北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2017/4/4
小松市 埋文市民講座と古墳 |
2017/2/19・24 | |
小松市埋文・市民講座「加賀国府を考える」part5 |
小松市白江町 |
講師の大橋康夫氏は、現在島根大学法文学部の教授をなさっている方である。
ご自身が関わった武蔵国府・国分寺や出雲国府・国分寺を例に挙げながら、
加賀国府・国分寺の位置の可能性についてのお話を聞かせていただいた。
現在十九堂山遺跡が加賀国分寺推定地で、瓦も出土しているが、量が少ない。
豪雪地帯なので、瓦葺きの屋根が一部しかなかったのではないか?
国分寺の敷地は、かなりの面積を必要とするが、十九堂山の面積で足りるのか?
昨年も十九堂山遺跡に行って来たが、今回もう一度、行ってみる・・・・
十九堂山遺跡
昨年の写真
周りより一段高くなっているので、国府や国分寺の立地にはぴったりかもしれないが、
遺跡を実際に歩いてみると、やはり国分寺の敷地にしては狭いような気がする・・・
十九堂山遺跡には、国分寺のお墓がある・・・・
今後の調査を待つしかないかなと思います。
会場の展示 | ||||||
昭和29~30年当時の新聞記事の展示 「昭和29年に旧国府村の十九堂山遺跡が国分寺候補として試掘調査されたことが発端となり、 旧中海村との間で争奪戦が繰り広げられた。 古代寺院の集中する加賀市も参戦し、 国分寺研究の第一人者、石田茂作博士を巻き込んだ調査合戦となった。」 昭和32年11月の新聞記事では、加賀国分寺は、小松市の国府に断定となっている・・・。 |
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旧国府村(小松市河田町周辺)出土の瓦
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旧中海村(小松市軽海町周辺)出土の瓦
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小松市二ツ梨町・戸津町周辺出土の瓦
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出土したものが少なすぎて、なかなか確定には至らない・・・。
詳しくは、加賀国府を考えるのページをご覧ください。
小松市国府地区の遺跡
「加賀国府を訪ねる」パンフから引用
黄色い部分が加賀国府推定地
講座のあった第一地区コミュニティセンターから、白山がよく見えたので、写真を撮った。
白山!!
安宅大塚古墳 | 小松市安宅 撮影日2017/2/19 |
埋文の講座の前にちょっと寄り道。安宅の南西にある防砂林の中に、古墳がある。
砂丘地なので、残っているのかどうか心配だったが、大きな墳丘を見ることができた。
安宅大塚古墳は 径30m・高さ4mの円墳。 葺石あり | |
西から見た墳丘 |
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南西から見た墳丘 ふもとからだと径50mを超えるかと思うが、 径30mの円墳だというから、上の方だけかな |
詳細不明・・・
三湖台古墳群 | 小松市 撮影日2017/2/24 |
加賀三湖(木場潟・今江潟・柴山潟)に囲まれた洪積台地は三湖台と呼ばれ、多くの古墳が造られた。
現在は今江潟は全部埋め立てられ、柴山潟も半分埋め立てられ、古墳もほとんど残っていない。
前方後円墳は御幸塚と臼のほぞ古墳しか残っていない。
御幸塚古墳・臼のほぞ古墳・矢田新満留山古墳(円墳)は以前に見学している。
矢田野エジリ古墳は、跡地に説明板が立つ。
調べていたら、三湖台古墳群の左(衛)門殿古墳と茶臼山古墳が残っているようなので探しに行く。
古墳跡地も散策。
三湖台古墳 配置図
以前のものは間違っている所があったので、一新しました。
(フォーラム「古墳時代後期の江沼と三湖台古墳群」(2007/9/16)
主催 小松市教育委員会埋蔵文化財調査室
の資料から作成した)
三湖台古墳群は、
現在確認されている古墳で、
前方後円墳が8基、円墳が約40基。
開発が早期に進み、
確認されずに消失した古墳も多いと判断されていて、
全体では100基を超える古墳群だったと予想されている。
古墳名称 | 形・大きさ | 埋葬施設 | 時期 | 出土品 | その他 | ||
① | 御幸塚古墳 | 前方後円墳・全長30m | 不明 | 5世紀末 | 指輪・須恵器・直刀 | 後円部一部破壊 | |
② | 土百古墳 | 円墳・径10m | 不明 | 6世紀前半 | 管玉 | 消滅 | |
③ | 狐山古墳 | 円墳 | 切石組合石棺? | 不明 | 消滅 | ||
④ | 矢崎B古墳 | 円墳 | 切石積横穴式石室 | 不明 | 馬具・金環 | 消滅 | |
⑤ | 符津石山古墳 | 円墳 | 切石積横穴式石室 | 6世紀後葉 | 須恵器・直刀・金環 | 消滅 | |
⑥ | 臼のほぞ古墳 | 前方後円墳・全長52m | 不明 | 6世紀中葉 | 主体部・墳頂部破壊 | ||
⑦ | 左(衛)門殿古墳 | 円墳 | 不明 | 不明 | 大部分削平 | ||
⑧ | 茶臼山古墳 | 円墳・径28m 二段築成 |
不明 | 不明 | 須恵器 | 主体部破壊 | |
⑨ | 箕輪塚古墳 | 前方後円墳・全長40m | 主体部不明。 副室に横穴式木室 |
6世紀前葉 | 須恵器・管玉・臼玉・鉄鏃他 | 消滅 | |
⑩ | 矢田野エジリ古墳 | 前方後円墳・全長30m | 不明 | 6世紀Ⅱ | 埴輪・須恵器 | 消滅 痕跡残 | |
⑪ | 念仏塚古墳 | 円墳 | 不明 | 不明 | 消滅 | ||
⑫ | 念仏林古墳 | 円墳 | 横穴式木室 | 6世紀前葉とⅣ | 須恵器・直刀・鉄斧・金環 | 消滅 | |
⑬ | 借屋古墳群 | 前方後円墳3基・円墳13基 群中最大は、7号墳は全長35mの前方後円墳 | |||||
⑭ | 矢田野古墳群 | 前方後円墳1基・円墳3基 | |||||
1号墳 | 円墳 | 不明 | 不明 | 消滅 | |||
2号墳 | 円墳・径9m | 不明 | 6世紀後葉 | 須恵器 | |||
3号墳 | 円墳・径12m | 不明 | 不明 | ||||
4号墳 | 前方後円墳・ 全長25m |
不明 | 6世紀中葉 | 須恵器・埴輪 | |||
⑮ | 百人塚古墳 | 円墳・径11m | 不明 | 6世紀後葉 | 須恵器 | ||
⑯ | 無名古墳群 | 円墳10基? | 横穴式木室? | 不明 | 消滅 | ||
⑰ | 狐森古墳 | 円墳 | 家形石棺? | 6世紀後葉 | 須恵器・刀 | 消滅 | |
⑱ | 矢田新丸山古墳 | 円墳 | 自然石横穴式石室 家形石棺 |
6世紀末? | 墳丘裾・主体部破壊 | ||
⑲ | 中村古墳 | 円墳 | 切石積横穴式石室 | 6世紀中葉 | 須恵器・金環 | 消滅 | |
⑳ | 興宗寺古墳 | ||||||
21 | 符津C1・C2古墳 |
消滅となっている古墳の痕跡探し
④ 矢崎B古墳の辺り 矢崎B古墳は、円墳 切石積横穴式石室があった 馬具・金環が出土 消滅 |
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⑤ 符津石山古墳のあたり 符津石山古墳は、円墳 切石積横穴式石室があった。 6世紀後葉の築造と推定されている。 須恵器・直刀・金環などが出土 消滅 |
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⑨ 箕輪塚古墳のあたり 箕輪塚古墳は、全長40mの前方後円墳 主体部不明。 くびれ部に横穴式木室がある。 須恵器・管玉・臼玉・鉄鏃などが出土。 6世紀前葉の築造と推定されている。 消滅 |
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⑰ 狐森古墳のあたり
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⑳ 興宗寺古墳 興宗寺というお寺があるが、古墳のデータは不明
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矢田借屋古墳群
矢田野古墳群
百人塚古墳 の配置図
(フォーラム「古墳時代後期の江沼と三湖台古墳群」(2007/9/16)
主催 小松市教育委員会埋蔵文化財調査室
の資料から作成した)
すべて消滅か・・・・
矢田借屋古墳群 | 前方後円墳3基・円墳13基 | |||||
古墳名称 | 形・大きさ | 埋葬施設 | 時期 | 出土品 | ||
1号墳 | 円墳・径10m | 不明 | 不明 | |||
2号墳 | 円墳・径9m | 横穴式木室 | 不明 | 鉄鏃・刀子・直刀 | ||
3号墳 | 円墳・径10m | 不明 | 不明 | |||
4号墳 | 円墳・径13m | 横穴式木室 | 6世紀前葉 | 須恵器・埴輪・玉類 | ||
5号墳 | 円墳・径10m | 不明 | 不明 | |||
6号墳 | 円墳・径12m | 不明 | 不明 | |||
7号墳 | 前方後円墳・全長35m | 河原石使用 横穴系墓室 |
6世紀前葉 | 埴輪・須恵器・直刀・刀子・鉄鏃等 | ||
8号墳 | 前方後円墳・全長30m | 不明 | 6世紀前葉 | 須恵器・埴輪・銀環 | ||
9号墳 | 円墳・径12.5m | 横穴式木室 | 6世紀Ⅲ | 須恵器・埴輪・刀子・鉄鏃・玉類 | ||
10号墳 | 円墳・径10.5m | 不明 | 6世紀Ⅱ | 須恵器 | ||
11号墳 | 円墳・径12.2m | 横穴式木室 | 6世紀Ⅳ | 須恵器 | ||
12号墳 | 前方後円墳・全長28m | 不明 | 6世紀Ⅲ | 須恵器・埴輪 | ||
13号墳 | 円墳 | 不明 | 不明 | |||
14号墳 | 円墳・径7.5m | 不明 | 6世紀後半 | 須恵器 | ||
15号墳 | 円墳・径9.5m | 不明 | 6世紀後葉 | 須恵器 | ||
16号墳 | 円墳・径9.7m | 横穴式木室 | 6世紀中葉 | 須恵器・管玉 | ||
17号墳 | 円墳・径10.3m | 不明 | 6世紀中葉 | 須恵器 | ||
18号墳 | 円墳 | 不明 | 6世紀後葉 | 須恵器 |
横穴式木室とは
木柱や板材で墓室の骨組みを作り、壁や天井を粘土で被覆して墓室を形成するもの。
矢田野古墳群 | 前方後円墳1基・円墳3基 | |||||
古墳名称 | 形・大きさ | 埋葬施設 | 時期 | 出土品 | ||
1号墳 | 円墳 | 不明 | 不明 | |||
2号墳 | 円墳・径9m | 不明 | 6世紀後葉 | 須恵器 | ||
3号墳 | 円墳・径12m | 不明 | 不明 | |||
4号墳 | 前方後円墳・全長25m | 不明 | 6世紀中葉 | 須恵器・埴輪 |
⑬ 矢田借屋古墳群のあたり 矢田借屋古墳群の1~8号墳のあった所は、 現在、こまつ太陽光発電所となっている。 |
⑭ 矢田野古墳群のあたり 矢田野古墳群は、前方後円墳1基・円墳3基 |
⑮ 百人塚古墳のあたり 百人塚古墳は 径11mの円墳 須恵器が出土。 6世紀後葉の築造と推定されている。 消滅・・・・・ |
⑦ 左(衛)門殿古墳 三湖台古墳群 |
小松市月津町 撮影日2017/2/24 |
さて、残っている古墳です。
左門殿古墳となっている資料もあるが、左衛門殿古墳とするものもある。
現在、墳丘は「左門殿」の塚となっている。
左門殿古墳は、円墳と考えられているが、大きさや埋葬施設は不明、大部分が削平されている。 | |
見晴らしの良い 台地にある墓地の中にある。 |
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「瀧川玄蕃左門殿碑」 と刻まれた石碑の後ろに小さな墳丘 石碑の下部には説明も刻まれている。 説明文は読みにくくなっているが、 「瀧川玄蕃左門は、前田利政に仕えていたが、利政が隠棲してしまったので、額見に来て閑居する。 額見町の気多御子神社の社守となり、誠意神明に奉仕する。 後、大阪冬の陣夏の陣に、加賀藩三代藩主前田利常の先鋒となり、馬廻り役を勤め、元和元年戦死する。」 などと刻まれている。 (説明石碑から抜粋) |
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方向を変えて見る |
後から見る |
現状は径5mほどの墳丘だ。
「瀧川玄蕃左門」で、インターネット検索したところ、まんが日本昔ばなしの「草かり亀」が出てきた!
瀧川玄蕃左門が社守をしていたという額見町の気多御子神社の境内には、雑草が生えないという伝承があるという。
「草かり亀」 |
延宝年間、社守の六兵衛が淵に入って禊をしていると、 淵に住む大亀が出現し、襲ってきたので捕えて殺そうとすると、 大亀は、末代まで境内の草を取り除く事を約束したので放免にした。 |
気多御子神社は瀧川玄蕃左門の子孫が代々社守をしていて、
昔ばなしに出てくる六兵衛さんは、四代目子孫の「瀧川六兵衛」さんだそうだ。
⑧ 茶臼山古墳 三湖台古墳群 |
小松市月津町 撮影日2017/2/24 |
左(衛)門殿古墳の南約150mの森の中に大きな古墳が残っている。
付近では一番高いところにある。・・・といっても標高20mくらいかな。
茶臼山古墳は 径28mの円墳 二段築成 埋葬施設は不明 築造時期も不明 須恵器が出土している。 主体部が破壊されている。 |
茶臼山古墳 大きな墳丘 周溝の跡も確認できる |
墳頂は、ざっくりと 大穴が開いている!! 主体部破壊!! 穴の深さは1mほどあるので、 埋葬施設は 完全に破壊されていると思う。 |
安宅大塚古墳と茶臼山古墳の大きな墳丘を見られて大満足!!