更新日 2018/8/21
2018春・静岡東部・神奈川県西部 その9 厚木市・伊勢原市2 |
2018/3/21〜25 |
神奈川県の古墳群については、
「神奈川の古墳散歩(彩流社)」
神奈川県埋蔵文化財センター第4回考古学講座(2014.9.20)の
「かながわの前期古墳〜長柄桜山古墳群を中心に〜」の資料(インターネット上で公開)
も、参考にさせていただいた。
旅行4日目夕方、伊勢原温泉ニュー天野屋に行く前に、島残古墳群の見学。
島残古墳群 シマノコシ コフングン |
厚木市小野 撮影日2018/3/24 |
厚木佐藤病院の駐車場に駐車させていただいて、見学。
島残古墳群は 古墳時代後期の群集墳 厚木佐藤病院の北側に6基ほど残っている。 |
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島残35号墳 径15mの円墳 、高さ3m 奥の木立の下、鳥居がある。 民家の築山になっている。 |
島残22号墳 墳頂に牛供養之碑がある。 昔は人の背より大きかったそうだが・・・ |
22号と35号の間にいくつかの小円墳がある。
35号と22号の間にある墳丘その1 左奥の白い壁の家のそばのシュロの木のところにも 墳丘があったはずだが、削平されてしまっている。 HP「埼群古墳館」様には、 はっきり墳丘があるが・・・。 |
35号と22号の間にある墳丘その2 地元の人に尋ねたところ、 この壊れかけたお社のある所も古墳だったという。 |
老人ホームの敷地内にも墳丘があるそうだ。
今晩は、伊勢原温泉「ニュー天野屋」に宿泊。
チェックインは5時、早目であるが一泊二食温泉付きのお宿なので仕方がない。
お土産も調達。
翌日は最終日。
5日目。2018/3/25
朝食をゆっくり食べて、厚木市依知地区の吾妻坂古墳へ。
厚木市・依知地区の古墳群 | 厚木市下依知 撮影日2018/3/25 |
依知地区の古墳群の説明板は、「大久根公園」にある。
「下依知土地区画整理事業地内遺跡」の説明の中に記載されている。
下依知土地区画整理事業地内遺跡 |
下依知土地区画整理事業に伴う発掘調査は、 昭和55年から平成元年まで断続的に9次にわたり行われた。 事業地は相模川と中津川に挟まれた中津川台地の先端部に近い 東側の高位から中位にかけての河岸段丘面にあり、標高は30〜39m。 ○大久根遺跡 (昭和58〜61年調査) 縄文時代、弥生時代、古墳時代、平安時代、中世、近世の遺跡で、 竪穴住居や土器・石器が多数発見された。 祭りや信仰の場であったと考えられる縄文時代の配石遺構と呼ばれる、 特殊な石棒や礫を敷き並べた遺構、 死者を葬った古墳時代の方形周溝墓や古墳も見つかっている。 依知地区には、約80基の古墳と約30基の横穴墓が現存している。 代表的な古墳が、吾妻坂古墳・稲荷山1号墳・大久根古墳だ。 |
国道129号線東側沿いの自然地形を生かしてつくられているのが、吾妻坂古墳。
現在、南側は道路で切られて擁壁で囲われ、西側は工場、北側は住宅地となり、かなり変形している。
吾妻坂古墳 (依知地区123号墳) | |
復元径55m、高さ4〜5mの円墳 (前方後円墳ならば 全長100m) 3基の埋葬施設がある。(割竹形木棺2基・組み合わせ木棺1基) 倣製斜縁四獣鏡(直径19.5cm)、カヤ製きょうれん、 竹製の櫛2、鉄剣10、鉾2、鉄鍬約125、玉類188などが出土。 4世紀末〜5世紀初頭の築造と推定されている。 昭和62年(1987)調査 古墳には、かなり古くから「お吾妻様」が祀られていて、 昭和の中ごろまで、村民の信仰の対象として「溝」が持たれていた。 |
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南側の擁壁の真ん中に説明板がある。 |
擁壁の内側の墳丘 |
東側の道路脇に「吾妻坂古墳」の標柱がある。 |
墳頂 |
仲道公園に保存されているのが稲荷山1号墳。 説明板はない。
公園には、長いローラー滑り台がある。
稲荷山1号墳 (依知地区99号墳) | |
推定径40mの円墳と考えられている。 横須賀水道道によって埋葬施設は破壊されていた。 周溝内から壺・高坏などが出土している。 5世紀(古墳時代中期)の築造と推定されている。 昭和62年調査 |
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稲荷山1号墳 公園の一番高いところにある。 西側は道路で削られている。 |
墳丘のふもとにはベンチ! |
大久根公園に保存されているのが、大久根古墳。
大久根古墳 (依知地区126号墳) | |
一辺18〜19mの方墳 周囲に幅2〜3m・深さ1mほどの溝がある。 土師器壺が出土。 主体部は未調査。 4世紀後半〜5世紀前半の築造と推定されている。 |
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大久根公園 墳丘は、現状 一辺8m・高さ1.5mで この下に本来の墳丘が埋まっている。 そばの大久根遺跡からは 方形周溝墓も見つかっている。 |
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説明板完備 |
方向を変えて見る |
周辺には小さな墳丘がいくつも確認できるという。
歩いて見学したら楽しいだろう・・・。
地頭山古墳 | 厚木市船子 撮影日2018/3/25 |
昭和52年(1977)に国道246線バイパス工事の際発見され、国道を半トンネル状(地頭山洞門)にして古墳が保存された。
地頭山古墳墳丘図 地頭山古墳は 全長70mの前方後円墳 後円部径30m・後円部高さ6m 前方部幅24m・高さ4m 前方部が北を向く。 未発掘。 出土品はないが、形から 5世紀前半〜中ごろの築造と推定されている。 |
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地頭山古墳入口 坂の上にある。 |
前方部の高まり |
前方部から後円部を見る |
後円部から前方部を見る |
墳丘に沿って一部歩けるようになっている。
愛甲大塚古墳 | 厚木市愛甲・伊勢原市石田 撮影日2018/3/25 |
説明板は見あたらない。
住宅売り出し中のなか、後円部だけが丸く残っている。
愛甲大塚古墳は 80〜90mの前方後円墳 後円部径45m・前方部長さ30mと推定されている。 現状は、径30〜35m・高さ5mの楕円状。 埋葬施設は不明だが、石室ではないと考えられている。 鉄鏃片と土器片が出土。 愛甲大塚古墳 墳丘図 西に前方部があったと考えられている。 前方部には、平安時代の住居跡があり、それ以前に壊されていると考えられている。 |
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後円部 前方部は、好評分譲中! |
愛甲台地の先端にあり、 南側(右側)は崖となっている。 |
厚木市と伊勢原市の境にあって、伊勢原市では石田車塚古墳と呼ばれている。
近くには、石田遺跡群の説明板がある。
小金塚古墳 | 伊勢原市高森 撮影日2018/3/25 |
長龍寺の駐車場に駐車。お彼岸で、墓参りの人がちらほら・・・。
長龍寺後ろ側の台地に小金塚古墳がある。
小金塚古墳は 径47mの円墳 高さ6.2m 相模最大の円墳 1984年の調査で、幅10mの周溝が確認された。 周溝から、朝顔形埴輪・円筒埴輪・青銅製リングが出土 朝顔形埴輪は、ほぼ完全に出土していて、現高は約80cm。 4世紀末の築造と推定されている。 小金塚古墳墳丘図 |
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小金塚古墳全景 |
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長龍寺の背後に大きな墳丘が見える |
小金神社鳥居 背後が墳丘 |
墳頂部は削られて、小金神社の社殿が建つ。 |
周溝があったという。 |
現在は、小田急線と国道で分断されているが、もとは北側の丘陵と一続きだった。
大人塚古墳 | 伊勢原市池端 撮影日2018/3/25 |
西から張り出した台地の先端部にある。
説明板は見あたらない。知らないと古墳だとは思わないかもしれない・・・
大人塚古墳は 現状は 18m×14mの方墳状 、高さ約5m 埋葬施設は不明 1993年に実測調査 |
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大人塚古墳遠景 東側から見る 背後の台地上に墳丘がある。 墳丘は、青い屋根の家の後ろに隠れている。 画面左から、丘を上ると墳丘がある。 |
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いびつな形をしている。 |
墳頂 眺めがいい |
200mほど西にある御岳神社の社地だそうで、城としても利用されたそうだ。
心敬塚古墳 | 伊勢原市三之宮 撮影日2018/3/25 |
三之宮高区配水池の横にある。狭い道だが、車でそばまで行ける。
丘陵上に築かれた比較的大型の円墳 未調査で詳細は不明 この地に葬られたといわれる心敬は、 応仁の乱で京を追われ、浄業寺に閑居したという連歌師で、日本文学史上有名な人物。 |
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配水池施設の横にある。 |
立ち入りできるような感じではない・・・ |
説明板は見あたらない。
松山古墳 | 伊勢原市三之宮 撮影日2018/3/25 |
高台に丸い墳丘が見える。
松山古墳は、径34m・高さ6mの円墳と推定されている。 現状は 径19m・高さ5m。 未発掘なので、詳細不明 |
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松山古墳 きれいな墳丘 |
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方向を変えて見る |
東側のふもとから見る |
石材の露出がないので、竪穴系の埋葬施設ではないかとみられている。
三之宮3号墳 | 伊勢原市三之宮 撮影日2018/3/25 |
三之宮比々多神社の境内に、三之宮3号墳の石室がある。
下戸谷遺跡の移築と共に昭和42年に移築復元された。
三之宮3号墳は 御領原古墳群の円墳の一つで、東名高速道路の工事で消滅。 野石積の横穴式石室は、玄室長7m、全長12m 馬具断欠(金銅製責金具・雲珠・轡など)のほか、 鉄 製三角穂鉾・直刀断欠・刀子・鉄鏃・玉類・須恵器が出土。 1964年に発掘調査 |
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三之宮3号墳石室 (移築復元) 御領原古墳群は、 大山街道と鈴川との間の台地上に、かつて存在した大古墳群。 昭和初年当時70基以上あったが、 残念ながら現在はほとんど姿を失ってしまった。 |
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入口から奥壁を見る |
奥壁側から入口を見る |
三之宮3号墳石室のそばには、下谷戸縄文遺跡の環状列石及び住居跡が移築復元されている。
下谷戸(シモヤト)縄文遺跡の環状列石及び住居跡 | 伊勢原市指定史跡 |
下谷戸縄文遺跡は、東名高速道路の建設にともない、昭和40〜42年に発掘調査された。 三之宮比々多神社の南東、県道上粕屋・南金目線が東名高速道路と交差する付近にあたる。 ここに残る遺構が、昭和42年に移築・復元された。 縄文時代から古墳時代にかけての遺構が数多く発見された。 なかでも縄文時代の遺構は、 当時としては比較的珍しい大規模な配石遺構群が確認され、 おびただしい数の石が出土した。 時期は、出土した土器から縄文中期から後期と考えられている。 主な遺構としては 張出部をもつ柄鏡形の敷石住居址、配石、環礫方形配石遺構、墓壙群等がある。 敷石住居址には、住居全面に石を敷くもの、中心部分にのみ部分的に敷くものが見られる。 配石は幅2mほどの帯状の範囲に石が集中して置かれているもので、 それが半円形にめぐっている。 環礫方形配石遺構は、小さな礫を一辺5mほどの方形に敷き並べたもので、 周囲からは焼けた土や鳥獣の骨片が検出されている。 配石の下からは、墓壙と思われる楕円形の土壙群が発見され、 環礫方形配石遺構の下からも人骨が出土している。 このほか、本遺跡では弥生時代後期、古墳時代前期の住居跡、 古墳時代後期の古墳の周溝等も確認されている。 下谷戸遺跡7号墳では、南関東最古の横穴式石室(6世紀前半築造と推定)が確認されている。 |
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敷石住居址 |
環状列石(ストーンサークル) |
下谷戸縄文遺跡の説明板はりっぱだが、三之宮3号墳は案内板しかないので、詳しいことはわからない。
三之宮比々多神社
相模国の三之宮
三之宮比々多神社の裏側から入ってしまった・・・。
埒免古墳 ラチメンコフン |
伊勢原市三之宮 撮影日2018/3/25 |
恵泉女学園構内にあるそうだが、女学園は閉校してしまっていて、見学できる見込みはない・・・。
埒免古墳は、墳丘の周囲にめぐる溝の跡から、直径40mの円墳と考えられている。 横穴式石室は、玄室幅2m・長さ4.8m、羨道幅1m・長さ4m 高さ1.7〜1.8m 石室内から、飾太刀や鏡、金を張った馬具などが出土し、 伊勢原市指定重要文化財となっていて、三之宮比々多神社の郷土資料館に展示されている。 6世紀後半〜7世紀(古墳時代後期)としては、地域最大の古墳となる。 昭和39年に建物の建設中に発見された。 平成12年からの建物の建て替えに伴う発掘調査、平成14年の石室再調査 戦国時代以前は、この地に三之宮比々多神社があり、埒免と呼ばれていたという記録がある。 |
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古墳の手前に柵、 「関係者以外立入禁止」の立て看板 |
石室は、この辺りだろうか? |
現在、埒免古墳の石室は、巨大な天井石が半分以上埋め戻されているそうだ。
南の尾根上ある登尾山古墳でも、埒免古墳に匹敵する副葬品が出土している。
塚越古墳へつづく