北村さんちの遺跡めぐり

宝達志水町(旧志雄町) 地図g 

散田金谷古墳
サンデンカナヤコフン

国史跡

宝達志水町(旧志雄町)散田
 撮影日2002/5/25・2014/5/25

同じ台地には、石坂鍋山古墳があり、あわせて「桜の里・古墳公園」として整備されている。

 企画展「宝達志水町の古墳」から 撮影日2020/10/6

散田金谷古墳は、
旧志雄町の谷平野にそそぐ子浦川と向瀬川が
 合流する台地上にあり、
長径21m、短径18.5m、高さ3.5mの円墳
北陸地方では最大級に属する、
 全長10mの横穴式石室があり、
 国史跡に指定されている。
 金環・銀環、須恵器、馬具などが出土したほか、
  玄室内には、 能登では唯一の屋根に千木を載せたような形状を持つ
  特異な形態の「家形石棺」が置かれている。
 能登の古墳時代後期では、他に例のない貴重な古墳だ。
 散田金谷古墳の出土品は、町指定文化財となっている。

散田金谷古墳石室実測図

散田金谷古墳の最初の学術調査は、
 上田三平氏によって実施されて、
 大正12年(1923)の「石川県史蹟名勝調査報告書」
に報告されている。

 その後、志雄町史編さんに伴い、金沢大学考古学研究会を主体として、
  昭和48年から49年にかけて測量調査が実施された。
 その調査成果は、「石川県志雄町史}(1974)に報告されている。

散田金谷古墳の家形石棺

長さ2.3m・幅1.1m・高さ1.27mの
 凝灰岩を用いた家形石棺

 昭和45年(1960)に

 「金谷の石棺」という名称で
 石川県有形文化財に指定されている。

散田金谷古墳の出土品
 
  

散田金谷古墳の出土品
上段 太刀・刀子、鍔
下段 銀環 鉄鏃

   

2014年の
散田金谷古墳

 撮影日2014/5/25

北側から墳丘にはいる。


散田金谷古墳の北側にある
  散田天神社








 散田金谷古墳は、長径21m・短径18.5mの楕円形墳
  横穴式石室は、玄室の長さ5.72m・奥壁幅2.65m・高さ2.76m
   石室内部に置かれた家形石棺は、凝灰岩製で、外側の寸法は長さ2.3m・幅1.1m・高さ1.27m
  寄せ棟の屋根部に「千木」状の突起を削り出した蓋がある。
 明治36(1903)年の最初の調査で、鉄製の武具・馬具、耳環、須恵器などが出土
 この家形石棺は県の有形文化財に指定されている。

修復前の墳丘測量図(説明板から)

修復後の石室実測図(説明板から)


古墳公園の北側入口から見た墳丘

 向こう側に石室が開口している。

西南から見た墳丘

石室開口部

石室内部

玄室内に置かれた家形石棺

  

2002年の
散田金谷古墳
 

 撮影日2002/5/25

志雄町には散田金谷古墳を中心に古墳公園「志乎・桜の里古墳公園」ができている。
「古墳の湯」という温泉までできてしまった
。温泉に入りに来る人はたくさんいるけど、古墳を見に来る人はほとんどいない。
「志乎・桜の里古墳公園」については石坂鍋山古墳群のページをご覧下さい
 院内勅使塚と同じくらいの石室を持ち、石室の中に家形石棺が残っている。

散田金谷古墳全景

長径(石棺主軸方向)21m 短径18,5mの楕円墳
時代は6世紀後半



石室内部

玄室は長さ5.72m 幅2.65m 高さ2.76m。
石棺は長さ2.3m・幅1.1m・高さ1.27mで、
寄せ棟の屋根部に「千木」状の突起を削り出した蓋を持つ特殊な形。


  

石坂鍋山古墳群

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