北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/9/29
氷見の古墳その3
氷見市史から2015/5/3・6
氷見市の代表的な古墳は、柳田布尾山古墳だが、氷見市史には、氷見の古墳が詳しく掲載されている。
なんとたくさんあるのか!!
これを参考にして、氷見市の古墳探索へ・・・・・
5月の連休中、二日間、氷見市に通う。 その3です。
宇波安居寺古墳群 ウナミアンゴジコフングン |
氷見市宇波 撮影日 2015/5/6 |
農作業に行く御夫婦に、山の上り口をたずねるが、上り口は特にないといわれ、
3号墳の南ふもとあたりから、藪をかき分けよじ登る。
しかし、カメラトラブルで、10枚ほどの写真が消失・・・・・ もう一度、登ろうか?止めようか?思案中・・・・
宇波安居寺古墳群 配置図
(氷見市史より作成)
古墳番号 | 形 | 大きさ | 高さ |
1号墳 | 円墳 | 径29m | 3〜3.5m |
2号墳 | 円墳 | 径24.5m | 2m |
3号墳 | 円墳 | 径28m | 2.5〜3m |
宇波川の左岸、灘浦小学校北側の丘陵に分布する。
安居寺山(標高93.6m)から宇波川へ向ってのびる丘陵が 南から南東へ折れたところを最高所として、 下降する丘陵に3基の円墳が間隔をおいて立地する。 最高所の1号墳は標高63.6m、3号墳は44m 1号墳 最大径29m・高さ3〜3.5mの円墳 墳頂部の平坦面は東西12.5m南北14m 墳丘裾には幅5〜8.5mの平坦面が全周し、範囲は径42mとなる。 尾根方向は両端が堀切で画され、裾平坦面にも西側と南東側に空堀がある。 この空堀は中世の城館の遺構と考えられている。 2号墳は1号墳の南東46mにある。この間に2条の堀切をはさむ。 尾根方向と直交して最大幅が24.5m・尾根方向22mの円墳 高さ2m 1号墳側の尾根を大きく掘り込み周溝としている。 墳頂の平坦面15.5×13mと広い(築城のときに削平されたか?) 3号墳は最大径28m・高さ2.5〜3mの円墳 2号墳側の尾根を深く掘り込み周溝としている。南東側にテラス面がある。 どの古墳も葺石なし、埴輪なし 5世紀初頭〜中ごろの築造と推定されている。 宇波安居寺古墳群1号墳 墳丘測量図 (氷見市史から) 古墳のある丘陵は安居寺屋敷と呼ばれ、宇波城の城館として中世に利用されていた。 平成12年市史編纂委員会の踏査で古墳と確認された。 |
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安居寺1号墳 |
安居寺2号墳 |
藪の中だが、墳丘は確認できます。
北八代中山古墳 余川川流域の古墳群 |
氷見市北八代 撮影日 2015/5/6 |
箭代(ヤシロ)神社背後の丘陵にある。
北八代中山古墳配置図
(氷見市史より)
箭代神社は
現在阿尾川に向かって開けた谷の中央部に南面しているが、
かつてはこの背後で谷が二方に分かれた間の丘陵、通称中山にあった。
古墳はこの丘陵南端の円丘頂部に1基だけある。
付近は墓地。箭代神社の北の山を少し登ったところにある。
標高35,5m、丘陵下の平野部の標高は10m
北八代中山古墳は 一辺8m・高さ1.5mの方墳 西側に約3m四方の低い張り出しがある。 墳丘の周囲は幅3〜4mの平坦面がめぐる。 墳頂部は浅いくぼみがあるので、盗掘されている可能性がある。 古墳からの遺物はなく、築造時期は特定できないが、 方墳なので、古墳時代前半の可能性がある。 |
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北八代中山古墳 |
墳丘上 |
墳丘手前には、階段や墓石が残っていて、建物があったことを思わせる。
稲積城ヶ峰古墳群 阿尾川流域の古墳群 |
氷見市稲積 撮影日 2015/5/6 |
西へ行くと「あいやまガーデン」(バラ園)があるので、車は結構通っている。
JA倉庫のふもとに駐車、道なき道をよじ登って1号墳へ・・・・・。
稲積城ヶ峰古墳群 配置図
(氷見市史より)
丘陵頂部に造られた大型円墳と
やや離れた小型の円墳からなる。
番号 | 形 | 大きさ | 高さ |
1号墳 | 円墳 | 径33m | 5m |
2号墳 | 円墳 | 径8m |
稲積城ヶ峰古墳群は余川川の左岸、
稲積から指埼へ向う峠の東側にある。
1号墳は標高65mの丘陵頂部にある。
南東には、稲積オオヤチ古墳群がある。
稲積城ヶ峰古墳群は 平成11年(1999)市史編纂委員会の調査で確認された。 1号墳は 直径33m・高さ5mの円墳 円墳の北西側に続く丘陵が、 前方後円墳の前方部の可能性があるとして平成12年に再調査して、 前方後円墳ではないと判断した。 開墾による改変がある。 墳頂部平坦面は10×9mの広さがある。 墳頂部中央には 30〜40cmの石が数個、北東側には長径15cm前後の礫が見られるが、 古墳にともなうものかは分からない。 2号墳は径8mの円墳 |
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稲積城ヶ峰古墳群1号墳 かなり立派な墳丘がある。 |
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1号墳 墳頂部 |
1号墳墳頂部から 前方部と思われた方を見る |
前方後円墳と考えられたこともあったようだが、前方後円墳ではないと判断されている。
確かに、前方部にするとちょっと軸がずれている感じがする。
以前見学した稲積オオヤチ古墳のそばを通る。
稲積オオヤチ古墳群のB2・B6・B3・B4の古墳は消滅、その跡は能越道となる。
以前の稲積オオヤチ古墳群見学記(2010年)のページ
氷見の古墳その4(氷見市史から) へつづく・・・・