北村さんちの遺跡めぐり
更新日2021/7/22

養浩館庭園

酒生古墳群
2021/2/28
2021/3/27

2月中に使えるクーポン券があったので、養浩館庭園の見学に出かけた。

名勝 養浩館庭園
と その周辺
福井市宝永3丁目
撮影日2021/2/28

周辺の地図g

名勝 養浩館庭園 福井市宝永3丁目
撮影日2021/2/28

残念ながら、屋敷の建物は修理中で、お庭しか見学できなかったので、クーポン券は使わず無料で見学…。

案内図
(パンフレットから)

 

 養浩館庭園は、かつての福井藩主松平家の別邸で、江戸時代初期から中期につくられた。
 成立時期については詳らかでない点が多いが、3代忠昌(タダマサ)時代(1623-1645)に藩邸となり、
 城下を流れる飲料用の水路である芝原上水(シバハラジョウスイ)を
  引き込んで御泉水屋敷となったと考えられている。
 池を中心に、数寄屋造りの屋敷をそなえる回遊式林泉庭園となっている。
 福井城の本丸から北東約400mの位置にあり、福井城の外堀の土居に接している。
 「養浩館」の名は明治17年(1884)、松平春嶽によってつけられた。
 昭和20年(1945)の福井空襲による建造物の焼失後も、庭園はよく現在に伝えられていたため、
  昭和57年(1982)には、「良く旧態を残した優秀な庭園である」として国の名勝に指定されている。

南から見た庭園池

七重層塔(西)から見た庭園

南西から見た景色
東尋坊の柱状節理の岩による石組みの先に
数寄屋造りの屋敷が水の上に浮かぶように見える

手前の石は、自然石の石橋
ビニールシートで半分隠れている…

昭和20年の福井空襲で、建造物や樹木は焼失したが、
 文政2年(1823)の「御泉水指図」をもとにして庭園の修復と建物の復元が進められて、
 平成5年に完成し公開されている。

福井城舎人門遺構
フクイジョウトネリモンイコウ
福井市宝永3丁目
撮影日2021/2/28

養浩館から福井市郷土歴史博物館へ行く途中にある。
江戸時代の福井城の門「舎人門(トネリモン)」やその一帯が復原されている。

 博物館の建設に先立って発掘調査を行ったところ、
  福井城の北の外堀や石垣、土居、門の礎石、砂利敷き道路や水路、武家屋敷の跡などが見つかった。
 そのときの調査成果や、福井城下の絵図などをもとに、
  江戸時代の終り頃(19世紀中頃)の様子が復原されて、博物館の館外展示物として公開されている。
 舎人門」は、福井城の外堀に設けられた門の一つ。「御泉水裏御門」などとも呼ばれていた。
 この福井城舎人門遺構の付近は福井城北側の外堀の一部にあたり、「舎人門」から伸びる石垣と土居が、
  発掘調査で確認された。

石垣と土居は、
 明治時代の地面から上の部分は削られていたので、
 復原にあたっては石を積みなおしたり(6段分 約2.7m)、
 土を盛りなおしたりした。
石垣の石材は、
 足羽山産出の笏谷石
で、
 復原には福井城跡の発掘調査で出土した
 石垣石を再利用している。

  

福井市立郷土歴史博物館 福井市宝永3丁目
撮影日2021/2/28

もとは足羽山にあったが、2004年に現在地に新築移転した。

福井市郷土歴史博物館 入館券

福井市全般の展示がある。


福井市春嶽公記念文庫をはじめとする
 福井藩、越前松平家に関する資料が充実しているという。
古墳を中心に紹介する。
撮影可の印があるものをフラッシュなしで撮影しているので、不鮮明なものも多い。


足羽山山頂古墳の石室再現

明治16年、
 足羽山の山頂から
 偶然笏谷石製の石棺が発見された。
石棺は割られ中身が持ち去られた状態だった。
 その後昭和26年の調査で、石棺が納められていた竪穴式石室の底部が未破壊のまま見つかり、
  その調査結果をもとに推定復元された。
 笏谷石を積み上げて壁をつくり、すきまを粘土で埋めて密封していた。

龍ヶ岡古墳出土品1
上段 やりがんな  
下段 貝釧 鏡 竪櫛 繊維片

龍ヶ岡古墳出土品2
上段 剣 刀子 鋤先 斧 鉄製品
下段 二神二獣鏡 頸飾 朱 石釧

玉類
上段左・水晶製切子玉(水切古墳出土)
上段右・めのう製勾玉(水切古墳出土)
下段左・緑色凝灰岩製管玉(天神山7号墳出土)
下段右・勾玉(天神山7号墳出土)

竪櫛
左 宝石山古墳出土
右 天神山7号墳出土


上段左から ほう製鏡(鼓山古墳出土)
 細線式獣形鏡(天神山7号墳出土)
 珠文鏡(天神山7号墳出土)
下段左から 三角縁神獣鏡レプリカ 
三角縁神獣鏡(花野谷1号墳出土)

鉄器
上段 又鍬(三尾野7号墳出土
下段左 刃先(中山2号墳出土) 
右 U字状刃先(天神山13号墳出土)

鉄器の展示
上段左 刀子(天神山9号墳出土)  
右 手斧(天神山7号墳出土)
下段左 やりがんな(中山2号墳出土)
 右 鑿 (天神山7号墳出土)

剣類の展示
左から (中山古墳群出土)
 (天神山7号墳出土)
 槍先(天神山7号墳出土) 
 鉾先(天神山7号墳出土) 

天神山支群出土の馬具 (仮)7号墳以外)
左側上 辻金具 左下は鏡板  銅鈴
   右 

耳環の展示 
左から天神山9号墳 
 天神山11号墳 天神山10号墳

全て紹介できたわけではない。
天神山7号墳の出土物については、次の酒生古墳群の中でも紹介する。
博物館スタンプラリーというのをしていて、子供たちが楽しめるように企画されている。

酒生古墳群
さこうこふん

福井市篠尾町ほか
撮影日2021/3/27

2003年に見学に行っている。  2003年の見学記
墓地の横の横山支群が残っているのではないかともう一度見学に行く。

酒生古墳群 全体図
(福井市立郷土歴史博物館内展示から)

酒生古墳群は福井市篠尾町・成願寺町・高尾町にある
1980年の福井県遺跡地図には、総数335基と記載されていて、
 北陸最大の古墳群と確認されている。
尾根上にある成願寺山支群・八郎山支群・天神山支群
山麓や平野部に位置する高尾支群・横山支群・篠尾支群・行塚支群の7支群からなる。

前方後円墳は成願寺山支群の13号墳だけで、現状ではそれ以外に確認されていない。

酒生古墳群周辺の地図


酒生古墳群
 平野部にある古墳の配置図


2003年の酒生古墳群配置図をパワーアップ!
ネット検索、地理院地図などで、作図した。
あくまでもイメージ図です!

今回は
狐塚古墳・新溜古墳・おかま古墳・車塚古墳・赤塚古墳
青い点線で示した
 見学地A (横山支群の一部)
 見学地B (高尾支群の一部)
 見学地C (天神山支群の一部)
を見学した。

配置図内の数字は、酒生古墳群の通し番号ではないかと思う。

1962年に新溜古墳、1976〜79年には天神山支群の3〜7号墳が調査された。
ほかに横穴式石室がある古墳として、
 狐山古墳・車塚古墳・オカマ古墳があり、6世紀中葉〜7世紀の築造と推定されている。

酒生古墳群については、
 車塚古墳のそばに簡単な説明板があるが、ネットで検索しても詳しいことはよくわからない。
 古墳辞典に掲載されている内容を主に記す。

天神山7号墳
消滅
酒生古墳群天神山支群

天神山支群は、開発が進み、現在はほとんど住宅地になっている。
天神山支群の中心部には、天神山7号墳があった。

 天神山7号墳は  径52mの円墳 高さ7.5m
 葺石なし 段築なし
 円筒埴輪と形象埴輪が出土、
 墳丘南西の基底部からは土師器辺も出土。
  墳頂中央部に、割竹形木棺が納められた粘土槨が2基、確認された。
 第1埋葬施設は、長辺7m・幅3.6mの2段墓壙を持つ。
  棺内から珠文鏡1・金製垂飾付耳飾1対・勾玉3・平玉750・竪櫛45、
   横矧板革綴短甲1・竪矧板革綴衝角付冑1・肩甲1・頸甲1・草摺1、
   鉄刀2・鉄剣8・鉄鉾3・鉄鏃多数・鉄斧1・ピン状鉄器1、
   鋲留胡ロク1・弓3・革盾1が出土。
 やや東に位置する第2埋葬施設は、長辺7.2m・幅3.2mの墓壙がある。
  棺内から獣形鏡1・勾玉3・管玉46・竪櫛3、
  鉄刀17・鉄剣20・鉄鏃23・刀子5・ヤリガンナ1が出土した。
 5世紀中葉の築造と推定されている。
 1978・79年に発掘調査

 天神山7号墳出土の遺物   (福井市立郷土歴史博物館の展示から)

金製垂飾付耳飾1対
福井県では若狭の
向山1号墳・西塚古墳でも出土している。


甲冑


革盾と、盾復元絵図
   

鉄鏃

鋲留胡ロク
腰につける「矢を入れる袋」
「ロク」は
「草カンムリの下に禄」という字!

福井市立郷土歴史博物館の項でも、いくつか天神山7号墳出土物を紹介しているので、合わせてご覧ください。

狐塚古墳 酒生古墳群横山支群

径40mを超えるほどの大きな円墳だが、詳細不明!


全景

近づくと 墳丘が見える

墳丘上

墳丘上から墳裾を見る

    

新溜古墳 酒生古墳群横山支群

径20mの円墳
昭和37年土取りで舟形石棺が露出し発見された。
その中から人骨5、6体分・銅鏡・勾玉・管玉・ガラス製小玉などが出土した。
6世紀前葉の築造と推定されている。

新溜古墳の石棺
(古墳辞典から)


刳り抜き式舟形石棺
  


北東から見た新溜古墳

近づいてみる
 実は高まりが二つあって、どちらが新溜古墳かはっきりしない…。


近くの池のほとりに古墳の案内板

「←車塚 赤塚↑」


  

赤塚古墳 酒生古墳群横山支群

篠尾町の真ん中の独立丘陵(?)の北端にある。
車塚古墳のそばの説明板には、赤塚古墳は前方後円墳とある。(?)
古墳のあたりに、草取りをしている2、3人の人がいるが、
 地元の人ではなくて、古墳のことは知らないそうだ。


真ん中の標柱には
「赤塚古墳」の「赤」だけが見える。

北に張り出した尾根先にあるらしい。
墳丘がどこからどこまでかは、よくわからない。


オカマ古墳の前の道路から見た赤塚古墳

前回来た時は、大きな木があったが、スッキリしている。

オカマ古墳 酒生古墳群横山支群

民家の奥にあり、お庭に取り込まれているが、横の道を通って見学できるようになっている。
案内板には「オカマ」とある。


民家の後ろにある。

庭石になっている

奥壁側から

開口部

前回来た時、いろいろ話してくれた地主のおじさんは、お元気だろうか…。
さこん(酒生)長者のお墓だという伝説があるそうだ。

車塚古墳 酒生古墳群横山支群

車塚古墳のそばに古墳群の説明板がある。
前回来た時と同じ説明板!農地の中に石室が露出している。


説明板

東から見る

西から見る

どっちが奥壁かわからないほど崩れている

赤い椿の花が咲いている。

恵松霊園高尾公園墓地の古墳群
(見学地Aの古墳)
酒生古墳群横山支群

恵松霊園高尾公園墓地の西側には、林が残されていて、古墳が10基以上残されている。
墓地になっているところにも多くの古墳があっただろうが、壊されてしまった…。
説明板はないので、詳細は不明。
便宜上、北から順に、番号をつけて紹介する。
中には、狐山古墳(ここでは仮10号墳)と名付けられた径20mほどの墳丘があり、横穴式石室が露出している


(仮)1号墳

(仮)1号墳 斜面の石材

(仮)2号墳

(仮)3号墳

(仮)4号墳

駐車場の横には2基の古墳が整備されているが、
説明板はなし。
右にある標柱の文字は消えている…。

左(仮)6号墳 右(仮)5号墳

(仮)5号墳

(仮)6号墳

(仮)6号墳石材

(仮)7号墳

(仮)8号墳

(仮)9号墳

(仮)10号墳は
「狐山古墳」と名付けられているらしい。

(仮)10号墳 石室開口部

(仮)11号墳

(仮)12号墳

(仮)13号墳

  

高尾支群の南端の古墳
(見学地Bの古墳)
酒生古墳群高尾支群

ニューウッドタウン高尾の北東端に墓地があり、墳丘が残っているようだ。
詳細は不明。


北から

東から

南東から

   

天神山支群の南端の古墳
(見学地Cの古墳)
酒生古墳群高尾支群

国道158号線沿いの南側の廃材置き場の奥に墳丘が残っているようなので、店の人に了解を得て見学。
廃材の中に古墳!
通し番号52・53・54.・55のあたりです。


その1  (54号墳か?)

その2  (55号墳か?)

その3(その2と同じか?)

南側の道路から見上げる墳丘群

詳細を知りたいです!

トップページ