北村さんちの遺跡めぐり
志賀町 地図g
千浦二子塚古墳群 |
志賀町西海千ノ浦地区 |
現地説明会に参加。
増穂ヶ浦を過ぎ、西海漁港を過ぎ、千ノ浦集落を過ぎて・・・・・
千ノ浦集落から500m以上北上・・・・
自動車がずらーと止まっている所に現説の看板を発見。
地図情報で「千ノ浦遺跡」となっているところが、千浦二子塚古墳の位置である。
千浦二子塚古墳群入口
ここから案内板に従って5分ほど行くと
C支群のC1号墳に着く。
古墳に至る道の雑木雑草の整理は大変だっただろう。
地元の方や発掘にかかわった方に頭が下がります。
50人ほどの参加者がいる。
ほとんどは地元の方と発掘関係者のようだ。
千浦二子塚古墳配置図
(現説資料から)
千浦二子塚古墳といわれていたのは、
C1号墳・C2号墳 (千浦二子塚1号墳・2号墳)で
昭和28年に発掘調査が行われたが、
次第に樹木に覆われてしまった。
昨年、千浦地区の方々のご尽力で、樹木が伐採され、
発掘調査された。
A1 | 円墳 | 径7m・高さ0.5m | 墳丘半壊 | |
A2 | 円墳 | 径9m・高さ0.8m | 北側周溝 | |
B1 | 円墳 | 径6m | 石材露呈 | |
B2 | 円墳 | 径7m | 横穴式石室 | 石材散乱 |
B3 | 円墳 | 径12m | 横穴式石室 | 石材散乱 |
B4 | 円墳 | 径12m | 横穴式石室 | 石材散乱 |
B5 | 円墳 | 径10m | 横穴式石室 | 石材散乱 |
C1 | 円墳 | 径16m・高さ2.5m | 横穴式石室 | 旧千浦二子塚1号墳 |
C2 | 楕円墳 | 南北16m東西13m・高さ2.5m | 横穴式石室 | 旧千浦二子塚2号墳 |
C3 | 円墳 | 径9m | 横穴式石室 | |
D2 | 方墳 | 一辺6m | 積石塚状 | |
D1 | 円墳 | 径8m | 横穴式石室 | 石材散乱 |
今回はC支群とD2号墳を中心とした発掘調査のようだ。
C支群 千浦二子塚古墳群 |
千浦二子塚古墳C支群実測図
周溝の重なり方から
C1号墳の後にC2号墳が造られたと推定されている。
築造時期は7世紀前期〜中期
1号墳と2号墳の石室は西側(海側)に向いているが、3号墳は南側に向いている。
C1号墳 旧千浦二子塚1号墳 千浦二子塚古墳群 |
C1号墳 北側から
墳頂に石材が見える。
径16m・高さ2.5mの円墳
以前の調査で刀やガラス玉が出土している。
C1号墳 南から
今回の調査で「立柱石」の袖構造が確認されたという説明があった。
(北部九州の様式だそうだ)
C1号墳 石室
天井石が落ち込んでいる。
C1号墳石室の奥壁
上の大きな石は天井石
奥壁には、丸い石がきれいに積まれている。
C2号墳(旧千浦二子塚2号墳) 千浦二子塚古墳群 |
C2号墳は「双室墳」と確認された。
全国では24例目、 県内では七尾市の須曽蝦夷穴古墳に次いで二例目。
C2号墳 西側から
左北石室
右 南石室
南北16m東西13m・高さ2.5mの楕円墳
C2号墳 北石室の天井石
きれいに並んでいる
右が奥壁側
奥の古墳はC1号墳
C2号墳 北石室
入口付近が発掘されている。
石が散乱している。
C2号墳 南石室
C1号墳とよく似た石が積まれている。
石泥棒などもいたそうで
石は元の位置から動いている可能性が高いという。
2つの石室とも入口部分の発掘しか出来なかったそうだ。
C3号墳 千浦二子塚古墳群 |
C3号墳 南から
その奥に C2号墳
その奥にC1号墳
蚊が多く、長袖長ズボン。
C3号墳石室 東から
石室の奥壁部分が発掘されている。
白いひもで示されているのが石室の大きさで、
石室の幅は50cmぐらいしかない。
奥壁には一枚石が使われている。
側壁は切石がきれいに積まれているが、
西側(手前)の側壁は崩れている。
大きな石の上にある丸いものは蚊取り線香
石室の向きや石積みの違いから、
C3号墳は、C1・C2号墳から だいぶ後につくられたと推定されている。
D2号墳 千浦二子塚古墳群 |
D2号墳測量図
D2号墳 東から
一辺6mの方墳状
墳丘には、積石塚のように石が並ぶ
D2号墳
白いひものところを発掘したが、石室は確認されなかった。
古墳という確証も得られなかった。
なぞの石組み遺構 千浦遺跡 |
D2号墳の海側に1m四方くらいの石組みがある。
すぐ向こうは海
左(南)の方には灯台がある
石組み遺構内部
火をたいた跡があるが、継続的なものではない。
祭祀に関係したものか?
A支群 千浦二子塚古墳群 |
C支群の北150mほどのところにある。
A支群測量図
他の支群より古墳の大きさがひとまわり小さく、
横穴式石室を作ったと思われる石材も見当たらない。
墳丘中央には、盗掘によるくぼみが見られる。
測量調査によって、A支群は
鹿頭神明森古墳のように、石棺を内部主体とする古墳と考えられ、5世紀の築造と推定されるそうだ。
鹿頭神明森古墳とは、
千浦の北約2kmにある古墳で、箱形石棺を内部主体とするようで、
1号墳から人骨と共にガラス玉・細身耳環・刀・刀子・長頸式鉄鏃・鉄斧を副葬していて、
5世紀後半の築造と推定されている。
(参考:石川考古学研究会誌44号)
A1号墳
径7m・高さ0.5mの円墳
A2号墳
径9m・高さ0.8mの円墳
B支群 千浦二子塚古墳群 |
今回はB支群についての説明はなかった。
B4号墳
径12mの円墳
B4号墳の墳丘には石材が散乱している。
B3号墳
右奥はB4号墳
手前B2号墳、
右奥B5号墳、
左奥B3号墳