北村さんちの遺跡めぐり
宝達志水町 地図g
竹生野天皇山古墳 |
宝達志水町(旧押水町)字竹生野北之部65 |
竹生野の集落の裏山に神明社がある。これは竹生野天皇山古墳といわれる前方後円墳だ。
竹生野神明社の由緒書きには、垂仁天皇記に出てくる「竹野媛」との関連の記述があるのだけど、どうなのでしょうね?
石川考古学研究会誌に「竹生野天皇山古墳群の測量調査(2000年調査)」の論文が掲載されている。
竹生野天皇山古墳群は、1号墳の前方後円墳と2号墳の円墳からなる。 1号墳墳形推定図 竹生野天皇山1号墳は、 全長53mの前方後円墳 後円部径37m・高さ5.3m 前方部幅23m・高さ2.75m ほぼ南北に主軸を置く 後円部のテラスが、前方部の平坦面に連続している2段築成 埴輪なし 葺石なし 周溝あり 古墳から出土したとされる石材には、志賀町大島産の安山岩と付近の花崗岩がある。 板状に剥離した安山岩には長さ1.5mのものもあり、埋葬施設に使われたと考えられている。 須恵器有蓋高杯の杯部が出土している。 古墳時代後期の築造と推定されている。 「押水町史」によると 明治末期に後円部が発掘され、ヒスイの管玉・金環・刀などが出土したというが現存しない。 掘りだされた石は神社の階段に使用され境内にも飾られている。 蓋石は個人宅にあるという。 2号墳は径9m・高さ1.5mの円墳 葺石なし 埴輪なし 埋葬施設・遺物は確認されていない。 遺跡地図に記載されているもう1基は、古墳ではなく、古墳築造時の残丘と考えられている。 (「竹生野天皇山古墳群の測量調査」から) |
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1号墳の後円部南側にある石段を上る 後円部上に神明社の社殿が建つ 2014/5/14 |
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埋葬施設の石材の一部と考えられている。墳丘斜面にも板石がある。 |
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1号墳前方部先端 2014/5/14 |
1号墳後円部南西にあるこぶ状隆起 2014/5/14 |
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1号墳 西側から見た後円部 左側に前方部が続く 2014/5/14 |
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2号墳 1号墳後円部の南東側に 幅約7mの周溝をはさんで位置する。 葺き石・埴輪・埋葬施設・遺物は確認されていない。 2014/5/14 |
宿東山古墳群と竹生野天皇山古墳群 配置図
宿東山古墳群 | |||
1号墳 | 前方後円墳 | 全長21.4m | |
2号墳 | 円墳 | 径12〜13m | |
3号墳 | 円墳 | 径13m | |
4号墳 | 前方後方墳 | 全長28m | |
5号墳 | 方墳 | 10×10m | |
6号墳 | 方墳 | 14×12m | |
7号墳 | 方墳 | 10×9m | |
8号墳 | 前方後方墳 | 全長20m | |
その他円墳・数基 | |||
竹生野天皇山古墳群 | |||
1号墳 | 前方後円墳 | 全長53m | |
2号墳 | 円墳 | 径9m |
(参考・遺跡地図)
企画展「宝達志水町の古墳」から | 2020/9/6 |
竹生野神明社の境内にある 古墳時代後期の前方後円墳 同時代では能登地方で最大級の大きさ 明治時代の調査で、ヒスイの管玉、金環、鉄刀、須恵器片などが出土している。 |