北村さんちの遺跡めぐり

志賀町     地図g

千浦二子塚古墳群
チノウラフタゴヅカコフン
現地説明会

志賀町西海千ノ浦地区
撮影日 2011/8/21

現地説明会に参加。
増穂ヶ浦を過ぎ、西海漁港を過ぎ、千ノ浦集落を過ぎて・・・・・
千ノ浦集落から500m以上北上・・・・
自動車がずらーと止まっている所に現説の看板を発見。

地図情報で「千ノ浦遺跡」となっているところが、千浦二子塚古墳の位置である。

千浦二子塚古墳群入口

ここから案内板に従って5分ほど行くと
C支群のC1号墳に着く。

古墳に至る道の雑木雑草の整理は大変だっただろう。
地元の方や発掘にかかわった方に頭が下がります。

50人ほどの参加者がいる。
ほとんどは地元の方と発掘関係者のようだ。


千浦二子塚古墳配置図
        (現説資料から)

千浦二子塚古墳といわれていたのは、
C1号墳・C2号墳 (千浦二子塚1号墳・2号墳
)

昭和28年に発掘調査が行われたが、
次第に樹木に覆われてしまった。

昨年、千浦地区の方々のご尽力で、樹木が伐採され、
発掘調査された。




         
 A1  円墳  径7m・高さ0.5m    墳丘半壊
 A2  円墳  径9m・高さ0.8m   北側周溝 
 B1  円墳  径6m   石材露呈 
 B2  円墳  径7m  横穴式石室 石材散乱 
 B3  円墳  径12m  横穴式石室  石材散乱
 B4  円墳  径12m  横穴式石室  石材散乱
 B5  円墳  径10m  横穴式石室  石材散乱
 C1  円墳  径16m・高さ2.5m  横穴式石室  旧千浦二子塚1号墳
 C2  楕円墳  南北16m東西13m・高さ2.5m  横穴式石室  旧千浦二子塚2号墳
 C3  円墳  径9m  横穴式石室  
D2  方墳  一辺6m    積石塚状
D1  円墳  径8m  横穴式石室  石材散乱

今回はC支群とD2号墳を中心とした発掘調査のようだ。

 C支群
千浦二子塚古墳群

千浦二子塚古墳C支群実測図


周溝の重なり方から
C1号墳の後にC2号墳が造られたと推定されている。
築造時期は7世紀前期〜中期

1号墳と2号墳の石室は西側(海側)に向いているが、3号墳は南側に向いている。






 C1号墳
旧千浦二子塚1号墳
千浦二子塚古墳群


C1号墳  北側から

墳頂に石材が見える。
径16m・高さ2.5mの円墳

以前の調査で刀やガラス玉が出土している。


C1号墳 南から

今回の調査で「立柱石」の袖構造が確認されたという説明があった。
(北部九州の様式だそうだ)



C1号墳 石室

天井石が落ち込んでいる。



C1号墳石室の奥壁

上の大きな石は天井石

奥壁には、丸い石がきれいに積まれている。


 C2号墳(旧千浦二子塚2号墳)
千浦二子塚古墳群

C2号墳は「双室墳」と確認された。
全国では24例目、 県内では七尾市の須曽蝦夷穴古墳に次いで二例目。

C2号墳  西側から

左北石室
右 南石室


南北16m東西13m・高さ2.5mの楕円墳



C2号墳 北石室の天井石
きれいに並んでいる
右が奥壁側


奥の古墳はC1号墳



C2号墳 北石室

入口付近が発掘されている。


石が散乱している。






C2号墳 南石室

C1号墳とよく似た石が積まれている。


石泥棒などもいたそうで
石は元の位置から動いている可能性が高いという。
2つの石室とも入口部分の発掘しか出来なかったそうだ。

 C3号墳
千浦二子塚古墳群



C3号墳  南から

その奥に C2号墳
その奥にC1号墳

蚊が多く、長袖長ズボン。



C3号墳石室  東から

石室の奥壁部分が発掘されている。

白いひもで示されているのが石室の大きさで、
石室の幅は50cmぐらいしかない。

奥壁には一枚石が使われている。
側壁は切石がきれいに積まれているが、
西側(手前)の側壁は崩れている。
大きな石の上にある丸いものは蚊取り線香
石室の向きや石積みの違いから、
C3号墳は、C1・C2号墳から だいぶ後につくられたと推定されている。

D2号墳
千浦二子塚古墳群




D2号墳測量図






D2号墳  東から

一辺6mの方墳状

墳丘には、積石塚のように石が並ぶ




D2号墳

白いひものところを発掘したが、石室は確認されなかった。




古墳という確証も得られなかった。

なぞの石組み遺構
千浦遺跡

D2号墳の海側に1m四方くらいの石組みがある。

すぐ向こうは海

左(南)の方には灯台がある




石組み遺構内部

火をたいた跡があるが、継続的なものではない。
祭祀に関係したものか?




A支群
千浦二子塚古墳群

C支群の北150mほどのところにある。

A支群測量図

他の支群より古墳の大きさがひとまわり小さく、
  横穴式石室を作ったと思われる石材も見当たらない。
墳丘中央には、盗掘によるくぼみが見られる。


測量調査によって、A支群は
鹿頭神明森古墳のように、石棺を内部主体とする古墳と考えられ、5世紀の築造と推定されるそうだ。

鹿頭神明森古墳とは、
千浦の北約2kmにある古墳で、箱形石棺を内部主体とするようで、
1号墳から人骨と共にガラス玉・細身耳環・刀・刀子・長頸式鉄鏃・鉄斧を副葬していて、
5世紀後半の築造と推定されている。
           (参考:石川考古学研究会誌44号)

A1号墳

径7m・高さ0.5mの円墳






A2号墳
径9m・高さ0.8mの円墳



B支群
千浦二子塚古墳群

今回はB支群についての説明はなかった。


B4号墳

径12mの円墳






B4号墳の墳丘には石材が散乱している。






B3号墳
右奥はB4号墳







手前B2号墳、
右奥B5号墳、
左奥B3号墳





柴垣古墳群について

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