北村さんちの遺跡めぐり
更新日2025/9/5

千葉県旅行記
その5
2025/4/20~4/27

2025/4/22(火)3日目 夕方まで姉崎古墳群の見学をしたが、実は他に2基の古墳を見学した。
姉崎古墳群と、翌日見学予定の菊間古墳群との間の住宅街にある古墳だ。

周辺の地図g 

君塚天神山古墳 市原市君塚5丁目
見学日2025/4/22

JR内房線五井駅の北約1kmのところにある。
住宅街に砂の山が残っている。

 君塚天神山古墳は 1辺約23m・高さ約3mの方墳
 発掘調査はされていないので、詳細は不明だが、
  円筒埴輪が出土と伝えられている。
 君塚地区には、供養塚古墳・君塚クワノ木古墳・君塚天神山古墳という3基の古墳があり、
  君塚古墳群を形成してい
たと考えられている。

墳丘

墳頂に石祠がある。

君塚古墳群の君塚クワノ木古墳は一部残っているようだが、供養塚古墳はどこにあったのだろうか?   

瓶塚古墳 市原市今津朝山
見学日2025/4/22

姉埼二子塚の北約1km。位置的にはこの古墳も姉崎古墳群の1基と考えるのが妥当かも……。

 瓶塚古墳(カメヅカコフン)は   直径7m・高さ2mの円墳
 墳頂に石碑がある。

瓶塚古墳は春日神社の境内にある
社殿左手に墳丘がある。

墳丘手前の石碑は
神社由緒や鳥居奉納に関するもの

墳頂には「富士浅間神社」の石碑がある。

富士塚として活用されているようだ

4/22 三日目の夕飯は サイゼリヤ市原姉崎店
宿泊は スーパーホテル千葉市原の朝食ビュッフェ付プラン       

 

2025/4/23 4日目に入る

8時に出発  
 椎津稲荷山古墳を目指したが、ナビ入力失敗で行き着けず、早々に断念
 椎津外郭古墳は、椎津城跡にある古墳らしいが消滅らしくてこれも早々に断念
次!!

前日に暗くなってしまってよく見えなくなってしまった姉崎二子塚古墳をもう一度確認してから
午前9時、LAWSON市原千種1丁目店で本日1回目の休憩……

仕切り直して、菊間古墳群の見学へ。

菊間手永台1号墳
菊間古墳群
市原市菊間
見学日2025/4/23

菊間天神山古墳の南東250mに小型の前方後円墳がある。

 菊間手永台1号墳は 径20mの円墳と思われていたが、
  現在は全長22mの前方後円墳と考えられている北側に短い前方部がある

南から見る

北側・前方部側から見る

   

菊間天神山古墳
菊間古墳群
市史跡
市原市菊間
見学日2025/4/23

大きな円墳!!

 菊間天神山古墳は  直径約44m・高さ3.5mの円墳
 かつて墳丘からは、6世紀前後の円筒埴輪が発見されている。
 周溝の一部の調査では、6世紀前半ころの円筒埴輪や形象埴輪が発見されている。
  (市原市歴博HPから)
 墳頂には天満宮の小祠が祀られている

東から見る

 墳裾に菊間天神山古墳の説明板がある

墳丘への登り口

赤い鳥居の向こうが墳丘平坦部

墳頂平坦部には天満宮の石祠がある

墳頂より墳裾を見下ろす





菊間天神山古墳 周濠跡
 説明板から
 前方後円墳の可能性があると書かれているが、最近の資料では「円墳」と書かれている。

菊間天神山古墳墳丘測量図  (分布調査報告書から)

  

東関山古墳
菊間古墳群
市原市菊間
見学日2025/4/23

東関山古墳の前の道路は狭くて駐車できないので、どうしようかと思っていたところ、
たまたま東関山古墳の向かいの家の方が出ておいでたので、家の前の駐車をお願いして快諾いただけた。

 東関山古墳は  全長90mの前方後円墳  後円部直径50m 
 周溝を含めると、全長120mを超える可能性が考えられている。
 古墳時代中期の築造と推定されている
 発掘調査は行われていないが、周辺部の調査がされている。
   (市原市歴史博物館HPから)

東側後円部裾から前方部を見る

東側後円部裾の「東関山古墳」標柱に説明文
「全長約61m 後円部径約32mの前方後円墳
古墳時代中期の築造と考えられている。」

後円部裾に祀られている石祠 「稲荷大明神」

後円部から前方部方向を見る
 全く見通しがきかない

西側後円部裾から前方部を見る

北側の前方部先端

東関山古墳墳丘測量図  (分布調査報告書から)

   

北野天神山古墳 (権現山古墳)
菊間古墳群
市原市菊間
見学日2025/4/23

東関山古墳から北を見ると、北野天神山古墳の後円部が見える。

 北野天神山古墳は  90mほどの前方後円墳 
 前方部が削られていて、現状は直径41m・高さ8mの円墳状。
 東側に前方部があった。
 古墳時代中期の築造と推定されている。
 墳頂には小さな天満宮の祠がある。

東関山古墳から見た北野天神山古墳


後円部を南西から見る
 右側に前方部かあった
白い案内標柱には簡単な説明がある

「現状では径41m高さ8mの円墳 
未調査 前方後円墳の可能性もある
古墳時代中期ごろの築造と推定されている」

後円部裾から前方部(東方向)を見る

後円部

後円部を見上げる

.墳頂平坦部 天満宮の石祠

墳頂平坦部

消滅した前方部側から後円部を見る

  

姫宮古墳
菊間古墳群
市史跡
市原市菊間
見学日2025/4/23

西側の道路から民家の西側に入ると、前方部。手前に駐車スペースがある。

 姫宮古墳は  全長51mの前方後円墳  後円部径約18m・高さ3.9m、前方部高さ3.6m
 未調査のため詳細は不明、周溝の形や副葬品も不明
 古墳時代後期(6世紀)の築造と推定されている
 前方部墳頂には1914年の昭和天皇(当時皇太子)の陸軍機動演習観戦記念碑が建っている。

前方部先端
説明板と「千葉県重要遺跡姫宮古墳」石碑

前方部頂にある
昭和天皇(当時皇太子)の陸軍機動演習観戦記念碑

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

後方部墳頂

民家の庭越しに見る姫宮古墳墳丘  南西から
左奥に前方部  右に後円部
 説明板から

姫宮古墳墳丘測量図  (分布調査報告書から)

菊間古墳群位置図
①姫宮古墳  ②権現山古墳(北野天神山古墳)  ③東関山古墳  
④菊間天神山古墳  ⑤新皇塚古墳  ⑥手永台1号墳

  

菊間新皇塚古墳
菊間古墳群
市原市菊間
見学日2025/4/23

北野天神山古墳の北約200mの所に菊間新皇塚古墳の後方部が残っているという。
民家横の道の奥らしいが……。

 菊間新皇塚古墳(キクマシンノウヅカコフン)は、総数50基にのぼる菊間古墳群を構成する1基。
 発掘調査された当時は、一辺約40m・高さ7mの四角い墳丘だったが、
 もとは全長60mほどの前方後方墳であったと考えられている。
 墳丘上面には、細長い粘土槨2基があり、盗掘等の破壊を免れており、
  副葬品の伴う割竹形の木棺痕跡が発見されている。(市原歴博HPから)

民家横の入口

ジャングルで入れない……

上総国分寺跡を見学したときに、「将門塔」があり、
 元は菊間新皇塚古墳の墳丘上にあったという説明があった。

大厩二子塚古墳
菊間古墳群
市原市大厩
見学日2025/4/23

菊間新皇塚古墳の南東約1.5kmにある前方後円墳。
東側の住宅街の奥に駐車して、後円部によじ登ったが、実は西側の前方部側が入口のようだ。

 大厩二子塚(オオマヤフタゴヅカ)古墳は   全長約70mの前方後円墳
  後円部は直径約40m・高さは約7m 前方部より1.7mほど高い。
  葺石なし 埴輪なし
 墳形から、古墳時代前期後半ころ(4世紀中葉~後半)の築造と推定されている。
 村田川を北に望む台地縁辺に立地。
 平成6年に墳丘の測量調査      (市原歴博HPから)

後円部

後円部墳頂から墳裾を見下ろす
 道が付いている?

後円部墳頂平坦部 赤い杭がある

後円部から前方部を見る

くびれ部から後円部を見る

前方部より後円部を見る


大厩二子塚古墳 くびれ部の標柱
説明文
「菊間古墳群に含まれる古墳で、
 全長63.4m・後円部径37.5mの前方後円墳
 墳丘形態から、造られた年代は
  5世紀前半頃と考えられている。」

大厩二子塚古墳 前方部裾 左に後円部

前方部斜め後ろより全景


大厩二子塚古墳墳丘測量図   (分布調査報告書から)

大厩地区には、出土品が市指定文化財となっている「大厩浅間様古墳」があったが、
墳丘が消滅していて、痕跡もわからない(?)のは残念だ。

大覚寺山古墳
県史跡
千葉市埋蔵文化財調査センター
千葉市中央区生実町
見学日2025/4/23

千葉市に入る。千葉市で最大の古墳とされている大覚寺山古墳。

千葉市埋蔵文化財調査センターに駐車、
センター西にある大覚寺山古墳はさらに西側に行かないと上り口がない。、遠い……

 大覚寺山古墳は 全長63mの前方後円墳  市内では最古・最大の古墳
  後円部直径44m・高さ5.5m 前方部幅33m
 4世紀後半の築造と推定されている
 昭和48年造成工事のための伐採により発見され、翌49年測量調査
 生実丘陵の南端に突き出した標高約19mの台地先端部を利用して築かれている。

後円部脇から前方部を見る

前方部手前から後円部を見る

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る
 説明板から

大覚寺山古墳墳丘測量図  (分布調査報告書から)

 千葉市埋蔵文化財調査センターでは、千葉市内の出土品を展示している。

 千葉市埋蔵文化財調査センターの展示の一部紹介

縄文時代の土器展示

弥生時代の土器展示
 七廻塚古墳出土品
  大覚寺山古墳の西の東小学校運動場には、かつて七廻塚古墳(5世紀)があった。
 直径60mの円墳で、
   この古墳から出土した石釧、臼玉などがセンターで展示されている。

石釧 市指定文化財 七廻塚古墳出土
精巧な文様が施された完形の逸品
草刈3号墳(市原市)の石釧に酷似している

臼玉 市指定文化財
七廻塚古墳出土

古墳時代の鏡
下段中央が七廻塚古出土の鏡

  

へたの台貝塚 文禄第2遺跡
下田遺跡 七廻塚古墳 上人塚古墳

大覚寺山古墳は発掘調査されていないので、出土品の展示はない。  

椎名崎古墳群C支群
県史跡
千葉市緑区おゆみ野南
見学日2025/4/23

おゆみ野南公園に 7基の古墳が保存されている。
駐車場・トイレ完備!!
保存された墳丘は、高さがなく古墳には見えない。

 おゆみ野地区には開発前300基近くの古墳が存在していた
 椎名崎古墳群C支群は 約40基の古墳があり、大半は古墳時代後期の古墳
 「古墳の丘」に前方後円墳2基、帆立貝形前方後円墳2基、円墳1基、方墳2基   
     が雑木林に保存されている。

椎名崎C古墳群配置図
  (説明板から) 


「古墳の丘」の7基以外は
 住宅地となり、
 ほとんど残っていない。


保存古墳の配置図    (現地案内図から)

C1  前方後円墳
 全長30m
C2  方墳
 一辺12m
C3  方墳
 一辺15m
C4  帆立貝形前方後円墳
 全長12m
C5  前方後円墳
 全長18m
C6  帆立貝形前方後円墳
 全長15m
C7  造出し付き円墳
 全長12m

椎名崎C支群保存区域墳丘測量図
 (分布調査報告書から)
 椎名崎C1号墳 
 全長約30m・高さ約1.5mの南東向きの前方後円墳
 現存最大規模で、前方後円墳の中では唯一前方部が発達している。

C1号墳 前方部から後円部を見る

C1号墳 後円部から前方部を見る

C1号墳横姿  右に後円部 墳丘に高さが無い
 椎名崎C2号墳   一辺約12m・高さ約1.5mの方墳

C2号墳 北東から見る

C2号墳 南南東から見る
 椎名崎C3号墳  一辺約15m・高さ約1.5mの方墳

C3号墳 北西から見る

C3号墳 北東から見る
 椎名崎C4号墳  長さ約12m・高さ約1.5mの帆立貝形前方後円墳

C4号墳 北北西から見る

C4号墳 北東から見る
 椎名崎C5号墳  全長約18m、高さ1m強の西向きの前方後円墳

C5号墳 後円部から前方部を見る

C5号墳 前方部から後円部を見る
 椎名崎C6号墳  全長約15m・高さ約2mの西向きの帆立貝形前方後円墳

C6号墳 後円部から前方部を見る

C6号墳  前方部から後円部を見る
 椎名崎C7号墳  全長約12m・高さ約1.5mの造り出し付き円墳
 西南西に造り出しがある。

C7号墳

C7号墳 墳頂部

7基あるのだが、全て高さがなく、分かりにくい……

近くのイオンタウンおゆみ野内の「サンマルクカフェ」でランチです。


千葉県
草刈古墳群
県史跡
市原市ちはら台西3丁目
見学日2025/4/23

ちはら台公園に草刈11号墳を中心に、12基の古墳が保存されている。



ちはら台公園総合案内図

  下が北となる

 草刈古墳群は   開発前は140基ほどが存在していた
  現在はちはら台公園に12基、南のまきぞの自然公園に草刈33号墳が保存されている。

草刈古墳群配置図 (説明板から)
復原整備されている 周溝のみ確認された古墳もあるようだ。
 
保存区
3号墳
円墳
11号墳 前方後円墳
全長49.5m・高さ2.m
保存区
2号墳
円墳
直径約10m (周溝のみ)
保存区
1号墳
円墳
直径10m、高さ0.9m
13号墳 円墳
直径約21m・高さ2.m
10号墳 円墳
直径15m・高さ1.8m
9号墳 円墳
直径13m・高さ1.4m
8号墳 楕円形墳
南北21m・東西24m
・高さ2.1m
7号墳 円墳
直径18.6m・高さ1.2m
保存区
21号墳
円墳
6号墳 円墳
直径20m・高さ1.4m
保存区
24号墳
円墳
直径14m・高さ0.5m

保存区域墳丘測量図     (分布調査報告書から) 
12基の古墳が復元されているが、墳丘測量図を見ると、ほかにも多くの古墳があったようだ。

駐車場に駐車して、管理棟側から見学。


保存区3号墳

保存区2号墳
後ろは11号墳前方部から右端に後円部
左奥は13号墳か?

左は11号墳後円部 奥に保存区24号墳 6号墳

11号墳前方脇から後円部を見る  右端は保存区2号墳

草刈11号墳 前方部から後円部を見る

保存区1号墳

草刈13号墳 手前は保存区1号墳

草刈10号墳 左に13号墳

草刈9号墳 右は8号墳

草刈9号墳 左は10号墳

草刈8号墳 右奥は7号墳

草刈8号墳 左奥に11号墳 右奥9、10、13号墳

保存区21号跡

草刈7号墳

草刈6号墳 右奥は保存区24号跡

保存区24号跡

左から保存区1号、草刈13、10、9、8号墳

ちはら台公園の南約500mのまきぞの自然公園に「草刈33号墳が保存されているという。


実は 33号墳は確認できなかった……

埴輪がある全長42mの前方後円墳 


  


千葉県
道円坊古墳
県史跡
大網白里市季美の森南4丁目7
むぎわら公園内
見学日2025/4/23

大網白里市の季美の森団地のむぎわら公園の中心に残されている。

 道円坊古墳は  1辺約25m・高さ4.5mの方墳
 古墳時代後期のものと考えられている。
 古墳の南側は削平されているが、遺存状態は比較的良好
 山田台遺跡群の古墳のなかでは唯一墳丘が残されている。
     (大網白里市デジタル博物館から)

道円坊古墳を見上げる

周溝跡が残っている

方向を変えて見る

墳頂部


セブンイレブン大網白里みずほ台店にて休憩

長柄横穴群
国史跡
長生郡長柄町徳増
見学日2025/4/23

国史跡の横穴を見学。

長柄横穴群 入口



長柄横穴群資料館があるが、資料館は、常駐ではなく、インターホンでお願いすると、
  5分くらいで係の人が鍵を開けるために車で来て、見終わるまで待っていてくれる。

 長柄横穴群資料館


長柄町の文化財・遺跡の紹介や
  出土物展示がある。

目玉の展示は
長柄横穴群13号墓のレプリカ展示だ。
 長柄横穴群13号墓のレプリカ

13号墓

13号墓内部の棺台レプリカ
   
線刻画のレプリカもあるが写真ではうまく撮れないので、パンフレットの図を引用


出土物展示の様子

左下の壺は、18号横穴から出土した。


長柄横穴群からはあまり出土物がなく、
 近くの千代丸・力丸横穴群からの
 出土物展示が多い。

千代丸・力丸横穴群は、ゴルフ場になっているようだ。

 長柄横穴群徳増支群は 一宮川上流の北側に広がる丘陵の斜面に築かれた横穴群
  2支群9小支群で構成される36基が国指定史跡として指定を受けている
 それぞれの小支群は
  小さな谷津に面する南斜面もしくは東斜面に掘り込まれた横穴が
  数基単位で集中して並んでいる。
 横穴群の築造時期はその多くが7世紀代で、古墳時代の終末段階に相当する
 長柄横穴群の横穴の多くは、この地域に特有の「高壇式(コウダンシキ)」と呼ばれる形態のもので、
  玄室部床面は羨道部よりも高い位置に築かれており、
  平均1.5m程度の段差を持っているのが特徴である。
 玄室は天井部の断面がカマボコ形を示す「アーチ形」と呼ばれるものと、
  天井部と壁面が家の屋根と壁を模した「家型」と呼ばれるものに大きく分かれる。
 この他に「ドーム形」と呼ばれるものも少数存在する。
 玄室の床面には「棺座」と呼ばれる棺を納めるための掘り込みが設けられているものもある。
 第13号墓に代表されるように鳥、家や五重塔と推定される絵などが
  壁面に彫り込まれたもの(線刻壁画)も確認されている。
     (千葉県教育委員会HPから)

「高壇式(コウダンシキ)」の説明 (展示から)



長柄横穴墓 配置図

(展示から)

第1支群が見学できるように
 整備されている。

第1支群横穴の配置図 (パンフレットから)
 第5号墓

保存整備前の写真  (説明板から)
    
玄室の天井はアーチ形に造られている

   (説明板から)  


長柄横穴第5号墓 ワイパー付きガラス戸

内部
 第10号墓
玄室内は家形につくられている

(説明板から)

入口
 第11号墓
 羨道を復元している


保存整備前の羨道正面 (説明板から)
  

入口
  

第11号墓 左棺台

第11号墓 右棺台
 第12号墓
 家形で床面に1か所の棺座がつくられている。


保存整備前
左・正面  右・玄室内左側

入口
 第13号墓

線刻画があるので公開されていない


レプリカが資料館があるので
  見学してください!!
 第14号墓

保存整備前は
長い年月の間に樹木が生い茂っていた。

 (説明板から)

入口

内部
 第15号墓
 遺体を置いた場所(棺座)が4か所造られている

イメージ図 (説明板から)
  

入口
   

内部 左側

内部右側
 第16号墓
  墓前域イメージ図
墓前域が残っていた。 
この場所で葬りごとをしたと考えられる。
(説明板から) 


入口

内部

全部は見なかった この辺でやめます……


能満寺古墳(長生郡長南町)  につづく 

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