群(畦地1号古墳 高岡第1号古墳 雲彩寺古墳)などの見学に向かう。
宮の前垣外古墳 | 飯田市別府 撮影日2011/4/29 |
護老神社境内となっている。神社のために改変されていて古墳とはわからない状態だ。
護老神社の社殿は 前方後円墳の上に立つ |
南から見た墳丘 水路の奥に石室らしい穴? |
水路の奥の石室らしい穴について、飯田市在住のSさんから情報をいただきました。
後世に掘られた野菜保存用の室だそうです。Sさんの親戚の方が利用されていたそうです。
古墳の石室でないのは残念だけれども、スッキリ解決しました。
Sさん、ありがとうございました!
雲彩寺古墳 (飯沼天神塚古墳) |
飯田市飯沼南条 撮影日2011/4/29 |
雲彩寺境内にある。
偶然若いお坊さんに会って、裏木戸をあけていただいたので、石室を見学できた。
なが〜い羨道に入ってみたが長すぎて途中で怖くなり引き返してしまった。
雲彩寺古墳は 全長74mの前方後円墳 前方部幅39.5m・高7.7m、後円部現存径31m・高さ8.5m 後円部に西側に開口する横穴式石室がある。 6世紀中ごろの築造と推定されている。 雲彩寺古墳 石室実測図 (説明板から) 石室全長13m・高さ1.6mで、長い羨道が特徴。 出土品として、「雲彩寺古墳所蔵古物之図」(1798)には、 馬具類・環頭柄頭・銅鏡・玉類・金環・須恵器類などが描かれている。 現在残るのは、馬鈴2、金環1のみ。 |
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雲彩寺山門 旧飯田城の城門の一つと言われている。 山門の奥、本堂の後ろに古墳がある。 |
雲彩寺古墳前方部 前方部は墓地となっている。 寺院建築で墳丘東側は改変されている。 |
雲彩寺古墳後円部 前方部から見る この後円部の下に横穴式石室がある。 |
雲彩寺古墳後円部にある開口部 実は奥壁側 入口は閉塞石で完全にふさがれているが、 奥壁側が破壊されそこから出入りできる。 |
雲彩寺古墳石室内部 手前が玄室 奥が羨道 長〜い羨道の中に私がいる |
雲彩寺古墳 石室内部から外を見る |
少し離れて雲彩寺を見ると、寺院のうしろに雲彩寺古墳、左側の高台にも古墳が・・・・?
何という古墳なのでしょう?
左の古墳の拡大 化石一号古墳(血とり場の塚) |
この雲彩寺のそばの古墳について、飯田市在住のSさんから情報をいただきました。
この古墳は「化石一号古墳(血とり場の塚)」という名前だそうです。
Sさんの子どものころは首吊り山といって、おそれられていたとか・・・・怖いですね。
どういう事件があったのかはご存じないそうです。
Sさん、ありがとうございました!
郭1号墳 (郭の築山) |
喬木村阿藤字郭 撮影日2011/4/29 |
飯田市から東の喬木村に向かう。
郭1号墳は北保育園の西にある。
北保育園から古墳石室に行けると思ったが、行けなくて、
古墳の所有者の三浦さんに了解をいただいて見学した。
三浦さんは資料と懐中電灯を持って来てくださった。
三浦さんはHPも開設されているそうだ。
東(保育園側)から見た郭1号墳後円部 前方部は削られている。 後円部も削られ石垣が積まれている。 元は全長38.2mの前方後円墳 |
郭1号墳石室入口 地上から1.8m高い所に西南西に開口 前部分は少し破壊されている。 |
郭1号墳石室内部 石室全長11.25m・底幅2m 無袖型 玄室長さ8.8m底幅2〜2.2m・高さ2.2〜2.75m 羨道長さ2.5m・底幅1.6〜2m・高さ1.3m |
郭1号墳石室内部から入口を見る 入口の天井石の2枚分が羨道部。 玄室の天井石は6枚。 |
阿島陣屋跡 郭1号墳の東に接する。 (現在は老人ホームと保育園となる。) 江戸時代の旗本知久氏の邸宅(陣屋)のあった所。 この西北端の旧知久氏邸宅の庭園の築山となっていたのが郭1号墳。 別名「郭の築山」の由来となっている。 西方台地下は旧城下の阿島市街となる。 |
石塚古墳群 | 飯田市座光寺 撮影日2011/4/29 |
飯田市に戻る。
麻積神社入口の中央図書館分館西側にある。
偶然、図書館に来ていた子どもたちと一緒に古墳見学をすることとなる。
石塚第1号古墳
中央図書館分館のすぐ西側に墳丘がある。
石塚第1号古墳墳丘 西側から
奥の建物が図書館
径21.8m・高さ1.8〜3.3mの円墳
石塚第1号古墳開口部
6世紀後半の築造と推定されている。
入口は石室底面よりだいぶ高い所にある。
石塚第1号古墳石室内部
全長8.5m、幅2m、高さ2.8m
石塚第1号古墳石室内部から外を見る
無袖型
石塚1号墳の西にある石塚2号墳は私有地にあるそうで、
偶然地主の女性に会い、石室に案内していただいた。
石塚第2号古墳
石塚第2号古墳
東側から見る
1号墳とほぼ同規模
石塚第2号古墳開口部
狭い!
無袖型の石室は全長8m・幅2m・高さ2.5m
石塚第2号古墳石室内部
カメラを突っ込んで撮影、中は意外と広い。
入口は石室底面よりだいぶ高い所にある。
高岡第1号古墳 | 飯田市座光寺 撮影日2011/4/29 |
元善光寺駅の東北東200mほどのところ、高岡神社社殿が乗っている。
高岡第1号古墳 南西から 左手前 前方部 右奥 後円部 高岡第1号古墳は 全長72.3mの前方後円墳 後円部径35.2m・高6.2m 前方部幅35.7m・高6.3m 周壕あり。葺石あり。人・馬などの形象埴輪や円筒埴輪が出土している。 6世紀前半の築造と推定されている。 |
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高岡第1号古墳後円部正面 葺石がいっばい! この手前に高岡神社の鳥居がある。 後円部社殿が立つ。奥が前方部。 |
高岡第1号古墳前方部から後円部を見る。 右側斜面に、 墳丘の大きさのわりには小さな石室の 開口部が見える。 |
高岡第1号古墳石室開口部 入口の立石は後世のものらしいが・・・? 石室前部は破壊されている。 |
高岡第1号古墳の石室内部 赤彩が残る。 左側壁に穴が・・・。 |
高岡第1号古墳石室から入口を見る 無袖式の竪穴系横口式石室で全長5.6m 奥壁幅2m・開口部幅1.85m・高さ1.7m 入口は石室底面よりだいぶ高い所にある。 |
高岡第1号古墳石室内部の左側壁の穴 副室ではないのか? 埼群様HPによると、 明治時代に養蚕に使われたときの 「通気口」だという。 |
畦地1号古墳 畦地古墳群 |
飯田市座光寺 撮影日2011/4/29 |
畦地古墳群は、飯田工業高校北側の台地端部に分布。6基の円墳からなるが残るものはわずか。
畦地1号古墳 上り口 東西15m・南北19.8mの円墳 南高さ5.5m・北高さ3.0m 6世紀前半の築造と推定されている。 |
畦地1号古墳 南から 石室開口部が見える。 葺石あり 円筒埴輪あり |
畦地1号古墳石室開口部 横穴式石室は竪穴系横口式石室 (入口は石室底面よりだいぶ高い所にある。) 北本城古墳・高岡1号古墳と共通する。 |
畦地1号古墳石室内部 全長7.85m 玄室長さ6.67m・幅1.9m・高さ1.55m。 左側壁の奥壁そばに副室が設けられている。 |
畦地1号古墳副室内部 |
畦地1号古墳石室内部から入口を見る 銀製耳飾り・馬具・玉類が出土 (大正12年石室の清掃発掘) |
銀製垂飾り付耳飾りは朝鮮半島からの渡来品と考えられている。
高岡1号墳と畦地1号墳の石室はよく似ていて同じ人物の設計ではないかと云われている。
しかし、
高岡1号墳の石室入口の立石は後世のものであるとか、
高岡第1号古墳石室内部の副室は副室ではないとか
ということになると、どうなのだろうか?
高岡1号墳、畦地1号墳、石塚1号墳、石塚2号墳は(北本城古墳も)、石室の底面より1m以上高い所に入口がある。
これを竪穴系横口式石室と書かれているものもある。
竪穴系横口式石室といえば、
滋賀県・愛荘町の依智秦氏の里古墳公園だが、それとも少し違うような気がする・・・・・。
平地2号古墳 平地古墳群 |
飯田市座光寺 撮影日2011/4/29 |
平地古墳群は、飯田工業高校西側の台地上に分布。12基の円墳からなるが残るのは2号墳のみ。
畦地1号古墳から見た平地2号古墳 畦地1号から南に見下ろすような位置にある。 円墳だが、大きさなどは不明 |
平地2号古墳石室開口部 大きな天井石が露出 |
平地2号古墳開口部背後 ボロボロだ |
平地2号古墳石室内部 ほぼ埋まっている。 |
武陵地第1号墳 (秋葉塔の塚) |
高森町下市田 撮影日2011/4/29 |
飯田市の北の町・高森町にある。飯田工業高校の東北東300mほどの台地上。
「長野県宝 富本銭出土古墳 秋葉塔の塚」と書かれた大きな案内板がある。
説明板もある。
頂上には秋葉大権現・金毘羅大権現・蚕玉大明神が祀られている。
武陵地第1号墳 径16.9m・高さ4mの円墳 墳頂部は径6.2m |
武陵地第1号墳石室入口 石室全長9.09m 羨道幅1.15m・玄室幅2.15m・高さ2.5〜2.9m。 入口横の石積みは後世のもの |
武陵地第1号墳石室内部 奥壁はすき間がコンクリートで固められている。 |
武陵地第1号墳 富本銭・須恵器・切羽・しおで・直刀などが出土 |
北本城古墳・宮の背古墳・塚穴1号墳・塚穴2号墳は時間の都合で見学見送り。
いよいよ、初めての山梨県へ向かう。