北村さんちの遺跡めぐり
更新日2021/6/17

2020年秋は、栃木県
その10 栃木市3・小山市3・佐野市
2020/11/23-29

栃木の旅・6日目 2020/11/28 午後です。
栃木市の続きです。

赤麻古墳
市史跡 
栃木市藤岡町赤麻
撮影日2020/11/28

山王寺大枡塚古墳の南西約3.5km、藤岡町赤麻にある。
古墳のそばには、大駐車場がある。

周辺の地図g



駐車場の向こうに墳丘!

手前は駐車場
10台は駐車できる。
雑草を整理しながら、南側の開口部を目指す。
開口部は、元は柵があったが、
 東日本大震災で手前の天井石が落ちて、中に入ることができてしまう。

 赤麻古墳(赤麻1号墳)は  直径20m・高さ2mの円墳
 南に開口する横穴式石室は全長4.15m・奥壁幅1.77m・高さ2mで、割石積み
  天井石は3枚、奥壁は1枚石で奇妙な記号らしきものが刻まれている。
  閉塞部(入口)付近で高さ1.57m、幅0.77m
 石室は江戸時代初期に掘りおこされ、その際
  金銅製太刀・耳飾り・管玉・切子玉・鏡板・辻金具などが出土した。
 7世紀初頭の築造と推定されている。

 赤麻古墳は「赤麻の石室(アカマノイシムロ)」の名で人々から親しまれている。
 昭和50年に墳丘上の竹を伐採してから、次第に墳丘が低くなり、現在は石室が露出している。
 墳丘上に直径15cmはある大きな埴輪片と思しきものが転がっていた。
 
墳丘と開口部
 
手前に落ちているのは、天井石!
 
石室内部 奥壁に謎の記号
 
石室内から開口部を見る

付近にはほかにも古墳が残っているらしいが、確認して来なかった。

篠塚稲荷神社古墳
市史跡 
小山市大本
撮影日2020/11/28

赤麻古墳の北、琵琶塚・摩利支天塚古墳の西にある篠塚稲荷神社。
昨日から、琵琶塚・摩利支天塚古墳を始めとして思川の東岸を南下しながら古墳を見学したが、
 篠塚稲荷神社は思川の西側となる。
栃木田園風景百選に選ばれたのどかな田園地帯にあり、
 初午祭では、飾り馬が地域を巡行、流鏑馬、太々神楽が奉納される。

周辺の地図g

 篠塚稲荷神社古墳は 全長62mの前方後円墳 南側に前方部がある。
  後円部の径35m・高さ4.7m 前方部幅30m・高さ3.5m
 前方部西側に稲荷神社、後円部墳頂に大黒神社が建っており、墳丘はかなり変形している。
 6世紀中頃の築造と推定されている。
 大本地内に分布する大本古墳群では最古で最大、
  琵琶塚古墳後の首長墳ではないかと考えられている。
 
二の鳥居から西を見る
流鏑馬が行われる長い参道
参道の向こうに、一の鳥居が見えている
 
二の鳥居横に小さな高まりがある。
陪塚か
 
西から見た篠塚稲荷神社古墳
前方部西側を削平し、
 稲荷神社が祀られている。 
「とちぎのふるさと田園風景百選」
「初午祭」
「篠塚稲荷神社古墳」
などの説明板がある。

中央は、二の鳥居
 
三の鳥居から見た篠塚稲荷神社
古墳前方部の西側面。
 
後円部の大国社鳥居
 
後円部頂の大国社
 
後円部から墳裾を見下ろす
 
くびれ部にある愛宕神社 
 
くびれ部から前方部を見る
 
前方部から後円部を見る
 
後円部頂にある大杉神社

南西から見た全景 手前が前方部 

 

鳴虫堂塚古墳・大本観音堂古墳 小山市大本
撮影日2020/11/28

篠塚稲荷神社塚古墳の北の農地の中にある2基の古墳。
住所が、大字大本なので大本古墳群に含まれるのだろうか。

 鳴虫堂塚古墳  
  円墳となっているが、35mの前方後円墳との説もある
 北側は墓地となっている。

北東から見た全景
航空写真で見ると、右奥が丸くなっていて
前方後円墳に見える
 
大本観音堂古墳から見た鳴虫堂塚古墳

鳴虫堂塚古墳の北約100mにある大本観音堂古墳。

 大本観音堂古墳  
  「円墳」だが、資料によっては「前方後円墳」   詳細不明 
 
南から見た大本観音堂古墳
 墓地化している。
 
畑になっている西から見た大本観音堂古墳 
前方後円墳だとしたら、墓地のところが後円部

 

八蛇古墳
ヤツサビコフン
栃木市久保田町
撮影日2020/11/28

大本観音堂古墳の北西600mに、八蛇神社がある。

 八蛇古墳
 直径18m・高さ1.9mの円墳
 墳丘上に八蛇神社が建つ。 
 
南東から見る
 
北西から見る 社殿殿背後にも残る墳丘

 

星の宮古墳・丸山古墳 栃木市田村町
撮影日2020/11/28

八蛇古墳の北東約2km、星の宮古墳と丸山古墳が道をはさんで対峙している。

 丸山古墳   市史跡
 直径32m・高さ2.5mの円墳

南から見る

航空写真で見ると、まん丸だ。 
 
南東側に上り口がある。
 
墳頂の丸山聖観世音菩薩堂

丸山古墳の北にあるのが、星の宮古墳(星宮神社)。

 星の宮古墳  
 墳丘上に、星の宮神社社殿がある。  詳細不明 
 
墳丘上の社殿

境内にある大イチョウ 

大イチョウに目を奪われて、見逃してしまったが、
 実は星の宮神社の鳥居のそばに巨石が置かれているそうだ!
その巨石は、昨日見学した岩家古墳から出た石室の一部という伝承がある。
残念です!

茶臼山第1号古墳
市史跡
栃木市平大平町富田
撮影日2020/11/28

星の宮神社から南西に車で約30分、両毛線大平駅の西1.5kmの線路線路北側の丘陵上にある古墳。
北側麓の空き地に駐車して、山を目指す。
説明板があるが、ほとんど読めない。
HP「古墳とかアレ」様によると
「古墳時代後期頃の構築と推定されている。
両袖型石積古墳、石積はアーチ型、石室は珪岩で造られている。
石室の軸は南東南ー北西北である。
玄室入口の形態は日本神道・鳥居の貫の先駆をなすものと想像される。」

 茶臼山第1号古墳は  直径28m・高さ4.2mの円墳
 二段築成
 南東方向に横穴式石室が開口している。
  羨道は高さは1m弱
  玄室長3.84m 奥の天井幅1.42m・床幅1.79m・高さ2.04m
  奥壁は1枚石、床は石敷き。 

北北東から見た墳丘

南から見た墳丘 

石室前に金網がある。

石室入口

奥壁 床は石が敷かれている。
 
石室内から開口部を見る

  

下皆川マガキ1号墳
市(旧大平町)指定史跡
栃木市大平町志茂皆川
撮影日2020/11/28

 茶臼山第1号古墳の北東約2.5kmの大平山南麓にある古墳。
山腹南の周回道路にある大平山登山口の少し西、周回道路から南に下った林の中にある。
古墳のすぐ南側には、「ディサービスセンターみどりの丘」が見えている。

付近の地図g

説明板は、あまりよく読めないが、
「古墳時代中期末頃の構築と推定される。
片袖型石積古墳、石積はアーチ型、石質は珪岩と磯山の安山岩を用いている。
玄室葺石の4個の内、2個は安山岩、
羨道より玄室の形態は日本神道鳥居の貫の先駆をなすものと想像されている
   大平町教育委員会 大平町文化財保護審議会   」
とある。

 下皆川マガキ1号墳は  直径20m・高さ3.5mの円墳。 
 南側に横穴式石室が開口している。 

北(道路側)から見た墳丘

南側に、説明板と開口部がある。

石室入口には、金網がある。

羨道から玄室を見る

玄室内部 幅と高さは2m弱

奥壁から天井にかけて 持ち送り天井

玄室から羨道部を見る

羨道部から開口部を見る
 竹の根が突き刺さっている!

  

下皆川将門霊神古墳
シモミナカワマサカドレイジンコフン
市(旧大平町)指定史跡
栃木市大平町志茂皆川
撮影日2020/11/28

大平山の南西麓にあるのは、下皆川マガキ1号。
大平山の南西にある丘陵の北麓にあるのが下皆川将門霊神古墳。
住所は同じ「大平町志茂皆川」
丘陵裾の集落の道路に標識があるが、すぐには見つけられなかった。
集落の奥まったところにある。

 下皆川将門霊神古墳は、直径15mほどの円墳
 説明板には
 「町指定の古墳の中で最も古いものと推定されるもので、古墳時代中期初頭の構築と考えられる。
  片袖型石積古墳、石積はアーチ型、石質は珪岩及び磯山の安山岩が主体となっている。
  石室の軸は南東南-北西北である。
  羨道の長さは、下皆川マガキ第1号古墳に次いで第2位である。
  なお当古墳は平将門の墓地であるという伝説がある。
 (発掘は昭和3年3月21日、
  出土物のうち、直刀、三鈴杏葉、木芯壺鐙、轡は 町指定考古資料となっている。)」とある。

墳丘

ほぼ南側に開口部がある

木のそばに開口部がある

埋まっていて中は見えない

墳頂に石碑

石碑には「将門霊神」と刻まれている

 

十二天塚古墳 佐野市赤見町
撮影日2020/11/28

暗くなってきたので、急いで急いで、佐野市の石室墳をギリギリ見学。
佐野市運動公園の南にある十二天塚古墳。

佐野市の地図g

 十二天塚古墳は 直径45m・高さ6.3mの円墳
 周堀を含めると直径90m以上になる。
 埴輪がある。
 入り口を南に向けた横穴式石室が残っている。
  玄室は、平面形がほぼ正方形で、長さ2.43m・中央幅2.45m・奥壁幅1.44m
 出土した円筒埴輪から、6世紀中ごろの築造と推定されている。


十二天塚古墳付近図
 (説明板から)

昭和61年 市道改良工事に先立つ調査で、
 北側の道路部から周溝の一部がみつかった

墳丘上に蓮池神社がある。
 十二天塚古墳がある蓮沼古墳群は、16基が確認されている。
  この古墳群は、直径15~20m・高さ2~3mほどの規模で
  古墳時代後期から終末期にかけての群集墳とよばれるもの。
  6世紀中ごろ~7世紀前半の築造と推定されている。
 十二天塚古墳は、群の中でもひときわ大きく、盟主墳で赤見地区では最大
 佐野市内にはすでに失われたものも含めて250もの古墳があった。
  とくに旗川流域では、市内で確認された古墳の70%がある。

十二天塚古墳 墳丘

立派な説明板があるが、
 史跡指定はされてないのか

南側のくぼみ?

横穴式石室!開口部は狭い

奥壁部分

左側壁

日没後の見学。

翌日の最終日は、足利市なので、佐野市は十二天塚古墳だけしか見学できなかった。

5時前だが、真っ暗!
 今晩は、足利市の鑁阿寺のそばにある「ホテルわかさ」に宿泊なので、ひたすら西を目指す。
gotoトラベルの地域クーポン券1000円があるので、ローソン足利大橋町2丁目店でいろいろ買い物をして
午後6時 ホテルにチェックイン!
一泊二食付プランだが、夕食は近くの食堂を利用してほしいと食事券を渡された。
朝食は、バイキング形式。

足利市鑁阿寺 (2020年秋その11) へつづく

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