北村さんちの遺跡めぐり
宝達志水町(旧志雄町) 地図g
散田金谷古墳 サンデンカナヤコフン 国史跡 |
宝達志水町(旧志雄町)散田
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同じ台地には、石坂鍋山古墳があり、あわせて「桜の里・古墳公園」として整備されている。
企画展「宝達志水町の古墳」から | 撮影日2020/10/6 |
散田金谷古墳は、 旧志雄町の谷平野にそそぐ子浦川と向瀬川が 合流する台地上にあり、 長径21m、短径18.5m、高さ3.5mの円墳。 北陸地方では最大級に属する、 全長10mの横穴式石室があり、 国史跡に指定されている。 金環・銀環、須恵器、馬具などが出土したほか、 玄室内には、 能登では唯一の屋根に千木を載せたような形状を持つ 特異な形態の「家形石棺」が置かれている。 能登の古墳時代後期では、他に例のない貴重な古墳だ。 散田金谷古墳の出土品は、町指定文化財となっている。 |
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散田金谷古墳石室実測図 散田金谷古墳の最初の学術調査は、 上田三平氏によって実施されて、 大正12年(1923)の「石川県史蹟名勝調査報告書」 に報告されている。 その後、志雄町史編さんに伴い、金沢大学考古学研究会を主体として、 昭和48年から49年にかけて測量調査が実施された。 その調査成果は、「石川県志雄町史}(1974)に報告されている。 |
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散田金谷古墳の家形石棺 長さ2.3m・幅1.1m・高さ1.27mの 凝灰岩を用いた家形石棺 昭和45年(1960)に 「金谷の石棺」という名称で 石川県有形文化財に指定されている。 |
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散田金谷古墳の出土品 |
散田金谷古墳の出土品 上段 太刀・刀子、鍔 下段 銀環 鉄鏃 |
2014年の 散田金谷古墳 |
撮影日2014/5/25 |
北側から墳丘にはいる。
散田金谷古墳の北側にある
散田天神社
散田金谷古墳は、長径21m・短径18.5mの楕円形墳 横穴式石室は、玄室の長さ5.72m・奥壁幅2.65m・高さ2.76m 石室内部に置かれた家形石棺は、凝灰岩製で、外側の寸法は長さ2.3m・幅1.1m・高さ1.27m 寄せ棟の屋根部に「千木」状の突起を削り出した蓋がある。 明治36(1903)年の最初の調査で、鉄製の武具・馬具、耳環、須恵器などが出土 この家形石棺は県の有形文化財に指定されている。 |
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修復前の墳丘測量図(説明板から) |
修復後の石室実測図(説明板から) |
古墳公園の北側入口から見た墳丘 向こう側に石室が開口している。 |
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西南から見た墳丘 |
石室開口部 |
石室内部 |
玄室内に置かれた家形石棺 |
2002年の |
撮影日2002/5/25 |
志雄町には散田金谷古墳を中心に古墳公園「志乎・桜の里古墳公園」ができている。
「古墳の湯」という温泉までできてしまった
。温泉に入りに来る人はたくさんいるけど、古墳を見に来る人はほとんどいない。
「志乎・桜の里古墳公園」については石坂鍋山古墳群のページをご覧下さい
院内勅使塚と同じくらいの石室を持ち、石室の中に家形石棺が残っている。
散田金谷古墳全景 |
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石室内部 |