更新日2006/11/7
灘浦海岸を行く
A 能登編富山県・氷見市から
石川県・七尾へ2006/4/9
整備された氷見市布尾山古墳と七尾市の花園丸山古墳へのドライブに出かける。
きれいになった布尾山。立派な遺物が発見されなかったのは、とても残念。
朝は曇っていたが快晴となり灘浦海岸は素晴らしい景色。
柳田布尾山古墳から海岸沿いを北上。石川・七尾市へ入る。
花園地区に大きな円墳があるという。
花園円山古墳群 |
七尾市花園 |
石川県七尾市の崎山半島から富山県氷見市県境にかけて延びる灘浦海岸地域25Kmの間で、
現在までに発見されている唯一の古墳群。
1992年ゴルフ場建設計画が持ち上がり、事前に古墳の測量が行われたが、
バブル崩壊で、計画は消え、古墳群もそのままの状態で残っている。
花園円山古墳群遠景
田んぼの横から山に入ったが、竹だらけで道なき道を行く。
ようやく1号墳らしき高まりに到着するが・・・・・・
人間の目で見ると古墳の形はわかるのだけれども、写真に撮るとわからない。
1号墳近景
雑木林の中に埋もれている。
標高70mの独立丘陵の西側を断ち切って造られた
径40m・高さ6.4m 二段築成の大型円墳
幅3〜4mのテラスを持ち
西側で幅3m・深さ0.9mの周溝がある
1号墳墳頂部平坦部
墳頂部中央に
長さ5〜6m・幅2〜3m・深さ0.5〜1mの埋葬施設と見られる落ち込みが
二つ観察されるという。
木棺直葬と推定されている。
1号墳の裾部から出土した須恵器から、5世紀代の築造と推定されている。
2号墳は1号墳のすぐ西にある、径13m・高さ1.2mの円墳。
3号墳は1号墳の南東35mにある 径10m・高さ1mの円墳。
帰りは小道を見つけたので歩いていくと、集落のほうに出た。最初からこっちから入ればよかった。
田んぼは、集落の人たちがでて田植えの準備に忙しい。
もう一度矢田古墳群へ行く。今回の目的は中瀬1号墳から5号墳
矢田古墳群・中瀬1〜5号墳 |
七尾市矢田町 |
住宅地図を調べて、そのあたりまで行くが、個人の家の庭になっていたり、削平されていたり、
くぼみだけがあったりで、よくわからない。
田んぼで田植えの準備をしている幼児を連れた男性に尋ねたら、このあたりに間違いないと言う。
すぐそばにある彼の実家の裏には、古墳の墳頂部のくぼみもあるという。
場所が特定できたので満足して帰る。
中瀬古墳群2号墳
穴が開いている
中瀬古墳群5号墳
石碑は見当たらなかったが
個人の庭の築山となっている。
中瀬1〜5号墳(昭和45年発行の七尾市史から)のデータ
丸山古墳の南方約350mのなだらかな丘状地に存在する。
南東から北西に1号墳から5号墳が並ぶ。
1号墳は径5m・高さ1.4mの円墳だった。
封土・内部主体は削平され、建物の北側に封土の一部が凸部として残る。
2号墳は径29m・高さ3.2mの円墳だった。
昭和44年に調査を行われたが、宅地造成・土砂採取・防空壕でボロボロの状態だった。
最大幅2.8m・深さ35cmの周溝が確認された。
人頭大の石が3こは内部主体に使われたものか?
土師器や須恵器の破片や釘と見られる鉄製品が出土した。
出土した須恵器の破片が6世紀前半のものだった。
3号墳は径10m・高さ1.5mの円墳だった。
西側半分の封土が削平されている。
人頭大の石の塊が出土したが、これは石室材料の一部と考えられている。
4号墳は径10m・高さ1mの円墳だった。
墳頂部にくぼみがある。
5号墳は径18m・高さ3mの円墳だった。
封土の一部を削平し石碑を建てた。(その石碑は確認できなかった)
詳しくは 矢田古墳群のページ をご覧ください
整備された古墳と、現状のままの古墳との違いが良くわかる旅でした。
灘浦海岸を行く 終わり