北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2022/8/9

沖波十三塚ほか
穴水町
 2022/7/27、28

今年(2022)に入ってから、北陸中日新聞に能登の穴水町「沖波十三塚」の記事が掲載された。

 2022年1月26日付 の北陸中日新聞から(抜粋)
 埋もれる「沖波十三塚」 穴水の弥勒菩薩信仰史跡
  整備されず荒れ放題「せめて案内板を
 
 石川県穴水町沖波にある室町時代の町史跡「沖波十三塚」が、 十分な整備がされず草木が生い茂り荒れ放題となっている。 鎌倉時代末期から室町時代初めごろ、戦で荒れ果てた世情を踏まえ、人々を救済するという弥勒菩薩の出現を期待して建てられたと考えられている。
 当時の信仰文化を伝える資料は埋もれつつあり、対応を求める声が上がっている。
 2022年2月20日付 の北陸中日新聞から
 「沖波十三塚」 悲願の再生 穴水町史跡 住民が草木刈り整備
  町教委、案内板設置へ

 十分に整備されず草木が生い茂っていた穴水町沖波の町史跡「沖波十三塚」は、1963年から町史跡に指定されているが、案内板や歩道は整備されておらず、現存する塚十一基は草木で覆われていた。
 今月上旬、以前から塚を保護する必要性を訴えていた町ボランティア連絡協議会長の滝井元之さんに町教委から依頼があり、地元区長の浜野栄治さん(72)らと協力して整備活動を行うことになった。
 この日は、塚を覆う雑木をチェーンソーで切ったり、草を鎌で刈ったりした。二時間ほどかけて、塚は周りから見えるようになった。来訪者が車道から塚の近くまで行ける歩道も雑木を切って整備を進めた。今後、町教委は歩道の入り口付近に案内看板を設置する予定だという。
 滝井さんは「最初見つけたときにはひどい状態だったのが、史跡としてよみがえった。皆さんに見てもらえるのがうれしい」と笑顔。浜野さんは「これから地域の人にも見てもらったり、関心を持ってもらったりしてほしい。御利益があればいい」と話していた。
 2022年3月22日付 の北陸中日新聞から(抜粋)
 「沖波十三塚」新たな一歩 穴水の町史跡整備 住民ら奮闘
 穴水町沖波の町史跡「沖波十三塚」に、看板が設置

 周囲は草木に覆われ荒れ放題だったが、地域住民やボランティアらが整備を進めてきた。
 同地区の浜野栄治区長は「地域の名所にしていければ」と願った。

穴水町は、私の母親の出身地で、現在も親戚が住んでいるが、まだ穴水町の遺跡のページがない。
思い立ち、沖波十三塚に出かけた。

周辺の地図g


「沖波十三塚」
穴水の弥勒菩薩信仰史跡
町指定史跡
        
鳳珠郡穴水町沖波
撮影日2022/7/27

塚は沖波地区の共有地にある。

  2022/3/18に設置された説明板

 看板は縦80cm・横180cmで十三塚の由来や歴史的な価値などが説明されている。
 高さ1.5mの石柱が立つ中央の塚近くに、町教委により設置された。
 沖波十三塚は 沖波集落の北方300mの台地にある。
 直径約6m、高さ1.5mの塚を中心に13の塚が東南約140mの間に並んでいる
 この十三塚は十三仏を象徴するもので、それぞれ13体の仏像が納められたものといわれ、
  その由来は、弥勒信仰の思想から戦乱の無情をなげく者たちが、
  衆生を化導するという弥勒さまの出現を期待して塚に仏像を埋めたり、
  経文を一字ずつ書いた石を納めたという事にある。
 昭和29年9月、東京国立博物館学芸員部長石田茂作博士の調査では、
  仏像も経筒も発見されなかったが、
  この地方の弥勒信仰を示す室町時代の重要な遺跡と判明し
  全国でも珍しいものとされている。
 (衆生を化導する・・・シュジョウをケドウする と読む
  生きるものすべてを教え導き、
   また、道徳的、思想的な影響を与えて望ましい方向に進ませる。)

沖波十三塚配置図
(説明板から)

右上から左下へ
仮に @からKの番号をつける
位置は示されているがKも消滅
もう1基は、道路で消滅。

現存11基。
 建立当時は、仏教の世界で「末法の時代」とされ、
  続く「滅法の時代」に弥勒菩薩が現れ、民衆を救うという信仰が広まった。
 諸橋村史などによると、十三塚はこの信仰を反映し、
  仏像を埋めたり、字を刻んだりして作られたとみられている。
 村史は「十三塚は全国各地の伝説の中に見られるが形として残っているのは稀」
  と紹介している。     (北陸中日新聞記事から引用)

道路の東側に3基の塚がある。
目印の石は見あたらない。

道路から東の、@ABのある林を見る
(仮)@の塚 
(仮)Aの塚
(仮)Bの塚

道路の西側には、9基の塚があるが、一番南にある塚Kは消滅しているらしい。

道路から西側の、C〜Kのある林を見る

説明板が見える。
(仮)Cの塚 目印の石がある。

    
 (仮)Dの塚    高さ1.5mの石塔が立つ、中心的な塚
 
東側から見る  石も埋められている
  

西から見る
  

石塔

梵字が書かれているようだが読めない
(仮)Eの塚 小さな石柱がある。
(仮)Fの塚  石が見える
(仮)Gの塚
(仮)Hの塚 石がある。
(仮)Iの塚
(仮)Jの塚

今後の整備保存活動に期待しています。


明泉寺
町指定史跡
鳳珠郡穴水町明千寺
撮影日2022/7/27

沖波十三塚の北約2kmにあるお寺には、頼朝の墓といわれる石塔がある!!

 現地説明板

 「明泉寺石塔群在地」として石川県指定史跡となっている。
 指定の理由は
  中世の寺院構造、仏教文化の特質意義を知る全国で極めて重要な遺構である。
 
明泉寺境内に約150基、明泉寺から300m離れた通称鎌倉屋敷と呼ばれる墓地には
  約70基の宝篋印塔、五輪塔、板碑などがある

 とくに、石造五重塔は、国指定重要文化財となっている。
 明泉寺の寺宝として本尊で平安時代に製作された木造千手観音立像や
  藤原時代に制作された木造阿弥陀如来像、木造地蔵菩薩立像は
  穴水町指定文化財
に指定されている。

明泉寺 山門

山門横の石造物

国重文の石造五重塔
高さ6.8m 推定鎌倉時代中期の作

石造五重塔の奥には釈迦如来像の覆い屋

覆い屋の中の釈迦如来 木造

境内の石造物

大きな板碑もある

手水鉢もある。

小さめの石造五重塔

六地蔵

明泉寺の駐車場のすぐ東の道沿いに「頼朝の墓」という説明板がある。

この説明板が、前述の「明泉寺から300m離れた通称鎌倉屋敷と呼ばれる墓地」の説明板だと思われる。
この説明板の先に行ってみたが、辺りは草叢で石造物の確認には至らなかった…。
もっと真剣に探してみれば良かった…。
鎌倉屋敷にある高さ2.97mの宝篋印塔が頼朝の墓といわれているようだ。

能登に頼朝の墓と呼ばれるものがあるとは・・・!

温泉ホテルです 国民宿舎 小牧台 七尾市中島町小牧部55
撮影日2022/7/27、28

七尾市の「国民宿舎 小牧台」。天然温泉・猿田彦温泉。


国民宿舎小牧台 正面

客室はすべてオーシャンビュー

夏休みのため
子供たちのためのスペシャルイベントもしている


他にはかき氷、
流しそうめん
くじ引き
花火プレゼント
お菓子つかみ取りなど

夕食
能登近海で水揚げされた「ふぐ」をつかった
スペシャルコース 

ふぐ唐揚げとデザートが写っていない

朝食  焼き魚御膳

   


名勝
機具岩
ハタゴイワ
志賀町富来七見
撮影日2022/7/28

中能登町の能登比盗_社(ノトヒメジンジャ)・姫塚古墳群を見学したときに、
 織機が岩に変わったという伝説を知った。
  能登比盗_社のページ
今までに何度か見たことがあったが、改めて撮影に訪れる。

 機具岩の伝説
 鹿島郡能登比盗_社の祭神「沼名木入比賣命」が、織機を背負って山越えの折、
  途中で山賊に遭い、思わず織機を海中に投げたところ忽然としてそれが岩に変じたという。
 この岩は、能登比盗D島又名は機具島と名付けられたという。
 別名能登二見とも呼ばれ、美しい二つの岩がしめ縄で結ばれていて、
  現在は観光名所となっている。

現地案内板


 「織姫のたてしや磯の機具岩 綾織りかかる波のかずかず」
 この岩の祭神は、「沼名木入比賣命(ヌナギイリヒメノミコト)」
  能登比盗_社の祭神と同じだ。
 夕日が沈む二見で陰陽石が相対する夫婦岩ともいわれている。

前はポケットパークになっている。

二つの岩には、しめ縄がかけられている。

岩の上には赤い祠がある。

夫婦岩としたら、左側には子ども岩もある。

 


能登金剛 夫婦岩 志賀町富来七見
撮影日2022/7/28

機具岩の南約2kmにも夫婦岩がある。
駐車スペースがあり、薄くなった説明板がある。

 地元の人しか知らないパワースポット
 能登金剛には多くの祈願怪石がある。夫婦岩と呼ばれるものは3箇所ある。
 巌門にある鷹ノ巣岩・巌門洞窟七見にある機具岩は、観光スポットとして有名なところ。
 この夫婦岩は、左側に女岩、右側が男岩、その中ほどに小さく寄り添うのが子供岩で、
  日本海が織りなす自然が長い年月をかけて地元の人しかしらないパワースポットである。
 地元では、見るからに夫婦岩というだけでなく、中ほどに子供岩があることで、
  笑顔の絶えない家族が築き上げられるといわれている。
      (説明板から)

手前の雑草が邪魔だ

子供岩も、しっかりと存在を主張している

もうひとつ、鷹ノ巣岩・巌門洞窟という夫婦岩があるようだ。 

ミュージアムです のと里山里海ミュージアム 七尾市国分町イ部
能登歴史公園内

撮影日2022/7/28

2018年10月に開館したミュージアム。入館無料。
常設展示のほかに、企画展「竹と里山」が見学できた。


能登歴史公園(国分寺地区)
  案内図

 
 (現地案内板から)






ミュージアム入口

能登立国1300年の節目として、七尾・能登歴史公園に「のと里山里海ミュージアム」が建てられた。
国連の世界農業遺産に認定されている能登の里山里海。
その歴史や文化、民俗、暮らし、恵まれた自然を総合的に学ぶことが出来る新しい博物館。
「里海」「里山」「七尾の大地」「七尾の祭り」「歴史」の5つのコーナーがある。
歴史コーナーに古墳関係の資料があった。

 須曽蝦夷穴古墳の出土品

 左から
 須恵器杯身・杯蓋  ホゾ孔鉄斧(レプリカ) 銀象嵌円頭太刀(レプリカ) 
 国分尼塚古墳群の出土品 その1

八鳳鏡(ハチホウキョウ)
左 実物写真
右 レプリカ
大きさは直径15.8cm、厚さ1.1cm
 鏡面厚さ0.25cm


 国分尼塚古墳群の出土品 その2

  左から  勾玉(ヒスイ)、 管玉、 器台(土師器)
 細口源田山遺跡の出土品


弥生土器


方形周溝墓に供えられた土器
 弥生時代中期後半

  (約2100年前)

無料で見学できるのはうれしい!   

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