北村さんちの遺跡めぐり
志賀町 地図g 師岡比古神社と二所宮宮山古墳群のページ
諸岡比古神社 モロオカヒコジンジャ |
志賀町二所宮 |
二所宮宮山古墳群(車塚古墳群ともいうのか)を探して、諸岡比古神社へ来たが、古墳は見つからない。
すぐそばに下甘田小学校があるが、この下甘田小学校はこの3月(2016年3月)に閉校となったそうだ・・・・。
式内社 能登國羽咋郡 諸岡比古神社は 旧郷社 創始年代は不詳。 伝承では、諸岡比古神は安津見鎮座の奈豆美比唐ニともに海を渡って来た神。 はじめ百浦の海岸に漂着し、福野潟に入り、奈豆美比唐ニ別れて現在地に鎮まったという。 御祭神・大中津日子命は、景行天皇の皇子であり、羽咋神社祭神・石撞別命(景行天皇の弟)と供に、 能登へ下向され、当地に久しく住んでいたが、この地で薨去され、 郷民によって、この山に埋葬され、祀られたという。 |
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鳥居の左の石碑には式内諸岡比古神社 右の石碑には大中津日子命御旧跡 鳥居から東に 舗装されていない上り坂の参道が200m近く続く。 |
手前から来て、 石段を登ったところに社殿がある。 |
社殿の扉には鱗紋が付けられている |
鱗紋 三角を三つくっつけたような紋 |
山を削って社殿が立てられているようだ |
社殿東の山頂 |
境内には 志賀町指定文化財(天然記念物)の杉がある。名称は、「諸岡比古神社のスギ」だ。
二所宮宮山古墳群 |
志賀町二所宮 |
2016年4月に、二所宮宮山古墳群があるという諸岡比古神社へ来たが、
古墳がどこにあるのか分からなかった。
HP「いしかわ文化財ナビ」で、大体の位置を確認してもう一度訪れてみた。
二所宮宮山古墳群 配置図 (イメージ図)
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西の参道入口にある鳥居
ここから東へ300mくらいの参道を上って下ると
諸岡比古神社がある。
参道の途中の高い所付近に古墳が6基確認されている。
4号墳 (削平) |
参道途中の頂部 4号墳を破壊して参道が通っている。 参道両側に、4号墳の残骸が残っているようだ。 |
参道南に残る4号墳 下部だけ残っているようだ。 墳丘の中心部は参道で完全に破壊 参道北側にも4号墳の一部が残っている。 4号墳は、削平されたことになっているが、 群中、最大だったかもしれない・・・ |
4号墳南側には、5・6号墳がある。
5号墳・6号墳 | |
手前中央が5号墳 右奥は6号墳 データでは5号墳が大きいはずだが、 5号墳は一番小さく残っている。 どちらも、痕跡程度の墳丘 写真ではよく見えないな… |
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5号墳 墳丘の周りに赤い杭が巡る。 奥の林のそばにも墳丘があるのかな・・・ |
6号墳 墳丘の周りに赤い杭が巡る。 |
参道の北側から林に入ったところに3号墳
3号古墳 (車塚) | |
墳丘 径30mの円墳 |
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周溝辺りには赤い杭がめぐっている。 |
墳頂には大穴があいている。 |
3号墳から西に行った尾根先端部に、1・2号墳。
1号墳・2号墳 | |
1号墳墳丘 |
1号墳墳頂 |
1号墳の墳頂には大穴があいている。 |
2号墳 |
車塚古墳は、大中津日子命のお墓といわれている。