北村さんちの遺跡めぐり

七尾市    地図g  

能登国分寺跡  

七尾市国分町・古府町
 (撮影日2002/5/25)

七尾駅から東往来(旧街道)を南に行くと国分町がある。そこに国分寺史跡公園がある。
国分寺跡とその周りが広大な公園となっており、グラウンドゴルフをしている人たちがたくさんいた。
復元されているのは「南門」だけであるが、塔の心礎、金堂、講堂の礎石が広大な敷地に配置されている。
この辺りの町名には、古府(フルコ)国下(コクガ)府中(フチュウ)などがあり、国府の名残を残すものとして興味深い。

南北215m・東西160m、
約4haの南北方向にやや長い長方形の寺域

南から北に向かって、南門、中門、
右側に塔、左側に金堂を配し、正面に講堂を置く
法起寺式の伽藍配置である。

倉庫跡 

 塔跡

2017年の
能登国分寺跡
古府・国分遺跡

七尾市国分町・古府町
撮影日 2017/12/9
2018/3/4

石川県埋蔵文化財センターのホール展「口能登・中能登の古代遺跡」に紹介されていた遺跡。

七尾市の地図g

 埋文説明文
 【古墳時代終末期、奈良・平安時代〜中世】の遺跡
  西の眉丈山系と東の石動山系に挟まれた邑知地溝帯の北端にある。
  1970(昭和45)年以来、数回の確認調査で法起寺式の伽藍配置を確認、
      国史跡に指定され現在は史跡公園になる。
  古府・国分遺跡(フルコ・コクブイセキ)では、
    国分寺の経営に関わる建物群や瓦塔、硯など寺院関連遺物が確認されている。

今回の調査区


調査区には、新しい道路ができ、
その横では、
七尾博物館の建設が進んでいる。

B区 掘立柱建物群 
 (埋文展示から)

出土した 土師器・甑  須恵器・双耳瓶
(埋文展示から)

出土物展示の様子

(埋文展示から)

能登国分寺展示館は、冬季閉鎖中だった・・・。

 能登国分寺公園
  能登国分寺は、平安時代初めの承和10年(843)につくられ、
   疫病や飢饉、反乱などによる国内の乱れを仏教の教えにより抑え、
    平安な世にする祈りの場として400年間栄えた寺である。

  昭和45年から発掘調査を行い、49年に国史跡となる。
  平成元年から文化庁の「ふるさと歴史の広場」事業として整備を始め、平成4年にオープン。


能登国分寺跡案内図


1000年前の姿そのままに復原された
 南門と塀をはじめ、
 塔、金堂、講堂、回廊などの建物跡の
 遺構を整備してある。

能登国分寺公園

 復原された南門と塀

中門跡

回廊跡

塔跡

講堂跡と回廊

北門跡

中門跡から見た南門

    

ミュージアム のと里山里海ミュージアム 七尾市国分町イ部
能登歴史公園内

撮影日2022/7/28

2018年10月に開館したミュージアム。入館無料。
常設展示のほかに、企画展「竹と里山」が見学できた。


能登歴史公園(国分寺地区)
  案内図

 
 (現地案内板から)






ミュージアム入口

能登立国1300年の節目として、七尾・能登歴史公園に「のと里山里海ミュージアム」が建てられた。
国連の世界農業遺産に認定されている能登の里山里海。
その歴史や文化、民俗、暮らし、恵まれた自然を総合的に学ぶことが出来る新しい博物館。
「里海」「里山」「七尾の大地」「七尾の祭り」「歴史」の5つのコーナーがある。
歴史コーナーに古墳関係の資料があった。

 須曽蝦夷穴古墳の出土品

 左から
 須恵器杯身・杯蓋  ホゾ孔鉄斧(レプリカ) 銀象嵌円頭太刀(レプリカ) 
 国分尼塚古墳群の出土品 その1

八鳳鏡(ハチホウキョウ)
左 実物写真
右 レプリカ
大きさは直径15.8cm、厚さ1.1cm
 鏡面厚さ0.25cm


 国分尼塚古墳群の出土品 その2

  左から  勾玉(ヒスイ)、 管玉、 器台(土師器)
 細口源田山遺跡の出土品


弥生土器


方形周溝墓に供えられた土器
 弥生時代中期後半

  (約2100年前)

  

能登國総社神社

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