北村さんちの遺跡めぐり
更新日2020/6/13
中能登町の古墳その1
雨の宮古墳群の全貌を知る撮影日2020/2/24・4/28
・5/7・6/9
大阪府の百舌鳥・古市古墳群が世界遺産になって、注目されるようになった「古墳」。
石川県には、整備されて、墳丘を歩ける雨の宮古墳群がある。
整備前にも行き、整備後の 2004年にも行っているが、当時とはアクセスも違う。
現在は眉上山トンネルができて道が良くなって、以前の道は通行止めになっている。
1号・2号墳は、何度か見学しているが、ほかにも墳丘があるはずなので、全てを知ろうと出かける。
雨の宮古墳群 |
中能登町(旧鹿西町)能登部上・西馬場 |
「雨の宮王墓の館」前の説明板と案内図もある。
雨の宮古墳群 説明板・案内板 邑知地溝平野を見下ろすように、眉丈山」(標高188m)の山頂を中心とする尾根筋に 前方後方墳1基・前方後円墳1基・方墳1基・円墳33基の古墳がある。 4世紀後半から5世紀初頭の築造と考えられている。 最高峰「雷が峰」に位置する1号墳は、墳丘長64mの前方後方墳 1号墳の北東にある2号墳は、墳丘長65mの前方後円墳。 1号墳・2号墳は、雌雄両亀の潜む所で、天日陰比盗_の御陵といわれていた。 1号墳の前方部にはかつて天日陰比盗_社(俗に雨の宮という)の社殿が建てられていた。 天日陰比盗_社は延喜式の神名帳に記載されているが、 その式内社がそのまま現存の神社に相当するかは断定できない。 (中能登町二宮にも同名の神社がある)。 また1号墳後方部墳頂にはかつて相撲の土俵が設けられ、奉納相撲が行われていた。 1992〜96(平成4〜8)年にかけて、史跡整備に伴う発掘調査。 約1km離れた西尾根に、方墳2基・円墳3基のテンジクダイラ支群がある。 邑知潟を挟んで対峙するのは、小田中親王塚古墳・亀塚古墳である。 |
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雨の宮古墳群配置図 前方後方墳の1号墳の墳頂の標高は |
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「雨の宮王墓の館」の300mほど北に、28号墳・29号墳がある。
雨の宮グリーン広場をよこぎり、獣よけの柵を開け閉めして、北への山道を行く。
雨の宮28号墳 径12mの円墳 高さ1.2m
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雨の宮29号墳 径12mの円墳 高さ1.2m |
この先も山道が続いていて、南西の麓の、西馬場の本土寺につながる。
「雨の宮王墓の館」jまで戻る。
南の遊歩道を登って2号墳へ。2号墳の手前に36号墳がある。
雨の宮36号墳 2号墳前方部の西側にある。 長さ11mの方墳(?) 高さ0.5m? 現在、天井石らしきものが露出した状態で、整備されている。 鉄製品や玉類が出土している。
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36号墳の東に2号墳。
雨の宮2号墳 | |
墳丘長65.5mの前方後円墳 後円部直径42m・後円部高さ7m・前方部幅28m 前方部を南西に向ける 墳頂部の高さは、1号墳より7m低い位置にある。 1号墳と同様、元々の地形を利用してつくられている。 3段築成 葺石あり 葺石が葺かれている範囲は2段築成で、中段のテラスがほぼ水平に墳丘を全周する。 前方部前面に3段目の段が作られているが、これ以外に3段目は確認できず。 埋葬部は未調査。盗掘されたような痕跡はない。 |
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前方部前面 ここだけが3段築成 |
葺石復原 |
前方部から後円部を見る 右奥は5号墳 |
後円部頂 |
後円部から前方部を見る ずっと向こうに1号墳の全景が見えている! |
1号墳から見た2号墳 手前が前方部 奥が後円部 |
5号墳から見た2号墳 左奥が前方部 5号墳は 2号墳後円部の東裾にある |
2号墳の後円部の東裾に、5号墳・6号墳・7号墳がある。
整備されている。
雨の宮5号墳・6号墳・7号墳 | |
墳丘測量図 (説明板から) いずれも2号墳より後に造られ、 F→D→Eの順に造られたと 考えられている。 5号墳・・・直径13m・高さ2mの円墳。 中央に長さ約5m幅約1.5mの木棺を直接埋めた痕跡がある。 副葬品は残っていなかった。 6号墳・・・直径12m高さ2mの円墳。 裾を丸くするために5号墳を少し削っている。 7号墳・・・直径8m高さ1mの円墳。 5号墳が重なっているために、築造当時の姿はよく分からない。 中央に盗掘坑があり、棺が埋められた痕跡が一部壊されていたが、 幅は約1.5mだと確認された。 |
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2号墳後円部頂から見た 手前が5号墳 奥が6号墳 5号墳の左に7号墳がある。 6号墳の奥に鳥居が見えるが、 かつて1号墳にあった天日陰比盗_社の鳥居。 山裾から参道が続いている。 |
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7号墳 |
左・5号墳 右・6号墳 |
5号墳墳頂部には、埋葬部が表示されている |
5号墳から見た6号墳 6号墳の奥に鳥居 |
6号墳の向こうの鳥居をくぐり抜けて、南の山道を下るとすぐに8号墳・9号墳。
雨の宮8号墳 径10mの円墳 高さ1.5m |
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雨の宮9号墳 径10mの円墳 高さ1.5m |
その南100m以上離れたところに、4基の古墳(10〜13号墳)が確認されている。
10〜13号墳には、標柱が立っている。
雨の宮10号墳 径14mの円墳 高さ1.8m
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雨の宮11号墳 径12m・高さ1.5mの円墳
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雨の宮12号墳 径8mの円墳 高さ1.5m
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雨の宮13号墳 径17mの円墳 高さ2.8m
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13号墳の先も、南のふもとに続く山道が続いていて、ふもとには西馬場古墳群がある。
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今下りてきた山道を、2号墳まで戻る。
8号墳墳頂部から
鳥居の向こうの2号墳を見上げる
2号墳から南西にある1号墳へ。
2007年3月25日、能登半島地震が発生し、中能登町でも震度6弱を観測した。
この雨の宮古墳群でも葺石の崩落や亀裂、段差がいたるところで生じた。
2008年度から再整備を実施した。
1号墳は、かつての整備で全国的にも葺石の遺存が高いことで知られ、オリジナルの葺石を見せてきたが、
今回の再整備では、葺石の風化・崩落防止のため、葺石を保護土で覆うことになった。
復元整備により、現在見えている葺石は、山土に石灰を混合したものだ。 (説明板から)
それ故に、前に見た1号墳とは、見た目がちょっと違う。
雨の宮1号墳 (標高187.9mの三角点がある。) | |
墳丘長64mの前方後方墳 後方部の幅43.6m、前方部の幅31m、後方部の高さ8.5m 前方部が短く、後方部が高いという特徴がある。 前方部を東に向ける 墳丘は元々の地形を利用してつくられている。 段築あり 葺石あり 前方後方形に整形する際の盛土には、 2種類の土を交互につき詰める方法(版築)が採用されている。 後方部に、2基の埋葬施設が確認されている。 そのうち1基が発掘調査された。 全長7.2m・幅2mの粘土槨の中に、 長さ6.2m・幅80〜74cmの割竹形木棺が納められていた。 棺内は3区画に分けられていて、 中央に遺体、両側には鉄製の武器や武具などの多くの副葬品が納められていた。 主な副葬品は 銅鏡1・車輪石・石釧など腕輪形石製品19・短甲1・銅鏃55・太刀・剣・短剣・鉄鏃など 割竹形木棺の遺物状態 (説明板から) 2008(平成20)年、「石川県雨の宮1号墳出土品」として、国の重要文化財に指定された。、 |
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車輪石・石釧 緑色凝灰岩製 (説明板から) |
墳丘測量図 神社があるときのものだ(説明板から) |
北東から見た1号墳 左手前が前方部 右奥が後方部 |
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前方部手前には現在 天日陰比盗_社の小さな社がある。 |
後方部頂には、 発掘された埋葬部が示されている。 |
後方部から前方部を見る 左奥に見えるのは、2号墳 |
南裾から見上げる後方部 右方に、前方部 |
(参考) 2004年の1号墳前方部 元々の葺石がはっきり確認できる。 この後能登半島地震が起き、 再整備された。 古墳の整備にあたり、 雨の宮古墳公園を視察したという 東北の大安場古墳公園の職員の話を思い出す。 |
1号墳の北裾に四角くあるのが、35号墳
雨の宮35号墳 10〜5mの方墳状 (?手元の資料では、1号墳築造時の残丘かと書かれている…) 35号墳 1号墳後方部頂から見下ろす |
1号墳後方部の西裾にあるのが、17号墳
雨の宮17号墳 直径16mの円墳 高さ1.5m 狭い尾根を幅1.5〜2mの溝で断ち切って墳丘がつくられている。 溝の埋まり方などから、1号墳よりも先につくられていたと考えられている。 墳頂部平坦面の東寄りに、安山岩の板石で積み上げられた小規模な竪穴式石室がつくられている。 石室は北側を頭に、長さ3.7m・幅1.5mで、大きめの板石8枚程で蓋がされている。 内部は未調査
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1号墳の前方部南角から、山道を南側へ降りる。
この斜面には大型の3・4号墳と、15・16号墳、30〜34号墳がある。
見学した順で。
雨の宮16号墳 径8m・高さ1mの円墳 墳の中央を山道が横切っている。 |
雨の宮15号墳 径6m・高さ0.8mの円墳 |
16号墳・15号墳の南には、群中5番目に大きい4号墳がある。
雨の宮4号墳 径20mの円墳 高さ2.5m 群中5番目に大きい墳丘 (26号墳と同じ)
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さらに南に下る。
雨の宮14号墳 径10m・高さ1mの円墳
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雨の宮3号墳 径30mの円墳 高さ4.5m 通称 愛宕塚といわれている。 南から見た3号墳 群中 3番目の大きさだ! 標柱が立っている。 |
比較的容易に見学できるのはここまでではないかと思う。
3号墳の南にも、下りのふもとへ行く山道がずっと続いていて、
墳丘らしい高まりも確認できるが、正式に番号の付いた墳丘はない。
3号墳から東に曲がり、細い山道を下ると、32・33・34号墳がある。
雨の宮32号墳 9×14mの長円(方)墳 高さ1.3〜1m
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雨の宮33号墳 径7mの円墳 高さ0.5〜0.0m
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雨の宮34号墳 径9mの円墳 高さ1.0〜0.0m
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34号墳の東側から急な下り坂をつづら折りのように下りて尾根筋を行くと、31号墳。
雨の宮31号墳 径12mの円墳 高さ2m 群からやや離れる
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31号墳からも、ふもとに下りる山道が続いていて、「森の宮古墳群」と名付けられた古墳群につながる。、
次に見る30号墳は、31号墳の西隣りの尾根にある。
31号墳から西側に細い尾根筋を回りこむようにずっと下って…ようやく30号墳に到着。
雨の宮30号墳 径10mの円墳 高さ1.2m 群からやや離れる
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30号墳からも、ふもとに下る山道が続いていて、ふもとには能登部神社がある。
ここから、1号墳まで戻るが、この登り坂がかなりきつい…。
1号墳の西隣りにある17号墳の西側の獣除けのフェンスを開け閉めして、20号墳の方へ向かう山道に18号墳がある。
墳丘の上を山道が通り、半壊状態
この山道は現在、道がほとんど無くなっているが、整備前は林道から1号墳へ行くためのきちんとした遊歩道だった。
18号墳から西に山道を行くとすぐ、20号墳の北側の林道(林道雨の宮線)に出る
このあたりは道路の幅が広くなっていて、整備前は、雨の宮古墳群の入口で駐車スペースも兼ねていた。
現在も「雨の宮古墳群全体案内図」がある。
この説明板の辺りには、19号墳がある。
18号墳・19号墳は、形・大きさは不明で、裾のみ残存しているという。
雨の宮18号墳 墳形不明 大きさ不明 墳裾のみが残存している。
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雨の宮19号墳 墳形不明 大きさ不明 墳裾のみが残存している。 林道で削られているらしい |
20・21・22・23・24号墳は、車道わきの山道にあるが、すでにジャングルになっている。
ジャングルをかき分け尾根道を進むと、古墳番号が書かれた標柱が立っている。
雨の宮20号墳 径22mの円墳 高さ2.2m 群中、4番目に大きい1 標柱が立っている。 低墳丘 座布団状だというが、よくわからない |
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雨の宮21号墳 径12mの円墳 高さ1.5m
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雨の宮22号墳 径13mの円墳 高さ1.8m
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雨の宮23号墳 径11mの円墳 高さ2.0m
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雨の宮24号墳 径18mの円墳 高さ2.52m 標柱 平野側だけを整形しているそうだ。 |
車道がカーブしているところには、25号墳があった。
雨の宮25号墳 墳形不明 大きさ不明 破壊された25号墳 裾だけが残存しているという。 |
車道の西側にある26号墳は、大きな墳丘だ
雨の宮26号墳 径20mの円墳 高さ2.5〜3m 群中5番目に大きい墳丘 (4号墳と同じ) 標柱が立っている。
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25号墳の南側に(仮40号墳)
雨の宮(仮40)号墳 径21mの円墳 高さ2〜1m 林道で西側が破壊されている 雨の宮古墳群36基には入らない墳丘 (旧鹿西町では、35号墳となっている古墳) |
(仮40号墳)の南側に27号墳。
雨の宮27号墳 径15mの円墳 高さ1m 27号墳のあたり よくわからなかった…。 破壊されているのかな…。 |
27号墳の南側から峠地蔵の辺りまでの、林道東側に4基の古墳があると手元の資料にはあるのだが、
雨の宮古墳群36基の中には含まれていない。
雨の宮(仮41)号墳 径7mの円墳 高さ0.5m 旧鹿西町では、36号墳となっている古墳 |
雨の宮37号墳 径10mの円墳 高さ0.5m |
雨の宮38号墳 8.5m×10mの方墳 高さ0.5m |
雨の宮39号墳 径13mの円墳 高さ2.5〜1m 小道で南側が破壊されている。 |
林道が南北から南西にカーブしているところに峠地蔵がある。
峠地蔵 | ||
林道沿いにある 案内板には 「平和祈願 子宝地蔵 めおと石 平成25年8月24日 峠地蔵保存会 」 とある。 |
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この右側、南東に下りる山道の北側に、 旧峠地蔵跡 がある。 |
旧峠地蔵跡 背後の高まりが39号墳 |
1kmほど西には、雨の宮古墳群の支群となっているテンジクダイラ古墳群がある。
5月末、新型コロナウイルスが下火になり、休館していた中能登町ふるさと創修館が開館、
館内にある「教育文化課文化財保護係」の職員の方に、話しを聞くことができた。
雨の宮古墳群は、36基ということになっている。
まだ他にも墳丘らしいものがあるが、調べられていないということだ。
現在は、久江宮山古墳群などの調査をするために木を整理しているから、見に行ってくださいと話されていたので、
後日見学した。その報告は次回以降です。
テンジクダイラ支群につづく