北村さんちの遺跡めぐり
更新日2011/7/30

長野県飯田市から山梨県へ
その5 山梨編
2
2011/4/29〜5/1 

5/1 三日目、 最終日です。
7:33 朝食を終え、亀の井ホテル発

山梨県の地図g

藤塚古墳 甲府市下向山町
撮影日2011/5/1

7:45 着

甲府のHP「とびだせ市民レポーター」に出ていた古墳。
下向山町の金沢区コミュニティセンターの近くにある。


稲荷神社

小さな社殿は覆い屋の中にある。

稲荷神社の横にある藤塚古墳(左奥)


藤塚古墳のきれいな墳丘
墳頂には石祠がある。

藤塚古墳は
稲荷塚古墳ともいわれていて、
直径22m・高さ4.5mの円墳
 土本毘古王の息子の后である藤巻姫の墳墓だといわれている。

     

小平沢古墳 甲府市下向山町
撮影日2011/5/1

米倉山の北東端、標高320mの斜面にあるというので山を登るが、
 予定していた道は通行止め、北側の道は急坂で・・・・。
 なんとか登ると・・・、「地すべり防災区域」の看板の向かい側に墳丘があった!
古墳の説明板はない。

8時8分 小平沢古墳 着


小平沢古墳 後方部

全長45mの前方後方墳
前方部長さ21m・幅18m・高さ4m
後方部一辺25m・高さ7.5m
舶載斜縁二縁神獣鏡 菅玉などが出土
4世紀初めの築造と推定されている。

小平沢古墳 後方部墳頂 
中央はへこむ

小平沢古墳 後方部から前方部を見る
前方部先端にいる私(藪の中)

   

天神山古墳 甲府市下向山町
撮影日2011/5/1

藤塚古墳の東側にある山は古墳

天神山古墳 北から

全長132mの前方後円墳
後円径67m・高12m 前方部幅29m・高さ7m
2段築成
葺石あり 周溝あり  埴輪なし
未発掘
三角縁神獣鏡・はそう(須恵器の楽器?)などが出土
4世紀前半の築造と推定されている??

甲斐風土記の丘 甲府市下向山町
撮影日2011/5/1

銚子塚古墳の史跡整備に伴い公園が建設され、曽根丘陵公園と名付けられた。
甲斐風土記の丘とも呼ばれている。
園内には遺跡や古墳群のほかに山梨県立考古博物館や研修センター、広場などがある。

甲斐風土記の丘の地図g


銚子塚古墳と丸山塚古墳の俯瞰図
   (説明板から)



昭和5年に「銚子塚古墳附丸山塚古墳」が
    国指定史跡となる。
     

甲斐銚子塚古墳 甲府市下曽根町
甲斐風土記の丘内
撮影日2011/5/1

甲斐銚子塚古墳は、1928(昭和3)年に石室が見つかった。
 2001(平成13)年には史跡整備に伴う発掘調査
全長169m、の東日本最大級の前方後円墳
 後円部径92m・高さ15m 前方部幅68m・高さ8.5m
後円部は3段、前方部は2段築成
古墳の周囲を周壕と外堤がめぐっている。
墳丘に埴輪あり


銚子塚古墳 丸山塚から(東側から)見る

銚子塚古墳 後円部から前方部を見る
 
後円部の竪穴式石室
を示している。

長さ6.6m・幅0.93m・高さ1.35m
 鏡5面、車輪石、石釧、杵形石製品、貝釧、勾玉管玉、
  鉄剣、鉄斧、鉄鏃などの副葬品が発見された。
 後円部北側で造り出し状の遺構が発見されていて、
  祭祀の場として造られたものと考えられている。
 周溝から出土した立柱・笠形木製品・円盤状木製品なども
  この祭祀に関連したものと考えられている。
 4世紀後半の築造と推定されている。

銚子塚古墳
南側の周壕跡から後円部を見る


銚子塚古墳
後円部北側の造り出し状の遺構

不思議な形!

   

丸山塚古墳 甲府市下曽根町
甲斐風土記の丘内
撮影日2011/5/1

銚子塚古墳のそば(北東)にある。


丸山塚古墳 銚子塚側から見る
右奥の山に大丸山古墳がある。

丸山塚古墳 銚子塚北から

丸山塚古墳
墳頂にある竪穴式石室の天井石


丸山塚古墳
径72m・高さ約11mの円墳。墳頂径9m。
2段築成。埴輪あり。周壕あり。
墳頂の竪穴式石室は長さ5.55m・幅1.05m・高さ0.85mで
鏡・鉄斧・鉄鎌・鉄剣・石釧・勾玉などが出土。
5世紀初頭の築造とと推定されている。

   

かんかん塚・さかづき塚 甲府市下曽根町
甲斐風土記の丘内
撮影日2011/5/1

丸山塚古墳の東にある。

かんかん塚古墳  茶塚古墳ともいう。
径26mの円墳
葺石なし 埴輪なし
竪穴式石室は長さ7mで
 甲冑や県内最古の馬具が出土
5世紀後半の築造と推定されている。
   

さかづき塚
径13m
盛土の内部に、
 こぶし大の石を1m四方に敷きつめた施設があり、
16世紀ごろの鉄鏃が出土
中世の信仰にかかわる塚とみられている。
     

岩清水遺跡
イワシミズイセキ
甲府市下曽根町
甲斐風土記の丘内
撮影日2011/5/1

岩清水遺跡は、
 弥生時代後期の住居跡13軒、円形周溝墓1基、
 古墳時代中期の円形周溝墓2基
で構成されているという。
円形周溝墓の規模は26〜30m程度で土師器、須恵器などが出土している。
説明板がないので、特定できない。
かんかん塚などと同じくらいの大きさなのに、名前がわからない。



1号円形周溝墓 (古墳時代中期)





2号円形周溝墓 (古墳時代中期)


この2基の古墳時代中期の円形周溝墓は、
出土した土器から、東山南遺跡の円形周溝墓より後につくられていると考えられている。

もう一つの小さな円形周溝墓
丸山塚のすぐ横にある。
これが弥生時代のものなのか?・・・
わからない
溝の一部が切れていて、主体部へわたれるようになっている。
丸山塚古墳やかんかん塚古墳のそばにあるが、それとの関係はどうなのだろうか。

上の平遺跡 甲府市下曽根町
甲斐風土記の丘内
撮影日2011/5/1

曽根丘陵の中央、標高330mにある。
1979年からの調査で、弥生時代末〜古墳時代前期の方形周溝墓128基、同期の住居跡17軒が発見されている。
128基のうち35基の方形周溝墓が復元されている。


上の平遺跡 配置図

発掘された元の位置に盛土して整備

最大規模の1・2・3号の方形周溝墓は
溝を掘って中央部に土を盛り上げて復元している。
 一辺10m前後のものが最も多く、コーナー1か所にブリッジを持つものが多い。
 最大のものは30×24mの大きさがある。
 墳丘は削平されていて埋葬施設は確認されていないが、
  溝中からガラス小玉・壺・甕などが出土。
 迷路遊びができるようになっている。

たくさんの方形周溝墓が並ぶ景色はすごい!

大型の方形周溝墓は溝が重なりそう!

     

東山南遺跡 甲府市下曽根町
甲斐風土記の丘内
撮影日2011/5/1

東山南遺跡は弥生時代後期に築造された方形周溝墓2基
古墳時代中期に築造された円形周溝墓8基、方形周溝墓1基で構成される遺跡。
現在は「花の広場」と「勾玉広場」として整備されている。
細かな説明はない。

東山南遺跡
 群集墳というところかな。



このうち4号墓は古墳時代の築造で、一辺9mで溝が方形にめぐり、土師器・須恵器・直刀・鉄矛などが出土した。
(古墳時代でも周溝墓というのだね。)

稲荷塚古墳 甲府市下曽根町
甲斐風土記の丘内
撮影日2011/5/1

東山南遺跡のすぐ横にあるが、後期古墳となる。
調査後は埋め戻され、整備は行われていない。
稲荷塚古墳(1号墳)南東に接している2号墳があるが、
これは古墳中期の東山南遺跡に属すると考えられている。(開墾による削平)

  
稲荷塚古墳
直径20m・高さ3.5mの円墳
南西に開口する横穴式石室をもつ。
葺石なし 埴輪なし
一部溝跡も確認されている。
 墳丘上部の盛土は削平、石室の一部は崩壊し天井石が消失しているが、
  石室全長8mの片袖式石室で、玄室長6m・奥壁幅1.68m・側壁高さ1.9m
 土師器や須恵器、銀象嵌装飾大刀や刀子、刀装具、
  甲冑小札類、鉄鏃、馬具などの鉄製品、玉類や金環などの装身具、
  銅椀などの副葬品が発見されている。
 平安時代の土師器や墨書土器も出土している。
 6世紀後半の築造と推定されていて、
  7世紀代まで追葬が行われていたと考えられている。
 1986(昭和62)年に調査

稲荷塚古墳 石室石材露出

稲荷塚古墳 墳丘に石祠がある。

稲荷塚古墳から遊歩道を南に行った所に「鍋弦塚古墳」があるはずだが、藪がひどくて、結局特定できなかった。
公園内でもこの辺りは、歩く人も少ないようだ。
稲荷塚古墳のそばにある地図案内板は、はげてしまって判読不能。

大丸山古墳

考古博物館
甲府市下曽根町
甲斐風土記の丘内
撮影日2011/5/1

丘陵の中腹・東側に大丸山古墳がある。

考古博物館の向こうに見える山は
 大丸山古墳

大丸山古墳は1929年(昭和4)に地元民により発掘され、
 後円部に
  上部に竪穴式石室、下部に組合式石棺の二重構造の埋葬施設がある。
石枕、三角縁獣文帯三神三獣鏡などを含む多くの副葬品が出土。
銚子塚古墳に先行する4世紀中葉頃の築造と推定されている。
正確な測量はされてないが、全長99m〜120mの前方後円墳
 後円径49m・前方幅34m〜49mとされている。



丸山塚古墳の右奥の山に大丸山古墳がある
 銚子塚側から見る




博物館内を見学した。
期待していたほどの展示はなかったが、
「赤烏元年」の鏡が出たという鳥居原狐塚の場所を尋ねたところ、
「課長」という方が地図と資料を持ってきてくれた。
彼は、ずいぶん前に狐塚を見学したといい、細かな位置もよく覚えていないが、説明板があるので探してみてくださいと
送り出してくれた。

曽根丘陵にある古墳は総称して、中道古墳群といわれている。
この地域の最初の大型古墳は小平沢古墳(前方後方墳・45m)で、
 それ以後は前方後円墳となり、
 天神山古墳(132m)→大丸山古墳(99m)→甲斐銚子塚古墳(169m・4世紀末)と続き、
 5世紀前半の円墳・丸山塚古墳(72m)で、大型古墳は途絶える。
その後、5世紀後半には、円墳群となる。(東山南遺跡など)

一方甲府盆地では、
 4世紀後半に岡銚子塚古墳(92m)、5世紀前半に竜塚古墳(56m)がきずかれているが、
 甲斐銚子塚古墳→丸山塚古墳の流れと同じものと考えられている。

鳥居原狐塚古墳 甲府市下向山町
撮影日2011/5/1

見つかりました!説明板が。   説明板がないとわからなかった。

鳥居原狐塚古墳 説明板

鳥居原狐塚古墳
 現状径18m・高さ1mの草地
明治26、7年ころ偶然石室が発見された。
小丘陵の突端に位置する円墳で
 墳頂ほぼ中央にある竪穴式石室は長さ2m・幅1.2m・高さ1mで赤彩され、
 「赤烏元年銘神獣鏡」をはじめ
 内行花文鏡、直刀、剣、銅鈴、須恵器などが出土した。
5世紀中葉の築造と推定されている。

赤烏元年銘神獣鏡は国重文となっている。
赤烏は呉の大帝の年号で元年は西暦238年となる。

鳥居原狐塚古墳 東から


墳頂に三角点の案内板がある。




鳥居原狐塚古墳 南から

墳丘が低い・・・・
知らないとわからないだろう。


鳥居原狐塚古墳辺りからみた
   三珠大塚古墳と三珠伊勢塚古墳


谷の向こうに見えている。
13:00 バーミヤン山梨豊富店にて昼食

万寿森古墳 甲府市湯村
撮影日2011/5/1

2006年の調査時に、除草されたはずだが、すっかり藪の中で形もよくわからない。
湯村山の南裾、標高300mにある。


万寿森古墳  西から



万寿森古墳  藪だらけ

径25m・高さ5mの円墳
周溝あり
南に開口している両袖式横穴式石室は全長14.2m
玄室長さ7.9m・奥壁幅2.44m・高さ3.2m
6世紀中ごろの築造と推定されている。
遺物は全く不明。
石室も全く見えない。
草木を整理したら・・・ようやく石室が見えた。腕は何かでかぶれた。

万寿森古墳 石室
入口は大きな鉄の扉で閉じられている。

大きな石室なのだと感じる。
江戸時代には、火薬の貯蔵庫に利用されていたと伝えられ、煙硝蔵とも呼ばれていた。
近年には、ホテルの酒蔵として利用されていた。(万寿森ホテルがあったそうだ) 

加牟那塚古墳
県史跡
甲府市千塚
撮影日2011/5/1

地名が千塚というように、付近には多くの古墳があった。
が今では万寿森古墳のほかにいくつかの小古墳が残っているだけ。


加牟那塚古墳 円墳です・・・・・

径45m・高さ7mの円墳
周壕あり
円筒埴輪・器材埴輪(太刀・盾)あり

6世紀後半の築造と推定されている。 

加牟那塚古墳
 石室入口


南東に開口する右片袖式横穴式石室
全長16.75m
羨道長さ7.37m
玄室長さ9.38m・幅3.3m・高さ3.2m
天井石は4枚 奥壁は1枚岩 
カラス製丸玉・須恵器片が出土
 
加牟那塚古墳石室内部

中には入れない
 

加牟那塚古墳の広い墳頂からの景色

山梨県の地図g

14:40 見学終える。
14:58 双葉IC
15:16 八ヶ岳PA おみやげ
諏訪湖まで2.6kmの地点に最高所1015mがある。
15:55 岡谷JCTから長野自動車道
    長男が信州で暮らしている時に、よく通った安房トンネルに行きたくて、
    松本で一旦 高速を下りることにする。
16:14 松本IC 
     安曇野のセブンイレブンにてトイレ
17:22 安房トンネルを行く  なつかしい!!
     トンネルを出たら、銀世界だった。出た所でトイレ休憩
19:00 富山IC       ETC  計 1900円
19:45 金沢西IC  
    イオン御経塚店にて夕食
20:30 帰宅


長野県飯田市から山梨県へ    おわり

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