北村さんちの遺跡めぐり
七尾市 地図g
須曽蝦夷穴古墳 |
七尾市能登島町須曽 |
この古墳を訪れるのは3回目だ。
初めてきたときは、須曾の集落の狭い林道を途中まで車でのぼり、
急ごしらえの急な階段を息を切らせて登ったところにあった。
そのときは発掘中だった。
今は観光バスが入れる立派な道路が開通し、資料館もある。
能登島では水族館・ガラス館と並ぶ観光名所となっている。
発掘調査時、測量図 (説明板から)
1基だけが孤立的に築かれている須曽蝦夷穴古墳は、
東西18.7m南北17.1mの方墳
正面の墳裾に低い石積みをめぐらした典型的な終末期古墳の様式をもつ。
2基(1対)の横穴式石室は、付近の海岸から運んだ安山岩板石でつくられ、
横幅の広い玄室やドーム型に持ち送る天井など、朝鮮半島に通じる特色をもつ。
7世紀前半の築造と推定されている。
発掘当時の状況 (パンフレットより)
玄室の長さ約5m幅約1m、玄室の高さは2m以上
(板石小口積み 隅三角持ち送り天井)
右側が雄穴・・・玄室はT字形、ドーム型天井
左側が雌穴・・・玄室は逆L字形、棺台あり
須曽蝦夷穴古墳全景 |
須曽蝦夷穴古墳の石室 |
雌穴(メアナ)石室 雄穴石室と同時に築造された。 雄穴より規模が一回り小さく、平面逆L字形。 玄室床面には、 一段高い棺台状の区画が造られている。 銀象嵌装飾の刀装具を持つ太刀や、 朝鮮半島で例の多い特殊な鉄斧などが 副葬品が出土した。 |
雄穴(オアナ)石室 主を葬ったと推測される。 平面T字形に設計され、 巧みに積み上げたドーム型天井の玄室を持つ 刀装具・刀子等の副葬品や 木棺の釘、須恵器などが出土。 |
古墳の造りかたは、朝鮮半島・高句麗の古墳と似ている点が多く、日本と朝鮮半島を結ぶ手がかりとして歴史的意義が高い。
蝦夷穴古墳が作られた頃、七尾付近には鹿島津と呼ばれる港が営まれ北方に向かう海上交通の拠点として栄えていた。
蝦夷穴歴史センター |
七尾市能登島町須曽タ部21-5 |
蝦夷穴古墳の整備の一環として作られた展示館。
蝦夷穴古墳から出土した遺物を展示し、発掘調査の様子を写真図解などで紹介している。
他に、昭和初期の漁具や、漁村風景パネル、伝馬船の復元展示などがある。
石川県能登島ガラス美術館 |
七尾市能登島向田 |
能登島では、水族館・蝦夷穴古墳と並ぶ観光名所。
連休中でたくさんの人が訪れていた。
春季企画展として「トゥーツ・ジンスキー展」というのをしていたが、これはワンパターンでいいとは思えなかった。
「中国清朝のガラス」は素晴らしく、心が豊かになったような気がした。
ガラス工房の見学もした。ガラスの作品作りはたいへんだと思った。