北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/5/14
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福井市
御茸山古墳群と
消滅した古墳あれこれ2015/2/22
2015/4/9
| 御茸山古墳群 | 福井市安波賀中島町ほか 撮影日2015/4/9 |
酒生古墳群の南、一乗谷朝倉遺跡に至る道の西側は通称御茸山といい、古墳群がある。
見学できるのか調べていたら、登った人のブログが見つかり、
とりあえず、下見にと行ってみたところ、
駐車予定の道の駅「一乗谷あさくら水の駅」に、御茸山古墳群などが書かれた周辺MAPが置いてあり、
下見ではなく、見学の山登りとなってしまった。
道の駅に置いてあったMAPには、小さな字で古墳番号も書かれている。
最高所は標高245mある。
御茸山古墳群は
一乗谷朝倉氏遺跡の西部山地、南北にのびる尾根上に存在する総数155基余からなる古墳群
県有林にある73基を県指定史跡としている。
古墳群は、丘陵先端部・山頂部・西麓部の3支群からなり、
前方後円墳2基・前方後方墳1基のほか、円墳や方墳で構成されている。
北にある酒生古墳群(総数300基余)とあわせて、越前平野でも中核的な古墳群と考えられる。
発掘調査はしていないので、詳細は不明である。
御茸山古墳群位置図 (31号墳そばの案内板に加筆) 左が北となる

主な古墳は
31号墳 径30mの円墳
37号墳 径28mの円墳
41号墳 全長70mの前方後円墳
44号墳 全長43mの前方後方墳
62号墳 径42mの円墳
63号墳 径26mの円墳
66号墳 全長45mの前方後円墳
87号墳は 径56.2mの円墳
66号墳のすぐ南側にある68号墳の辺りが、標高245m、古墳群中最高所にあるようだ。
福井市史に御茸山古墳群の詳しい資料が掲載されているが、古墳番号の付け方が違うようだ。
道の駅「一乗あさくら水の駅」に駐車。![]() 一乗あさくら水の駅 三連水車 直径3.6〜4.4mの3つの水車が回ることで、 水の駅内のビオトープや水路に水を供給している。 すぐ南側にある「六地蔵登り口」から山に入り、約15分で、31号墳そばの休憩所に到着。 30号墳がすこし削られて、展望休憩所になっていて、説明板と配置図板がある。 |
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![]() 南から見た30号墳 右側に31号墳がある。 |
![]() 31号墳 31号墳は 径30mの円墳 |
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| そこからは古墳を見学しながら、68号墳まで、ほとんど登りだ。 | |||||
37号墳 径28mの円墳![]() 37号墳は遊歩道から一段上にある。 藪のため、遊歩道から墳丘は見えない。 標柱がかろうじて見える。 |
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| 41号墳 全長70mの前方後円墳 後円部径34.2m・同高さ5m 前方部長33.8m・同幅32.2m・同高さ4.3m くびれ部幅19m
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![]() 42号墳 (円墳) |
![]() 中央 42号墳 (円墳) 左手前は43号墳 (円墳) |
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![]() 44号墳そばの展望休憩所から東を見る 足羽川が流れている |
![]() 44号墳そばの展望休憩所から西を見る 田園地帯だ |
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| 44号墳 全長43mの前方後方墳 後方部長さ29m・同幅29m・同高さ6.5m 前方部長さ14m・同幅17m・・同高さ3m
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![]() 45号墳 (円墳) |
![]() 46号墳 (円墳) |
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![]() 47号墳 (円墳) |
![]() 48号墳 (円墳) |
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| さらに南下・・・・・・。 | |||||
![]() 中央が62号墳 (径42m の円墳) 手前右は61号墳 (22×10mの方墳) |
![]() 63号墳 (径26mの円墳) |
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| 66号墳 全長45mの前方後円墳 通称鉢伏山古墳 後円部径25m・同高さ3.3m 前方部長さ20m・同幅17.3m・同高さ5.5m くびれ部幅17.3m
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![]() 67号墳 66号墳の前方部の先に2基あって、 遊歩道の奥にあるのが この67号墳 8.8×8.6mの方墳 操作の失敗で、 写真に日付が刷り込まれてしまった・・・・・・ |
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68号墳66号墳の前方部の先に2基あって、 遊歩道側にあるのがこの68号墳 径17.7m・高さ3.1mの円墳 西の87号墳の方に行く道と、 春日神社登り口に下りる道の 分岐点そばにある。 古墳群中最高所にある古墳のようだ。 |
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68号墳から引き返す。
87号墳まで行きたかったが、時間切れ・・・・・
六地蔵登り口から登り始めたのが、午後2時20分ごろ
31号墳の説明板で、午後2時40分
44号墳で、午後3時10分
最後の68号墳で、午後4時7分
道の駅「一乗谷あさくら水の駅」に戻ったのが、午後4時40分
大急ぎで見学しても、2時間20分かかってしまった・・・・・・
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2015/2/22に
福井市文化財保護センター(福井市渕4-748 旧至民中学校)の展示を見に行ってきた。
ここには、花野谷古墳群の出土品が、多く展示されていたが、花野谷古墳群は消滅と記されている・・・・・。
他にいろいろ資料をもらったが、その中に、
安保山古墳群や太田山墳墓群などの発掘時の写真があるが、これらの古墳は現在どうなっているのか?
| 花野谷古墳群 | 福井市花野谷町・宮地町 撮影日2015/2/22・2015/4/9 |
福井市文化財保護センターに花野谷古墳群の出土品が展示されている。

発掘時の花野谷1号墳
(福井市文化財保護センター・平成26年度企画展パンフから)
この古墳群は消滅したと書かれているが、現在、現地はどのような状態なのか?

消滅した花野谷1〜3号墳があったところかなぁ・・・・・・
土取りで消滅だそうだ・・・・
| 花野谷古墳群は 福井市東部の丘陵上にある。 松岡古墳群へ向う峠の入口につくられた古墳 土砂採取に伴い、1〜3号墳が、平成12(2000)年度に調査後、消滅。 1号墳は、造出をもつ直径20mの円墳 高さ2.5m 造出は長さ5.3m・幅10m 墳丘上に割竹形木棺と箱形木棺の2基が確認されている。 割竹形木棺の痕跡は長さ3.5m・幅1m 鏡2面(三角縁神獣鏡・連孤文銘帯鏡)をはじめ、勾玉や管玉、ガラス玉 漆製品・鉄剣・鉄鏃・刀子が出土 箱形木棺は割竹形木棺の一部を切っていて、長さ3.6m・幅0.8m 鉄鏃・袋状鉄斧・ヤリガンナが出土 3世紀末〜4世紀の築造と推定されている 2号墳は、1号墳の隣りにつくられた全長19mの小さな前方後円墳 後円部径14m・前方部幅7m 割竹形木棺は、長さ3.4m・幅1.1mで赤色顔料が塗られている。 葺石なし 埴輪なし 後円部に割竹形木棺直葬 鏡(乳文鏡、内行花文鏡)や勾玉、管玉、竪櫛などの装身具、 鉄製刀剣や槍、鉾、弓といった武器類 鋤先や鉄斧、鎌、刀子などの農工具類、針状鉄製品がある。 5世紀中ごろの築造と推定されている。 3号墳は、1・2号墳の隣の尾根につくられた 12×13mの円墳 棺の跡から、鉄製の刀や鏃・斧・ヤリガンナなどの武具や農工具が出土 1・2号墳に比べると、出土品の種類や数量が少ない。 5世紀後半の築造と推定されている。 (福井市文化財保護センター企画展パンフ・展示・古墳辞典から) |
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文化財保護センター展示の様子
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消滅してしまったのが、惜しい古墳群だ!
| 安保山古墳群 アボヤマコフングン |
福井市安保町 撮影日2015/2/22・2015/4/9 |
福井市文化財保護センター・平成26年度企画展パンフに、安保山古墳群の発掘時の写真が掲載されている。

発掘時の安保山古墳群
手前から 1号墳・2号墳・3号墳
右奥 4・5号墳
(福井市文化財保護センター・平成26年度企画展パンフから)
現在足羽高校があるところには、安保山古墳群があった。

安保山古墳のあった丘陵
削平されて
現在は足羽高校の敷地となっている。
安保山古墳群配置イメージ図![]() 安保山古墳群は 1975(昭和50)年に発掘調査。 前方後円墳2基・前方後方墳1基・円墳2基 の計5基が確認されている (福井市史では5基となっているが、 福井市文化財保護センターの資料には 4基となっている?) (参考・福井市史) |
| 1号墳は 全長31.8mの前方後円墳 後円部径18.3m・同高さ2.8m 前方部幅9.2m・高さ0.7m 葺石なし 埴輪なし 埋葬施設は、粘土槨に刳抜式割竹木棺 盗掘されていたが、壺形土器片が出土 4世紀後半の築造と推定されている。 2号墳は 全長34.2mの前方後円墳 後円部径21m・高さ2.6m 前方部幅14.4m・高さ1.2m 葺石なし 埴輪なし 盗掘されていたが、墓壙に箱形木棺があったと考えられている。 鉄剣や朱が出土している。 4世紀後半の築造と推定されている。 2号墳を取り囲むように、溝で区画された方形遺構が6ヶ所確認されていて、 溝から土器片が出土している。 3号墳は 13×11.6mの円墳 葺石がある 盗掘されていたが、墓壙が確認されている(箱形木棺か?) 墳丘から土器片が採集されている 2号墳の陪塚か 4号墳は 全長23.5mの不整形の前方後方墳 土壙がある 5号墳は 径12mの円墳 盗掘のため埋葬部は明らかでない 土器片が出土。 4号墳と5号墳は弥生時代後期の築造と推定されている。 4号墳と5号墳の間に、5×5.5mの区画の竪穴式住居跡がある 土器・鍍石・河原石・山石などが確認されていて、 葬送儀礼用のもがり屋ではないかといわれている。 |
| 鼓山古墳群 | 福井市直木町 撮影日2015/4/9 |
安保山古墳群の南約1km、
福井市の南端にある通称鼓山といわれる標高30mの独立丘陵上にも古墳があるという。
地図で調べると、鼓山は残っているようだ。
南のふもとに神社があるのでそこから山に上ってみるが、・・・・・実は現在の鼓山は南半分しか残っていない。
鼓山古墳群は、消滅した北半分の頂上にあった!!!
ひょうたん形の鼓山は北半分が削られて、現在住宅地となっている。
当然古墳も消滅・・・・・

鼓山の
南側のふもとにある八幡神社
しだれ桜がきれい!
| 鼓山古墳群 |
| 鼓山古墳(1号墳)は 全長48mの前方後円墳 後円部径28m・高さ4m 前方部幅13m 1963(昭和38年発掘調査 木棺直葬で長さ4m・幅70cmで朱層がよく遺存していた 棺内から 鉄剣・ヤリガンナ・刀子・ゆぎ 棺外から 土師器坩・鉄斧・刀子が出土 5世紀後半の築造か? 2号墳は、1号墳後円部の中心から東北30mにある 径12m・高さ2mの円墳 木棺の前後に礫を用いたと考えられる内部主体で 鏡・鉄剣が出土 1号墳の陪塚か? ほかに1号墳墳頂西側の縁辺から壺棺1基が出土 |
| 太田山古墳群・墳墓群 | 福井市帆谷町ほか 撮影日2015/4/9 |
福井市文化財保護センター・平成26年度企画展パンフに、太田山墳墓群の発掘時の写真が掲載されている。

発掘時の太田山墳墓群
手前から 奥へ
1号墓(方形台状墓)
2号墓(方形台状墓)
5号方形周溝墓
4号方形周候墓とつづく
(福井市文化財保護センター・平成26年度企画展パンフから)
太田山墳墓群イメージ図![]() 左上の部分が 太田山墳墓群だが 現在は削平されて、 住宅地となっている ■は方形台状墓 ■は方形周溝墓 (参考・福井市史) 太田山墳墓群の発掘調査区内からは 2基の方形台状墓(1・2号墳 名称は報告書に従う)と 7基の方形周溝墓と土を失った円墳1基が確認されている。 その他に 太田山A群には、前方後円墳2・方墳41・円墳8 南西側の太田山B群は 方墳12・円墳5が確認されている。 |
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| 1号墳(方形台状墓)は、18.7×17.0m・高さ3.0m 埋葬施設は 土壙に箱形木棺を埋葬したものと考えられている。 壺形土器などが出土しているが、この土器の年代は弥生時代中期中葉と推定されている。 2号墳(方形台状墓)は、23×17m・高さ3m 埋葬施設は 土壙に木棺を粘土で覆ったものと考えられている。 細形管玉501個が2群に分かれて出土 朱もほどこされていた 方形周溝墓の7基は 一辺6〜20m・高さ1mほどのもので、 6号方形周墓と7号方形周溝墓から土器棺が確認されている 5号方形周溝墓の西南に、径9mの円形周溝墓が半分確認されているが、 出土した土器から6世紀後半の円墳の可能性がある。 |

現在の太田山 北西側から見る
山の中にA群・B群が残っているのかなぁ・・・・
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饅頭山1号墳の石棺 |
福井市門前町 撮影日2015/2/22 2008/3/23 |
饅頭山1号墳は、復元整備された古墳です。
福井市文化財保護センターには、足羽山古墳群の饅頭山1号墳の石棺片が展示されていた。

饅頭山1号墳の石棺片
| 饅頭山1号墳 |
| 東西26m×南北28mの円墳 2段築成 葺石なし 埴輪なし 後世の盗掘により破壊されていたが、笏谷石の石棺が埋葬されていた。 副葬品も多くはなくなっているが、 衝角付冑の一部や短甲片、鉄製刀剣、鉄鏃などの武具類のほかヤス(漁具)がみつかっている。 5世紀中ごろの築造と推定されている。 足羽山の西麓にある。 1・2号墳が平成4年度に調査された。 (福井市文化財保護センター・平成22年度企画展パンフから) |
![]() 饅頭山1号墳 (撮影日2008/3/23) 饅頭山1号墳は、復元整備されている。 |