北村さんちの遺跡めぐり
2010/6/25
金沢市の遺跡めぐり |
上荒屋遺跡 |
現在、住宅地の中のグラントゴルフ場となっている。
1987年から5年間かけて発掘調査。
弥生・古墳・奈良・平安・鎌倉の各時代に及ぶ生活跡が見つかった。
特に奈良〜平安時代の荘園跡が発掘された。
庄屋と付属する工房や船着場などとともに墨書土器・木簡の豊富な資料が出土。
その一部を再現して保存。
東庄(ヒガシノショウ) 庄家復元建物
荘園を経営する施設の中心的掘立柱建物を推定復元したもの。
(2×5間西庇1間付・面積約100u)
建物は東大寺横江庄の庄所の庄家で、発掘調査で柱穴(杉柱)及びその配置が確認されている。
庄家は米等の物質の集積・搬送のため運河付近に配置される(9世紀中葉のもの)。
綾庄 庄家の復元遺構
東大寺領となる以前、8世紀末〜9世紀初頭の綾庄庄家の建物群。
綾庄は4棟が柱筋をそろえて2棟ずつ平行に配置されている。
母屋は桁行6間(10.5m)梁行3間(2間+西庇1間 7.4m)の大型建物
詳細は不明だが
地面に穴を掘り柱を立てる掘立柱建物である。
運河跡
荘園経営における物資の船運に伴い開削された溝。
8世紀後半〜13世紀ごろの遺物が多く出土。
深さ約2m・幅8m。
運河機能は9世紀後半までで、船着場状の遺構を伴う。
1000点を越す多様な墨書土器「東庄」約400点)や付札木簡を含む57点の木簡、斎串(ユグシ)・人形等の木製祭祀具等
が出土している。
すぐ近くには横江荘遺跡があるが、この遺跡と共通するものではないのか。
横江荘遺跡のページ
神谷内古墳群 |
金沢市神谷内 |
石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」に載っている古墳の探索に行く。
昭和54年の発行で、30才になる我が長男と同じ年月を重ねている本。
当時と現在とでは、ずいぶん地形が変わっている。
道路が増えて、古墳が消滅していることも多いようだ。
市史金沢8「金沢における出現期古墳の一様相・平成12年度神谷内古墳群の調査から」
というのも見つけた。
山側環状線の神谷内トンネルと月浦トンネルの間の南側のループ道路の突き当たりの道端に駐車。
そこには山に続くと見られる遊歩道がある。
右下から崖っぷちに沿って遊歩道がある。
ここを登れば古墳に着くような気がして登る・・・・・・登る・・・・・・。
本当に古墳に着いた。
この場所は10年ほど前発掘調査された神谷内古墳群C群の12号墳だと思われる。
古墳が残っていることと、古墳に到る立派な遊歩道が作られていることに感動。すごい!
登り口に案内板があれば言うことない。
山側環状線の工事前に発掘調査して、古墳を削平するつもりだったのが、思いとどまり、
古墳のギリギリのところまで山を崩したという感じだ。
配置図では
12号墳の西に18号墳、その東に13号墳で、
13号墳の東側にはしばらく古墳がないようだが、
歩いてみると、尾根上に古墳状の隆起が続いているように見える。
古墳と確認されていないのかなあ。
12号墳・後円部から前方部を見る
全長28mの定形化前の前方後円墳
18号墳
12号墳と13号墳の間にある小さな方墳
13号墳
方墳
13号墳の東に続く古墳
このような古墳状の隆起が3、4基ほど確認できるがよく分からない
神谷内古墳群配置図
神谷内古墳群の最初の発見は昭和47年で、
15基確認された。
詳細は不明だが
A支群は、2基の円墳と1基の方墳
B支群は、3基の円墳と5基の方墳
C支群は調査前には、3基の円墳と1基の方墳が確認されていた。
発掘調査されたC支群は通称「チャウス」と呼ばれる標高66mの尾根にあり、古墳群最大の12号墳がある。
配置図と記事の内容が合わないような気がするがそのまま記す。
平成12・13年度に、C支群の12・13号墳付近の発掘調査がされた。
調査の結果、この2基以外に3基、16・17・18号墳が新たに発見された。
平安時代の火葬土坑と考えられる遺構や土器も確認された。
参考文献は
市史金沢8{金沢における出現期古墳の一様相・平成12年度神谷内古墳群の調査から」
金沢市史
石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」
1号墳 | 方墳 | 16×12m・高さ2m | |
2号墳 | 円墳 | 径14m・高さ2.5m | |
3号墳 | 円墳 | 径15m・高さ2m | |
4号墳 | 方墳 | 15×12m・高さ2m | |
5号墳 | 方墳 | 10×15m・高さ2m | |
6号墳 | 円墳 | 径25m・高さ4m | |
7号墳 | 方墳 | 一辺15m・高さ1.5m | |
8号墳 | 方墳 | 一辺15〜20m・高さ2.6m | |
9号墳 | 円墳? | 径10m・高さ2〜3m | |
10号墳 | 円墳 | 径15〜20m・高さ2〜3m | |
11号墳 | 方墳 | 一辺10m・高さ1.5m | |
12号墳 | 張り出し付円墳 | 全長28m・径22m・高さ4m | 発掘調査 |
13号墳 | 方墳 | 10×20m・高さ2〜3m | |
14号墳 | 円墳 | 径15m・高さ2m | |
15号墳 | 円墳 | 径15m・高さ2m | |
16号墳 | 方墳 | 一辺12m | 発掘調査 |
17号墳 | 方墳 | 一辺12m・高さ2.5m | 発掘調査 |
18号墳 | 方墳 | 一辺6m | 発掘調査 |
発掘調査された古墳の内容
12号墳 | 細長く伸びた尾根の先にある。 尾根先の前方部西側は尾根を断ち切るように溝を掘り16号墳と接し、 東側は18号墳の周溝と接している。 全長28m、径22m・高さ4mの円墳に西側に6×7mの張り出し(前方部)がつく。 定形化前の前方後円墳 周溝はない。 墳頂部は8〜10mの平坦面があったと推定される。 墳頂部の埋葬施設は2度の盗掘を受けている。 盗掘坑から管玉2が出土 盗掘坑の東に半分以上破壊された主体部が確認 主体部は幅1.2m・長さ不明で 箱形木棺と推定されている。 もう一つ主体部があった可能性がある。 内行花文鏡・鉄斧・刀子が出土 前方部周辺からは祭祀に使われたと考えられる土器・壺・高杯・器台が出土 前方部やその付近に土坑墓4基が確認(ホケノ山古墳) 土坑墓1基からガラスの小玉が出土 |
16号墳 | 一辺12mの方墳 主体部は残っていなかった。 刀子片1が出土 |
17号墳 | 一辺12m・高さ2.5mの方墳 主体部南北3.6m幅1mに幅0.9m長さ2.5mの箱形木棺が埋葬されていたと推定 刀・鉄鏃・鉄斧・刀子・鉋・翡翠勾玉・ガラス製小玉9が出土 |
18号墳 | 一辺6mの方墳 墳丘流出の堆積層から小型の鏡1と碧玉製管玉1が出土 |
16号墳との境溝から土器や石製品が出土
4世紀前半第1四半期ごろの築造と推定されている。
C群見学の後、その北にあるB群そばの道路を走ってみた。
道路の南側に1基だけ確認できた。
ヤフー地図情報では、2010年5月現在、
神谷内古墳群の発掘時の航空写真が見られます。
金沢市北部には
まだ他にも古墳群があるので、見学できたら、地図に追加していきたい。
石川考古学研究会会誌・第13号(昭和45年発行)
「金沢市小坂第1号墳の調査」というのもある。
観法寺古墳群 |
金沢市観法寺町 |
石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」に載っている古墳の見学が続く。
2000年9月に観法寺古墳群の現説に行った。
10年経ち、この場所がどうなっているかを見に行く。
観法寺古墳群のページに書かれている通り
観法寺古墳群のA支群は山側環状道路により削平されている。
老人ホームの裏に、山に登る階段があるので上ってみたが、
やはり古墳のあった部分はもうないと思われる。
観法寺古墳群A支群のあった山
カメラのレンズに雨が降る
B支群は丘陵尾根にあるからそのまま残っているのだろうな。
観法寺古墳群と岩出古墳群の配置図
調査され消滅したA支群データ | |||
1号墓 | 一辺20mの方形周溝墓 平野部側に張り出しがある |
埋葬部は3基(木棺) | |
2号墓 | 20×17mの方形周溝墓 平野部側に張り出しがある |
埋葬部は1基(木棺) |
B支群データ | ||
3号墳 | 一辺10m・高さ2mの方墳 墳頂部平坦面広い |
|
4号墳 | 一辺14m・高さ2mの方墳 墳頂部平坦面広い |
|
5号墳 | 一辺15m・高さ2mの方墳 墳頂部平坦面広い |
岩出古墳群 |
金沢市観法寺町 |
石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」に載っている古墳の探索が続く。
岩出古墳群のある山は、独立丘陵のようになっているが、
元は観法寺古墳群と同じ山の南側の支尾根のようだ。
岩出古墳群
北東から
南北に引き伸びた山
真ん中辺りから山に登る山道がついていて除草がなされている。
登り口の横に小さな横穴を見つける。
横穴・その1
岩出古墳群の周辺の斜面は横穴古墳の群集地帯でもある。
小さな入口の横穴だが、中は思ったより広い。
横穴・その1の内部
ゴミ置き場になっている。
山の南の端に立派な円墳。
岩出1号墳
径17.5m・高さ3mの円墳。
円墳の南側は削られて断崖になっている。
古墳群だが、現在はこの1基しか残っていない。
この山の北側は墓だったようだ。
まだいくつか墓が残っている。
墓石には「天保」「亨保」 「寛政」などの文字が刻まれている。
え!江戸時代のお墓なの?
一番新しいのは「昭和42年」と刻まれた墓石。
無縁仏になったものなのだろうか。
山をおりて南の崖に行ってみたら、崖の斜面に大きな横穴。
横穴その2
私有地になっているのでのぞくわけには行かないが、
のぞきたい!
この上に1号墳がある。
岩出古墳群というが、地名は観法寺町らしい。
岩出1号墳を観法寺古墳と書いているものもある。
満願寺山古墳群 |
金沢市窪 |
石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」に載っている古墳の探索が続く。
九万坊権現前に駐車
九万坊権現 正面
九万坊権現 本殿
九万坊尊が祀られている
本殿の後に、合計400段以上の石段が、
標高176mの山頂まで続いている。
以前は近くの高校の運動部のトレーニングの場所だったらしいが、
現在石段や手すりが危なくなっていて立ち入り禁止となっている。
一部ブルーシートのかかっているところがある。
自己責任でこの石段を登った。頂上まで続く石段に感動!
山頂付近に、3基の方墳が確認されている。
山頂が1号墳で、
小さなお堂(奥の院?)がある。
満願寺山古墳群配置図
1号墳 | 23×14m・高さ1.5mの方墳 | 2基と考えると14mと8m 前方後方墳とすると全長23m・後方部一辺14m |
|
2号墳 | 一辺16m・高さ0.5mの方墳 | 1号墳との間に周溝がある。 | |
3号墳 | 一辺14m・高さ1mの方墳 | 背後に周溝がある。 |
満願寺山1号墳の墳丘
満願寺山1号墳の前方部側から
後方部を見る
満願寺山2号墳の墳丘
この奥の下ったところに3号墳がある。
2号墳と3号墳の間には一辺5mの方形の突出部がある。
3号墳の写真は撮れなかった。
1号墳で採集された甕形土器は、古墳時代初頭のものと推定されている。
高地性集落と古墳群が重複している
中世の城郭とも重複している
「九万坊権現」の隣にかつて満願寺があったという。
満願寺というお寺は現在は存在しない。
「九萬坊大権現」というのは、また別で、
満願寺の東南の三小牛町の薬王寺の正式名称が「黒壁山薬王寺九萬坊大権現」という。
金沢市の地図y
満願寺古墳群の西の野田山付近には長坂古墳群がある。
野田山山頂にある野田三角点古墳は
径42m・高さ2〜3mの円墳で、
以前見に行ったときは果樹園になっていた。
野田山山麓には長坂二子塚古墳・長坂2号墳があった。(消滅)
長坂二子塚古墳は
全長50m・後円部径29m・前方部幅23mの前方後円墳で、
刀子・勾玉2管玉11が出土
周溝から多量の埴輪が出土
主体部は粘土槨と推定された。
長坂2号墳は
一辺17.5mの方墳
長坂二子塚古墳が残っていれば、金沢市の代表的な遺跡となっただろう。