北村さんちの遺跡めぐり
更新日2023/9/8

敦賀市
金ケ崎城跡と天筒山
古墳見学ハイキング
2023/5/21

滋賀県に住む長男から、
「福井県敦賀市の金ケ崎城址で古墳が確認されたらしいよ」とメールが来て
インターネットで「越前・若狭の城と考古学-以敦賀市金ケ崎城跡の航空測量の意味するもの」を読む。

2018年1月6日の福井新聞に載った記事は
「2017年4月に敦賀市教育委員会が、ヘリコプターによるレーザー光線を使った測量で、
天筒山公園へ向かう山頂部手前の峰に前方後円墳が見つかった」というもの。

 レーザー光線による測量図  (福井新聞 平成30年1月6日記事から) 

 右上ので囲んだ部分が、確認された前方後円墳     

5年前の記事だったんだけれども、
  その古墳と天筒山山頂近くの古墳を見に、金ヶ崎公園ハイキングです。

2023/5/21 7時半ごろ自宅発、
9時前に、金ケ崎城址の南麓、金前寺前の駐車場に駐車して、 金ケ崎城址・天筒山へ!

付近の地図g

 金ケ崎(天筒山)公園案内図一部拡大    (現地案内板から)

 古墳の位置は書かれていない。中央付近の女の子が歩いているあたりが古墳かな?

   

金ケ崎城址
金ケ崎古墳

敦賀市金ケ崎町
撮影日2023/5/21 9:4

駐車場そばには、「金ケ崎城跡・天筒山城跡碑」という大きな説明板がある。

 金ケ崎城跡・天筒山城跡
 金ケ崎城は敦賀湾に突き出た丘の上に築かれた中世の城
 現在は周囲が埋め立てられたが、北・西・南の三方を海に囲まれ、
  東に連接する天筒山城につづく尾根にも要害(城戸)を設けた難攻不落の城だった。
 ここで2度歴史を動かす合戦が行われた。
 @ 南北朝時代の金ケ崎城争奪戦
 A 戦国時代「金ケ崎の退き口」と呼ばれる織田信長の撤退戦  ……

  説明板     右から左にお読みください!

登ります!

 金ケ崎宮  金ケ崎城跡のふもとにある。
 後醍醐天皇第一皇子・尊良親王と
  後醍醐天皇皇太子の恒良親王を祭神として、明治2年に鎮座された。

   

摂社絹掛神社
 尊良親王御墓所見込地
 安政年間(江戸時代末期)、経塚が発見され、
  石室から銅製経筒、円鏡、椀(3点とも敦賀市文化財)が出土

 現在では、親王自刃の地として大切に保存されている。

   

「尊良親王御陵墓見込地」と刻まれた石碑

 月見御殿広場
 金ケ崎の最高地点(海抜86m)で月見崎といい、通称月見御殿と呼んでいて、
  南北朝時代の金ケ崎城の本丸跡といわれていて、
  戦国時代などにも武将が月見をしたと伝えている。 (説明板から)

月見御殿

金ケ崎古戦場 石碑

月見御殿からの景色
右側の建物は火力発電所

月見御殿跡 
皇太子殿下臺臨之跡

月見御殿の手前に古墳がある。

 金ケ崎古墳   直径10mほどの円墳か 
  竪穴式石室がある。
  直刀、銅鏡が出土している。

東の天筒山方向に歩きます。


三の木戸跡

南北朝時代(1336〜1392)の、
 金ケ崎城の三の木戸の跡

地名は水の手といい、当時の用水場で
 付近から清水が湧き出ていたと
 伝えられている。



古墳かも

焼米出土地

戦国時代、金ケ崎城の兵糧庫があり、
 織田・朝倉の攻防戦で落城の際
 倉庫は焼け落ちその焼米が出土した
と伝えられている。

二の木戸跡

南北朝時代(1336〜1392)の
 金ケ崎城の二の木戸跡

この付近で激戦があったといわれている
ここから東120mに一の木戸がある。

一の木戸跡

南北朝時代(1336〜1392)の
 金ケ崎城の一の木戸跡
(最初の関門)

掘割は敵の侵入を妨害する役割を果たした。
戦国時代には朝倉市も利用した。

    

天筒山西1号墳

敦賀市曙町11-68
撮影日2023/5/21 10:12

一の木戸から東に上ったり下りたりして約20分で、「天筒山西1号墳」に着く。
この古墳が、レーザー光線を使った測量で確認された古墳だ。

 天筒山西1号墳は 墳長53mの前方後円墳
 敦賀市内で2番目の規模。
 前方の等高線が立て込んでいることから、海からの眺望を意識していると言える。

後円部側

後円部から前方部を見る

前方部

前方部から後円部を見る

前方部脇から後円部を見る

天筒山古墳群については、資料がなかなか見当たらないが
ネット検索で  2021/7/31の市民歴史講座  「敦賀の古墳時代に関する新知見
    〜沓見遺跡・手筒山古墳群などにおける最近の調査から

 というのが見つかったので引用させてもらった。
天筒山は手筒山ともいう。ネット検索で調べた資料は「手筒山古墳群」となっている

 天筒山古墳群について
 史跡金ケ崎城跡 地形図

   HP「史跡金ケ崎城跡保存活用計画」内の地形図を引用・加筆
 「天筒山西1号墳」が、レーザー光線による測量で、確認された古墳。
 左の月見御殿のそばにあるのは、「金ケ崎古墳」。
 この図の東(右)につづく天筒山の山頂近くには、天筒山1号墳・2号墳がある。、
 天筒山古墳群
 主な古墳として
  天筒山西1号墳(前方後円墳、墳長53m)
  天筒山1号墳(円墳、径50m以上)
  天筒山2号墳(方墳、一辺約33m)
         (ネット検索から) 

     

天筒山城跡
天筒山1号墳・2号墳

敦賀市泉
撮影日2023/5/21 10:45

天筒山西1号墳から東へ、山道や階段を登ったり降りたりして約30分。
天筒山の展望台に到着。

 見張台跡
 天筒山は、南北朝時代から戦国時代にかけて山城として利用されていた
 ここはその城郭の一部で、見張所跡と推定され
  自然の地形を利用して、人工的にも削平地をつく 敦賀全域に号令したと考えられている。
       (説明板から)

見張台跡は標高171m  この上に展望台  

展望台   カメラマンがいっぱい!

展望台からの景色 北西方向
 敦賀湾 奥は敦賀半島

展望台からの景色 南東方向
中池見湿地

見張台跡の手前(北側)に、天筒山1号墳(南側)・2号墳(北側)が並んでいる。

 天筒山1号墳 (天筒山古墳群)
  径50m以上の円墳
  2段築成 
  海からの眺望良好で恐らく中期前半の古墳。
  頂上に登る階段の脇にある。

南から見た墳丘

墳頂部

周溝跡 写真ではよくわからない

北から見た墳丘
 手筒山2号墳 (天筒山古墳群)
  一辺約33mの方墳
  2段築成 葺石がある。
  平野側からの眺望は悪い(1号墳の陰に隠れる)。
  敦賀市内2例目の埴輪(円筒埴輪)を持つ。

1号墳側(南)から見た墳丘

鉄塔が立つ

墳頂部

葺石?!

    

駐車したところまで引き返す。
帰り道はなんとなくわかっているので、気が楽。
焼米出土地あたりから金崎宮へ下りるジグザグの急な階段があるので、ひたすら降りる。
天筒山展望台から40分ほどかかった。

 下りた時に撮った案内板2枚

信長の戦いの案内板

駐車場そばの金前寺には、井戸があるらしい

   

ちょうどお昼になった。
  
午後からは滋賀県彦根市の荒神山古墳群の石室を見学予定。
滋賀県に住む長男一家がすでに荒神山公園で待機している。
急いで荒神山に向かう。
敦賀IC(12:10)から高速!

荒神山古墳群(滋賀県) へつづく

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