北村さんちの遺跡めぐり
更新日2020/8/4
中能登町 地図g
宮塚古墳 能登部神社 |
中能登町能登部上ロ70 |
雨の宮古墳群の南麓に能登部神社があり、その背後に能登部宮塚古墳がある。
能登部神社が「兄宮」で、能登比盗_社が「妹宮」。
能登部神社 | |
御祭神は 能登国造の祖「能登比古神」と能登臣の祖「大入杵命」 社伝によると、大己貴命が少彦名命とともに、国土経営を行い、 越の国を平定した後、当地で憩い給う時、当地で二人の兄妹神と出会う。 その兄神が、当社祭神である能登比古神。 妹神が、能登比盗_社祭神の「能登比刀v 通称は、上の宮、あるいは兄宮というが、能登部下に鎮座の能登比盗_社に対する呼称 |
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加賀藩主の前田利家公は入国した時から、深く当社を崇敬し、 その室寿福院は当地に住んで、利常公を出産して以来、 藩主の産神として深く崇敬されている。 |
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一の鳥居 |
神門 |
二の鳥居 |
拝殿 |
拝殿後方の85段の石段を上がると本殿 |
石段上の三の鳥居と本殿 |
本殿の懸額には 「能登部神社 侯爵 前田利嗣」とある。 |
本殿前からの景色 水白鍋山古墳あたりが見えるのかな? |
本殿背後の山に上るとすぐの、尾根先端に墳丘らしいものがある。
能登部神社と能登部宮塚の位置
(いしかわ文化財ナビを基に作成)
宮塚古墳の位置について、
いしかわ文化財ナビでは、「推定地」となっている。
能登部宮塚古墳 | |
昭和初期の「能登部町史」には 「能登部神社境内にあり、寛文のころまで、本殿がこの塚の上にありしと、 四方を切り開きたる中央に七尺四方丘をなせり、能登比古神の古墳なりと、 大正8年宮内省諸陵寮属鎌田正憲氏、実地踏査の折正しく古墳なるべし」 とある。 |
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能登部宮塚古墳 |
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能登部宮塚古墳 方向を変えて見る |
墳頂部の石材 かつて社殿があった時のなごりかもしれない…… |
宮塚古墳の北にある墳丘状の高まり (自然隆起の可能性もある) |
立派な神社があり、古代から栄えていたのだなと感じる。