北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/11/21

福井県・敦賀から小浜へ
その2 若狭町
・小浜市
 2015/10/12

敦賀市の古墳見学後、若狭町へ。
敦賀市は越前、若狭町・小浜市は若狭となります。

地図g

脇袋丸山塚古墳
脇袋古墳群

福井県若狭町瓜生18-1
撮影日2015/10/12

脇袋古墳群は、西塚・上之塚・中塚・糠塚・荒塚・光塚・上下の森で七つ塚古墳群とも言われていたが、
この中の「上下の森古墳」が、脇袋丸山塚古墳だ。

脇袋古墳群の代表である上ノ塚古墳の南側の低い丘陵先端にある。
2012年9月に 現地説明会があったらしい。

 脇袋丸山塚古墳は 全長51mの帆立貝式古墳 で前方部を西に向けている。
  埴輪あり (円筒埴輪・形象埴輪)
  葺石あり
  前方部の墳丘上からは、2m×3.4mの大きさの陥没が見つかって、
   鉄鏃が計7本出土、全形をよくとどめていて、全長12.8cmを測るものもあった。
   木櫃を埋めたような特殊遺構の跡と考えられている。武器武具埋納施設か?
  出土した埴輪片から5世紀後半の築造と推定されている。

 平成24年に科学研究費補助金研究『古墳時代における若狭地域の対外交渉』の一環で測量調査
     (くびれ部・前方部中心とした調査)

脇袋丸山塚古墳 墳丘測量図

墳丘の南半分が大きく破壊されている。

後円部 向こう側に前方部

後円部頂

後円部から前方部を見る

くびれ部から前方部を見る

後円部脇から前方部を見る

前方部から後円部を見る

半分残った後円部

手前は削られた後円部
前方部は左方向にある。

前方部の石室と考えられた場所は、発掘せずに埋め戻したという・・・・
今後に期待です。

城山古墳

福井県若狭町大鳥羽・長江
撮影日2015/10/12

鳥羽川沿いの平野部を望む丘陵に、城山古墳という前方後円墳があるという。
ふもとの平野から墳丘までの比高は約84mある。
山の岩盤を削り出してつくられている。
墳丘上に埴輪列が確認されている。円筒埴輪と朝顔形埴輪のほか、家形埴輪と鳥形埴輪が出土。
5世紀前半の築造と推定されている。

城山古墳は
 この山の上かな・・・・・?



一度は登ろうとしたが、雨が落ちてきたので、あきらめる・・・・・。

大谷古墳
町指定史跡

福井県若狭町下タ中字大谷
撮影日2015/10/12

下タ中字大谷の標高140mの尾根の中腹に所在する。



福祉施設とヤマザキコンビニの駐車場から
大谷古墳のある山を見る







福祉施設とヤマザキコンビニと「あじさいふれあい公園」のある所の北から山を登る。
山道は、墳丘まで続いている。

 大谷古墳は 径27.5mの円墳
  片袖式の横穴式石室は、全長10.7m、玄室長5.1m 幅2.3m・高さ3mほど
  玄門部や天井には巨石を使用、床面の敷石も残っている。
  6世紀中頃の築造と推定されている。

大谷古墳 墳丘

藪の中だ。
中央あたりに石室開口部がある。

横穴式石室の入口

原人でも出てきそうな雰囲気だ・・・

羨道から玄室を見る

右側の片袖部分 奥壁の積み方が見事!!

玄室から外を見る

まぐさ石は巨石!

古墳へ続く山道は、昔からあるという。
石室石材を引っ張り上げた道なのではないかという話が、若狭町の「わくわーく」という広報誌に載っていた。

国分寺古墳
若狭国分寺跡
福井県小浜市国分
撮影日2015/10/12

2回目の訪問となる。
国分寺は、現在も、釈迦堂や薬師堂が建ち、曹洞宗の寺院として存続しているが、現在の釈迦堂は宝永年間(1704〜1704)に再建されたもの。


若狭国分寺配置図
国分寺は741(天平13)年、
 聖武天皇の発願により全国60余州に造営された。
若狭国分寺は
 遠敷川と松永川によって東西を囲まれ
 南を国道によって区切られた
 三角形の地形に位置している。
塔・金堂・講堂・中門などの跡が確認されている。

寺域内に国分寺古墳がある
 国分寺古墳は 若狭国分寺跡の南門の背後にある。
 径45mで若狭最大の円墳。円錐型の墳丘が良好に残っている。


南から見た国分寺古墳

左手前に南大門跡がある。

若狭国分寺・塔跡

若狭国分寺・塔跡から見た国分寺古墳

国分寺古墳墳丘は若狭姫神社となっている。

木々の間から透かし見る墳丘


国分支群 福井県小浜市国分
撮影日2015/10/12

国分寺古墳の南に、小さな円墳が4基残っている。詳細不明。
HP「古墳とかアレ・国分支群」様を参考にして、見学に行く。


3号墳
藪になっているが、墳丘らしいものはない
祠があるから、古墳かな

6号墳

5号墳
周溝跡らしきものも確認できる。

4号墳

南から見た古墳群

 左手前4号墳
 中央奥・5号墳
 右奥・6号墳

詳細は不明だ・・・・。

丸山城跡古墳 福井県小浜市丸山
撮影日2015/10/12

丸山城址古墳は丸山といわれる山の上にある。 標高110m。
北500mには福井県立大小浜キャンパスがある。



南東から見た丸山

この山上に前方後円墳がある。

登り口が分かれば、登るのだが・・・・

今回は山を眺めるだけだ・・・。

 丸山城跡古墳は 全長30mの前方後円墳 前方部を北に向けている。
  戦国時代に丸山城が築かれ、かなり改変を受けている。

丸山城跡古墳 測量図

後円部と前方部にそれぞれ横穴式石室がある。
前方部の石室は玄室最大長2.15m
 ・奥壁幅1.35m・墓道長1.96m・墓道幅0.54m。

墳丘部からは、朝顔形埴輪と円筒埴輪が出土、
     埴輪が墳頂部をめぐっていたと考えられている。

前方部の石室は盗掘が激しく遺物は確認できていない。
5世紀末〜6世紀初めの築造と推定されている。

前方部石室実測図

石室は、通路の部分が未発達で、
 玄室に向かって急激に下降するもので、
 このような石室は九州もしくは朝鮮半島の影響を
 受けたものと考えられている。
 後円部とともに前方部に横穴式石室をもつ古墳は、若狭地域では十善の森古墳や向山1号墳がある。

登ってみたいなーーーー。

その3につづく

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