北村さんちの遺跡めぐり

七尾市   地図g   

矢田古墳群

石川県七尾市矢田町

矢田古墳群は、元はたくさんの古墳が確認されていた。

七尾矢田古墳群位置図(判明分)

高木森古墳 前方後円墳 全長58.2m 改変されているが、現存
丸山古墳 円墳 径42m・高さ7.5m 一部残っている
天満宮古墳 円墳 径20m 墳丘を削平し社建築
いも塚古墳 円墳 径17m・高さ3.5m 現状は4m四方の方墳状 竹薮
高塚古墳 円墳 径10m・高さ3m 私有地
中瀬1号 円墳 径5m・高さ1.4m 墳丘損壊
中瀬2号 円墳 径29m・高さ3.2m
中瀬3号 円墳 径10m・高さ1.5m
中瀬4号 円墳 径10m・高さ1m 墳頂部にくぼみ
中瀬5号 円墳 径18m・高さ3m 削平 石碑建立

いも塚・高塚は少し残っているが、私有地らしい。
中瀬古墳群は、ほとんどが消滅した。
丸山古墳もかっての面影は全く無い。

高木森古墳
矢田古墳群  

七尾市矢田
 (撮影日2004/10/11)



高木森古墳実測図


全長58.2mの前方後円墳
 後円部径34.5m・高さ7m
 前方部幅21m・高さ4.5m




高木森古墳入口

5世紀末〜6世紀初頭の築造


「日本の古代遺跡 石川」編」より
くびれ部の上には葬送儀礼に使われたと考えられる祭壇状遺構があり、
    須恵器(器台・子持ち壺・壺)や土師器が打ち割られた状態で出土した。
このような祭祀遺構は七尾市温井15号墳や小竹ガラボウ山でも確かめられており、
    5世紀後半頃の能登における墓前祭儀の一端を示している。


高木森古墳全景 

見えるのが後円部
後円部の向こうに前方部がある。
埋葬施設は 徹底的な盗掘を受けて形もかなり破壊されて
 石室基底部を残すだけだったが、
   竪穴式石室と考えられている。

矢田丸山古墳
矢田古墳群

石川県七尾市矢田町
撮影日2005/9/24

何度探しても見つからなかった丸山古墳。
図書館で七尾市の住宅地図で、「丸山不動尊」を探し、地図をノートに書き写して、地図の通りに進む。
あった!!

同じく矢田にある高木森古墳から少し南に行った、狭い道路の片隅に、丸山不動尊と書いた石碑がある。


矢田丸山古墳登り口


古墳としての案内板はなし。
現状は直径32mの円状。

田鶴浜の十一面観世音と雰囲気や規模がそっくりだ。




丸山古墳墳頂にある丸山不動尊の御社。

小さな御社がひっそりと建つ。

墳頂は平坦できれいに掃除されている。




矢田丸山古墳全景

北側から。
径42m・高さ7.5mの大円墳だった。
円筒埴輪のかけらが出土
中心部だけがかろうじて残った。
丸山古墳の隣の家は「丸山」さん。
丸山古墳の道を挟んで北側には「高塚さん」という家が数軒まとまってある。
高塚古墳があったところなのかな?

中瀬1〜5号墳
矢田古墳群

七尾市矢田町
(撮影日 2005/4/30)

 住宅地図を調べて、そのあたりまで行くが、個人の家の庭になっていたり、削平されていたり、
くぼみだけがあったりで、よくわからない。
 田んぼで田植えの準備をしている幼児を連れた男性に尋ねたら、このあたりに間違いないと言う。
 すぐそばにある彼の実家の裏には、古墳の墳頂部のくぼみもあるという。
 でも場所が特定できたので満足して帰る。


中瀬古墳群2号墳


穴が開いている





中瀬古墳群5号墳


石碑は見当たらなかったが
  個人の庭の築山となっている。

  
中瀬1〜5号墳(昭和45年発行の七尾市史から)のデータ
 丸山古墳の南方約350mのなだらかな丘状地に存在する。
 南東から北西に1号墳から5号墳が並ぶ。

1号墳は径5m・高さ1.4mの円墳だった。
 封土・内部主体は削平され、建物の北側に封土の一部が凸部として残る。

2号墳は径29m・高さ3.2mの円墳だった。
 昭和44年に調査を行われたが、宅地造成・土砂採取・防空壕でボロボロの状態だった。
 最大幅2.8m・深さ35cmの周溝が確認された。
 人頭大の石が3こは内部主体に使われたものか?
 土師器や須恵器の破片や釘と見られる鉄製品が出土した。
 出土した須恵器の破片が6世紀前半のものだった。

3号墳は径10m・高さ1.5mの円墳だった。
 西側半分の封土が削平されている。
 人頭大の石の塊が出土したが、これは石室材料の一部と考えられている。

4号墳は径10m・高さ1mの円墳だった。
 墳頂部にくぼみがある。

5号墳は径18m・高さ3mの円墳だった。
 封土の一部を削平し石碑を建てた。(その石碑は確認できなかった)

花園丸山古墳群

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