北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/5/31
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下向田古墳群と
呉羽丘陵の古墳
高岡市・富山市2015/4/23
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下向田古墳群 シモムクタコフングン |
高岡市福岡下向田 撮影日2015/4/23 |
富山県高岡市の通称「西山」と呼ばれる小矢部川左岸の段丘に、古墳群や横穴群があると知っていた。
見学できるものはないかなと調べていたら、下向田古墳群が福岡公園の中に保存されているとわかった。
下向田古墳群は、町民公園建設に先立つ分布調査で発見された(昭和53年ごろ)。 |
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![]() 下向田古墳群配置図 (福岡町民公園内にある 福岡町歴史民俗資料館前の案内板から) 1〜4号墳・7号墳の試掘調査が実施された。 2号墳は23m×26mの方墳で、 古墳群中最大だと判明した。 遺物が出土していないので、詳細は不明だが、形状から古墳時代後半の築造と推定されている。
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山菜とりの人たちしか来ないのかなあ、かなり草が生えている。
芝生広場から見た古墳群
芝生広場の奥に公園案内図があり、
その横の階段を上がったところに、
古墳群の説明板がある。
(写真中央)
![]() 1号墳 |
![]() 7号墳 |
![]() 2号墳 |
![]() 3号墳 |
![]() 4号墳 バーベキュー広場となる |
![]() 6号墳 |
![]() 9・10号墳の辺り |
![]() 8号墳 東屋の北にある。 |
福岡霊園(墓地)周辺にある5号墳と11〜15号墳も、霊園建設の時に調査されているのではないかと、
インターネットで調べてみるが、何も見つからない・・・
次は・・・・・呉羽丘陵北部の古墳探索。
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呉羽三ツ塚古墳 (呉羽丘陵の古墳) |
富山市呉羽町 撮影日2015/4/23 |
呉羽山の古墳を調べていたら、呉羽三ツ塚古墳が見つかった。
呉羽保育園のすぐ東に墳丘が残っている。
呉羽三ツ塚古墳を 南から見る
呉羽山丘陵の首長墳といわれている。
手前の周溝の部分が試掘調査された。
呉羽山の中腹にあるのかな
民家のお庭になっているようなので、
近寄るのは遠慮した。
呉羽三ツ塚古墳は 住宅建築や開墾によって一部が削られていて、 これまでは、13×15m・高さ2.5mの方墳と推定されていたが、 試掘確認調査の結果、15.5×16.5m・高さ2〜2.3mの方墳と考えられている。 (平成15年に試掘調査) 幅2〜3mの周溝があり、深いところでは1mほど。 周溝を含めた大きさは20×23mとなる。 葺石なし 埴輪なし 段築なし 周溝内から、縄文土器などの遺物がわずかに出土。 古墳の時期を決定づける土器は確認されていないが、古墳時代前期の築造と推定されている。 (HP富山市遺跡探訪から) |
三ツ塚というから、元は3基あったのかな?
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長慶寺 長慶寺古墳? 長慶寺五百羅漢 |
富山市五艘町 撮影日2015/4/23 |
長慶寺に古墳があるというが・・・・・・・
長慶寺の墓地の奥に墳丘らしいものを見つける。これが長慶寺古墳か?
長慶寺古墳? (呉羽丘陵の古墳) | |
![]() 長慶寺古墳? 説明板があるが、 「古墳」とは書かれていない。 |
![]() 長慶寺墓地 左奥の建物が本堂 長慶寺は呉羽丘陵の北端近くにある。 長慶寺古墳は、写真中央辺りの林の中か |
説明板の内容 筆塚と人丸像 寛政8年(1796)に石見国高見山の人麻呂台明神(歌聖柿本人麻呂)の社殿の土を、 この桜谷に移して祠がつくられ、当時の文化人が尊崇したところといわれる。 寛政10年に、8代藩主前田利謙の生母自仙員佳子が、この桜谷長慶寺に遊び、 桜谷8景の歌を詠んで、人麻呂の祠に奉納したという記録がある。 明治3年(1870)の合寺令で、この祠がなくなったが、 現在「志留丸塚」(柿本人麻呂)と筆塚が残っている。 祠に安置してあった人丸像は、いま長慶寺に安置されている。 |
長慶寺は五百羅漢で有名。
長慶寺五百羅漢 | |
曹洞宗長慶寺は、天明6(1786)年開山 ここ桜谷の地は景色がよく昔から城下の人々の行楽地であった。 桜谷の大仏といって近郷に聞こえた金仏があったが現在は首部だけが残っている寺の境内で、 山腹を背に富山市を望んで並ぶ五百有余の石仏が世に言う五百羅漢である。 江戸時代の後期、富山の米穀商で廻船問屋を営む黒牧善次郎という豪商がいた。 信仰心が厚く長慶寺の参詣もたびたびであった。 仏恩に報いたいと思い立ち佐渡の石工に彫刻させ松浦港へ米を運んだ帰りに持ち帰り、 木町の浜で陸揚げしてここまで運んだものである。 寛政11年から嘉永2年までの50余年間にわたる大事業であった。 元禄以来の産業の発展、それに伴う交易国の拡大や町人の進出、 そして人々の厚い信仰心がこの五百羅漢の建設を容易にしたものと思われる。 富山市指定文化財 (説明板から) |
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すごい!!
長慶寺本堂
説明文の中にある「桜谷の大仏」だが、
本物はもう無くなっている。
本堂内部に仏頭が安置されているが、
それは大正時代に信者が寄進したものだそうだ。
柿本人麻呂像は文化財として、保存されているそうだ。
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富山市考古資料館 展示から |
富山市安養坊 撮影日2015/4/23 |
長慶寺のすぐ南西にある富山市民俗民芸村にある。
富山市内の遺跡の出土品を展示している。入館料は100円
小竹貝塚出土品
淡水産貝が9割をしめ、サザエ・ハマグリなどもある。 他に魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類などさまざまな骨も出土 土器・石器や、骨各器(ヤス・釣針・骨針・骨鏃・ヘアピン・指輪・勾玉など)が出土。 人骨も出土して、頭蓋骨から、復顔がなされて、現在県博物館で展示されている。 福井県の鳥浜貝塚と並ぶ日本海側最大の貝塚。 |
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蜆ヶ森貝塚![]() 蜆ヶ森貝塚出土品 縄文土器・石器 蜆ヶ森貝塚は、 小竹貝塚の東方約200mの北代の白髭神社内にある淡水産貝塚。 縄文時代前期前半の「蜆ヶ森式土器」として標式化されている。 出土する貝殻のほとんどが蜆(シジミ)、 他にもシカ、イノシシ、アナグマなどの獣骨や、骨角器・人骨・石器・縄文土器が出土。 |
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![]() 遮光器土偶 水橋館町出土 富山県でも遮光器土偶が出土するのだね・・・・ |
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杉谷A遺跡の方形周溝墓から出土の赤彩の台付壺![]() 杉谷A遺跡は、 杉谷古墳群の5号墳と4号墳の間にある。 昭和49年の調査で、 方形周溝墓17基・円形周溝墓1基、 土壙2基などの 古墳出現時の墳墓群を検出した。 「日本の古代遺跡・富山」(保育社)に写真が掲載されているが、これが現物だ! |
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百塚住吉遺跡![]() 百塚遺跡の古墳出土状況 (展示パネルから) 左から2号墳、1号墳、3号墳、4号墳 そばには、 方形周溝墓や円形周溝墓などがある 百塚遺跡がある。 |
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番神山横穴墓群 呉羽山古墳 (呉羽丘陵の古墳) |
富山市安養坊 撮影日2015/4/23 |
富山市考古資料館は、番神山と呼ばれる小さな独立丘陵の土取り跡にある。
番神山横穴墓 昭和3(1928)年の土砂採取中に8基の横穴墓群が発見され調査、 昭和40年にも工事で7基の横穴墓群が確認調査された。 呉羽丘陵には番神山横穴墓と金屋陣の穴横穴墓群がある。 横穴墓は、 奥行き2.1〜2.6m・幅1.5〜1.9m・高さ1〜1.2mの縦長方形で、天井はかまぼこ形。 墓室には、高さ0.7〜1m・幅0.6〜0.8mの入口と通路がついていた。 入口前方の前庭には天井がなく、長さ1〜2m・幅1.5〜2mで山腹の外に開いていた。 4〜5体分の遺骨が残っていた横穴墓もあった。 墓室から、須恵器、太刀、刀子、管玉、耳環などが出土。 6世紀後葉〜7世紀後葉の築造と推定されている。 ![]() 番神山横穴墓のあったところ 上に呉羽山古墳がある? |
呉羽山古墳 番神山の頂上には、呉羽山古墳がある。(あったというべきなのか?) 全長4.5mの横穴式石室をもつ円墳で氷見市太田産の太田石を石室材とする。 頭椎(カブツチ)太刀、金環、銀環、勾玉、ガラス玉、須恵器などが出土 これらの出土品は戦災で焼失した。 ![]() 呉羽山古墳か? 左の建物は茶室「円山庵」 考古資料館の東隣に 茶室「円山庵」があり、 その横の山に 呉羽山古墳があるという。 この呉羽山古墳とは別の石材も崖に露出しているという。 |
番神山横穴墓群は消滅となっている。、呉羽山古墳はどうなのか、藪で見学困難・・・・。
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杉坂古墳群 | 富山市安養坊 撮影日2015/4/23 |
呉羽丘陵の最北端にある古墳群だという。詳しい資料が見あたらない。
民族民芸村の北側の尾根側の道路沿いにある。
長慶寺の五百羅漢を登りきったところの道路沿いというべきか・・・。
北陸新幹線を正面に見下ろす所で撮影スポットとなっているらしくて、数人がカメラを構えている。
北陸新幹線E7系が
来ないかなぁ・・・・・。
杉坂古墳群 呉羽丘陵に杉坂古墳群があるというが、詳しい情報がない・・・・・ |
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![]() 道沿いに墳丘らしき高まりがある。 説明板みたいなものが見えるが、 違う・・・・・・・? |
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![]() その1 墳丘の上に石塔 |
![]() その2 こちらも石塔 その右にも高まりがある。 |
これが杉坂古墳群なのか?・・・・
富崎千里古墳群につづく