北村さんちの遺跡めぐり

宝達志水町(旧志雄町)   地図g

末森城跡
末森古戦場
県史跡

宝達志水町竹生野
撮影日2014/5/14

末森城址は、NHKの大河ドラマ「利家とまつ」で有名になり、ふもとに駐車場がつくられ、散策路が整備された。
ドラマの放送から10年がたち、あたりは静けさを取り戻している。
標高138.8mの山頂まで、20分以上の上りを経て、本丸跡に到着。


末森城址への登り口に至る陸橋

登り口にある石碑
「利家とまつ」放映記念で立てられた。

末森城本丸跡 草むらが広がる

本丸跡からの景色

登り口にある説明板
「利家とまつ」から10年、見にくくなっている。

駐車場にある末森城イメージ図

 末森城は、畠山氏の家臣で地頭職であった土肥氏によって築城されたとされるが、詳しくは不明。
  天正8年以降は前田氏が支配することとなる。
  末森城は加賀と能登と越中をつなぐ交通の要所で、
  1584年(天正12年)徳川家康に同調した佐々成政が、この城を攻めたが城主奥村永福が死守(末森城の戦い)。
  この勝利により、前田利家の能登・加賀当地の基礎が築かれたといえるが、
    1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となる。

 1986年(昭和61年)からの調査で、礎石を確認しているほか、
 生活道具や鉄砲の玉などが出土している。

 廃城後、本丸にあった建造物は、移築された。
 本丸主門は金沢城の鶴の丸南門として移されたが、1759年(宝暦9年)に焼失。
 本丸は津幡町に移され、加賀藩主代々の御旅屋として利用されていたが、明治の大火で焼失。

 現在はどのような建物があったかを知る手掛かりはなくなってしまった。

石垣も、何も残っていないのは、とても残念・・・・!

 企画展「宝達志水町の古墳」から 撮影日2020/10/6


末森山(標高138.8m)にある
 中世から近世初期の山城。


 通称「本丸」、「二の丸」、「三の丸」、「若宮丸」などと呼ばれる平坦地が
  尾根上に連続して造り出され、空堀が設けられている。
 昭和60年〜63年に発掘調査が行われ、
  越前焼や碁石など場内での生活を示す遺物と共に、合戦を物語る鉄砲玉も出土した。
 加賀・能登・越中三ヶ国の国境に近い要衝に位置するため、しばしば合戦の舞台となった。
 特に末森城の名を有名にしたのは、
  前田利家と越中の佐々成政の間で行われた天正12年(1584)の「末森合戦」で、
  加賀百万石があるのは、この戦いで勝利したことによるとされている。
 県内を代表する戦国時代の山城として、平成3年に県指定史跡になった。


竹生野天皇山古墳

能登の遺跡トップページ

トップページ