中能登町   地図g   

鳥屋塚古墳
金丸宮地古墳群

中能登町(旧鹿西町)杉谷
(撮影日 2007/1/5
2020/4/28)

何度か行ってみたが、確認できていない。

 金丸鳥屋塚古墳(金丸宮地1号墳)   旧鹿西町史跡
 宿那彦神像石神社の東側、旧金丸小学校裏につくられた円墳
 径8m・高さ2mの円墳両袖式の横穴式石室がある。
 石室の内部は、盗掘などによりかなり荒らされているが、
 石室の基底部及び、玄門間仕切石がほとんど完全な形で遺存している。
 石室の規模は、玄室の奥行2.8m、奥壁幅1.3m、玄門後幅0.9m
 羨道の長さ0.98m・幅0.6m
 出土品がないので、築造時期は確証を欠くが
  古墳時代後期(6世紀末〜7世紀前半)の築造と推定されている。
 現状は庭園・竹薮だという。
 昭和34年、金丸村史編纂の際に発掘調査された。  (鹿西町史から)

現状は庭園・竹薮だという。

2006年3月11日

ガメ塚の西、金丸宮地地区には町指定史跡の「鳥屋塚古墳」があるらしいので行ってみる。
宮地地区で、歩いている女性に尋ねたけれどわからない。
ウロウロ探しまわったがわからずあきらめた。
よく調べてまた今度挑戦しよう!

2007年1月5日

もう一度探してみたが、また失敗してしまった。
中能登町(旧鹿西町)金丸宮地地区の神社そばにあるという。
通りかかった70、80才代の男性に尋ねるが、わからない。
宿那彦神像石神社の回りを歩き回り・・・・・・あきらめる。


宿那彦神像石神社の社地にある石
(撮影日2007/1/5)

石のそばの木にしめなわが巻かれている
鳥屋塚の石室の石材に関係あるのか?
宿那彦神像石神社の祭神は、少彦名命・建御名方命・中筒男命・大名持命
   延喜式に国幣の小社として名がある。

宿那彦神像石神社は少彦名命の霊がこめられた神石が祀られているという。


2020年4月28日

今まで、3〜4回探したが見つからない!
近くに住む男性が、子供の時石組を見たと言って、一緒に探してくれたが、その石組みが見あたらない!
町内会長をしているという男性(昭和25年生まれ)にも応対していただいたが、
 存在自体、年寄りからも聞いたことはないという…。

唯一見つけた石材

詳細不明です……
古墳群のすぐ西には、式内社 「宿那彦神像石神社」がある。
3月のおいで祭りでは、気多神社の神輿が本社の拝殿で一泊するというが、今年は中止となった。

 宿那彦神像石神社 (スクナヒコガミ カタイシジンジャ)

「由緒」の石碑


 祭神は、少彦名命 建御名方神 中筒男命 大名持命
 由緒として
 「神代の昔、祭神の少彦名命は大名持命と ともに、能登国を巡行、
  多気倉長命と力を あわせて国土の平定開発に神功をたて
  遂に その霊を神石に留めて、金丸宮地の地に鎮 まり給うた。
 崇神天皇の朝、この神石を当社 に奉安した。」
と伝えられている。
 
 平国祭(おいで祭り)は3月20日夕刻に、気多神社 の神輿が本社の拝殿で一泊、
  翌朝本社の祭神 が右神輿に遷座せられ七尾市所口に神幸、
  23日午前に右神輿が本社に還御あって 祭典を奉仕する。
  勅使祭(例祭)は 貞観二年六月九日(現在は七月九日)に官社 に列したのを記念して行う。
   一に「麦まつり」 ともいう。
       (由緒より抜粋)

宿那彦神像石神社 鳥居

宿那彦神像石神社 境内

    

杉谷チャノバタケ遺跡

能登の遺跡トップページ

トップページ