北村さんちの遺跡めぐり
掲載日2010/5/27
氷見から高岡へ・その1 撮影日2010/3/31
2010/4/4
富山県氷見市では、柳田布尾山古墳が有名だが、
阿尾島田1号墳と名づけられた全長70m(富山県最大)の前方後円墳が発見されたという。
阿尾島田1号墳をぜひ見たいと、出かける。
まず、氷見市の北部にある大境洞窟住居跡から、ご覧ください。
大境洞窟住居跡 国史跡 |
氷見市大境 撮影日2010/3/31 |
1918(大正7)年、白山社改築のため洞窟内の土砂を取り除いた際に人骨、土器、石器等が出土、調査された。
落盤によってできた遺物を含む地層が、時代別に区別されていて、特に縄文時代と弥生時代のどちらが古いかを実証した。
洞窟は標高4mにあり、7000年前の縄文海進期に波の侵食によって形成されたと考えられる。
入口は南西方向を向き、高さ8m・幅16m・奥行34mで内部は次第に狭くなり一番奥に湧き水があった。
遺物を含む地層は落盤によって6つの層に分かれていて、下にある層が古い時期となる。
大正7年の調査で詳細な測量図が作成された。
縄文時代の大型石棒や抜歯された弥生人骨や顔面の装飾などが注目された。
白山社の奥に洞窟がある。
洞窟の中にも小さなお社がある。
小さなお社の奥にも洞窟は続いている。
地層の時代と出土品
時代 | 出土品 | |
第1層 | 鎌倉・室町時代 | 土師器・陶磁器 |
第2層 | 古墳時代後期〜奈良・平安時代 | 製塩土器・須恵器 |
第3層 | 弥生時代後期〜古墳時代前期 | 弥生土器・土師器・骨製槍先 |
第4層 | 弥生時代後期 | 弥生土器・動物骨 |
第5層 | 縄文時代晩期〜弥生時代後期 | 弥生土器・骨角器・人骨・貝殻・魚骨 |
第6層 | 縄文時代中期 | 縄文土器・石器・人骨・動物骨 カキ・サザエなどの貝殻 石棒 |
阿尾島田古墳群 | 氷見市阿尾 撮影日2010/3/31 |
1999年に発見された古墳群。
その西には稲積オオヤチ古墳群がある。
氷見博物館に寄り、職員の方に登り口を聞く。
公開されている古墳群ではないので、くれぐれも気をつけて行って下さいと念を押され見学に向かう。
阿尾島田古墳群配置図
鏡山(標高90.5m)の東端近くにある古墳群。
A支群は
前方後円墳1基・円墳8基・方墳1基の10基
B支群は円墳3基
(参考 氷見市史・稲積オオヤチ古墳群報告書)
阿尾島田古墳群データ
A1号墳 | 前方後円墳 | 全長70m 後円部径35m・高さ5.5m 標高59.8mに後円部がある。 |
A2号墳 | 方墳 | 東西14m南北12m・北側高さ2.4m 北側に一辺5m・高さ0.4mのテラス |
A3号墳 | 円墳 | 径18m・高さ12m A1側に小さなはり出し(前方部か) |
A4号墳 | 円墳 | 径30.5m 標高48mにある 2.5〜3mの周壕 頂部平坦面大 |
A5号墳 | 円墳 | 径15m・高さ1m 墳頂平坦面径4m |
A6号墳 | 円墳 | 径22m・高さ3.2m 西側に5m四方のテラス状はり出し 頂部平坦面12×15mの長円形 A5との間に空堀状の開削がある。 |
A7号墳 | 円墳 | 径20.5m・高さ2.5m A6との間を掘り周壕とした 頂部平坦面径13m |
A8号墳 | 円墳 | 径12m・高さ1m |
A9号墳 | 円墳 | 径8m・高さ1m |
A10号墳 | 円墳 | 径6m・高さ0.8m |
B1号墳 | 円墳 | 長径12m・高さ1.8m |
B2号墳 | 円墳状 | 径7m高さ・0.6m |
B3号墳 | 円墳 | 径7m高さ1m |
山の南にある四角いため池の前に駐車、ため池の奥から山に入る。
しばらくは山道があるが、その後は道なき道を登る。
A2号墳から見たA1号墳後円部
A1号墳の前方部から後円部を見る
阿尾島田A1号墳は全長70mの前方後円墳
後円部径35m・高さ5.5m
墳頂部に大小2基の埋葬施設が確認された。。
長さ6.8mの木棺の跡が発見
人物が葬られたと思われる中央部分の両端に副葬品が置かれていた。
盗掘にあった形跡がなく鏡やガラス玉などの副葬品が多数出土。
鉄製の槍1・槍ないし短剣5・長剣1・鉄鏃5・刀子2・ヤリガンナ1・鋤先2・鉄斧1・袋状ノミ・ヤス1
ガラス製小玉66・石製管玉24・錫製小玉7・ヒスイ玉1・碧玉(ないし緑色凝灰岩)粗割品1
が出土。
出土した弓矢の矢じり部分(柳葉形で長さ7.6cm・幅2.6cm・厚さ0.4cm、重さ24.2g)
の形などから古墳時代前期の4世紀ごろの築造と推定されている。
棺内から
鉄製品20・管玉などの玉類80点
棺周辺から玉類18・玉類製作途中の碧玉荒割品1など
が出土
三つまたの形をした鉄製ヤスは現存長11cmで、 北陸では石川県七尾市の例がある。
鉄槍は、長さ33.6m・最大幅3.6cm・厚さ0.4cmで
槍の先を柄と固定するための糸巻き部分の特徴から古墳時代初期のものと推定されている。
A2号墳
唯一の方墳
A9号墳
径8mの円墳
A4号墳
径30.5mの群中最も大きな円墳
大きすぎて全体はなかなか写せない
A6号墳
径22mの円墳
A5号墳
径15mの円墳
A7号墳
径20.5mの円墳
現状のままなので、写真ではよくわからない。
人間の目で見ると墳丘がはっきり確認できる。
稲積オオヤチ古墳群 | 氷見市稲積 撮影日2010/3/31 2010/4/4 |
阿尾島田古墳群と同じ山の西の支脈にある。
能越道建設でB群が削平されることとなり発掘調査したという。
氷見市市立図書館で発掘報告書を閲覧してから見学に向かう。
私達が行ったのは2010年3月末の平日。
B群のある山はまだ残っていて、下から発掘したままの古墳が見えている。
が、もう工事が始まっていて、工事関係者以外立入禁止で交通整理の人が立っていて入り込めない。
工事現場の上に見えるB4号墳
この山が削平されるのか・・・・。
次の日曜日に来てみる。工事はお休み。誰もいない。
立入禁止のところに自己責任で入らしてもらう。
ふもとから、現説の時に作ったらしい階段を登ってみる。
B4号墳(前方後円墳)から見たB支群
奥から
B1号墳(山頂手前の白い部分)、
B6号墳
B3号墳
B2号墳はB3号墳に隠されて見えていない。
左に能越道のトンネルが見えている。
すごい!
発掘調査された5基の古墳が尾根上に並んでいる。発掘同時のままだ!
稲積オオヤチB4号墳(前方後円墳)
手前後円部
(撮影日2010/4/4)
北に前方部があり、前方部が高い
B稲積オオヤチB3号墳から見たB4号墳
右手前・前方部 左奥・後円部
奥から B6号墳 B2号墳 B3号墳
稲積オオヤチB6号墳
B1号墳
B支群中最高所にある。
発掘していないA支群の見学に入る。
A1号墳後円部
左手前 前方部
帆立貝形前方後円墳
古墳群の中で一番大きな古墳で一番高いところにある。
A2a号墳
方墳
A2b号墳
方墳
A3号墳
方墳
A5号墳
全長12.5mの前方後方墳
A7号墳
全長23mの前方後方墳
尾根上に、古墳が連なっている。
A8号墳まで見て、A支群の西側にある墓地にすべるように下りる。
発掘された古墳と現状のままの古墳の対比がすごくおもしろかった。
稲積オオヤチ古墳群配置図 (報告書から)
A2号墳は2つに分かれ、A2a号墳とA2b古墳になった。
B5号墳はB4号墳とくっついて、前方後円墳のB4号墳となった。
A12号墳は古墳ではないこととなり削除した。
A1号墳 | 帆立貝形 前方後円墳 |
全長46.5m 後円部径36m高さ6.9m 前方部長さ10.5m幅23m高さ1.8m |
A2a号墳 | 方墳 | 10.8×8m・高さ1.4m |
A2b号墳 | 方墳 | 11×7m・高さ1m |
A3号墳 | 方墳 | 15×10m・高さ1.1m |
A4号墳 | 方墳 | 17.5×15m・高さ2m |
A5号墳 | 前方後方墳 | 全長12.5m 後方部一辺9m・高さ0.75〜1m 前方部長さ3.5m・幅4m・高さ0.3m |
A6号墳 | 方墳 | 9.5×4mの平坦面 |
A7号墳 | 前方後方墳 | 全長23m 後方部長さ15m・幅16m・高さ3m 前方部長さ8m・幅9.5m |
A8号墳 | 方墳 | 9×9m・高さ1m |
A9号墳 | 方墳 | 13×5.5m・高さ0.7m |
A10号墳 | 方墳 | 10.5×6.5m・高さ0.7m |
A11号墳 | 方墳 | 9×7m・高さ0.5m |
A13号墳 | 方墳 | 8.5×5.5m・高さ1.1m |
A14号墳 | 方墳 | 11.5×7m・・高さ1.5m |
A15号墳 | 方墳 | 12×10.5m・高さ0.4〜1.5m |
B1号墳 | 円墳 | 13.5×10.7m・高さ2.2m |
B2号墳 | 円墳 | 径20m・高さ2m 墓壙長さ7.5m・幅1.4m 割竹形木棺長さ6.5m・幅0.6m |
B3号墳 | 円墳 | 径22m 墓壙長さ5m・幅2.1m 割竹形木棺長さ3.9m・幅0.8m |
B4号墳 | 前方後円墳 | 全長36m 後円部径20m・前方部長さ16m幅23m 埋葬部@(後円部中央) 墓壙長さ4.3m・幅1.8m 割竹形木棺長さ3.6m・幅0.8m 埋葬部A(後円部北側) 墓壙長さ3.2m・幅1.4m 箱形木棺長さ2.7m・幅1m 埋葬部B(前方部) 墓壙長さ3.7m・幅1.6m 割竹形木棺長さ2.6m・幅0.6m |
B6号墳 | 円墳 | 径9m・高さ0.8m |
B4号墳では
埋葬部@(後円部中央)の棺内から 鉄刀1・鉄鏃10余・赤色顔料
埋葬部A(前方部)の棺内から 鉄刀1・刀子1・赤色顔料
が出土した。
加納横穴群 市史跡 |
氷見市加納 撮影日2010/3/31 |
大正11年に発見され、58基が確認されている。
穴の形態は隅丸正方形のものが多く、天井は田アーチ型のものと、ドーム型のものが見られる。
玄室内に4つの棺台がある横穴もある。
直刀・刀子・金環・瑪瑙勾玉・水晶切子玉・碧玉製管玉・ガラス製小玉や
須恵器・土師器・古銭などが出土。(行方不明が多いらしい)
6世紀後半〜7世紀末ごろの築造と推定されている。
横穴墓その1 |
その1の内部 |
横穴墓その2 |
横穴墓その3 |
横穴墓その4 |
横穴墓その5 |
横穴墓その6 |
その6の内部 |
色々な形があるなあ・・・。
石室の内部は、水たまりになっていて、卵が浮かんでいる。
何の卵か調べたら「クロサンショウウオ」とわかった。
泉古墳群 | 氷見市泉 |
中村天場山古墳に行くときにそばを通ったが上り口がわからず今回はあきらめる。
高塚・鶏塚・鶴塚・猫塚など、楽しい名のついた古墳があるので次回見学したい。
1号墳(高塚)は、 高塚山山頂にあり 長径43m・短径41mの円墳
9号墳(鶏塚)は、 12.5×11.5m・高さ1.3mの方墳
7号墳(鶴塚)は、 径20m・高さ2mの円墳で、一部削平
17号墳(猫塚)
中村天場山古墳 | 氷見市中村 撮影日2010/3/31 |
平地に小さな島のようになった地形があるのを発見、見学に行く。
中村天場山古墳のある独立丘陵
北側から
標高27.5m 平野部14m
この裏側から山に入ってみる。
墓地の横に前方後円墳がある。
中村天場山古墳は
単独墳で 32mの前方後円墳
前方部長さ12m・幅12m・高さ2.2m
後円部20m・高さ1.5m・幅18.5m
くびれ部幅10m
前方後円墳かは見てもわからないなぁ・・。
朝日貝塚 国史跡 |
氷見市朝日 撮影日2010/3/31 |
大正7年に誓度寺の建築中に貝層や土器片などが発見された。
縄文時代前記〜中期の遺跡。
誓度寺
左端の赤い屋根が遺跡の保存舎
背後の森には朝日潟山古墳群
がある。
寺院が焼失した大正13年に、再建までの機会を利用して再調査したら、
日本で初めて炉跡のある住居床面が確認された。
縄文時代の住居床面が2棟分発見され、保存舎で保存されている。
保存舎地点では、深さ2mまでの間に15〜30cmの海水産貝類を主体とする貝層が2層確認されている。
ハマグリ・アサリ・アカガイなどや
マダイ・クロダイ・マグロなどの魚骨
ヒメウ・ミズナギドリなどの鳥骨
イルカ・イノシシ・ニホンジカ・イヌ・ツキノワグマ・ニホンアシカなどの獣骨が出土した。
生活道具では縄文土器・磨製石斧・石錘・石皿・石匙・石鏃・浮石など石器も多数出土。
信仰の道具では
耳飾り・石棒・硬玉(ひすい)製大珠などが出土
装飾飾把手付深鉢(バスケット型土器)も出土
埋葬されていた5体の人骨も出土
硬玉製大珠も出土
朝日貝塚の背後の山には朝日潟山古墳群がある。
朝日貝塚のすぐ北に朝日長山古墳(全長43mの前方後円墳)があったが、消滅した。
朝日長山古墳のすぐ北には、朝日寺山古墳がある。
国分山古墳群 | 高岡市国分 撮影日2010/4/4 |
国分山には岩崎鼻灯台があるがこの周辺に古墳群がある。
11基確認されたが、5基残っている。
国分山古墳群配置図
詳しい調査書は見れていないので
何号墳かは特定できない
残っている古墳も特定できないが・・・・・
A墳は灯台の東横にある古墳だろう。
A墳は1951(S26)年に調査後、灯台建設で破壊。
長径30m短径28m・高さ2mの円墳
ベンガラを敷き詰めた2基の埋葬施設を確認。
第1主体部から、径9.8cmの獣形鏡1・直刀1・鉄鏃が出土
第2主体部から 径10.5cmの内行花文鏡1・勾玉1・鉄鏃が出土
土内から土師器の壺が出土
A墳の周りには径9〜16mの円墳が4基ある。
G墳は直径30m・高さ3.8mの円墳
G墳の周りには径14〜16mの円墳が2基ある。
参考「日本の古代遺跡・富山」(保育社)
この図をみると前方後方墳もあるようだ。
灯台のすこし手前で「国分山古墳群」の説明板発見。
「国分山古墳群」の説明板
岩崎鼻灯台
昭和26年完成
現在は電話回線を利用して
灯火をコントロールしている。
伏木海上保安部が管理している。
灯台の東側にある円墳(と思われる)
前方後方墳の並ぶ尾根 北側から
山道の南側に前方後方墳2基も残っている。
そばまで行って見たが、雑木の中で、写真は難しい。
前方後方墳の東の2基の方墳は見当たらなかった。
城光寺古墳群 | 高岡市城光寺 |
現在、二上霊園や運動公園となっている背後の山にも古墳がある。
運動公園西側にある大きな駐車場から山に続く遊歩道がある。
途中まで上ったが、かなり荒れた状態になっているようなので途中であきらめる。
山頂には径36m・高さ4.5mの円墳と2基の小円墳があるそうだ。
城光寺から東の矢田の丘陵にも古墳がたくさんある。調べてまた見学したい。
板屋谷内古墳群 | 高岡市五十里(板屋) 撮影日2010/3/31 2010/4/4 |
前方後円墳・板屋谷内A1号墳が五十里(板屋)地区の諏訪社の境内のすぐ西にあるというので、
板屋地区の真ん中にある諏訪神社に行く。
諏訪神社正面
諏訪神社の背後の山によじのぼる。
古墳らしい高まりが並んでいる。
円墳や方墳が連なっている。
古墳名は特定できないがテラスがあるようなりっばな古墳も見ることができた。
諏訪神社背後の山にある古墳その1
(B支群中ほど)
諏訪神社背後の山にある古墳その2
(B支群中ほど)
諏訪神社背後の山にある古墳その3
(B支群)
写真だと、みんな同じように見えてしまうので、写真はこれでやめよう。
西の端は能越道に下りる長い階段がある。
階段を半分下りたが、自動車専用道を人が歩くわけに行かず、集落側に何とか下りる。
板屋谷内A1号墳を特定できなくて、
帰宅して調べたら、このあたりは板屋谷内古墳群のB支群だと分かった。
では板屋谷内A1号墳はどこか?
板屋集落の東端に小さなトンネルがありその上に保存されているという。
古墳のあるところに道路が作られることとなり、古墳を保存するためにトンネルが造られたそうだ。
もう一度、板屋へ行く。
トンネルの東に行くと「諏訪社」と刻まれた石碑と神社に続く階段。
板屋地区には諏訪社と諏訪神社がある!!!ビックリ!!!
諏訪社に上がる石段
散歩している男性が石段下で手を合わせて通り過ぎていった。
階段を上ると小さな社がありその横に板屋谷内A1号墳が・・・・。
かなり崩れていて、古墳だといわれないとわからない。
諏訪社から見た板屋谷内A1号墳の後円部
前方後円墳ということが明らかになっているが、
以前いわれていたように前方後方墳のように削られている。
板屋谷内A1号墳
前方部から後円部を見る。
板屋谷内A1号墳
後円部から前方部を見下ろす。
A1号墳は 全長51mの前方後円墳
56年度試掘調査
墳裾から鉄剣1と土器が出土、
西山丘陵の最古期の古墳に位置づけられている。
(以前は板屋1号墳と名づけられ、前方後方墳とされていた。)
A1号墳の西側にはA支群の円墳が4基あり、その西にB支群の方墳が続く。
仮A2号墳 (A1号墳の西1番目)
円墳
仮A3号墳 (A1号墳の西2番目)
円墳
仮B1号墳 (B支群東から1番目)
階段がついていて斜面には墓がある。
方墳
仮B2号墳 (B支群東から2番目)
方墳
写真だと、みんな同じように見えてしまうので、写真はこれでやめよう。
B支群の西側には、現在能越道が通っているが、この場所にはかつて板屋谷内古墳群C支群があった。
能越道で消滅する事となったB支群2基とC支群5基が、平成16年発掘調査された。
ギリギリで残ったB14号墳か?
この向こうは削られて、崖の下には能越道が通る
板屋谷内古墳群配置図
板屋B・C古墳群は西山丘陵から平野部に張り出した支丘上にある。
C古墳群はB14号墳の西南約100mの尾根上に位置。
円墳3基方墳2基を調査
C古墳群では周溝がある。
発掘された板屋谷内B・C古墳群データ
B13号墳 | 円墳 | 径26m | 墓壙1基確認 墓壙は長方形の穴で組合式木棺があったと考えられる。副葬品はなし。 地震により古墳の大部分が壊れていることがわかった。 表土から鉄斧1・鉄刀3・刀子1・須恵器などが出土したので 墓壙の東側にもう1基の墓壙の存在が想定されたが確認できず。 出土した須恵器から古墳時代中期後半の築造と推定。 |
B14号墳 | 円墳 長楕円形 |
南北25m 東西20m |
後世の開墾により棚田や竹林となっていて墳形をとどめていない 大きさは推定 |
C1号墳 | 円墳 | 径24m | 割竹形木棺があったと推定される墓壙の底の部分を確認。 木棺の底の部分に40×80cmの範囲で赤色土が認められ この周りからヤリとガラス玉が出土 墳頂は標高65.7mでB・C群で最高所に位置 |
C2号墳 | 円墳 | 径15m | 尾根側に最大幅3mの溝がめぐる(西側は未調査) 墓壙は中世の土坑が重複していて詳細は不明 |
C4号墳 | 方墳 | 一辺18m | 墳頂で割竹形木棺を納めたと考えられる墓壙を確認 墓壙内で方形鍬・鋤先1、水晶製勾玉・緑色凝灰岩製管玉が出土 |
C6号墳 | 円墳 | 径17m | 表土の流出や樹木の根で荒れていたが、墓壙の一部を確認 試掘調査時に銅鏡(珠文鏡)、調査時に銅鏡(内行花文鏡)と鉄剣1が出土 棗玉234・管玉27・勾玉3・琥珀丸玉2・ガラス管玉1ガラス小玉15などの玉類も出土 |
C7号墳 | 方墳 | 一辺12m | C6号墳の下18mの支丘先端に位置 墳丘の全てを失っている。 コ字状にめぐる溝から方墳と推定 周溝から赤く塗られた古墳時代前期の壺が出土 |
高岡市の北西部に広がる西山丘陵に立地
立山古墳群 タチヤマコフングン 見多気神社 |
高岡市五十里(板屋) 撮影日2010/4/4 |
板屋谷内古墳群の西南、八口地区にある見多気神社の辺りにも古墳群がある。
平地に張り出した小さな尾根にあるので見学しやすいかと思い、行ってみる。
見多気神社のある山
北東から
東側のふもとから階段を上ると社殿がある
見多気神社
この神社の木造の狛犬は県指定文化財となっている。
社殿の後にある円墳
この古墳の西にある山には前方後円墳がある。
立派な古墳が確認できたが
日暮れとなり写真は撮れなかった。
氷見から高岡へ・その2 撮影日2010/4/4
2010/6/1
2010年4月に、見学した立山古墳群(タチヤマコフングン)は日暮れてしまい、とても残念だったので、もう一度行ってきた。
「氷見から高岡へ」立山古墳群の続きを少しどうぞ。
立山古墳群 タチヤマコフングン 見多気神社 |
高岡市月野谷 |
板屋谷内古墳群の西南、月野谷地区にある見多気神社にもう一度行ってみる。
見多気神社の社殿の後にある円墳
(撮影日 2010/6/1)
この古墳の西にある山には前方後円墳がある。
立派な古墳が確認できたが、日暮れとなり写真は撮れなかった。
6月1日もう一度この場所へくる。
立山古墳群遠景 南側から
(撮影日 2010/6/1)
麦秋がきれい!
道路の右側が見多気神社のある森
左側が前方後円墳のある森
見多気神社の西側の山に上ってみる。
急な坂道を少し上ったところに前方後円墳があった!
立山古墳群前方後円墳の前方部
(撮影日 2010/6/1)
遊歩道がつくられているが、道の真ん中に竹が生えている。
竹を切らないと来年は道がなくなる。
立山古墳群前方後円墳の後円部
(撮影日 2010/6/1)
人間の目で見るとはっきり分かるのだが写真ではむずかしい・・・
「日本の古代遺跡・富山」(保育社)に
「月野谷古墳」と名づけられているのがこの古墳ではないかと思う。
全長65mほどの大きな古墳だとされている。
立山古墳群と男撲古墳群
男撲古墳群 水道つつじ公園 |
高岡市笹八口 撮影日2010/6/1) |
立山古墳群の大きな前方後円墳から遊歩道が西に続いているようだが、分からないので
いったん山を下り、西の水道つつじ公園に行く。
1979(昭和54)年に国吉配水場を建設したときに「つつじ公園」をつくった。
私達が行ったのは6月初めだったが、ちょうど花がほとんどない時期で残念だった。
つつじ公園案内図
大きな丸い貯水タンクの北側に「遊歩道入口」と書かれた案内板があり、
すべりそうな坂を少し上れば、
男撲古墳群の前方後円墳の前方部から後円部につながる。
男撲古墳群はオヤドンコフングンと読むそうだが、
どうしたらこんなふうに読めるのかフシギ!
男撲古墳群前方後円墳の前方部
上りきったところが後円部
途中ササユリも咲いている。
男撲古墳群・前方後円墳の後円部
丸い大きな平坦な後円部にはベンチが2つ置かれている。
長い間使われていないように見える。
一つのベンチはひっくり返っている。
男撲古墳群前方後円墳の後円部から東の方墳を見る。
遊歩道が立山古墳群に続いているのか?
方墳から前方後円墳後円部を見る。
人間の目で見るとはっきり分かるのだが写真ではむずかしい・・・
高岡市のすばらしいところは、
山の中の古墳群に続く遊歩道がつくられていること。
トンネルを作って古墳を残そうとすること。
遊歩道などは、もっとみんなが歩いてくれればいいなと思う。
氷見市には「氷見市史」 高岡市にはHP「高岡市遺跡一覧表」があり、場所が特定できるので、見学がしやすくなった。