北村さんちの遺跡めぐり
七尾市 地図g
能登國総社神社 |
七尾市中古府町 |
国府の近くには、総社があるということを聞き、能登国の総社神社へ。
能登國総社神社の由来 能登国内43社の神をまつるほか、1907年(明治40年)合祀した諏訪神社の建御名方神を祀る。 旧社格は村社。能登国の総社。 総社は平安中期から後期にかけて 国司が管内の宮社などの神霊を国衙に近い地に勧請して奉幣参拝の便をはかったのに起源するという。 社伝によれば往古大穴持命を奉祀したのに始まり 源順(ミナモトノシタゴウ・能登ゆかりの歌人・七尾で没)が 能登守のとき再建して能登国中の式内43座の神を勧請したという。 「能登国式内等旧社記」には 「惣社矢田郷古府村鎮座称惣社明神或云惣座宮。往古国府神拝之惣社也」とある。 |
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社殿は、七尾市指定有形文化財(建造物) 一間社流造・柿葺で江戸時代初期の建築様式。 棟札によると寛永14年(1637)造立したもので、延宝2年(1673)には南側に建て替えたもの 他には「総社三十六歌仙額 36面」と「総社三番叟図額 2面」の七尾市指定有形文化財が所蔵されている。 |
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総社神社社叢 二ノ鳥居 一の鳥居は60mほど北の道路沿いにある。 以前は一の鳥居から境内だったのだろうが、現在は住宅地となっている。 |
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二の鳥居と参道 |
市指定文化財の社殿 |
拝殿には「丸に桜」の紋が刻まれている。 |
力石(盤持ち石) 力比べに用いられた石 |
由来にもあるが、国府の近くに総社がつくられたと云われているので、近くに国府があったと考えられている。
能登国分寺跡も、ここから約500m西にある。