北村さんちの遺跡めぐり
2010/6/25

金沢市の遺跡めぐり


地図g


上荒屋遺跡
上荒屋史跡公園

金沢市上荒屋
(撮影日2010/3/12)

現在、住宅地の中のグラントゴルフ場となっている。
1987年から5年間かけて発掘調査。
弥生・古墳・奈良・平安・鎌倉の各時代に及ぶ生活跡が見つかった。
特に奈良〜平安時代の荘園跡が発掘された。
庄屋と付属する工房や船着場などとともに墨書土器・木簡の豊富な資料が出土。
その一部を再現して保存。



東庄(ヒガシノショウ) 庄家復元建物
荘園を経営する施設の中心的掘立柱建物を推定復元したもの。
(2×5間西庇1間付・面積約100u)

建物は東大寺横江庄の庄所の庄家で、発掘調査で柱穴(杉柱)及びその配置が確認されている。
庄家は米等の物質の集積・搬送のため運河付近に配置される(9世紀中葉のもの)。

綾庄 庄家の復元遺構
東大寺領となる以前、8世紀末〜9世紀初頭の綾庄庄家の建物群
綾庄は4棟が柱筋をそろえて2棟ずつ平行に配置されている。
母屋は桁行6間(10.5m)梁行3間(2間+西庇1間 7.4m)の大型建物

詳細は不明だが
地面に穴を掘り柱を立てる掘立柱建物である。


運河跡
荘園経営における物資の船運に伴い開削された溝。
8世紀後半〜13世紀ごろの遺物が多く出土。
深さ約2m・幅8m。
運河機能は9世紀後半までで、船着場状の遺構を伴う。
1000点を越す多様な墨書土器「東庄」約400点)や付札木簡を含む57点の木簡、斎串(ユグシ)・人形等の木製祭祀具等
が出土している。

すぐ近くには横江荘遺跡があるが、この遺跡と共通するものではないのか。
横江荘遺跡のページ

神谷内古墳群

金沢市神谷内
(撮影日2010/4/6)

石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」に載っている古墳の探索に行く。
昭和54年の発行で、30才になる我が長男と同じ年月を重ねている本。
当時と現在とでは、ずいぶん地形が変わっている。
道路が増えて、古墳が消滅していることも多いようだ。

市史金沢8「金沢における出現期古墳の一様相・平成12年度神谷内古墳群の調査から」
というのも見つけた。

山側環状線の神谷内トンネルと月浦トンネルの間の南側のループ道路の突き当たりの道端に駐車。
そこには山に続くと見られる遊歩道がある。



右下から崖っぷちに沿って遊歩道がある。

ここを登れば古墳に着くような気がして登る・・・・・・登る・・・・・・。
本当に古墳に着いた。
この場所は10年ほど前発掘調査された神谷内古墳群C群の12号墳だと思われる。
古墳が残っていることと、古墳に到る立派な遊歩道が作られていることに感動。すごい!
登り口に案内板があれば言うことない。

山側環状線の工事前に発掘調査して、古墳を削平するつもりだったのが、思いとどまり、
古墳のギリギリのところまで山を崩したという感じだ。
配置図では
12号墳の西に18号墳、その東に13号墳で、
13号墳の東側にはしばらく古墳がないようだが、
歩いてみると、尾根上に古墳状の隆起が続いているように見える。
古墳と確認されていないのかなあ。



12号墳・後円部から前方部を見る
全長28mの定形化前の前方後円墳







18号墳
12号墳と13号墳の間にある小さな方墳




13号墳
方墳





13号墳の東に続く古墳

このような古墳状の隆起が3、4基ほど確認できるがよく分からない




神谷内古墳群配置図

神谷内古墳群の最初の発見は昭和47年で、
15基確認された。
詳細は不明だが
A支群は、2基の円墳と1基の方墳
B支群は、3基の円墳と5基の方墳
C支群は調査前には、3基の円墳と1基の方墳が確認されていた。

発掘調査されたC支群は通称「チャウス」と呼ばれる標高66mの尾根にあり、古墳群最大の12号墳がある。

配置図と記事の内容が合わないような気がするがそのまま記す。
平成12・13年度に、C支群の12・13号墳付近の発掘調査がされた。
調査の結果、この2基以外に3基、16・17・18号墳が新たに発見された。
平安時代の火葬土坑と考えられる遺構や土器も確認された。
参考文献は
    市史金沢8{金沢における出現期古墳の一様相・平成12年度神谷内古墳群の調査から」
    金沢市史
    石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」

1号墳 方墳 16×12m・高さ2m
2号墳 円墳 径14m・高さ2.5m
3号墳 円墳 径15m・高さ2m
4号墳 方墳 15×12m・高さ2m
5号墳 方墳 10×15m・高さ2m
6号墳 円墳 径25m・高さ4m
7号墳 方墳 一辺15m・高さ1.5m
8号墳 方墳 一辺15〜20m・高さ2.6m
9号墳 円墳? 径10m・高さ2〜3m
10号墳 円墳 径15〜20m・高さ2〜3m
11号墳 方墳 一辺10m・高さ1.5m
12号墳 張り出し付円墳 全長28m・径22m・高さ4m 発掘調査
13号墳 方墳 10×20m・高さ2〜3m
14号墳 円墳 径15m・高さ2m
15号墳 円墳 径15m・高さ2m
16号墳 方墳 一辺12m 発掘調査
17号墳 方墳 一辺12m・高さ2.5m 発掘調査
18号墳 方墳 一辺6m 発掘調査

発掘調査された古墳の内容

12号墳  細長く伸びた尾根の先にある。
 尾根先の前方部西側は尾根を断ち切るように溝を掘り16号墳と接し、
 東側は18号墳の周溝と接している。
 全長28m、径22m・高さ4mの円墳に西側に6×7mの張り出し(前方部)がつく
 定形化前の前方後円墳
 周溝はない。
 墳頂部は8〜10mの平坦面があったと推定される。
 墳頂部の埋葬施設は2度の盗掘を受けている。
 盗掘坑から管玉2が出土
 盗掘坑の東に半分以上破壊された主体部が確認
 主体部は幅1.2m・長さ不明で 箱形木棺と推定されている。
 もう一つ主体部があった可能性がある。
 内行花文鏡・鉄斧・刀子が出土
 前方部周辺からは祭祀に使われたと考えられる土器・壺・高杯・器台が出土
 前方部やその付近に土坑墓4基が確認(ホケノ山古墳)
 土坑墓1基からガラスの小玉が出土
16号墳  一辺12mの方墳
 主体部は残っていなかった。
 刀子片1が出土
17号墳  一辺12m・高さ2.5mの方墳
 主体部南北3.6m幅1mに幅0.9m長さ2.5mの箱形木棺が埋葬されていたと推定
 刀・鉄鏃・鉄斧・刀子・鉋・翡翠勾玉・ガラス製小玉9が出土
18号墳  一辺6mの方墳
 墳丘流出の堆積層から小型の鏡1と碧玉製管玉1が出土

16号墳との境溝から土器や石製品が出土
4世紀前半第1四半期ごろの築造と推定されている。

C群見学の後、その北にあるB群そばの道路を走ってみた。
道路の南側に1基だけ確認できた。

ヤフー地図情報では、2010年5月現在、
神谷内古墳群の発掘時の航空写真が見られます。

金沢市北部には
まだ他にも古墳群があるので、見学できたら、地図に追加していきたい。

石川考古学研究会会誌・第13号(昭和45年発行)
  「金沢市小坂第1号墳の調査」というのもある。

観法寺古墳群

金沢市観法寺町
(撮影日2010/4/16)

石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」に載っている古墳の見学が続く。
2000年9月に観法寺古墳群の現説に行った。
10年経ち、この場所がどうなっているかを見に行く。
観法寺古墳群のページに書かれている通り
観法寺古墳群のA支群は山側環状道路により削平されている。
老人ホームの裏に、山に登る階段があるので上ってみたが、
やはり古墳のあった部分はもうないと思われる。


観法寺古墳群A支群のあった山

カメラのレンズに雨が降る
B支群は丘陵尾根にあるからそのまま残っているのだろうな。

観法寺古墳群と岩出古墳群の配置図

調査され消滅したA支群データ
1号墓 一辺20mの方形周溝墓
平野部側に張り出しがある
埋葬部は3基(木棺)
2号墓 20×17mの方形周溝墓
平野部側に張り出しがある
埋葬部は1基(木棺)
B支群データ
3号墳 一辺10m・高さ2mの方墳
墳頂部平坦面広い
4号墳 一辺14m・高さ2mの方墳
墳頂部平坦面広い
5号墳 一辺15m・高さ2mの方墳
墳頂部平坦面広い

岩出古墳群

金沢市観法寺町
(撮影日2010/4/16)

石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」に載っている古墳の探索が続く。
岩出古墳群のある山は、独立丘陵のようになっているが、
元は観法寺古墳群と同じ山の南側の支尾根のようだ。

岩出古墳群
北東から

南北に引き伸びた山

真ん中辺りから山に登る山道がついていて除草がなされている。
登り口の横に小さな横穴を見つける。


横穴・その1
岩出古墳群の周辺の斜面は横穴古墳の群集地帯でもある。

小さな入口の横穴だが、中は思ったより広い。


横穴・その1の内部
ゴミ置き場になっている。


山の南の端に立派な円墳。

岩出1号墳 
 径17.5m・高さ3mの円墳
円墳の南側は削られて断崖になっている。
古墳群だが、現在はこの1基しか残っていない。
この山の北側は墓だったようだ。
まだいくつか墓が残っている。
墓石には「天保」「亨保」 「寛政」などの文字が刻まれている。
え!江戸時代のお墓なの?
一番新しいのは「昭和42年」と刻まれた墓石。
無縁仏になったものなのだろうか。

山をおりて南の崖に行ってみたら、崖の斜面に大きな横穴。

横穴その2

私有地になっているのでのぞくわけには行かないが、
のぞきたい!
この上に1号墳がある。
岩出古墳群というが、地名は観法寺町らしい。
岩出1号墳を観法寺古墳と書いているものもある。

満願寺山古墳群

金沢市窪
(撮影日2010/4/6)

石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」に載っている古墳の探索が続く。
九万坊権現前に駐車


九万坊権現 正面





九万坊権現 本殿

九万坊尊が祀られている





本殿の後に、合計400段以上の石段が、
標高176mの山頂まで続いている。


以前は近くの高校の運動部のトレーニングの場所だったらしいが、
現在石段や手すりが危なくなっていて立ち入り禁止となっている。
一部ブルーシートのかかっているところがある。
自己責任でこの石段を登った。頂上まで続く石段に感動!
山頂付近に、3基の方墳が確認されている。


山頂が1号墳で、
小さなお堂(奥の院?)がある。







満願寺山古墳群配置図



1号墳 23×14m・高さ1.5mの方墳 2基と考えると14mと8m
前方後方墳とすると全長23m・後方部一辺14m
2号墳 一辺16m・高さ0.5mの方墳 1号墳との間に周溝がある。
3号墳 一辺14m・高さ1mの方墳 背後に周溝がある。


満願寺山1号墳の墳丘






満願寺山1号墳の前方部側から
後方部を見る







満願寺山2号墳の墳丘
この奥の下ったところに3号墳がある。

2号墳と3号墳の間には一辺5mの方形の突出部がある。


3号墳の写真は撮れなかった。
1号墳で採集された甕形土器は、古墳時代初頭のものと推定されている。
高地性集落と古墳群が重複している
中世の城郭とも重複している

「九万坊権現」の隣にかつて満願寺があったという。
満願寺というお寺は現在は存在しない。
「九萬坊大権現」というのは、また別で、
満願寺の東南の三小牛町の薬王寺の正式名称が「黒壁山薬王寺九萬坊大権現」という。

金沢市の地図y

満願寺古墳群の西の野田山付近には長坂古墳群がある。
野田山山頂にある野田三角点古墳は
 径42m・高さ2〜3mの円墳で、
 以前見に行ったときは果樹園になっていた。

野田山山麓には長坂二子塚古墳・長坂2号墳があった。(消滅)
長坂二子塚古墳は
 全長50m・後円部径29m・前方部幅23mの前方後円墳で、
 刀子・勾玉2管玉11が出土
 周溝から多量の埴輪が出土
 主体部は粘土槨と推定された。
長坂2号墳は
 一辺17.5mの方墳

長坂二子塚古墳が残っていれば、金沢市の代表的な遺跡となっただろう。


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