北村さんちの遺跡めぐり
更新日2021/2/4
気多大社と 滝古墳群 撮影日2021/1/26
七尾市・羽咋市・宝達志水町・中能登町が連携して企画した「能登の古墳」
最後の展示が、中能登町のふるさと創修館で開催されているはずだと出かけるが、休館日だった…。
地図g
気多大社周辺 |
羽咋市寺家 |
能登一之宮の気多大社。
さすがに参拝客が途切れることはない。
いらずの森詣でが現在行われている。
気多大社 |
気多大社 二の鳥居から境内へ |
気多大社境内の手水鉢は、 コロナウイルス感染防止のため 使えなくなっている。 |
気多大社神門(重要文化財) 四脚門という形式 切妻造、平入、檜皮葺きの屋根 天正12年(1584)の建立とされている。 延宝8年(1680)に修理されている (気多大社HPから) |
正覚院 気多大社の神宮寺(別当寺)として創建され、 元正天皇御代養老2年(718)に 越前の大徳泰澄大師が夢想のお告げから 一堂を建立したと伝えられている。 (説明板から) 明治維新の神仏分離令により、気多大社との直接の関係を絶ったが、。 今でも神仏混淆当時の面影を残し、 「八咫の神鏡」を初め、「不動明王」、「阿弥陀如来」など多くの寺宝を秘蔵している。 |
気多大社の「いらずの森」の裏側に、
折口信夫の歌碑や、いらずの森説明板があるようなので、行ってみる。
折口信夫歌碑 気多大社の裏手の「池のほとり」に歌碑がある。 折口信夫博士没後10年にあたる、昭和38年(1963年)9月、 的場町の高井松涛氏の寄進により、気多大社「入らずの森」裏手の池のそばに建立された。 句は、昭和21年(1946年)4月に、折口信夫が大社焼の小皿に書いた句をもとにしている。 「くわっこうの なく村すぎて 山の池」 国学者、民俗学者であり、國學院大学と慶応義塾大学の教授をかねる一方で、 歌人としても特異な才能を発揮した。 門弟であった藤井春洋を養子に迎え、春洋が戦死したのち、 昭和28年に亡くなったが、遺骨は本人の希望どおり、春洋の出身地羽咋市で 父子墓に埋葬されている。 |
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池の堤のむこうに いらずの森の説明板があるはずだが、 大雪のためか、 大木が倒れていて、向こうには行けない…。 |
滝古墳群 |
羽咋市滝 |
昨年(2020)9月に滝1号墳・2号墳・6号墳を見学したが、雑草がすごくてよく分からなかったので、
もう一度確認に行く。
1号墳
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6号墳
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2号墳
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草が枯れていても、よく分からない…。
滝古墳群配置図
滝大塚古墳 | 全長90mの 帆立貝式古墳 |
滝1号墳 | 直径20mの円墳 |
滝2号墳 | 直径25mの円墳 |
滝3号墳(消滅) | 直径18mの円墳 |
滝6号墳 | 直径20mの円墳 |
(説明板から)
滝古墳群のページ もご覧ください
中能登町のふるさと創修館は休館日…。
帰り道、新庄古墳がきれいに見えたので、写真を1枚!
新庄古墳 |
中能登町新庄 |
大槻古墳群の北にある古墳。
地図g
新庄古墳は 径25mの円墳。 河岸段丘に立地する。 詳細不明。 | |
東から見た新庄古墳 |
新庄古墳群のページ もご覧ください