北村さんちの遺跡めぐり
更新日2025/6/13

千葉県旅行記
その1 
2025/4/20~4/27

芝山町教育委員会発行の「房総の古墳を歩く」を見て、
  千葉県に行きたいなと常々思う。

2025/4/20 (日)   千葉県に向かって出発!
5:12 発 - 5:18 徳光IC - 5:59 富山IC                     
- 6:29(-41) 道の駅 細入 - 7:44(-48) 安房トンネル - 7:55(-806) グレンパークさわんど
-9:45 松本IC - 927(-44) 八ヶ岳PA - 10:55 料金所 - 10:58(-1106) 石川PA
- 11:24 永福 - 11:30 -C2湾岸線 - 11:52 -浮島からアクアライン      
- 12:00(-15) 海ほたる(木更津市)

海ほたる

天気が良くなくて、強風が吹いていたので、トイレ休憩だけ……

- 12:20 - 木更津本線料金所 - 12:38 富津中央IC    
- 12:41(-102) ミニストップ富津佐貫店で ようやく昼食です。  

今回の旅の最南端、富津市弁天山古墳へ。

富津市の地図g

弁天山古墳
国史跡
富津市小久保
見学日2025/4/20

内裏塚古墳群の南約4km、弁天山古墳。
富津市中央公民館の駐車場がある。
石室が覆い屋の中に保存されている。

 弁天山古墳は  全長87.5mの前方後円墳 
  後円部径50m・後円部高さ7.5m、前方部幅54.5m
 盾形周濠がある。 2段築成 葺石なし
 埴輪あり
 後円部の竪穴式石室は、4.9m×0.96mの大きさ
  側壁は川原石を積み、天井石は板石3枚。中央の板石には縄掛突起がある。
 直刀、剣、鉄鏃、甲冑などの武器や武具類が出土。
 5世紀後半の築造と推定されている
 昭和2年に発掘調査。昭和50年から4年間で整備保存

弁天山古墳 左後円部 右前方部

前方部手前から見る

後円部脇から前方部を見る

東側くびれ部の小久保弁財天堂

前方部先端

くびれ部の上り口

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

後円部には、
竪穴式石室が
覆い屋の中に展示されている。

石室覆い屋

竪穴式石室の天井石

中央の天井石の縄掛け突起

天井石の下は埋まっている
 弁天山古墳 説明板から

弁天山古墳竪穴式石室 (続古墳辞典から引用)
 小久保藩陣屋跡
 富津市中央公民館付近の敷地は小久保藩が置かれ、藩邸・藩校が所在していた場所。
 明治維新期の短期間、1868年に遠江相良藩の田沼家が移封され、
  1871年の廃藩置県まで存続した。 石高は1万石余 。
弁天山古墳麓の石碑
「小久保藩陣屋跡」

藩邸の庭園跡
小久保藩庁・藩主邸跡の説明板がある。 




富津市の大古墳群「内裏塚古墳群」の見学へ
富津市発行の「内裏塚古墳群マップ」を参考にさせてもらった。
古墳名の前の数字は、内裏塚古墳群マップの番号に合わせている。

8 姫塚古墳     
内裏塚古墳群    
富津市青木
見学日2025/4/20

後円部の一部が残っている。

 姫塚古墳は 墳丘長61mの前方後円墳  後円部径29m・前方部幅34.5mT
 盾形周濠があり、周濠を含めると全長82mとなる
 埴輪なし
 横穴式石室(自然石乱石積片袖式)がある。
 直刀・鉄鏃・馬具・耳環や須恵器などが出土
 6世紀後葉の築造と推定されている
 昭和13年 石室発掘  平成18年 確認調査

現在 石室周辺部分だけが残存している。
説明板があるらしいが、藪の中に埋もれている。
石室の石材が露出しているらしいが見えない

    

4 稲荷山古墳
市史跡
内裏塚古墳群
富津市青木稲荷山
見学日2025/4/20

西側くびれ部の道沿いに説明板、上り口がある。
内裏塚古墳の南西1km。

 稲荷山古墳は  墳丘長106mの前方後円墳
  後円部径47m・前方部幅73m・後円部高さ6m  前方部が極端に発達している。
 盾形二重周濠を含めると 全長202mとなる。
 円筒埴輪列・形象埴輪(家・人物・サシバ・動物)がある。
 横穴式石室(入り口部分のみ発掘)がある。
 6世紀後葉の築造と推定されている
 平成2年・10年 確認調査

稲荷山古墳 後円部 左奥に前方部

稲荷山古墳 後円部側周溝

西側くびれ部の墳丘入り口
 元は家が建っていたので墳丘は削られている

前方部から後円部を見る

前方部には小さな石祠

後円部から前方部を見る

全景 前方部斜め後ろから見る 
左奥が後円部   手前は立派な周濠跡
 説明板から

稲荷山古墳図  (古墳辞典から)

かつて人家があったので、
 くびれ部東側と前方部側が
 大きく削られている

墳丘の周囲は、
 水田で盾形周濠の名残がよくとどめられている

   

14 森山塚古墳
内裏塚古墳群
富津市下飯野
見学日2025/4/20

 隣りに山王区公民館があるが、北側の道路が広いので、しばらく路駐。   

 森山塚古墳は  墳丘辺長27mの方墳 高さ4m
 二重周濠があり、内周濠を含めると42.6mとなる。
 埴輪はない
 切石積み両袖式の横穴式石室は全長7m
 金具・鉄釘や須恵器・土師器が出土
 6世紀末葉の築造と推定されている。
 昭和58年に石室発掘調査

北から見た全景

森山塚古墳 墳頂平坦部

墳頂平坦部には石材が散乱?

墳頂平坦部の「森山塚」の石碑

森山塚古墳 墓地側(南)から見る
  「飯野地区活性化推進協議会」設置の説明板

      飯野ふる里散歩道の起点1

  

3 三条塚古墳
市史跡
内裏塚古墳群
富津市下飯野
見学日2025/4/20

後円部東側に入口がある。入口に駐車。
飯野陣屋跡の内側にあり、外濠がそのまま飯野陣屋の堀に利用されている。
墳丘の東側は、江戸時代の末期に藩校明進館が建てられて削られている。

 三条塚古墳は  全長122mの前方後円墳 後円部径57m・前方部幅72m 高さ6m
 前方部が良く発達している
 盾形二重周濠 周溝を含めると全長193mとなる。
 埴輪はない
 後円部中腹の横穴式石室は、長さ8.5m以上・幅1.5m
 鏡・直刀・鉄鏃・耳環・馬具塁・空玉・ガラス小玉・土製小玉・須恵器のほか人骨3体分が出土
 6世紀末葉の築造と推定されている
 平成元年発掘調査  (露出した天井石の手前の部分の発掘で、玄室は未発掘)
 内裏塚古墳群では最後に築かれた首長墓で、この時期としては東日本最大の規模。

入口に説明板
藩校明進館が建てられていたところ

墳丘中腹に露出した横穴式石室の天井石
石室周辺は立入禁止の張り紙がある。

玄室部分は未調査

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

三条塚古墳後円部 左側に前方部
 説明板から
 
「飯野地区活性化推進協議会」設置の説明板  飯野ふる里散歩道4

三条塚古墳図 (古墳辞典から)

かつて墳丘上に
 飯野藩の藩校が建てられていたので
 東側のくびれ部付近が
 コの字形に大きく抉られている


 飯野陣屋跡
 飯野陣屋は飯野藩初代の藩主保科正貞が慶安元年(1648)に築造したといわれていて、
   廃藩置県に至るまで223年飯野藩主の居所だった。
 三条塚古墳を取り込んでいて、西側の濠は古墳の周溝を利用していることが
  発掘調査により判明している。
 長州徳山・越前敦賀とともに日本三陣屋とよばれた昔の面影を、
     その周濠や土塁にとどめている。

飯野陣屋の図
  (説明板から)
三条塚古墳のくびれ部に藩校があり、
前方部には、物見台がつくられていた。
「下飯野陣屋の図」や
  「飯野陣屋古図」などの
  古絵図が残っている。
 二の丸の敷地内に、稲荷塚古墳(一辺21mの方墳・横穴式石室)があったが
     許可なく削平されたという……

   

13 亀塚古墳
内裏塚古墳群
富津市上飯野
見学日2025/4/20

三条塚古墳の南東側に隣接している。
飯野陣屋の外濠に利用されて、濠が曲がっている。
墳丘横に、飯野陣屋の牢屋がつくられていて、墳丘一部が削られている。

 亀塚古墳は  一辺38mの方墳 高さ3.5m 
 二重周濠を含めると一辺99m
 古墳群中、2番目に大きい方墳
 埴輪はない
 南東側に開口する横穴式石室は全長8.1m
 銅椀・耳環・トンボ玉・ガラス丸玉・ガラス小玉・鉄釘・須恵器などが出土
 7世紀初頭~前葉の築造と推定されている
 大型前方後円墳を継承する首長墓と位置づけられている
 明治41年(1908)に石室発掘、 平成元年周溝確認調査・石室再調査

墳丘

墳丘上から墳裾を見る
 説明板から

  

10 蕨塚古墳
内裏塚古墳群
富津市二間塚
見学日2025/4/20

三条塚古墳の北にある。墳丘にニワトリが放し飼いになっている。

 蕨塚古墳は 全長48mの前方後円墳 後円部径28m、前方部幅28m 後円部高さ2.5m
 馬蹄形の周濠があり、周濠を含めると全長63mとなる。
 埴輪はない
 東側にある横穴式石室は全長11.5m (状態は悪く基部が残る程度)
 人骨が12体分のほか
  銅釧、耳環、銀環、剣形飾金具、棗玉、丸玉、小玉、馬具、鉄鏃、
  須恵器などの多くの副葬品が出土
 6世紀末葉の築造と推定されている。
 昭和42年(1966)石室発掘、昭和59年(1984)・平成17年(2005)周濠確認調査

後円部手前から見る 奥に前方部

後円部裾から前方部を見る

  

割見塚・蕨塚古墳 推定復元図
  (古墳辞典から)

蕨塚古墳(下)前方後円墳
 後円部西側3分の1と前方部前面が削られている


割見塚古墳(上)方墳
 終末期方墳としては、東京湾沿岸では最大規模

次に見学

    

12 割見塚古墳
内裏塚古墳群
富津市二間塚
見学日2025/4/20

蕨塚古墳の北に、割見塚古墳の説明板があり、南からあぜ道を抜けると墳丘。

 割見塚古墳は  一辺40mの方墳、高さ3.5m
 二重周溝を含めた規模は一辺107.5m 
 埴輪はない
 横穴式石室は全長11.7mで 羨道、前室、後室、棺室の4室からなる複室構造
 前庭部を含めると全長18.74m
 (石材の多くが抜き取られており、残存状態は良くない)
 直刀、弓弭、弓金具、馬具、鉄鏃、須恵器、土師器などが出土
 7世紀前葉半の築造と推定されている
 1964年石室発掘 1983~84年周濠確認調査と石室再調査

割見塚古墳 入口

割見塚古墳 墳頂を見上げる

墳頂より墳裾(入口方向)を見下ろす

方墳としては
 栄町龍角寺岩屋古墳(78m)、
 山武市駄ノ塚古墳(60m)、
木更津市松面古墳(44m)に次ぐ
 千葉県内4番目の規模
 周濠を含めると、
龍角寺岩屋古墳(110m)に迫る大きさとなる。
 飯野地区活性化推進協議会設置の説明板
   飯野ふる里散歩道5

  

2 九条塚古墳
市史跡
内裏塚古墳群
富津市上飯野
見学日2025/4/20

内裏塚古墳の南約600m。
後円部北東側に入口がある。

 九条塚古墳は  墳丘長105mの前方後円墳 後円部径57m・前方部幅74m・後円部高7m
 盾形二重周濠があり、全長は150mとなる。
 墳丘裾に円筒埴輪列がある。
 横穴式石室は 長さ9.45mがあるが、現在は見ることはできない。
 直刀・鉄剣・鉄槍・鉄鏃・金具・馬具・耳環
  ・銀製空玉・金銅丸玉・水晶切子玉・瑪瑙勾玉・ガラス小玉
   のほか人骨や須恵器が出土
 出土した須恵器から、6世紀中頃の築造と推定されている。
 明治43年 石室発掘

北東入口から見る後円部 左奥に前方部

入口奥の登り口に説明板

後円部墳頂部 「九条塚」石碑

後円部から前方部方向を見る

前方部

前方部から後円部を見る

九条塚古墳全景 左奥に前方部

前方部側から見る  左奥に後円部
  説明板から

九条塚古墳図  (古墳辞典から)

飯野地域活性化推進協議会
飯野ふる里散歩道8

   

1 内裏塚古墳
国史跡
内裏塚古墳群
富津市二間塚ほか
見学日2025/4/20

南関東最大の前方後円墳
前方部西側に駐車場があり、上り口、説明板がある。
後円部東側にも上り口があるが、駐車場側から墳丘に上がる。

 内裏塚(ダイリヅカ)古墳は  墳丘長144mの前方後円墳 後円部径80m・前方部幅90m・後円部高13m
 盾形周濠を含めると、全長185mとなる。
 円筒埴輪列が墳丘上段・中段・下段・周溝外周にある。形象埴輪(も出土
 竪穴式石室2基 甲(東)石室は長5.7m 乙(西)石室は長さ7.5m
 甲石室から 直刀・鉄剣・小刀・鎌・角棒・斧・鉄鏃・人骨2体
 乙石室から 銅鏡・直刀・鉄剣・鉄槍・斧・鉄鏃・金具など
 5世紀中葉の築造と推定されている
 明治39年石室発掘

内裏塚古墳 前方部から後円部を見る

くびれ部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

後円部墳頂の石碑等

後円部墳頂の「内裏塚」石碑

後円部墳頂の絶世の美女「玉名」の石碑

内裏塚古墳全景 西から見る 左奥に後円部 
 兵庫県から来たという男性の車と並んで駐車。

後円部側登り口 写真の中央のちょっと左

後円部側から登る階段 狛犬が可愛い
  説明板から

内裏塚古墳 墳丘図
 (古墳辞典から)


南西の道路から
前方部に上がる小道がある。

   

19 白姫塚古墳
出土須恵器は市指定有形文化財
内裏塚古墳群
富津市下飯野
見学日2025/4/20

個人の敷地内にあり、基本的には見学できない?

 白姫塚古墳は  径30mの円墳 高さ3m 
 周溝を含めると、径37mとなる
 埴輪なし
 横穴式石室がある
 金銅製双龍環頭大刀、金銅製円頭大刀、銀装方頭大刀、挂甲小札、
   銅鋺、耳環、帯金具、須恵器など多種多様な副葬品が出土
 6世紀後葉の築造と推定されている
 明治25年に石室発掘、

個人宅の入口には白姫塚の白い標柱
東側から見る  薄くなって見えにくくなっている

白姫塚古墳 一部墳丘が見える

南から見た墳丘

墳裾の墓石群 個人宅の墓か?

   

5 古塚古墳
内裏塚古墳群
富津市二間塚字西内裏塚
見学日2025/4/20

JR内房線で西側が削られている。
まず、東側から後円部に入り見学。
その後、線路西側の前方部角から見学。
説明板は見当たらない。

 古塚(コヅカ)古墳は  全長89mの前方後円墳  
   後円部径40m・高さ5.5m、 前方部幅62m・高さ6.5m
 盾形周溝・外提を含めると全長124m
 円筒埴輪列(墳丘裾) 家型・人物・鶏・馬などの形象埴輪が出土
 埋葬施設は、未発掘のため不明 (横穴式石室か?)
 副葬品も不明。
 6世紀後葉の築造と推定されている。
 平成2年・平成6年周溝調査  平成6年には前方部の周溝及び埴輪列の調査

後円部側

後円部墳頂

後円部から前方部を見る

前方部

くびれ部から後円部を見る

後円部墳頂から墳裾を見下ろす

後円部脇から前方部を見る

古塚古墳全景 左奥に後円部
線路西側の前方部角から見る

古塚古墳 墳丘図
 (続古墳辞典から)

前方部の周溝調査(1990)では、
 周溝外縁に沿って円筒埴輪列
 その外側には
 形象埴輪群が発見された。

前方部の大きく開いた形態で
 稲荷山古墳に近い時期の
 築造と考えられている。

  

6 青木亀塚古墳
内裏塚古墳群
富津市青木
見学日2025/4/20

病院南側の道に路駐して、見学。

 青木亀塚古墳は  墳丘長106mの前方後円墳 
  後円部径50m、高さ3m、前方部幅55m、高さ4.5m
 盾形周濠を含めると 全長126mとなる。
  埴輪なし
 埋葬施設は不明  出土物も不明
 6世紀末葉~7世紀初頭の築造と推定されている
 平成2年・平成8年周溝調査 

後円部墳頂

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

後円部北角から見た墳丘

青木亀塚古墳図
 (続古墳辞典から)

墳丘の形は変形していて、
 高さも規模に比して低い

周溝跡で
 奈良時代の住居が検出された

平成2年に
 墳頂の発掘調査も行われたが、
  埋葬施設は見つからず、
 石材なども発見されていない。
 築造が中断された 未完成の古墳の可能性?(続古墳辞典から)

 

11 上野塚古墳
市史跡
内裏塚古墳群
富津市大堀
見学日2025/4/20

JR青堀駅北のロータリーに墳丘が残されている。
駅前広場造成のために破壊され、現在は後円部の一部が残されている。

 上野塚(ウワノヅカ)古墳は  全長44.5mの帆立貝式古墳
  後円部径32.5m 前方部幅25m 後円部高5m
 馬蹄形周濠を含めると全長55mとなる。
 埴輪なし
 埋葬施設不明 未発掘
 5世紀末葉の築造と推定されている
 昭和56年・昭和62年周溝調査 

北側から見るときれいな後円部

後円部から前方部を見る

細くなった前方部から後円部を見る

くびれ部から後円部を見る

墳丘図 現地説明板(陶板壁画)

緑色の部分が残っている。

削られた法面に
市内の前方後円墳の実測図が陶板で展示されている。
 説明板から

   

7 西原古墳
内裏塚古墳群
富津市大堀
見学日2025/4/20

現在残るのは後円部の中央部分のみ
鉄道敷設工事やその後の開墾などにより大きく削平されたようだ。

 西原古墳は  墳丘長60mの前方後円墳  後円部径30m、前方部幅36m
 盾形周濠を含めると 全長70~75mとなる
 埴輪なし
 横穴式石室は全長12.5m
 8体の人骨のほか
  直刀、鉄鏃、馬具、金環、銀環、丸玉、管玉、ガラス玉、
  鹿角製環状品、鹿角製琴柱形品、須恵器、土師器が出土
 6世紀中~後葉の築造と推定されている
 昭和2年・平成元年 石室発掘 

墳丘?後円部の中央部分しか残っていない

西原古墳 石室石材

後円部側

 石室石材
説明板から

西原古墳図
 (続古墳辞典から)

1915年に鉄道敷設で墳丘切断
1927年には開墾で
石室が露出し調査

74年、89年にも調査された

   

32・33 笹塚1・2号墳
内裏塚古墳群
富津市二間塚
見学日2025/4/20

県道157号線二間塚交差点の東約300mの道路沿いに、鉄塔が建っていて、その後ろに墳丘が見える。
笹塚1号墳だ。東隣りに2号墳。

 笹塚1号墳は  墳丘径21mの円墳 高さ2.8m
 周溝を含めると径31m
 埴輪なし
 横穴式石室があるが、未調査
 6世紀後半の築造と推定されている
 平成元年周溝確認調査
 
 笹塚2号墳は  墳丘径20mの円墳 高さ3m
  (現状は方墳状(後世に塚として利用された)
 埴輪なし
 横穴式石室があると考えられているが未調査
 6世紀後半の築造と推定されている
 平成元年周溝確認調査 

笹塚1号墳 左後ろに2号墳

笹塚1号墳 石祠が鎮座

笹塚2号墳

笹塚2号墳 石祠が鎮座

  

18 百目木古墳
内裏塚古墳群
富津市二間塚
見学日2025/4/20

まだ明るいので、笹塚古墳の南約1.5kmの百目木古墳*を探しに行く。
雑木林にしか見えなかった……

 百目木(ドウメキ)古墳は 一辺10mの方墳 高さ2.5m
 周濠がある
 未調査なので、詳細不明

全景

墳丘上



墳裾に石仏が並ぶ


午後6時となった。宿泊は「ホテル君津ヒルズ」
富津市の隣りの君津市だが、近くまで来ているので、10分で着いた。

夕食は、「スタミナ食堂」
ボリューム満点で食べきれなかった……

   

千葉旅行記その2 につづく

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