北村さんちの遺跡めぐり

金沢市   地図g    

観法寺古墳群
かんぽうじこふんぐん

金沢市観法寺町
(2000/9/16の現地説明会から )

2000年9月16日、観法寺古墳群の現地説明会に参加した。
金沢東部環状道路建設でここが消滅してしまうので、それに先立って発掘調査されたのだ。
森本地区の平野に張り出す標高60mほどの丘陵に位置する2基の古墳が調査され、
その結果この古墳は弥生時代の墳丘墓であることがわかった。
また、古墳時代より新しい時代の遺跡があることもわかった。


墳丘墓の模式図
大まかに四角く土を盛って丘を造り、周りに溝を掘る。

1号墓の埋葬施設
1号墓は20mほどの四角い墳丘墓
3つの埋葬施設
新しい時代の溝により破壊されており完全な形では残っていない。

2号墓の埋葬施設
2号墓の大きさは20×17m 高さ2m
3方向に溝
中央に3×2mの埋葬施設1つ
平野側には張り出し部分がある。
この張り出しは「前方後方墳」や「前方後円墳」と似たところがあって、
その変化をあらわすもの。

奈良・平安時代から鎌倉・室町時代の遺構もこの墳丘墓周辺に存在する。
日常生活に適さない地形上の遺構だということで、祭祀などが行なわれた特殊な遺跡と考えられている。

奈良時代 深く掘り込まれた溝と穴が見つかった。須恵器の坏や瓶が出土。
奈良時代後半
平安時代 1×1間の小さな建物跡と階段が見つかった。
土師器の碗や皿が見つかった。
平安時代後半
鎌倉時代 小規模な建物跡が2棟見つかった。
土師器の皿が出土

平安時代の階段を見たとき、とても感動してしまった。
平安人がその階段を上ったり下りたりしている姿が見えたような気がした。

石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」に載っている古墳の見学。
2000年9月に観法寺古墳群の現説に行った。
10年経ち、この場所がどうなっているかを見に行く。

観法寺古墳群のA支群は山側環状道路により削平されている。
老人ホームの裏に、山に登る階段があるので上ってみたが、
やはり古墳のあった部分はもうないと思われる。


観法寺古墳群A支群のあった山
   (撮影日2010/4/16)
カメラのレンズに雨が降る

B支群は丘陵尾根にあるからそのまま残っているのだろう。

観法寺古墳群と岩出古墳群の配置図

調査され消滅したA支群データ
1号墓 一辺20mの方形周溝墓
平野部側に張り出しがある
埋葬部は3基(木棺)
2号墓 20×17mの方形周溝墓
平野部側に張り出しがある
埋葬部は1基(木棺)
B支群データ
3号墳 一辺10m・高さ2mの方墳
墳頂部平坦面広い
4号墳 一辺14m・高さ2mの方墳
墳頂部平坦面広い
5号墳 一辺15m・高さ2mの方墳
墳頂部平坦面広い

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