北村さんちの遺跡めぐり
更新日2011/7/30
長野県飯田市から山梨県へ
その4 山梨編2011/4/29〜5/1
二日目、飯田の古墳を見終えて、初めての山梨県へ・・・。
11:00 長野県・松川ICから中央高速
11:37 小黒川PA トイレ休憩
12:42〜13:8 双葉SAにて 昼食
双葉SAに特別展示中の 武田信玄公
13:15 一宮御坂ICから一般道 ETC 1000円
経塚古墳 県史跡 |
笛吹市一宮町 撮影日2011/4/30 |
一宮御坂IICのすぐ北にある山梨県森林公園金川の森に保存されている。
金川の両岸に公園があるが、経塚古墳は東岸のほうにある。迷った。
13:38 着
1994年(平成6年)に水害防備保安林を森林公園として整備する際に調査され、
全国で9例目、東日本では3例目にあたる八角墳と確認された。
経塚古墳 対角長13m・高さ2.2m・対辺長12mの八角墳 墳丘の裾を石積みで囲んでいる。 (外護列石) 古墳時代の終わりごろ(7〜8世紀)に、中国政治思想や仏教思想などの影響から 八角墳が造られたと考えられているが、今のところ全国で十数例しか確認されていない。 (説明板から) |
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経塚古墳石室入口 中には入れない |
経塚古墳石室内部 |
経塚古墳 基底部石検出状況 (説明板から) 胴張り型の横穴式石室は 全長6.6m・高さ1.2〜1.6m・玄室長3m・羨道長3.6m 鉄斧1が出土 7世紀初頭の築造と推定されている。 |
国分寺跡 国分尼寺跡 | 笛吹市一宮町 撮影日2011/4/30 |
14:00 着
国分寺跡 国分尼寺跡は現在発掘・整備の途中だ。
数年後に来れば、しっかり見学できるだろう。
甲斐国分寺跡
基礎の石垣が確認できる。
甲斐国分寺金堂跡
基壇は南北22.6m東西36m
甲斐国分寺・国分尼寺 配置図 (説明板から)
天平13(741)年、聖武天皇により「国分寺建立の詔」が出された。
疫病の流行や凶作の災いから国家を守るために、
奈良・平城京の東大寺の大仏を中心として、
全国各地に国分寺・国分尼寺を立てるという壮大な構想だった。
当時の寺院は宗教的な施設というだけではなく、
新しく中国大陸からもたらされた文化を学ぶセンターでもあった。
また、国分寺の建設に伴って瓦作りや金工などの新しい技術ももたらされた。
甲斐国分尼寺金堂跡
南北13.2m・東西20.4m
姥塚古墳 ウバヅカコフン 県史跡 |
笛吹市御坂町井之上 撮影日2011/4/30 |
南照院境内にある。
境内の掃除をしていた女性に見学の許可をいただいたが、
危険なので石室内には入らないようにと言われてしまった。
姥塚古墳 南照院本堂奥にある。 写真中央辺りに石室入口が見えている。 径約50m・高さ10mの円墳 葺石なし 埴輪なし 周溝がある。 埋葬施設は横穴式石室 6世紀後半の築造と推定されている。院 |
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姥塚古墳石室入口 石が落ち込んでいる |
姥塚古墳入口に落ちた巨石 |
姥塚古墳玄室途中に扉 |
姥塚古墳玄室内部から入口を見る |
姥塚古墳 奥に、聖観音が祀られている 南西に開口した 右片袖式の横穴石室は現存全長17.5m 玄室長9m・奥壁幅3.3m ・玄門幅3m・高さ3.6m 羨道部長8.54m・幅2.4m・高さ2.4m 羨道入口付近の蓋石は何枚か転落したようで、 現在は羨門に1枚が垂直に落ち込んでいる。 入口付近の側壁の石も何枚か失われている。 天井石は8枚現存している。 副葬品は不明。 |
大昔、谷間の百合姫という力の強い山姥が、大男と競争して一晩のうちに造ったので姥塚という。
また、厩戸王(聖徳太子)の伝説があり、王が甲斐に来た時に、この地で愛馬が倒れ、それを葬って御馬塚とし、
転訛して姥塚と呼ばれるようになったという説もある。
亀甲塚古墳 カメノコウヅカコフン (キッコウヅカコフンともいう) |
笛吹市御坂町成田 撮影日2011/4/30 |
県立博物館の西600mの桃畑の中にある。
亀甲塚古墳
1948(昭和23)年に埋葬施設の発掘調査、
1975(昭和50)年には墳丘の測量調査。
東西25m・南北20.8m・高さ1,2〜1.3mで西側がややつき出た宝珠形をしている。
墳丘中央の竪穴式石室は長さ4m・幅1.4〜2m・高さ1.2〜1.3mで、
副葬品として管玉や盤龍鏡・鉄刀・鉄鉾・鉄鏃などが出土。
5世紀前半の築造と推定されている。
現在不正形な楕円形をしており、
造られた当時は、円墳なのか、帆立貝式の前方後円墳なのか、不明。
古い写真を見ると、方墳のようにも見えるという。
八代狐塚古墳 | 笛吹市八代南字前田2051 撮影日2011/4/30 |
高速道路と313号線に挟まれた所、果樹園の中にある。
前方部が細くて、これが本当の柄鏡形。
八代狐塚古墳実測図 (説明板から) 全長51mの前方後円墳 前方部長さ17m・高さ3m 後円部径34m・高さ6m 埴輪(円筒・形象)あり 昭和初期に前方部に土俵を造る際、鉄剣・鉄刀・鉄鉾などが出土したが、 主体部は不明 明治4年に鉄鉾1・鉄剣2が出土 5世紀後半の築造と推定されている。 |
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八代狐塚古墳後円部 |
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八代狐塚古墳 後円部から前方部を見る |
八代狐塚古墳 前方部から後円部を見る |
団栗塚古墳 ズングリヅカコフン 市指定文化財 |
笛吹市八代町北 撮影日2011/4/30 |
集落の中にある。 次に見学する熊野神社の管理地だそうだ。
団栗塚古墳 現在は長径18m・短径16m・高さ2.75mの円形だが、 東方に出っ張りを持つ 全長30mほどの帆立貝形前方後円墳と考えられている。 2基の竪穴式石室がある。 5世紀後半〜6世紀前半の築造と推定されている。 明治22年、道路新設に際し発掘された。 |
団栗塚古墳後円部墳丘 この奥に前方部があった。 左側 西棺 右側 東棺 円丘部の中央に1.5mの間隔を置いて 東西に2基の竪穴式石室が並んでいる。 それぞれ粘板岩の蓋をした南北に長さ2m・幅0.5m・深さ0.5mで 朱が内部の壁面、甲蓋全面に塗られている。 東棺は立石式で、白骨と鏡、玉が出土。 西棺は小口積式で、白骨、長形鉄鏃、直刀柳刃などが出土。 (説明板から) |
熊野神社の古墳 | 笛吹市八代北町1615 撮影日2011/4/30 |
熊野神社に古墳がある。3基確認した。
名前がフシギだが、説明板がなくて、詳しい事はわからない。
熊野神社東古墳東側(古墳) |
熊野神社東古墳 |
熊野神社東古墳西側(古墳) |
東古墳西側の墳丘上の「氷石」・・? |
地蔵塚古墳 市史跡 |
笛吹市八代町南 撮影日2011/4/30 |
集落の中にある。
地蔵塚古墳 径約35m・高さ9.2mの円墳。 横穴式石室が開口している 6世紀末〜7世紀前半の築造と推定されている。 中に地蔵尊が祀られているので地蔵塚という。 |
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地蔵塚古墳石室入口 南向きの横穴式石室は片袖型 羨道長さ3.9m・幅1.9m 玄室長さ6.15m・幅1.8m・高さ2.35m 6世紀〜7世紀の築造と推定されている。 |
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地蔵塚古墳石室内部 石組みが雑・・・・・ |
地蔵塚古墳石室 玄室から入口を見る |
岡銚子塚古墳 県史跡 |
笛吹市八代 撮影日2011/4/30 |
八代ふるさと公園に整備八代ふるさと公園に整備保存されている。
岡銚子塚古墳 全長約92mの前方後円墳 後円部径48m・高さ7.5m 前方部幅41m・高さ4m 周壕あり 墳丘上には埴輪が林立していた 前方部2段、後円部3段築成 葺石あり 4世紀後半の築造と推定されている。 |
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岡銚子古墳前方部から後円部を見る |
岡銚子古墳後円部から前方部を見る |
岡銚子塚古墳 後円部の埋葬施設表示 右奥 前方部 その向こうに盃塚古墳が見える。 埋葬施設は粘土槨による竪穴式石室とみられ、江戸時代1763年(宝暦13)に盗掘されて、 銅鏡や玉類、鉄刀などが発見されたという記録がある。 その後の発掘調査などで、鉄刀・鉄鏃・埴輪片が出土。 |
盃塚古墳 サカズキヅカコフン 市史跡 |
笛吹市八代町岡 撮影日2011/4/30 |
岡銚子塚古墳の北東約50mにある。
盃塚古墳 墳丘裾の2本の桜は 「甲州蚕影桜」と名付けられている。 桜の下に養蚕の神様「蚕影山」がまつられていることから、公募で「甲州蚕影桜」と名付けられた。 |
盃塚古墳 岡銚子塚古墳側から見る 径23m・高さ4.5mの円墳。 周溝がめぐっていた。 埋葬施設は竪穴式石室と思われ、 鉄刀や鉄鏃が出土している。 5世紀前半の築造と推定されている |
竜塚古墳 | 笛吹市八代町米倉 撮影日2011/4/30 |
竜塚古墳は丘陵上に立地しているが、竜安寺の墓地分譲中のため良い道路ができている。
竜安寺の持ち山にあるから「竜塚」というのか?
岡銚子塚から見た竜塚古墳 (望遠で)
竜塚古墳は 一辺56m・高さ7.4mの方墳 頂部は一辺21m 2段築成 上段に葺石あり 幅10mの周溝がある。 埋葬施設は墓壙の中に木棺 副葬品と考えられるものは出土していない。 5世紀前半の築造と推定されている。 |
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竜塚古墳墳頂 シートに覆われている。 50mを超えると、さすがに大きい! |
竜塚古墳 葺石が集められている。 |
竜塚古墳は丘陵上に立地していて、谷を隔てた東側の丘陵上には岡銚子塚古墳がある。
岡銚子塚古墳の被葬者の後継者が竜塚古墳に葬られたと考えられている。
竜塚古墳から見た岡銚子塚古墳
八幡塚古墳 市史跡 |
笛吹市八代町増利 撮影日2011/4/30 |
集落の中にあり、児童公園となっている。
八幡塚古墳 現在は 南北33.5m・東西30m・高さ5mの長方形だが、 かつては南に前方部があり、 帆立貝形前方後円墳と考えられている。 葺石なし 埴輪なし 周溝はあった 鉄鏃などが出土したと伝えられている。 5世紀後半の築造と推定されている。 |
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八幡塚古墳 墳丘上に八幡神社、下段に道祖神がある |
八幡塚古墳 前方部があったと思われる方向 (南側) |
三珠伊勢塚古墳 町史跡 |
市川三郷町大塚 撮影日2011/4/30 |
元三珠町にある円墳。大塚・北原古墳群中の1基。果樹園の中にある。
三珠伊勢塚古墳 径38m・高さ6mの円墳 墳頂の平坦面は径14m 横穴式石室があるのではないかと 考えられている。 江戸時代に発掘しようとしたが、たたりを恐れて、埋め戻し石祠を建てたとか…。 |
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三珠伊勢塚古墳 墳頂 伊勢大神を祀る石祠がある。 |
三珠伊勢塚古墳 斜面に露出している石材 |
三珠大塚古墳 町史跡 |
市川三郷町 撮影日2011/4/30 |
三珠伊勢塚古墳の西に見える大塚は、北原古墳群中の1基。
三珠大塚古墳 現状で 全長40m・高さ4mの帆立貝形前方後円墳。 葺石あり 円筒埴輪あり 後円部と前方部の両方に竪穴式石室が発見された。 前方部石室から、 鈴釧・六鈴鏡・短甲・鉄鏃・直刀などが出土。 |
三珠大塚古墳 後円部から前方部を見る しずくのような形をしている。 遠くに見える木立が、三珠伊勢塚古墳。 |
山の中でガソリンがなくなると大変なので、一旦山を下り、ガソリン補給。
何度もシャトレーゼの工場の横を行ったり来たり・・・(翌日も・・)
王塚古墳 | 中央市鳥居原 撮影日2011/4/30 |
旧豊富村にある。
三珠伊勢塚・大塚の東側にある丘陵にあり、雰囲気も大塚とよく似ている。
海抜342mの宇山平丘陵の頂点にある。
王塚古墳 横姿は先ほどの大塚古墳とそっくり。 現状で 全長61.2mの帆立貝形前方後円墳 後円部径40m・高さ7m 前方部長さ22m・幅23m・高さ1.5m 前方部は西側 墳丘上に円筒埴輪がめぐる。 人物埴輪や馬形埴輪も出土 山梨県で唯一の合掌形の竪穴式式石室は、赤彩されていて、 長さ5.4m・幅1.9m・高さ1m。 鎧・甲・刀・鏃などが出土した。 5世紀後半の築造と推定されている。 |
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王塚古墳 後円部から前方部を見る 前方部先端は削られ、ほんの一部の残土がある。 |
王塚古墳 前方部から後円部を見る 葺石がいっぱい確認できる。 |
三星院1号墳 | 中央市木原 撮影日2011/4/30 |
王塚古墳の東1kmにある。尾根が違う。
三星院古墳群は10基が確認されている。
午後6時過ぎとなり、夕暮れの写真。
三星院1号墳 南西から 左側(西北西)に短い前方部があるはず。 |
三星院1号墳 南から きれいな墳丘 |
三星院1号墳 墳丘上は三星院の住職の墓地 全長40mの帆立貝形前方後円墳 後円部径38m・高さ6m 6世紀初頭の築造と推定されている。 |
日暮れとなり、今日はここまで。
18:40 甲斐銚子塚古墳そばの亀の井ホテルに到着。 新しいホテルで、全室二段ペット完備。
長野県飯田市から山梨県へその5 につづく