あわら市   地図g 

椚古墳
くぬぎこふん

あわら市(金津町)椚
撮影日2003/5/1

石川県から福井県に入ってすぐの金津町椚の八幡神社に椚古墳がある。

 椚古墳
 直径約21m・高さ約4.5mの円墳で南西方向に横穴式石室が開口している。
 玄室は奥行き3.3m・幅1.5m・高さ1.7m。
 大きな凝灰岩の切石で囲まれ、天井と奥壁はいずれも1枚岩。
 石材は、当地産の椚石。
 副葬品は不明。
 古墳時代後期(6世紀)の築造と推定されている。。


椚古墳全景

椚古墳石室

椚古墳石室内部


椚古墳のすぐそばの墓地に六重塔がある。
凝灰岩製で現在の高さは3.9m。元は七重だったらしい。
一重目の笠の中から
銅鏡(13世紀に日本で作られた流水双鳥鏡)が発見された。


横山古墳群

あわら市(金津町)瓜生・
坂井市丸岡町坪江

あわら市(旧金津町)瓜生・坂井市丸岡町坪江に所在する。
前方後円墳・円墳・方墳など総数223基からなる。
神奈備山古墳・碗貸山古墳は横山古墳群の中の主墳といえる。

横山古墳群の前方後円墳分布図

古墳名  全長   後円部径 時期 その他
R中川南古墳 45m 11m 6世紀中頃
Q中川中古墳 41m 22.5m 5世紀後半
P中川北古墳 27m 18m 6世紀後半
O中川奥4号墳 32m 16m 6世紀前半
N中川奥3号墳 22m 13m 6世紀前半
M中川奥2号墳 40.5m 21.5m 6世紀前半
L中川奥1号墳 47m 29m 6世紀前半
K城ヶ岳古墳 47.5m 23m 5世紀後半
J城ヶ岳南古墳 5世紀前半
I瓜生北3号墳 30m 17m 5世紀前半
H瓜生北2号墳 38m 16m 5世紀前半
G瓜生北1号墳 36m 25m 5世紀前半
F瓜生南5号墳 30m 17m 5世紀後半
E瓜生南4号墳 42m 26m 5世紀後半
D瓜生南3号墳 30m 19m 5世紀前半
C瓜生南2号墳 44m 31m 5世紀前半
B神奈備山古墳 58m 35m 6世紀中ごろ 横穴式石室
基台あり
A椀貸山2号墳 30m 6世紀前半 消滅
@椀貸山古墳 42m 6世紀前半 横穴式石室
周濠あり

横山古墳群は、継体天皇に関係した一族の墓ではないかといわれている。

中川北古墳
中川中古墳
中川南古墳
(横山古墳群)

あわら市中川
撮影日2008/3/23
横山古墳群分布図 
PQR

中川の集落と国道8号線の間の林の中に3つの前方後円墳がある。
横山古墳群のD支群の中川北古墳・中川中古墳・中川南古墳だ。

南側から林に入った。
集落と国道に挟まれた狭い林だが、急斜面の山の中という感じである。
斜面を登ると、木が切られていて、見れる状態になっていた。
3基の前方後円墳の間には円墳らしい古墳もいくつか確認できる
人間の目では、古墳に見えるが、カメラのレンズを通すとよく分からないのが残念。


中川北古墳 後円部から前方部を見る。





中川北古墳 後円部







中川北古墳 後円部のくぼみ








中川北古墳の南にある円墳その1





中川北古墳の南にある円墳その2






中川中古墳
 左側後円部 右側前方部
見てもよく分からなかったが
後円部は円というより四角い形をしているという。







中川南古墳 後円部から前方部を見る

後円部径11m・前方部長さ30m
後円部の大きさに対し、前方部がかなり長い。
円墳を避けるように前方部が作られている。






中川南古墳 前方部から後円部を見る







中川南古墳の南にある円墳その1








中川南古墳の南にある円墳その2





中川中古墳→中川南古墳→中川北古墳の順に築造されたと推定されている。

3基の古墳の比較

名前 全長 後円部
後円部
高さ
前方部
長さ
前方部
特徴

中川北古墳 27m 18m 3.2m 11m 17m 葺石なし

中川中古墳 41m 22.5m 4m 20m 24.5m 埴輪あり
葺石なし

中川南古墳 45m 11m 3.8m 30m 26m 葺石なし
埴輪なし

上の3基の前方後円墳の東側、
国道8号線の東側の山の入口に「ここは横山古墳群です」とかかれた看板がある
ここには、横山古墳群のD支群の中川奥古墳(4基)と城ヶ岳古墳があるはずだ。
中川奥古墳4基を探して、林の中に入ってみたが、
倒木・雑草・ぬかるみと、おまけに急傾斜の山の中。
古墳らしい隆起は見られたが、特定までには至らなかった。

名前 全長 後円部
後円部
高さ
前方部
前方部
長さ
   特徴
中川奥1号墳 47m 29m 7m 41m 24m 2段築成葺石あり埴輪あり
剣菱形
中川奥2号墳 40.5m 21.5m 4m 25m 20m 葺石なし埴輪なし
剣菱形
中川奥3号墳 22m 13m 1.8m 18m 10m 埴輪あり葺石なし
中川奥4号墳 32m 16m 2.6m 19m 14m 埴輪あり
城ヶ岳古墳 47.5m 23m 4m 17m 24.5m 葺石なし・埴輪なし


中川65号墳
(中川奥1号墳)
横山古墳群

あわら市瓜生

中川65号墳は、横山古墳群中川支群中の低丘陵上の尾根上(標高49m)にある。
中川奥1号墳とも呼ばれている。

 中川65号墳は 全長47mの前方後円墳
  後円部径29m・同高7m くびれ部幅13m 前方部長24m・同幅41m・同高6.7m
  前方部先端を西に向ける
  2段築成 葺石あり
  段築面のテラスから、須惠質と土師質の埴輪が出土
 
 前方部先端南側から西に伸びる尾根には、
  65号墳の陪塚と考えられる一辺11m・高2mの方墳中川64号墳がある(埴輪あり)
                  (あわら市郷土歴史資料館資料から・2015年)

城ヶ岳古墳は標高121mの尾根頂上に存在する。

神奈備山古墳
かんなびやまこふん

(横山古墳群)

あわら市(旧金津町)瓜生
撮影日2007/3/4
横山古墳群分布図 B

貸山古墳の手前の崖の上に神奈備山古墳がある。
以前は下から見えていたらしいが、雑木が大きくなり見えなくなってしまった。
山の中の道なき道を、見当をつけて進むと、神奈備山古墳の石碑があった。
横山丘陵の南西端に所在、標高35m。



神奈備山古墳石碑



1955(S30)年に石室、1977(S52)年に墳丘の一部・石室を発掘調査。

案内板から
古墳時代後期の前方後円墳で軸長65m、葺石がある。
石室は凝灰岩の切石積み横穴式石室で全長6.35m、玄室には2枚の板石が遺存する。
石室の破損が著しくS30年と50年に行われた調査・補修の際、武具・馬具・須恵器等の破片と装身具が出土。
S58年石室を復元し埋め戻した。

神奈備山古墳全景  左側が後円部

前方部を北に向け、墳丘下部に基台部を持つ前方後円墳
基台を含めた全長63.75m
墳丘主軸長58.3m
後円部(復原)径35m・高さ7.3m
前方部幅25.15m・高さ6.3m
二段築成で上段にのみ葺石がある。


埋め戻したはずの石室に穴が?

埋葬施設は後円部中央にあり、くびれ部東方向に開口する切石積み両袖式横穴式石室。
玄室内にベンガラのついた板石が残っていた。
石屋形が安置されていたと推定されている。
石室規模は全長6.35m
玄室長3.55m・幅2.55〜2.63m・高さ1.82〜2.1m
羨道長2.2m・幅1.45〜1.88m
銅鏡1・耳環1・ガラス製小玉22・武具馬具・鉄鏃多数・鹿角製刀子3・須恵器150など多数の出土品がある。
6世紀中葉の築造と推定されている。

最新の情報から (2015年現在)
神奈備山古墳は
横山古墳群の坪江支群内の、あわら市瓜生地係にあり、後円部の一部は坂井市丸岡町坪江にもまたがっている。
前方後円墳と確認された後、昭和30年に最初の調査が実施されている。
   ((墳丘の測量と石室の発掘、石室崩壊部分の復元)
その後、重要遺跡近畿地方確認調査として福井教育委員会によっても発掘調査がされている。
標高42mの丘陵頂部に立地する前方後円墳。前方部を北に向けている。
全長58m 後円部径35m・高さ7.3m 前方部長さ30m・幅25.15m・高さ6.3m
後円部頂と前方部頂との差はほとんどない。2段築成、円礫の葺石があるが、埴輪はない。
墳丘裾はテラスがめぐる。
前方部の東側には陪塚と考えられる方墳の坪江5号墳がある。

神奈備山古墳・貸山古墳には、石室内に石屋形があるという。
石屋形とは
奥壁や側壁に沿って設置された屋根付きの遺骸安置施設。
平入横口式家形石棺を大形化、簡略化したような形態。
石屋形の内部には家形石棺などの棺が納められている。
熊本県を中心に分布。

貸山古墳については、坂井市のページをご覧ください

遺跡ではないが・・・  北潟湖畔花菖蒲園 あわら市北潟
撮影日2017/6/3

レイクサイド北潟湖畔荘のそばにある。
昭和51年に開園。300種20万本の花菖蒲が植えられている。
6月上旬から約一か月間が見頃だという。





湖畔荘駐車場から見た花菖蒲園


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