北村さんちの遺跡めぐり
更新日2020/11/14

三木古墳群と行基塚
三木・三ツ地区の古墳群
撮影日2016/11/13
2020/9/30
三木古墳群
三木・三ツ地区の古墳群
加賀市三木町
撮影日2016/11/13
2020/9/30

2016年11月に、加賀市西部の三木古墳群を見学に行ったところ、
 ビニールシートがかかっていて、発掘されているようだった。
松任図書館で、2018年3月発行の「三木古墳群確認調査報告書」をみつけたので、もう一度見に行く。

三木古墳群の地図g


2020年9月の
三木古墳群のある山


登り口が無くなっていた…。


撮影日2020/9/30
2016年の写真のデータを訂正しつつ、「三木古墳群確認調査報告書」を読んでみようと思います。


2016年11月の
三木古墳群のある山



この時は山に入る道があった。

撮影日2016/11/13
三木古墳群は、明治36年(1903)に土器や金環を出土した上皇(ジョウノウ)古墳の存在が古くから伝わっている
(石川県遺跡地図では、三木1号墳が「上皇古墳」となっている。)
昭和戦後にも調査されたというが、詳細不明。
昭和52年(1977)には、石川考古学研究会により、現地踏査が実施されて、
 方墳1基と円墳3基の存在が確認された。
平成25年(2013)に、この山で木材を搬出するための作業道がつくられ、
 誰も気付かないまま、古墳1基が損壊を受けた事を発端に、平成28年、調査が行われた。

調査の結果、今までに確認された4基の他に、もう一基の古墳が確認された。

三木古墳群測量図
 (報告書から)
既知の古墳は、北から順に三木1号墳、2号墳、3号墳、4号墳とし、
今回新たに発見された、1号墳北側の古墳を5号墳とする。
5号墳は、発掘調査、1号墳〜4号墳は測量調査。

1号墳 18.5m×14.5mの方墳
2号墳 径15mの円墳
3号墳 径15mの円墳
4号墳 径10mの円墳
上皇古墳の可能性がある
5号墳 径11.6mの円墳



    
三木古墳群全景
手前の発掘が、5号墳


その後ろに
1〜4号墳が続く。

(「三木古墳群確認調査報告書」から引用)
    

 三木5号墳    2016年の調査で新しく発見された。
 径11.6mの円墳
 調査の時点で墳丘の西側半分は、作業道開削により消失していた。
 埋蔵文化財は、墳丘中央の地山面上に構築した横穴式木室と推定されている。
  南辺に凝灰岩切石を据え、玄室空間を設けているが、切石は要所で用いるにとどまり、
  その他の場所は木材を用いたど推定されるが、木質の痕跡はとどめていない。
  玄室床面には、河原石が敷き詰められている。
 埋葬施設から鉄鏃と須恵器が出土した。
 開削の時に移動した土中から須恵器数点が採集されている。
 出土物から、6世紀代の築造と推定されている。

5号墳全景(橋立丘陵を望む)
1号墳側から見る

5号墳埋葬施設全景(垂直写真)

5号墳墳丘測量図

5号墳出土遺物
土器 鉄鏃
  いずれも、「三木古墳群確認調査報告書」から引用
 (ここから下は、2016年の現地写真です。)

5号墳
ブルーシートが石室付近の発掘現場
墳丘が削られて道が作られている。
撮影日2016/11/13

5号墳の墳丘
奥の木立の所が、1号墳
撮影日2016/11/13

1号墳から4号墳は、範囲確認調査が行われた。   

 三木1号墳   長辺18.5m、短辺14.5mの方墳
5号墳の南東に位置している。北西辺は5号墳周溝と共有しているようだ。
北東辺、南西辺は、山の斜面に続く。南東辺は2号墳と接している。

1号墳 墳丘
この奥に2号墳がある。
撮影日2016/11/13

南西から見た1号墳
左手前は5号墳発掘現場

撮影日2016/11/13
 三木2号墳    径約15mの円墳
 南東側には、3号墳の境界となる溝が確認されている。

2号墳

撮影日2016/11/13
 三木3号墳  径約15mの円墳
 北西側は、2号墳との境界となる溝が確認されている。
 墳丘の3分の1くらいが流出している。



3号墳  北から見る

撮影日2016/11/13
 三木4号墳   径約10mの円墳
 北西側・南東側に幅3mほどの溝が確認されている。
 人工的な損壊があるようなので、
  明治時代に金環等が出土したという「上皇古墳」、
  あるいは 昭和戦後に調査を行なった痕跡の可能性がある。



4号墳

小さな墳丘

撮影日2016/11/13

三ツ地区にある古墳群

錦町古墳群 径20mの円墳ほか1基
三ツ町A古墳群 1号墳・・・径10m・高さ1.5mの円墳
2号墳・・・径18.5m・高さ2.5mの円墳
3号墳・・・径21.2m・高さ3mの円墳
          (南側周溝遺存良好)
三ツ町B古墳群 方墳3〜4基
三木古墳群 1号墳・・・方墳
2号墳・・・円墳
3号墳・・・円墳
4号墳・・・円墳
5号墳・・・円墳
岩城の尾古墳 円墳?


 三ツ町古墳群・三木古墳群・岩城の尾古墳のページ

行基塚 加賀市片山津温泉
撮影日2020/9/30

いしかわ文化財ナビには
片山津温泉の「湯快リゾート片山津温泉」のすぐ北に「行基塚」と「楊柳山古墳」の印がある。
車道沿いに階段があり、鬱蒼とした林の中に入ってみると、大きな墳丘があった。

行基塚の地図g



階段を登り切ったところに墳丘

北側から見る

行基塚 大きな墳丘 南から見る

墳丘上の、「行基塚」と書かれた標柱
半分、消えかかっている。

いしかわ文化財ナビでは、
 「行基塚」は、封土消滅、
 「楊柳山古墳」は、2段築成の大形円墳(径28m・高さ6m)葺石あり となっているが、
 行基塚イコール楊柳山古墳ではないのか???

行基塚には、駐車スペースが無いので、片山津温泉総湯の駐車場に駐車した。
総湯の2階には、まちカフェがある。

まちカフェ ランチ

コーヒー付きで、1000円(税別)!

柴山潟には、浮御堂がある。

浮御堂
柴山潟の中に造られた珍しい浮御堂。
湖岸から浮橋で結ばれており、
 「うきうき弁天」の名前で親しまれている。
片山津には湖を荒らしていたおろちを、お薬師様がつかわした弁天様が鎮めたという伝説があり、
 その話にちなんで龍神と弁天様が祀られている。
お堂の背後には巨大な噴水施設があり、
 浮橋は夜になると足元がライトアップされ幻想的な風景を演出している。

近くには、無料の足湯もあります!

片山津古墳群 加賀市片山津温泉
撮影日2020/9/30

片山津神社の背後の林に片山津古墳群が4基あるという。
ちょっと山に入ってみたけど、分からなかった。



片山津神社


  

能美ふるさとミュージアム開館
和田山古墳群
寺井町和田山
撮影日2020/10/20

2020年10月17日に、能美ふるさとミュージアムが開館した。
3日後の10月20に見学に行った。
館内は撮影禁止。

 「能美ふるさとミュージアム」 パンフレットと入館券

右端の中央が、入館券

国指定史跡・能美古墳群の出土品が多く展示されている。
かなり豊富な資料が展示されていた。
館内の照明の暗さと、文字の小ささが気になったが、見学の価値は十分あった。

ほかに県指定文化財「絹本著色白山曼荼羅図」、「電化製品が広まる前の暮らし」、
「能美電が走っていた時代」、「能き美しき能美の自然」など、テーマ別に展示されている。

能美ふるさとミュージアムの横から和田山古墳群への上り道かある。
天気もいいので、久しぶりに和田山を見学しようかな!

和田山古墳群のページ

和田山13号墳
径12mの円墳
和田山6号墳(石塚)
径28mの円墳

切石積式横穴式石室がある。
和田山4号墳
径18.5m〜19mの円墳
和田山22号墳
径14mの円墳


大甕が出土した。
和田山7号墳
墳形不明
和田山12号墳  
長径20.5m、短径18.5mの円墳
和田山23号墳(杯塚)
径22mの円墳


刻字のある須恵器2点が出土した。
和田山3号墳
径35.5mの円墳

 群中、最も大きな円墳
和田山2号墳(鏡塚)
長径19m短径18mの円墳

鏡が出土した。
和田山1号墳(鈴塚)
径24mの円墳

六鈴鏡が出土した。
和田山24号墳
長径14m、短径13mの円墳
和田山8号墳
墳形不明

和田山城として利用されていた。
和田山9号墳(義盛塚)
長辺26m、短辺22mの方墳

和田山城の櫓台となっていた。
和田山14号墳(跡)
1辺13mの方形周溝墓

和田山最初の古墳といえる。

  

和田山端から見た
能美ふるさとミュージアム

   

 

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