北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/3/28

群馬県・2014
その13 高崎市⑤安中市①
八幡台地の古墳
 2014/11/21~24

1月24日 最終日。
保渡田古墳群付近を見学後、八幡台地の古墳の見学。

高崎市の地図g

観音塚考古資料館で、資料をもらう。「八幡台地おさんぽマップ」や「歴史探検ウォークマップ」など。
観音塚古墳の石室を見るための懐中電灯も貸出しているが、懐中電灯は持参してきている。

資料館の駐車場に駐車して、徒歩で周辺を見学するのがオススメだが、時間がないので、路駐しながらの見学となる。

高崎市東部の地図

八幡台地の古墳の地図g

八幡台地の古墳のデータは、パンフ「八幡台地おさんぽまっぷ」を、参考にさせていただきました。
その補足として、説明板や古墳辞典、その他の情報を引用しました。

八幡台地の遺跡  埋葬施設  時期



 剣埼天神山古墳  径30mの円墳    5世紀前半
 剣崎長瀞西古墳   径30mの帆立貝形古墳  竪穴系  5世紀後半
 大島原古墳群  30基以上の小規模な円墳群  横穴式石室  6~7世紀
 若田大塚古墳  径29.5mの円墳  竪穴式石室  6世紀の初頭
 楢ノ木古墳  径17.5mの円墳  横穴式石室  6世紀前半
 峯林古墳  径17.5mの円墳  横穴式石室  7世紀後半








 物見塚古墳  径15mの円墳  横穴式石室  6世紀
 平塚古墳  全長105m以上の
    前方後円墳
 竪穴系石槨
(舟形石棺2基)
 5世紀後半
 二子塚古墳  全長66mの前方後円墳  横穴式石室  6世紀
 観音塚古墳  全長105m以上の前方後円墳  横穴式石室  6世紀末~7世紀初頭
 龍的塚古墳  径30mの円墳  竪穴系  5世紀後半

この中で剣埼天神山古墳は、現在宅地化されてしまっているが、
昭和30年代の土取り工事で、
多量の滑石製模造品(琴柱形1・鏡形2・坩形1・杵形1・手斧形1・刀子形71)が出土、
群馬県立博物館で保管されている。

剣崎長瀞西古墳

高崎市剣崎町
 (撮影日2014/11/24)

高崎市立西部小学校の北に保存されている。 10時10分 着。


剣崎長瀞西古墳イメージ図
   (説明板から)
 円墳または帆立貝式古墳で 葺石最下段で径30m 周堀底葺石最下段で径67m
   高さ現状5m 周堀幅2.5~3m
 円筒埴輪・家形埴輪がある。
 墳丘は周堀の底から葺石がなされていて、この部分を1段目とする2段築成
 1段目のテラス外周には円筒埴輪がめぐる
 このテラス部分が南側で広くなっているので帆立貝式古墳の可能性がある。
 周堀内から多数の円筒埴輪が出土 
  南側テラスから家形埴輪1が据えられたままの状態で出土 (ほかに形象埴輪は出土していない)
 墳頂部と南側テラス部分の2ヶ所に、竪穴系の埋葬施設がある
 墳頂部の主体部は、ほとんどが壊されていて、規模・形態ともに不明
 テラス部分の主体部は、円礫で1m×1.5mの方形区画の中心に長さ0.9mの竪穴式小石槨を築いていた。
  この主体部は未盗掘と考えられていて、外観の調査の後、そのまま保存されている。
 昭和7年、墳頂部を開墾作業中、多数の副葬品が出土した
   鏡・滑石製品(勾玉・臼玉・鏡形模造品・斧・鎌・刀子など)・
   鉄製三角板革綴短甲・鉄製鉾身及び石突・鉄鏃など
 平成10年度の調査では、テラス部分から須恵器のハソウが出土
 5世紀後半の築造と推定されている。


南東から見た剣崎長瀞西古墳

手前に小さな前方部があった可能性がある。

剣崎長瀞西古墳の東側は剣崎長瀞西遺跡
 剣崎長瀞西遺跡は、古墳時代の集落・古墳群が確認されていて、古墳時代中期から後期の古墳が20数基見つかっている。
 円墳・方墳があり、方墳の中には積石塚古墳もある。
 この中で、10号墳は8m×9mの方墳で、葺石があり、埋葬施設は破壊されていたが、
  そばから朝鮮製の金製垂飾付耳飾りが発見された。
 この遺跡では、朝鮮系の土器もみつかり、朝鮮系馬具を装着したままの馬が埋葬された土坑がみつかっている。

大島原G号墳

高崎市剣崎町
 (撮影日2014/11/24)

高崎市西部小学校の運動場のすぐ南側に公園があって、清掃の日だったらしくたくさんの人が集まっていたが、
G号墳はその端っこにあって、人がいない。

 大島原古墳群には、 30基以上の小規模な古墳があった。
 昭和50年代の西部小学校の建設時に6基を調査。
 いずれも径15~20mの円墳で、横穴式石室がある
 6~7世紀の築造と推定されている。
 G号墳が学校南の公園内に保存されている。

大島原G号墳

大島原G号墳の埋葬施設 石室の基底部

      

物見塚古墳

高崎市剣崎町
 (撮影日2014/11/24)

高崎市水道記念館近くの道路沿いに巨石が露出している。

 物見塚古墳は 休塚古墳とも呼ばれている。
 径15mの円墳  現状高さ3m
 横穴式石室の天井石が露出している

物見塚古墳

天井石が露出している

石室内部は埋まってしまっている。

   

八幡霊園内にある古墳
若田原遺跡群

高崎市若田町
 (撮影日2014/11/24)

八幡霊園の辺りは、縄文~奈良時代にかけての遺跡がある。
霊園造成に伴い、発掘調査(昭和45~47年)が行われ、
縄文時代住居跡22・古墳5・古墳時代住居跡2・奈良時代住居跡2などが調査された。
調査の結果、縄文時代中期の拠点的大集落や、古墳時代の多数の古墳築造と住居があったことが明らかになった。
縄文時代住居跡3、古墳3、古墳時代住居跡1が保存されていて、若田原遺跡群と名付けられている

保存されている古墳は、峯林古墳・楢の木古墳・若田大塚古墳だ。

 峯林古墳  群馬県指定史跡・若田原遺跡群
 径17.5mの円墳
 2段築成で 基壇がある。埴輪はない
 横穴式石室は前庭とともに基壇上に構築されている。
  石室は輝安山岩を用いた石積みで、
   平面形は胴張り状で、壁石の積み上げはドーム状をなしている。
  前庭は、須恵器の高杯4、杯1、土師器杯1が並べられた状態で出土
 7世紀後半の築造と推定されている。

峯林古墳墳丘図 (説明板から)

峯林古墳石室 (説明板から)

峯林古墳全景

墳丘上から石室を見る

石室入口

入口から奥壁を見る

奥壁部分

石室内部から入口方向を見る

楢の木古墳と若田大塚古墳は隣り合って保存されている。

 楢の木古墳と若田大塚古墳  群馬県指定史跡・若田原遺跡群

左・楢の木古墳 

右・若田大塚古墳


墳丘は立入禁止・・・
 楢の木古墳  (県指定史跡・若田原遺跡群)は 径17.5mの円墳 高さ3.5m
  横穴式石室は全長6.35mの無袖型で、馬具や鉄鏃、水晶製丸玉が出土
  6世紀前半の築造と推定されている。(説明板では後半)

楢の木古墳

若田大塚古墳と同じくらいに見えるが、
 楢の木古墳の墳丘に、盛り土をして保存している。

実は小さな円墳だ!
 若田大塚古墳 (県指定史跡・若田原遺跡群)は 径29.5mの円墳 高さ7.5m
 基壇を持つ2段築成  葺石あり  朝顔形埴輪を含む円筒埴輪列がめぐる
 主体部は、横穴式石室のようにつくられた竪穴式石室(?)で、基壇上に構築されている。
  主軸長4.15m 幅は東壁0.22m・西壁0.47m 高さは中央部で0.7m
  自然石の乱積みで、床には径5~8cmの玉石が厚さ15cm程度に敷きつめられていた。
 明治15年発掘届けが提出され、発掘品目録には
  槍1、銕片1、鏡1、蝋石19、鏃片23、鍔8、鞘片1、刀折小片、甲1、銕釣1と記されている。
  この中で、鉄矛や鉄槍、短甲などは現存する。
 6世紀初頭の築造と推定されている。


若田大塚古墳

かなり大きな円墳だ

若田大塚古墳の発掘品の中にある「銕釣」は一体何なのでしょう?読みは「テツカギ」かなぁ?

土合I号古墳が、八幡中学校に移築されているかと思って、探したのだが、大間違い……
高崎市山名町の南八幡中学校内だった……。

八幡中学校は、古墳時代の大集落があったところで、八幡中原遺跡という。
  八幡中学校の建設の時、発掘調査が行われ、100軒をこえる古墳時代の竪穴住居が発見された。
  子持ち勾玉や朝鮮系土器などが出土している。
  5世紀後半からのものと推定されている。

観音塚古墳
国史跡

八幡古墳群

高崎市八幡町
 
(撮影日2014/11/24)

民家に囲まれていて、全体を撮るのはむずかしい・・・・。  11時10分  着。

 観音塚古墳は 高崎市市街地西方の八幡丘陵にある
 全長現状105mの前方後円墳  後円部径70m・高さ12m  前方部幅105m・高さ14m
 前方部の高さや幅が後円部より大きい
 周堀がある。
 後円部3段築成 前方部4段築成  葺石あり 円筒埴輪・形象埴輪あり
 南に開口している横穴式石室は全長15.3m
  玄室の長さ7.14m・奥壁の幅3.42m・玄室の高さ2.8m
 耳環が14点出土し、最低7人が埋葬されていると考えられている。
 6世紀末~7世紀初めの築造と推定されている
 1945年(昭和20年)、防空壕の掘削で多量の副葬品が出土、一括して国重文に指定された。
       (指定名称・上野国八幡観音塚古墳出土品)
  銅製容器、鏡、装身具、武器、武具、馬具、須恵器など30種類300点が出土
  中でも銅承台付蓋鋺や刀装具、透かし彫のある杏葉などは、
    日本の後期古墳出土品の中では名品。
 八幡台地においては、
  平塚古墳→八幡二子塚古墳→観音塚古墳の順につくられたと考えられている。

墳丘平面図

石室図

北から見た
    観音塚古墳


左奥・後円部

後円部のテラスから前方部を見る

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

横穴式石室の開口部

羨道から玄室を見る

石室床面の間仕切りは「角閃石安山岩」

天井の巨石は重量55トンと推定されている。

玄室から外を見る

    

八幡塚20号墳
八幡古墳群

高崎市八幡町
 (撮影日2014/11/24)

高崎市観音塚考古資料館の敷地内に移築保存された古墳。
説明板あり。

 八幡塚20号墳は 径12mの円墳
  横穴式石室は全長3.8m  玄室長2m・幅1.25m  羨道長1.8m・幅0.75m
  副葬品は、刀、金環、鉄鏃、水晶製切子玉、小玉など
 昭和62年度の発掘調査により発見され、移築復元した
 調査時、墳丘は削平されていたので、発見時の状況を参考に復元している。(63年の説明板)
 八幡古墳群は、平塚古墳・八幡二子塚古墳・八幡観音塚古墳と継続する前方後円墳の3基が有名だが、
  このほかに、団地造成に際し、前方後円墳1基・大小の円墳24基が発掘調査された。
 この中の一つが八幡塚20号墳。

八幡塚20号墳 墳丘は復元

八幡塚20号墳 石室も下の方しか残っていない

高崎市観音塚考古資料館には、資料あり、駐車場あり、トイレあり、必ず立ち寄りましょう!!

(八幡)二子塚古墳
市指定史跡
八幡古墳群

高崎市八幡町
 (撮影日2014/11/24)

二子塚古墳のふもとはグランドゴルフ場(ゲートボールかも?)になっている。
説明板は見あたらない

 八幡二子塚古墳は 全長66mの前方後円墳
  後円部径41m・高さ9m   前方部端幅48m・高さ9m
  一重の周堀がある。
  3段築成 葺石あり 
  周堀から円筒埴輪や人物・馬形などの器材埴輪が出土しているので、
   墳丘上にはかつて多くの埴輪が並べられていたと推定されている。
  埋葬施設は、横穴式石室と想定されている。
  近くにある平塚古墳と観音塚古墳の間の6世紀前半の築造と推定されている。


二子塚古墳墳丘図
    (パンフから)

前方部手前(西)から見た
 二子塚古墳



奥が後円部

後円部側テラスから前方部を見る

前方部と後円部は、高さが同じなので
横から見ると、どっちが後円部かわからない…

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

      

(八幡)平塚古墳
八幡古墳群

高崎市八幡町
 
(撮影日2014/11/24)

東側は公園になっているが、墳丘は墓地や雑木林や藪となっている。
私有地で、整備が進まないそうだ。
上毛古墳綜覧では、八幡村6号墳となっている。

 平塚古墳全長105m以上の前方後円墳
 
  後円部径66m・高さ9m  前方部前幅56m 
  盾形周堀がある。  3段築成 葺石あり
  竪穴系石槨から舟形石棺2基が出土している。
  円筒埴輪や朝顔形埴輪、形象埴輪が出土
  1号石棺(後円部南寄り)から挂甲小札が出土
  5世紀後半の築造と推定されている。

平塚古墳墳丘図
    (パンフから)

南東から見た後円部
奥に前方部

くびれ部から前方部を見る
前方部は墓地となる。

前方部から後円部を見る

後円部頂 墓地となっている。

     

龍的塚古墳
板鼻古墳群

安中市板鼻
 (撮影日2014/11/24)

荒木寅三郎の墓として、安中市指定史跡となっている
どう見ても、八幡の古墳群の一基と思うが、、
 住所が安中市板鼻となるので、板鼻古墳群の中の1基と位置付けられている。
龍的塚は、「リュウテキヅカ」と読むらしい。

 龍的塚古墳は荒木塚・板鼻1号墳ともいう
  径30mの円墳
  竪穴系の埋葬部を持つ
  5世紀後半の築造と推定されている。
  この周辺には、径10mほどの円墳がいくつか存在していたが、消滅のようだ。

南から見た龍的塚古墳

私有地らしく、
 墳裾には物置が置かれ、
  バケツなどが転がっている。

墳丘   石段がある。

墳頂にある荒木寅三郎の墓
 安中市指定史跡
 荒木寅三郎は、慶応2年(1866)板鼻宿の町医の家に生まれ、
   明治20年に東京大学医学部を卒業し、ドイツに留学し学位を授けられて帰国した。
 帰国後は、第三高等学校医学部教授、京都帝国大学医科大学教授、
   同医科大学長、京都帝国大学総長、学習院院長を歴任し、枢密院顧問官に任ぜられた。
 昭和17年(1942)没。


 12時半を過ぎ、今日の昼ごはんもコンビニ弁当。セブンイレブン安中バイパス店の中華どんぶりだ。

野殿天王塚古墳につづく

群馬県の遺跡トップへ

トップページ