北村さんちの遺跡めぐり
宝達志水町(旧志雄町) 地図g
石坂鍋山古墳群 いしざかなべやまやこふんぐん 志乎・桜の里古墳公園 |
宝達志水町(旧志雄町)散田 |
都会に住み始めた長男がゴールデンウィークに帰省して、「山へ行きたい」と言う。
それで連れて行ったのが、雨の宮古墳群とここ「志乎・桜の里古墳公園 ー石坂鍋山古墳群」だ。
志乎・桜の里古墳公園案内図
志雄町は、古くから桜の名所として知られていた。
そのイメージを大切にして、新しい桜の名所として造成したのがこの公園である。
園内には各種の桜(約900本)が植えられ、また6基の古墳が整備されている。
公園内の古墳群は石坂鍋山古墳群と命名された。
この古墳群は子浦川と向瀬川の合流点に向かって舌上に張り出す、細い尾根に位置する円墳群だ。
古墳時代後期(6世紀後半)に断続的に造られたと推定されている。
散田金谷古墳はこの古墳と一帯をなすものと考えられている。
1号墳 群内で最大規模 直径30〜37m、高さ6.5mの円墳 幅5.5m深さ0.4mの周溝を巡らせている。 埋葬方法は西南に開口する横穴式石室でその全長は約8mと推定される。 その石室は散田金谷古墳の石室を上回り、県内でも有数の大きさ。 6世紀の終わり頃の築造 大正末期に発掘され、刀や馬具が出土したと伝えられている。 |
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2号墳 直径19〜20m、高さ2.6mの円墳 幅4m、深さ0.4mの周溝を北西側に巡らせている。 埋葬方法は横穴式石室で内部は完存しているものと推定されている。 6世紀終わり頃の築造 |
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3号墳 | |
4号墳 直径13〜15mの円墳 埋葬方法は木棺直葬 6世紀後半の築造 |
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5号墳 直径9〜14m、高さ0.9mの円墳 埋葬方法は木棺直葬と推定される。 南東側からは規模の大きな古墳に見える。 |
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6号墳 6号墳の墳頂から、古墳の湯の露天風呂が見えてしまいます。 (男湯です) |
2014年/5月に訪問してみる。
横には「古墳の湯」という入浴施設がありにぎわっている。
古墳群はというと・・・・・
10年前はきれいになっていたが、現在は雑草に埋もれている・・・・・
石坂鍋山古墳5号墳の現状
撮影日2014/5/25
企画展「宝達志水町の古墳」から | 撮影日2020/10/6 |
子浦(シオ)川と向瀬(ムカセ)川の合流点にある 尾根に立地する6基の円墳からなる。 発掘調査により、1号墳からガラス玉、鉄刀、馬具、須恵器などが出土。 国史跡の散田金谷古墳と同じグループに属すると考えられていて、 志雄谷をはじめとする羽咋地域を支配した 集団の古墳群と考えられている。 現在は史跡の古墳公園となっていて、古墳の湯や桜の名所として親しまれている。 |
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墳丘全体の測量図 |
石坂鍋山1号墳出土 鐙(あぶみ) 町指定文化財 |