北村さんちの遺跡めぐり

宝達志水町    地図g  

竹生野天皇山古墳
たこのてんのうやまこふん

宝達志水町(旧押水町)字竹生野北之部65
撮影日 2005/4/24
2014/5/14

竹生野の集落の裏山に神明社がある。これは竹生野天皇山古墳といわれる前方後円墳だ。
竹生野神明社の由緒書きには、垂仁天皇記に出てくる「竹野媛」との関連の記述があるのだけど、どうなのでしょうね?

石川考古学研究会誌に「竹生野天皇山古墳群の測量調査(2000年調査)」の論文が掲載されている。

 竹生野天皇山古墳群は、1号墳の前方後円墳と2号墳の円墳からなる。


1号墳墳形推定図
竹生野天皇山1号墳は、
   全長53mの前方後円墳
    後円部径37m・高さ5.3m
    前方部幅23m・高さ2.75m
   ほぼ南北に主軸を置く 
 後円部のテラスが、前方部の平坦面に連続している2段築成
  埴輪なし 葺石なし  周溝あり
   古墳から出土したとされる石材には、志賀町大島産の安山岩と付近の花崗岩がある。
   板状に剥離した安山岩には長さ1.5mのものもあり、埋葬施設に使われたと考えられている。
   須恵器有蓋高杯の杯部が出土している。
   古墳時代後期の築造と推定されている。
 「押水町史」によると
    明治末期に後円部が発掘され、ヒスイの管玉・金環・刀などが出土したというが現存しない。
    掘りだされた石は神社の階段に使用され境内にも飾られている。
    蓋石は個人宅にあるという。                          
  2号墳径9m・高さ1.5mの円墳
   葺石なし 埴輪なし 
   埋葬施設・遺物は確認されていない。
   遺跡地図に記載されているもう1基は、古墳ではなく、古墳築造時の残丘と考えられている。
           (「竹生野天皇山古墳群の測量調査」から) 



1号墳の後円部南側にある石段を上る

後円部上に神明社の社殿建つ

      2014/5/14

2014/5/14撮影

2005/4/24
撮影
1号墳後円部 中腹にあるテラスに鳥居がある。2段築成と分かる
1号墳後円部頂にある石材
埋葬施設の石材の一部と考えられている。墳丘斜面にも板石がある。

2014/5/14  撮影
木が繁って見えなくなってしまった

2005/4/24  撮影
竹生野天皇山古墳(1号墳)の前方部  社殿の左後ろにある。

1号墳前方部先端
2014/5/14

1号墳後円部南西にあるこぶ状隆起
2014/5/14



1号墳  西側から見た後円部


左側に前方部が続く
       
       2014/5/14

2号墳

1号墳後円部の南東側に
  幅約7mの周溝をはさんで位置する。 

葺き石・埴輪・埋葬施設・遺物は確認されていない。
      2014/5/14

 



宿東山古墳群と竹生野天皇山古墳群 配置図

宿東山古墳群
1号墳 前方後円墳 全長21.4m
2号墳 円墳 径12〜13m
3号墳 円墳 径13m
4号墳 前方後方墳 全長28m
5号墳 方墳 10×10m
6号墳 方墳 14×12m
7号墳 方墳 10×9m
8号墳 前方後方墳 全長20m
その他円墳・数基  
竹生野天皇山古墳群
1号墳 前方後円墳 全長53m
2号墳 円墳 径9m

(参考・遺跡地図)


 企画展「宝達志水町の古墳」から 2020/9/6

竹生野神明社の境内にある
 古墳時代後期の前方後円墳

同時代では能登地方で最大級の大きさ
 明治時代の調査で、ヒスイの管玉、金環、鉄刀、須恵器片などが出土している。

宿東山古墳

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