北村さんちの遺跡めぐり
更新日2020/8/4

中能登町  地図g

姫塚古墳
能登比盗_社

中能登町能登部下
 (撮影日2020/4/28)

天神古墳群の南麓に能登 比盗_社があり、その背後に能登部姫塚古墳群がある。

 能登比盗_社
 御祭神は 「能登比盗_ノトヒメガミ」  「沼名木入比賣命ヌナキイリヒメノミコト」  外九神合祀
 社伝によると、大己貴命が少彦名命とともに、国土経営を行い、
  越の国を平定した後、当地で憩い給う時、一人の機織乙女に接待される。
 その乙女が、当社祭神である能登比盗_であり、能登麻織物、能登縮の祖神。
 崇神天皇の御代、能登臣の祖である大入杵命(オオイリキノミコト)が、
  妹の沼名木入比賣命を誘い、当国に御臨幸された時に、
  地元の女性たちに機織りを教えたのが、沼名木入比賣命だという言伝えがある。
 能登上布の始まりの伝承となる。
 社殿後方の丘上に、祭神の御遺骸を埋めた姫塚(御陵山)と呼ばれる円墳がある。
 通称は、下の宮、あるいは妹宮。
 これは能登部上に鎮座の能登部神社に対してのもので、
  能登部神社祭神は、当社祭神の兄神である。
 その後、能登部郷を兄村・妹村と呼んだという。

鳥居

社殿
社殿や燈籠には、「井桁紋」が付けられている。

社殿の左(西)には摂社子安神社
 背後の丘には奥宮(?)

背後の丘の奥宮(?)
この上にある比盗_の御陵のための拝殿か?
 機貝岩(ハタゴイワ)
 この鹿島郡能登比盗_社の祭神「沼名木入比賣命」が、織機を背負って山越えの折、
  途中で山賊に遭い、思わず織機を海中に投げたところ忽然としてそれが岩に変じたという。
 この岩は、能登比盗D島又名は機貝島と名付けられたという。
 別名能登二見とも呼ばれ、美しい二つの岩がしめ縄で結ばれていて、
  現在は観光名所となっている。(志賀町富来七見で見られます!)
 機具岩のページ

背後の丘には能登部姫塚古墳群がある。

姫塚古墳群配置図
 (いしかわ文化財ナビを基に作成)
円墳25基が確認されている。

1号墳 円墳 径27m高さ4.5m
2号墳 円墳 径18m高さ2.5m
3号墳 円墳 径22m高さ3m


図には1・2・3号墳が示されている。

 姫塚古墳群
 能登比盗_社背後の丘上にあり、
   比較的規模の大きい円墳3基が裾を接して連続して造営
されていて、
  最大規模の1号墳が、能登比盗_の御陵とされ、神社の神廟となっている。
  みささぎ山という。
 このため姫塚については、早くから古墳として周知されていて、
  能登志徴、能登部町史、鹿島郡史に記載されている。
 文政のころ(江戸時代後期)、古墳の一部があばかれ、
 石槨の内部から管玉、土器が発見されているとのことで、
  一部が能登 比盗_社に現存している。
  今は石垣で取り囲まれている。    (鹿西町史から)  
 姫塚1号墳

参道から見上げる1号墳

1号墳墳丘

墳頂部には、
 「能登比搭{」と刻まれた石碑

石室の天井石か
土台の石も石室の石材か
 姫塚2号墳
 姫塚3号墳

能登の豪族の女性「能登比刀vと崇神天皇の皇女 「沼名木入比賣命」が始めたとされている機織りは、
 「能登上布」として現在まで続いている。
能登上布は、昭和35年、石川県の無形文化財に指定された。
能登比盗_社の社伝には
「天皇十代崇神天皇皇女、野生の真苧(マオ・苧麻・カラムシのこと)を自ら紡ぎ、
  その織技を伝授せり 里人の婦女これを伝承せり」 の一文がある。
中能登町立カルチャーセンター飛翔の敷地内に、能登上布会館があり、
 織りの実演見学や機織り体験ができる。


能登上布会館
販売コーナーもある。

材料となる麻糸
着物の反物の幅約42cmに
 1200本近くの経糸が使われるという。

見学無料です。

天神古墳群

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