北村さんちの遺跡めぐり
更新日2021/5/29

2020年秋は、栃木県
その9 小山市2・野木町・栃木市2
2020/11/23-29

栃木の旅六日目 2020/11/28 です。
朝8時前にホテルを出発。  10分ほどで、小山市愛宕塚古墳に到着。

周辺の地図g

 (小山市)愛宕塚古墳
県史跡
小山市城東
撮影日2020/11/28

JR小山駅の東約1.5kmのところにある。 境内に駐車スペースあり。

 愛宕塚古墳は  直径45m・高さ10mの円墳
 墳頂部は直径8mの平坦面になっており、愛宕神社が祀られている。

愛宕神社鳥居

墳裾から墳頂を見上げる

墳頂からすそを見る

高い墳丘

   

 外城1号墳・2号墳
2号墳は市史跡
小山市外城
撮影日2020/11/28

小山総合運動公園の東の外城公民館のある通りを北に行くと2基の古墳がある。
円墳と前方後円墳。
駐車場はないので、運動公園の駐車場に停めて徒歩で見学。

外城公民館のすぐ北にあるのが外城2号墳。

 外城(トジョウ)2号墳  市史跡
 20mの円墳 現在の高さ1m 墳丘は耕作などにより変形している。
 墓道・石室がほぼ完全な形で残っている。
 墓道は、入口から約4.7mあり、奥の石室に向かってしだいに底辺が高まり、
  最も高まった所から3段ほど下がって石室に至るように築かれている。
  これは階段の奥の部分が石室を閉じる役目になっており、この古墳独特の形態である。
 袖無型横穴式石室は 全長4.2m 奥壁幅1.2m・高さ1.4mの長方形で
  築かれた当時の地表より下にある。
  河原石の小口積みで、 入口を南東に向けている。
 石室内から刀子、鉄鏃、耳環、切子玉、ガラス製小玉などが出土
 7世紀前半または中頃の築造と推定されている。
 出土品は現在、小山市立博物館に保管、展示されている。   (説明板から)

南西から見た墳丘

南から見た墳丘 石室入口が見える

羨道手前から開口部を見る

石室内部 きれいに積まれた川原石
奥壁下部に大型の石が使われている。

玄室内部から開口部を見る

北から見た墳丘

2号墳から北へ行くと、突き当りの民家の敷地内に前方後円墳がある。
家人に挨拶をして見学。

 外城1号墳
 墳長40mの前方後円墳

西から見た墳丘 左側が後円部

南から見た墳丘
前方部手前に鳥居があるので、
 立ち入るのは遠慮した。

説明板はない。

宮内5号墳(小山市史跡・方墳)は 見つからない…。

宮内5号墳を探していて見つけた
  古墳状の高まり


墳頂には祠がある。

でも宮内5号墳はもっと大きいはず・・・

   

 千駄塚古墳・桃塚古墳石棺
県史跡
小山市千駄塚
撮影日2020/11/28

外城古墳群の南約2.5kmに、大きな円墳がある。古墳前に駐車スペースあります。
思川東岸の台地上に立地する。

 千駄塚古墳  県史跡
 直径70m・高さ10mの円墳
 埴輪なし 葺石なし
 2段築成  墳裾から約3m上がったところに幅7~8mの平坦な段築面がある。
 周囲には、幅15~20mの周溝がある。その外側には周堤がある。
 埋葬施設は未調査で不明
 6世紀末~7世紀初頭の築造と推定されている。
 墳頂の平坦部に浅間神社があるので、浅間山古墳とも呼ばれている。

南から見た墳丘

南東裾の上り口  浅間神社鳥居

1段目の平坦部

1段目の平坦部にある雷電神社

墳頂に大杉神社(左)と浅間神社の社殿が並ぶ

墳頂の浅間神社は、東日本大震災で被災

墳頂から墳裾を見下ろす

千駄塚古墳北側の周溝跡に、覆屋があり石棺と石棺蓋が保存されている。

 桃塚古墳石棺  県指定考古資料
 1901年(明治34年)、近くの桃塚から発掘された石棺が、
  1915年(大正4年)に、現在地に移された。
 蓋石と同じく、発掘された巨石が置かれている。
 凝灰岩の家形石棺で寸法は外形で幅1m・高さ0.6m・全長2m。

覆い屋の前には石がいくつか置かれている。

大きい石は、石室の天井石か

石棺

石棺 方向を変えて見る

横に置かれた蓋石 半分しか無い?

蓋石を方向を変えて見る

付近には、千駄塚古墳群があって、小火石1号墳・2号墳のほかに数基の古墳があったそうだ。


小火石2号墳か?

ほかの墳丘はわからない

桃塚古墳は、
小火石2号墳ではないかともいわれている。
地図を眺めると、思川の東岸に、点々といくつもの古墳が造られているのがわかる。
桑57号墳、外城1・2号墳、宮内5号墳、そしてこの千駄塚古墳!

 寒川古墳群
毘沙門山古墳ほか
小山市中里・鏡
撮影日2020/11/28

千駄塚古墳の西の農地には、寒川古墳群がある。
毘沙門山古墳の前に説明板がある。

 寒川古墳群
 小山市の南西部、巴波川と与良川との間に広がる中里・鏡の地区には
  1km四方の範囲にかつては、5基の前方後円墳と7基の円墳が、
  5世紀~6世紀に造営され群在し、寒川古墳群と呼ばれている。
 いずれも標高20mほどの沖積地に立地。
 農耕地として開墾される中で、次々と削平されて、
  現在は毘沙門山古墳(全長41mの帆立貝形古墳)を残すだけとなっている。


寒川古墳群配置図

(毘沙門山古墳の前の説明板から)


田辺遺跡古墳
(藤塚古墳)
前方後円墳
観音山古墳 前方後円墳
鶴巻山古墳 径53mの円墳 5世紀中葉
鶴巻山東古墳 円墳
鶴巻山北古墳 円墳
寒川古墳 円墳
三味線塚古墳
(横塚古墳)
前方後円墳
町田稲荷塚古墳 円墳
茶臼塚古墳 前方後円墳
茶臼塚西古墳 円墳
毘沙門山東古墳 円墳
毘沙門山古墳 帆立貝形古墳

寒川古墳群の地図g

毘沙門山古墳前の説明板では、消滅となっているが、田辺遺跡古墳(藤塚古墳)は、残っている。
ネットのマップの航空写真では、前方後円墳の輪郭が見えている。

 田辺遺跡古墳(藤塚古墳) 
 全長33mの前方後円墳

西の道路から見た墳丘(後円部)
 右方に前方部  手前は周溝跡か?
墳丘上には建物の土台が残る

道路から下って
周溝跡の参道を通り墳丘へ

前方部から後円部を見る

後円部頂は浅間神社だか、社殿はない。

藤塚古墳の北西1kmのところに毘沙門山古墳がある。

 毘沙門山古墳  県史跡
 推定全長41.2mの帆立貝形古墳  南東に前方部がある。
  後円部径34m・高さ5.18m
 前方部と、後円部の南側から南西部の裾部が削平されている。
 周溝幅1.2m
 周溝内から、壺形、甕形、高坏形の土師器や円筒埴輪片が出土
 5世紀後半の築造と推定されている。
 周溝確認調査が行われている。


北東から見た墳丘
 左側に前方部が伸びていた。

西から見る
どの方向から見ても変わらない…。

右前方に前方部があった。
左裾は、削られた後円部

毘沙門山古墳前の説明板には、消滅となっているが、寒川古墳は、残っている。
毘沙門山古墳の南西約1.5kmの農地の中。

 寒川古墳
 直径17m×16mの円墳

古墳に行くための通路がある。

小さな石祠がある。

 

 
中妻古墳(小山市・市史跡)は見つからないので次!

 寒沢古墳
市史跡
小山市大字乙女
撮影日2020/11/28

寒沢古墳も、思川の東岸にある。説明板は見あたらない。

 寒沢古墳は  直径20m・高さ3.5mの円墳
 墳頂に稲荷神社が建つ。
 小山市乙女地区の思川東岸の段丘崖に接した場所に位置する。
 裾部には、窪みが確認でき、周溝の名残と思われる。
 周辺からは縄文時代早期から中期にかけての土器が出土し、寒沢遺跡となっている。

全景

「史跡 寒沢古墳」と刻まれた石碑と墳丘

墳丘斜面

墳丘上の稲荷神社

 

(野木)大塚古墳
県史跡
下都賀郡野木町南赤塚小字御門
撮影日2020/11/28

茨城県との境界付近に位置している。今回の旅では一番南にある。

南側の道路脇にある説明板と
 「史跡 大塚古墳」の石碑


奥の林の中に古墳群がある。

古墳群は、公園のようになっていて、
 きれいに草取りもされている。
 古墳の近くでは、ヤギか羊が飼われていて、餌にするために飼い主の方が古墳公園で ドングリを拾っている。 

 (野木)大塚古墳は   1辺23m・高さ3.5mの方墳
 墳頂部は長辺9m・短辺8mの長方形状をした平坦地で稲荷神社がある。
 截頭方錐形の方墳で、御門古墳群の主墳の位置を占める。
 大塚古墳は個人の所有である。

南東から見た大塚古墳

墳頂には稲荷神社がある。(石だけだが)
左の白い石には
 大塚古墳の概要が刻まれている。
 「御門古墳群は、野木町南東部県境の、舌状をした台地にあり、
  「五界塚」と呼ばれ5基の古墳が存在したとされているが、
  方墳が1基・円墳3基の4基しか確認できない。
 御門古墳群の主墳の方墳が(野木)大塚古墳。

近くには、いくつかの墳丘状の高まりがある。
墳頂には、石碑みたいなものが置かれているので、これが五界塚といわれる古墳ではないかと思う。

 御門古墳群2号墳 

墳頂に草が生えている
そばには、石が散らばっている。


右にも墳丘様高まり
 御門古墳群3号墳
 墳頂の石碑には、「山川不動尊」、「月山・湯殿山・羽黒山」などと刻まれている。

墳丘

墳頂に石碑が二つ
 御門古墳群 墳丘状の高まりその1

 御門古墳群 墳丘状の高まりその2

4基しか確認できないとなっているのに、5基あります! 困った…。

 蛭沼古墳群 栃木市藤岡町蛭沼
撮影日2020/11/28

栃木市の旧藤岡町蛭沼周辺ににある古墳群を蛭沼古墳群という。

蛭沼古墳群の配置図g

 山王寺大桝塚古墳  市史跡
 全長96mの前方後方墳
  後方部長幅48m・高さ7.4m、前方部幅38m・前方部長さ48m・高さ3m
 巴波川右岸の低地につくられている。
 後方部のほぼ中央に粘土槨とその南に土壙がある。
 粘土槨は、粘土と小石混じりの砂によってつくられ、木棺を安置したと考えられている。
 粘土槨から、鏡1・太刀1・槍鉋2・鉄剣3・鉄斧2・銅鏃28・鉄鏃2・靫1・ガラス小玉
 粘土槨北側から、土師器1・鉄剣2・鎌1・鉄鏃1・刀子1
 土壙から 鉄製品と管玉などが出土
 5世紀初頭の築造と推定されている。
 昭和50年に調査
 出土品は藤岡町歴史民俗資料館で展示されている。      (説明板から)

後方部手前から

後方部から前方部を見る

北から見た墳丘

北から見た前方部

前方部から後方部を見る

山王寺大桝塚古墳のすぐ北に山王寺大枡塚北古墳がある。

 山王寺大枡塚北古墳
 直径20mほどの円墳または方墳

山王寺大桝塚古墳から見た墳丘

墓地になっている。

山王寺大桝塚古墳の南西約200mのファミリーマート栃木蛭沼店で、昼食を調達したが、
  その駐車場の後ろに墳丘?!

 本郷古墳
 直径20m・高さ3mの円墳
 埴輪はない。

駐車場から見た墳丘

墳頂には小さな社がある。

蛭沼古墳群は、この他に
本郷古墳の西の集落の中に、蛭沼愛宕塚古墳、長島塚古墳がある。

伯仲第1号古墳
市史跡 
栃木市大平町伯仲
撮影日2020/11/28

山王寺大枡塚古墳から600mほど北にあるのは、伯仲第1号古墳
伯仲地区にあるので、伯仲古墳群となる。
古墳西側の道路沿いの石仏群のある集会所に駐車させてもらって徒歩で、古墳東側へ行く。

 伯仲第1号古墳は  全長40mmの前方後円墳。 別名は長山古墳。
 後円部には石室の入り口が露出しているが、詳細は不明

東から見た墳丘  左側(南)が前方部

くびれ部に上り口があり、奥に説明板が見える

後円部の石室開口部は土嚢で閉鎖されている。

後円部側から前方部を見る

北から見た墳丘  後円部側

旧大平町が設置した説明板には、
「大平町に2基ある前方後円墳のうちの1基であり、町内南地区でただ1件指定されているもの」
と書かれている。
もう1基の前方後円墳は、栃木市大平町富田にある「オトカ塚古墳(墳丘長54mの前方後円墳市史跡」。
下野市にも「オトカ塚古墳」があるが、別の古墳だ。
伯仲地区には石仏群がある。

伯仲地区の石仏群  詳細不明

小山市赤麻古墳  (2020年秋その10) へつづく

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