更新日 2018/7/31

2018春・静岡東部・神奈川県西部
その8 茅ヶ崎市・伊勢原市1
2018/3/21〜25

三浦半島の逗子市から茅ヶ崎市へ向かう。


車窓から見た江ノ島


LAWSONLTF大庭大橋南店で 昼ごはんを買って・・・
茅ヶ崎市の堤十二天古墳群を探す。

周辺の地図g

堤貝塚
市指定史跡
茅ヶ崎市堤
撮影日2018/3/24

堤十二天古墳群は堤の湘南テニスクラブの東にある。
テニスコートのあたりは、「堤貝塚(堤十二天A遺跡)」だ。

堤貝塚(堤十二天A遺跡)の説明板

貝塚を伴う縄文時代の集落跡
昭和13・14年に発掘調査された。
茅ヶ崎市では最初の考古学調査地点である。
貝塚は斜面に造られた竪穴住居跡に残されていた。

貝塚の説明板はもう一つある。
遺跡は埋め戻されているようで、見学はできない。
通りがかりの人に、リサーチした結果、堤十二天古墳群の場所が判明。


堤貝塚から東を見ると
   堤十二天古墳群のある林がある。


車の止まっているあたりから林に入ると
十二天古墳群があるという。

テニスコートのある高台を、一旦北に下り、東の林の中に入る。道が狭い。

堤十二天古墳群 茅ヶ崎市堤
撮影日2018/3/24

茅ヶ崎海岸から北へ約5kmの丘陵にある。
妙伝寺の前を南の谷へ入り、分かれ道を右へ、そして左へ、
丘を登ると、林の中に2基の古墳がある。

 堤十二天古墳群は、昭和50年の調査で、前方後方墳1基 円墳1基が確認されている。
  6・7世紀の築造と推定されている。
  未調査なので、詳細不明。
 2基の墳丘は北に向かって緩やかに傾斜する尾根上の台地に、
    自然の地形を利用して、19mの間隔でつくられている。
 南の1号墳は、全長30mの前方後方墳 幅15m  墳頂部の標高39.5m
 北の2号墳は、径20mの円墳 墳頂部の標高36.9m
 茅ヶ崎北部を中心とした小領域を支配する中・小首長の2世代の墓と考えられている。
       (説明板から)

1号墳 後方部側   北から見る

1号墳 後方部から前方部を見る

1号墳前方部から後方部を見る

1号墳 後方部脇から前方部を見る

南から見た2号墳

名前の由来になった十二天の祠か。

ちょっと海岸から入っただけで、かなりの田舎に来たような雰囲気だ!

大神塚古墳
オオジンヅカコフン
町指定史跡
寒川町321岡田
撮影日2018/3/24

大神塚古墳は、安楽寺境内にある。安楽寺の駐車場がある。
大神塚古墳の周辺には小型古墳がいくつか発見されている。

 大塚山安楽寺
 養老年間(717〜723)の創建と伝えられていて、寒川神社の別当寺でもあった。
 御本尊の大日如来座像は、像高101.5cmの木造寄木造りの平安仏で、
   寒川町の重要文化財に指定されている。

安楽寺入口

安楽寺本堂

本堂後ろに、大神塚古墳がある。

 大神塚古墳
 全長50mの帆立貝形前方後円墳  後円部径30m、同高5m
 明治41年に発掘調査
 和鏡2 漢鏡1、直刀3が出土
 陪塚からは、金銀環、勾玉、管玉などが出土
 5世紀の築造と推定されている。
 応神塚ともいわれているが、寒川神社の御祭神が応神天皇だったことに由来するらしい。

後円部 発掘中。

後円部頂には、
明治41年の発掘記念碑がある。

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

後円部頂にある発掘記念碑は、大(応)神塚周辺小型古墳発掘記念碑である。


発掘記念碑

明治44年の銘がある。


 1908年(明治41年)に大神塚周辺の小型古墳の発掘調査を記念して建てられたもの。
 この調査は、応神塚の発掘調査と同時に行われたもの
 小型古墳は5基の円墳があったと考えられていて、そのうち3基が調査された。
 1基から石室が検出され、内部から数体分の人骨と
  副葬品として耳環、勾玉、管玉、切小玉等の装身具と直刀、鏃等の鉄製品が出土した。
 この記念碑は、その古墳の付近にあったが、
  区画整理に伴い、平成19年に現在の場所に移設された。


「寒川神社由緒古墳平面図」(寒川神社蔵)
      (説明板から)
明治41年の発掘のころに
 作成されたと考えられているが、
 大神塚古墳をとりまくように小墳がある

この図の右下の古墳そばに、
 記念碑が建てられていたらしい。

この中の一つの小墳、大神塚周辺古墳群E号墳が再調査され、保存されている。
大神塚古墳前方部の墓地をはさんで南にある。

 大神塚周辺古墳群E号墳
 大塚古墳公園となる。周辺の小字が大塚なので、この名がついた。
 平成17年〜23年にかけて、寒川駅北口地区土地区画整理事業に伴い、発掘調査。
 この公園は、岡田西河内遺跡の北東部分に位置している。
 中でも、古墳時代後期(7世紀ごろ)の古墳(大神塚周辺古墳群E号墳)の石室及び周溝が再発見され、
   フェンスで囲まれている部分に、調査された古墳の石室が保存されている。
 その他、岡田西河内遺跡では、
  弥生時代中期の大集落や、近世の溝や道状遺構など多くの遺跡が発見されている。

公園及び各古墳位置図
   (説明板から)

「寒川神社由緒古墳平面図」と比べてみると面白い!

大神塚の周辺には、5基の古墳があったと記録されている
そのうちD、E号墳は発掘されて、
 D号墳はレプリカが作成され、
   文化財学習センターで展示されている。

E号墳は公園内に保存されている。

フェンスの向こう側に
E号墳石室が保存されている。

E号墳石室の表示

E号墳墳丘想定図 (説明板から)

E号墳石室  (説明板から)
石室の石は1段しか残っていない。
天井石や盛り土も既に無くなっていて、
周溝だけが発見された。

   

寒川神社 寒川町宮山
撮影日2018/3/24

相模国一宮である。建物は新しい。
「八方除けの神社」として有名で、多くの参拝者が訪れている。


神門

拝殿

先に見た大神塚古墳の出土品が展示されているというが、
本殿で祈祷を受けた人でないと見られないという話がある。

昼食をコンビニで用意して、境内で食べたが、境内にはいろいろ売っていたので買ってこなくてもよかった。
寒川神社は、病院も経営しているそうである。

大山詣り 伊勢原市大山
撮影日2018/3/24

今回の大きな目的のひとつ、大山。
市営大山第二駐車場に駐車、こま参道を20分くらい歩いて、大山ケーブル駅へ

大山ケーブル駅登り口
右上が駅


ケーブルに乗って、一気に大山阿夫利神社・下社へ。

 大山阿夫利神社     標高約700m
 第10代崇神天皇のころの創建と伝えられている。
 祭神は大山祇大神、高おかみ神、大雷神
 海人たちの守り神として鳥之石楠船神も山頂の石尊をよりしろとして祀られている。
 山頂(標高1252m)に本社、中腹に下社がある。

大山阿夫利神社下社 鳥居

大山阿夫利神社下社 拝殿

阿夫利神社からケーブルで一駅おりると大山寺駅。

 雨降大山寺  
 天平勝宝7年(775)、奈良東大寺の別当良弁僧正が開創し、聖武天皇の勅願寺となった古刹。
 通称「大山のお不動さん」として親しまれている。
 関東三大不動のひとつに数えられ、現在は真言宗大覚寺派に属し、京都大覚寺の別院となっている。

大山寺 本堂

大山寺 参道


来迎院客殿
昔は宿坊として多くの参拝者に利用されていたが、
  荒れはててしまっている。

大山ケーブルカーは、中間の大山駅ですれ違う。


麓の大山ケーブル駅から上って来た車両

上の阿夫利神社駅から下りてきた車両

2016年度グッドデザイン賞受賞の車両

約2時間で、大山の見学が終わる。

鎧塚古墳群 伊勢原市西富丘
撮影日2018/3/24

本日宿泊予定の伊勢原温泉「ニュー天野屋」の北約500m付近に、鎧塚古墳群がある。
宿を通り過ぎて、鎧塚古墳へ。

 鎧塚古墳群は、現存6基
 江戸時代の文献にも記載されていて、
  室町時代に山内上杉と扇谷上杉が戦った実蒔原の戦いの戦死者を葬ったといわれていた。
  明治14年、道路の拡幅工事を行っていた当時の西富岡村の住民66名は、
   よろい塚古墳の蓋の石が露出して、玄室が壊れそうなので、これを修理し、
   古墳に使われていた巨石を「よろい塚神社」のご神体として祀ったと伝えられている。
  木造社殿は、昭和初期に崩れ失われて、
   御神体も土に埋もれ頭部刻字の「よろい塚」のみ地表にあって
    「よろい塚」の碑とよばれるようになった。     (説明板から)
  明治23年に畳三畳大の天井石を割ると、中から人骨や武器、玉類が出土したという記録が残る。

 昭和63年に、市道の拡幅工事に伴い鎧塚1号墳が発掘調査されて、石室が確認されたが、
  忠魂碑や鎧塚神社の基礎、それ以前の盗掘により、石室の東側大半はすでに失われていた。

上空から見た調査当時の鎧塚古墳群 (説明板から)

1号墳の石室 (説明板から)
 鎧塚1号墳は  墳丘径21m・高さ3mの円墳と考えられている。
  周溝は、最大幅3.2m・深さ70cmでほぼ円形にめぐる。
  片袖式横穴式石室があり、石室全長8m  玄室幅1.6m・長さ4.2m  羨道部幅1m
  盗掘されていたため少ないが、直刀4、小刀2、鉄鏃4、玉類、などが出土
  玉類は、瑪瑙製、ガラス製の勾玉、緑色凝灰岩製の管玉、ガラス製の丸玉がある。
  6世紀の終わりころの築造と推定されている。
 周囲の5基の古墳については、未調査
  現状では、互いに20〜40mの距離を置いて点在し、直径3〜5m・高さ1〜2mほどの塚となっている。

鎧塚1号墳は、昭和63年の発掘調査後、歩道をトンネルにして保存された。

 1号墳

歩道のトンネルの上に
1号墳が保存されている。
北から見る

よろい塚神社があった1号墳
南から見る

石室のあった辺りは埋め戻されている

鎧塚神社と刻まれた石は石室の天井石!?

1号墳のまわりに2〜5号墳がある。

 1号墳以外の古墳

1号墳から見た2号墳

2号墳の墳頂には、石が立つ

3号墳

3号墳の墳丘上 葺石みたいな石もたくさん見える。

4号墳

5号墳 奥6号墳

5号墳 墳頂

6号墳

この後、4日目の最後として島残古墳群を見学したが、厚木市なので、次回まとめて紹介しようと思う。

島残古墳群へつづく

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