北村さんちの遺跡めぐり
更新日2014/8/9

福井県鯖江市
今北山古墳と長泉寺山古墳

2014/7/15

鯖江市の今北山古墳群の発掘調査が終わったというニュースをインターネットで知り、
発掘直後なら、雑木なども無く見学できると、気温30度を超える中、出発!

まず、鯖江市の「まなべの館」に寄り、情報収集。
 「まなべの館」とは鯖江藩主・間部家にちなんで名づけられた市資料館だ。
今北山古墳群の調査は、一応終わったが、今日も調査員が入って発掘をしているから、
  見学に行ってみて下さいといわれ、期待が高まる。

地図g

その前に
以前、長泉寺山古墳を見学したが、長泉寺山古墳の中の盟主墳の前方後円墳を見学していないので、
 長泉寺山古墳群の資料もいただいて、上り口をきいて、向かう。

  以前の長泉寺山古墳群の見学記  

長泉寺山古墳
市指定史跡

越前市(旧武生市)広瀬町
撮影日2014/7/15

鯖江市役所の北西側から上れば、長泉寺山古墳はすぐときいてきたが、
 「私有地につき立入禁止」という大きな看板が出ていたので、
  今度は市役所の案内係の女性に尋ね、市役所のすこし西の上り口を教えていただく。
鯖江市の事なら何でもわかるような感じの女性だった、すごい!

長泉寺山古墳群配置図
 市役所の西の「上り口」から、比高差約50mを登る。

長泉寺山67号墳は、「長泉寺山古墳」ともいう。
長泉寺山古墳群では唯一の前方後円墳と確認されている。
  (42号墳は、前方後円墳とみられているが、確定したものではない)

今回は、67号墳とその西につづく、66・65・64・63・62号を見学した。

62号墳  円墳 径15.5m 高さ1.4m  半壊
63号墳  円墳 径8.9m 高さ0.5m  半壊
64号墳  円墳 径18.5m 高さ2.2m  北側一部削平
65号墳  方墳 12.2×10.0m 高さ1.2m
66号墳  円墳 径15.5m 高さ1.6m  墳頂部削平 南側テラスあり
67号墳 前方後円墳 全長52m 高さ7.0m  長泉寺山古墳 北側一部削平

長泉寺山古墳 (長泉寺山67号墳)    市指定史跡

長泉寺山古墳実測図
  (まなべの館で頂いた資料から)
長泉寺山古墳群唯一の明確な前方後円墳
 最大規模。
墳丘長52mの前方後円墳
 後円部径30m・高さ7m 
 前方部幅22m・長さ24m・高さ2.2m
 くびれ部幅12m
 標高70mの山頂に後円部をおき、前方部端は尾根を掘り切っている。
 後円部高さと前方部高さの比高差が3.2mあり、前方部がバチ形に開くことから
     前期(3世紀後半〜4世紀)の古墳と考えられている。
 未発掘のため、詳細不明              (鯖江市教育委員会HP)

くびれ部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

墳丘北側の遊歩道から見た
    前方部からくびれ部


くびれ部がくっきり!


長泉寺山古墳(67号墳)前方部から66号墳を見る。

67号墳の西側には、尾根沿いに
墳丘が5基続く。(66・65・64・63・62号墳)

墳丘上と墳丘の北麓に遊歩道がある。


66号墳 円墳

65号墳 方墳

64号墳 円墳

63号墳 円墳

62号墳 円墳 

遊歩道で削られている。

左側が墳丘のすその道で、
  奥に長泉寺山古墳がある。

樹木がうっそうとしているが、古墳が連なっているのを実感!蚊が多いのに参った・・・・。

今北山・磯部・弁財天古墳群について

鯖江市落井町・磯辺町・乙坂今北町

今北山古墳は、「今北山・磯部・弁財天古墳群」として、市史跡となっている。
弁財天古墳群のある弁財天山山頂に「今北山古墳群・磯部古墳群・弁財天古墳群」の大きな説明板がある。
この古墳群は現在発掘継続中で、墳丘の数などは、まだ確定したものではない。

西から見た今北山古墳群と弁財天古墳群
調査概要報告書が、インターネット上で公開されている。

今北山古墳群  コンボクヤマコフングン
(今北山・磯部・弁財天古墳群)
市史跡
鯖江市乙坂今北町
撮影日2014/7/15

長泉寺山から東へ約4kmの山には、明らかに発掘しているとわかる所が見える。

今北山古墳発掘中

尾根の木が切られている。
人が動いているのも見える。
1975年ころに発見されていたが、
全長78mの前方後円墳・今北山古墳が確認されて、平成16年に市史跡となった。
国史跡を目指して、平成22年から継続的に発掘調査が行われている。

ふもとの乙坂今北町には、大きな案内板がある

今北山古墳群への意気込みが感じられる!
山の麓に駐車スペースがある。比高差100mほどを登らなければならない。

画面向こうから上ってきて
   右に上ると今北山古墳群


左に上ると弁財天古墳群

手前を行くと、東側の麓の磯部町に続く。

今北山古墳群配置図 
 (弁財天山にある説明板から)
古墳番号は、あくまでも仮番号
「まだ新たに発見される可能性があるので、
  番号は付けない。
  確定してから番号をつける」
 と、現地で担当者が話してくれた。
@は 今北山(コンボクヤマ)古墳
Aは 今北山北(コンボクヤマキタ)古墳
Bは 今北山中(コンボクヤマナカ)古墳
Eは 今北山南(コンボクヤマミナミ)古墳
   と名付けられている
BとCの間にあるKは、
番号をつけた中では後に発見されたらしいので、Kとした。
「いい時に見学に来ましたね。
   昨日はまだ、足もとが濡れていて、滑って転んだので、階段をつけました」
 と調査員の方たちが言ってくれた。
(仮)11号墳から(仮)2号墳まで、北へ向かって歩いた順に紹介する。


今北山(仮)11号墳 奥(仮)10号墳

今北山(仮)10号墳を北側から見る

今北山(仮)9号墳

古墳番号が書かれた札が立っているが、
 番号が消されている。
後でつけ直すということか・・・・。

今北山(仮)8号墳

今北山(仮)7号墳

仮6号墳は、今北山南古墳と名付けられている。簡単な説明板がある。

 今北山南古墳
 墳丘長27mの前方後円墳
  後円部径16.5m・高さ4m 前方部長12m・高さ2m
 未発掘のため詳細は不明

今北山南古墳 前方部側先端

今北山南古墳 前方部頂

今北山南古墳 前方部から後円部を見る

今北山南古墳 後円部頂

今北山(仮)5号墳

今北山(仮)4号墳

ここまでは墳丘上の道を歩くが、この先は墳丘の南西側の脇を歩く。

(仮)4号墳の脇からみた墳丘の連なり

3つの高まりは
左奥から今北山古墳後円部 
 低く長い鞍部を経て 今北山古墳前方部 
右手前が今北山中古墳(仮3号墳)

(仮)3号墳は今北山中古墳と名付けられている。

 今北山中古墳   円墳と考えられている
 配置図では、前方後円墳(帆立貝形)となっているが、円墳と思われると現地調査員の方が言っていた。

南側からよく見えなくて、
北(今北山古墳側)から見る

今北山中古墳
今北山のふもと(西)から望遠で見る

今北山中古墳(仮3号墳)の前方部の先(南側)に
  もう一つ墳丘らしいものがあって、そこで今回、遺物が出土した。これを(仮)12号墳とした。

(仮)12号墳の斜面発掘中

シートをかぶせる一歩手前のタイミングで、出土物の撮影!
壺か?


  

 今北山古墳

平成11/11/11現在の
 今北山古墳測量図

     (報告書から)

 今北山古墳群の中で最も高いところに位置する 墳丘長78mの前方後円墳
  後円部径46m・高さ5m  前方部幅32m・長さ43m・高さ3m
  バチ形に開く低平長大な前方部がある。
  葺石なし 埴輪なし
 墳丘の前後に幅広の掘割がある
 前方部南側面と前方部西側面には階段状の平坦面が確認された。
  平坦面では炭化物を多量に含む浅い穴が見つかり、
  被葬者の葬送に際し何らかの機能を果たしたものと考えられている。
 くびれ部付近から多数の土器片が出土しているが、
  これらは二重口縁壺とよばれる古墳専用の土器で、底には穴があいているが、
  後円部墳頂から転落したものと考えられている。
 後円部高さと前方部高さの差が大きく、前方部がバチ形に開くことなどから、
  古墳時代前期(4世紀前半)の築造と推定されている。
  未発掘のため詳細不明
 平成25年度調査

前方部脇から後円部を見る
低くて長い鞍部から前方部の端の方がぐっと高くなる。

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る
  前方部端は奥のブルーシートの辺り
その奥に中古墳 右奥に(仮)4号墳

今北山古墳後円部
今北山北古墳から見る

仮2号墳は、今北山北古墳と名付けられている。

今北山北古墳  仮2号墳

今北山北古墳

今北山古墳後円部から見下ろす

方墳のようにも見える。

今北山北古墳から西の尾根を見る

この先にも墳丘が続くはず・・・・

一度山を下りて、麓をぐるっと南にまわった所に弁財天山の登り口がある。

弁財天古墳群 ベザイテンヤマコフングン
(今北山・磯部・弁財天古墳群)
市史跡
鯖江市落井町・磯辺町
撮影日2014/7/15

弁財天山の南の麓に「弁財天山遊歩道」の説明板がある。地図上「現在地」に、駐車場あり。

弁財天山(カカル丸城跡)

弁財天山は「べざいてん」「べんてん」といわれて親しまれている。
標高124mの山頂には現在忠霊塔が建てられて広場になる。
カカル丸城は、
 南北朝時代(1336〜1392年)に南朝方の物見台が置かれ、
 のろしを上げて、三峯城(鯖江市上戸口町)に連絡を取った
 という言い伝えがある。

さらにこの遊歩道沿いには古墳がある。

   (説明板から)
弁財天山の頂上に「今北山古墳群・磯部古墳群・弁財天古墳群」の大きな説明板がある。

弁財天山頂上にある古墳群配置図
 平成17年のもので、現在のものとは少し違っている。
弁財天山(ベザイテンヤマ・標高120m)から北西方向へと続く尾根一帯には、
約60基の古墳が分布している。
これらは3つの古墳群からなり、
「今北山古墳群」、「磯部古墳群」、「弁財天古墳群」
 
と呼ばれている。
前方後円墳・円墳・方墳が確認されていて、
 弥生時代から古墳時代の築造と推定
されている。
南端の弁財天古墳群は、磯部古墳群とともに小規模な古墳から構成されているが、
 弥生時代の墳墓を含む可能性が高く、
 古墳群造営の手掛かりを知る重要な古墳群と思われる。
              (説明板から)
弁財天古墳群は平成24年度に調査された。
   弁財天古墳群配置図

平成24年度の弁財天古墳群の調査で41基の古墳が確認された。
弥生時代から古墳時代前期にかけて築造されたと考えられている。
  点線の部分は高地性環壕集落が見つかった部分で、「カカル丸」城跡などと重なっている。

古墳群築造に先行して、弥生時代後期前半(1〜2世紀)に高地性環壕集落が築かれていたと分かった。
弁財天山山頂(標高120m)平坦面(忠霊塔付近)で、弥生時代の竪穴建物2棟を検出した。

磯部側登り口から登る。


登り口には小さな祠がある。

 弁財天古墳群1号墳

上り始めて7、8分で、
 古墳群中一番大きな円墳がある。


簡単な説明板がある。



1号墳平面図
 および出土遺物

 (調査概要報告書から)

1号墳
 径24.2m・高さ5〜6mの円墳
 丘陵の頂の最先端に位置する。弁財天古墳群中最大
 埴輪や葺石は確認されていない。
 平成24年度に埋葬部確認調査で、長軸9.25m・短軸3.6mの埋葬施設を確認した。
 内部に割竹形木棺を安置したと考えられている。
 埋葬施設内部から鉄剣が出土した。周溝の跡も確認された。

南端部に位置する古墳だ
  北から見る

墳頂の平坦部

2号墳

3号墳

手前から4、5号墳へとつづく遊歩道

6号墳
ここを過ぎるとカカル丸城址がある。

6号墳を過ぎると、弁財天山山頂。


山頂(標高120.1m)にある   
    「カカル丸城址」の石碑

忠霊塔広場から見る東側の眺望
木が大きくなってよく見えない

忠霊塔広場

カカル丸城や高地性集落があったところ



忠霊塔のある所は7号墳となっている。

忠霊塔広場から、引き返す。

北から見た古墳の連なり

手前から奥へ
4号墳・3号墳・2号墳・1号墳


今北山古墳群や弁財天古墳群は、発掘途中、これからの成果を期待したい。

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