北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/2/1

群馬県・2014
その7 太田市②
 2014/11/21~24

11月22日 2日目。
太田市の古墳めぐりの後半です。
  太田市教育委員会発行の「太田市の古墳」がインターネットで公開されているので、印刷し持参している。

群馬県太田市の地図g

厳穴山古墳 イワアナヤマコフン
市史跡
「太田市の古墳」掲載の古墳

太田市東今泉町
 (撮影日2014/11/22)

天神山古墳から北に約5km、関東自動車道のすぐ北に厳穴山古墳という方墳がある。 10時半ごろ 着。
群馬県東部で、確認されている唯一の方墳だそうだ。  説明板あり。

 厳穴山古墳は 一辺35m(現存30m)の方墳 高さ6m
  1mほどの基壇面をもつ2段築成
  幅7mの周堀がある。
  葺石なし 埴輪なし
  南に開口する横穴式石室は両袖形複式構造で全長13.4m
   玄室長5.19m・奥壁幅2.08m・高さ1.83m 
   前室長3.21m・前室奥幅1.69m・高さ1.65m
   羨道長2.88m・幅1.4m
   石室内から土師器片・人骨片・金環・刀装具・鉄釘が出土
   羨道から須恵器 が出土
  7世紀中ごろの築造と推定されている。
  かつては周辺に十数基の古墳があったが、現存は4基の円墳のみ。
  南西の金山山麓には全国的にも有数の須恵器窯跡が発見されている。


厳穴山古墳全景
 
南から見る

石室開口部

見えているのは複室構造の前室
入れない・・・

   

菅ノ沢御廟古墳
菅ノ沢古墳群
「太田市の古墳」掲載の古墳

太田市今泉口
 (撮影日2014/11/22)

巌穴山古墳から西に300mだが、北関東自動車道をはさんでいる。
イムス太田中央総合病院北西の山中の赤城神社にある。
説明板は見あたらない。

 菅ノ沢御廟古墳 径30mの円墳 高さ4m
  横穴式石室がある。
  発掘調査はされていない。
  6世紀後半の築造と推定されている。
  金山丘陵北にある一支丘の南側にある菅ノ沢古墳群の中の1基

南にある墓地から見上げる墳丘

墓地の東横にある赤城神社上り口

神社社殿後ろに石室が開口している。

墳丘上に天井石が見えている。

石室開口部

石室内部

菅ノ沢御廟古墳を守るように赤城神社がある。

今泉口八幡山古墳
菅ノ沢古墳群
「太田市の古墳」掲載の古墳

太田市今泉口
 (撮影日2014/11/22)

菅ノ沢御廟古墳から山道を挟んで南側にある。
調査から年月が経ち、藪の中に埋もれようとしている。  説明板なし

 今泉口八幡山古墳は  金山丘陵北端の南斜面にある、菅ノ沢古墳群の北端に位置する
  全長60mの前方後円墳  前方部が西に向いている。
   後円部径29m 前方部幅50m で前方部が大きくなっている。
 周堀は後円部北側で、幅2.5m
 後円部に南に開口する横穴式石室があり、家形石棺が置かれている

今泉口八幡山古墳の横穴式石室
     (古墳辞典から)
調査時、天井石はほとんどなかった。
 玄室長5.7m・幅2.2m・天井高2.4m
 羨道長4.8m・幅1.3m
家形石棺は安山岩製 
 蓋 長さ191cm・幅105cm・高さ45cm
 身 長さ185cm・幅97cm・高さ54cm
 石棺内から、金銅製耳環2が出土。
  石棺の蓋の上から須恵器、石棺手前から直刀、短刀、鍔
  石室の羨道部から 筒形銅製品やコイル状金銅製品などが出土
  埴輪は、普通円筒・朝顔形、人物・馬・家・盾などの形象埴輪が出土
 6世紀末~7世紀初頭の築造と推定されている。
 1995・1997年に発掘調査
 1738年の「新田金山石棺御尋聞書」に、記述がある。

後円部側 この奥に前方部がある。
右方向には菅ノ沢御廟古墳

後円部脇から前方部を見る
藪となっている

横穴式石室

前方部を西に向けていて、
石室は山道の反対側(南側)に開口している。
奥壁あたりしか残っていない。
奥壁手前に
 
置かれていた石棺はどこに行ったのか?
埋め戻されているのか?


寺山古墳
 「太田市の古墳」掲載の古墳

太田市強戸町
 (撮影日2014/11/22)

菅ノ沢古墳群西へ約1.5km、金山丘陵北西の支丘の頂部にある。  11時10分 着。
説明板あり。

 寺山古墳は 全長60mの前方後方墳  前方部を北西に向ける
  後方部33×33m・高さ6m 前方部幅23m・高さ4m  西側の平地との比高差は17m
  太田市の中央部に位置する金山丘陵の北西部に張り出した支丘陵の頂部につくられている

寺山古墳測量図  (古墳辞典から)

葺石があると考えられている。
4世紀前半の築造と推定されている。


 上毛古墳総覧には「強戸村138号・寺山古墳」と記載されている。
 発掘調査はされていない。


寺山古墳 全景
左・前方部

墳丘周囲に遊歩道がある。


後方部側から墳丘を見上げる 奥に前方部

後方部から前方部を見る

天気も良く、景色がいい。

亀山古墳

太田市鳥山上町
 (撮影日2014/11/22)

寺山古墳から西南西約2km、菅原神社境内にある。
後円部南側を削って社殿が建てられている。
前方部側から見学したので、神社は後ろからしか見ていない。
説明板は見あたらない。

 亀山古墳は 全長58mの前方後円墳  北に前方部がある。
  後円部径31m・高さ9m 前方部は高さ3mで幅の広い台状をしている。
  2段築成  埴輪あり
  北東から南東に低地があり、盾形の周堀があったと考えられている。
  5世紀後半の築造と推定されている。    
      (太田市教育委員会HPから)

亀山古墳全景

東から見る

左に社殿がある

北から見た墳丘

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

西から見た後円部 右手(南)に菅原神社がある

   

鶴山古墳
県史跡
「太田市の古墳」掲載の古墳

太田市鳥山上町
 (撮影日2014/11/22)

亀山古墳の西300m。 前方部は農地となっていたらしく、見てもはっきりしない。

 鶴山古墳は  全長95mの前方後円墳
  前方部は低く長い 高さは後円部8m・前方部3.5m

鶴山古墳測量図 (太田市の古墳パンフから)
周堀がある
埴輪なし  葺石なし
竪穴式石室は後円部頂にあり、
   扁平な割石で囲まれ東西に長い長方形で、
   長さ2.8m・幅0.85m・深さ0.6m
石室内から、
 甲冑5・剣3・太刀5・鏃・刀子・鉾・鎌・斧などの鉄製品
  刀子・鎌・斧の石製模造品が多量に出土
そのほか盾の隅金具・貝殻・漆などがある。
石室外から鉾、鏃などが出土
5世紀後半の築造と推定されている。
 昭和23年発掘調査

南から見た鶴山古墳

前方部は耕作地となり、
低くなってしまっている。
後円部の大きさについては、  諸説あるので、書けない……

くびれ部から見た前方部

前方部から見た後円部

    

二ツ山1号墳・2号墳
県史跡
   
「太田市の古墳」掲載の古墳

太田市新田町天良
 (撮影日2014/11/22)

農地の中に2基の前方後円墳。農道脇に駐車スペースがある。 正午 着。
北側の1号墳は、あるはずの説明板が見あたらない・・・
かなり雑木が繁って見通しが悪くなっている。

 二ツ山1号墳
 全長74mの前方後円墳  前方部を北西に向けている。
  後円部径43m・高さ6m 前方部幅62m・高さ6m
 2段築成 葺石あり 周堀がある。
 墳裾には2重の円筒埴輪列がある。墳頂部には形象埴輪
 南南西に開口している横穴式石室は長さ7.1m・奥壁幅2m・高さ2.1mの片袖形
  割石乱石積みの無袖形  
 石室から金銅製の双龍文の環頭太刀把頭や圭頭把頭を始めとして様々な遺物が出土
 墳丘からは人物・鳥・馬・家・靱・鞆などの形象埴輪が出土。
 石室前では円筒埴輪がコの字形に配置されており、
  石室入り口の左右には朝顔形円筒埴輪が直立した状態で出土している。
  6世紀後半の築造と推定されている。
 前方部にも石室があったようだが、石材が一部露出している程度で、内部の状態は不明。
 明治21年に石室調査  昭和23年・昭和56年に墳丘調査

南から見た墳丘  
左奥・前方部  右手前・後円部

後円部上り道 左奥前方部

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

石室開口部

石室入口

石室内部

石室内部から外を見る

2号墳は、1号墳の南に隣接している。

 二ツ山古墳2号墳
 全長65mの前方後円墳   前方部を西に向ける。
  後円部径50m・高さ6m 前方部幅50m・高さ3m
 堀の幅は20m
 2段築成
 後円部には南に開口する自然石乱積の横穴式石室がある。(現在ではほとんど埋まっている)
     石室長さ7m 羨道幅1m玄室幅2.8m高さ1.95m
 昭和49年(1974)には南側くびれ部から埴輪片が出土
 平成12年(2000)には北側の周堀の一部が調査され、円筒埴輪などが出土
 上毛古墳総覧」によると明治21年(1888)に発掘調査されたとあるが、出土遺物は不明。
 1号墳とほぼ同じ、6世紀後半前後の築造と推定されている。

北から見た墳丘  左・後円部

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

後円部頂 石室はどこかな?

12時半を過ぎ、セブンイレブン藪塚山之神店(太田市山の神町46-4)で、弁当を買い、西山古墳ふもとで昼食。
時間がもったいなくて、毎日コンビニ弁当で、さっと済ます。               

西山古墳
県史跡
   
 「太田市の古墳」掲載の古墳

太田市藪塚町
 (撮影日2014/11/22)

二ツ山古墳から北に約3kmの藪塚温泉入口の丘にある。
後円部の前に説明板がある

 八王子丘陵の支脈の西端にある尾根の頂上にある。
 全長34mの前方後円墳 後円部径18m・高さ4m  前方部幅20m・高さ2m
 主軸はほぼ東西に向く
 円筒埴輪の列が裾にめぐっていた。 葺石はない。
 後円部南に開口している横穴式石室は全長5.8m
   玄室長さ4.56m・幅2.2m・高さ1.5m
 石室の前にふたをするために作った遺構も確認されている。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 昭和37年に調査  

道路わきにある西山古墳登り口

後円部に到着

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

後円部南に開口した横穴式石室

石室内部  乱石積み
 
玄室部分

石室内部から外を見る

天井はコンクリート、内部も鉄骨で補強されているが、入室できる。

西山古墳の北には、北山古墳もあるが、午後1時となってしまったので、
太田市はここまでとし、桐生市の有名な古墳へ

中塚古墳につづく

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