北村さんちの遺跡めぐり
更新日2021/3/25

2020年秋は、栃木県
その5 宇都宮市2・上三川町1
2020/11/23-29

3日目 午後に入ります。

地図g

塚山古墳
県史跡
宇都宮市西川田7
・西川田東町
2020/11/25

栃木県総合運動公園の南に塚山古墳が保存されている。
保存するために、トンネルがあるが、トンネルの名前は「塚山古墳アンダー」!
運動公園の広い駐車場がある。
インターネット上に、平成2年発行の「茂原古墳群」報告書が公開されているので、参考にさせていただいた。

 塚山古墳群は、大型の前方後円墳である塚山古墳を中心とした古墳群
 5世紀後半の築造と推定されている。
 現存は、塚山古墳、塚山西古墳、塚山南古墳、6号墳の4基
 埴輪棺や儀式に使われたと思われる土器が多数出土している。
 塚山古墳はかつて「兵庫塚」と呼ばれ、この地域の地名「兵庫塚」の由来となっている。
 保存のために宇都宮環状道路がトンネルになっている。

塚山古墳群配置図
(説明板から)

塚山古墳群墳丘測量図
(平成2年発行の「茂原古墳群」報告書から)
 6号墳は埋没古墳なんだと思う

塚山古墳(1号墳) 前方後円墳 全長98m 円筒埴輪、土器、葺石
塚山西古墳(2号墳) 帆立貝形
前方後円墳
全長63m 円筒埴輪、土器
塚山南古墳(3号墳) 帆立貝形
前方後円墳
全長58m 円筒埴輪、土器
塚山4号墳 円墳 直径8m 土器
塚山5号墳 円墳 直径7m 円筒埴輪、土器、玉類、木棺跡
塚山6号墳 円墳 直径20m 円筒埴輪、土器
塚山7号墳 円墳 鳥形埴輪、円筒埴輪、土器
塚山8号墳 円墳 円筒埴輪、土器
旧射撃場内古墳2基 円墳 鳥形埴輪
1~5号埴輪棺 埴輪棺 3号は鹿の絵が描かれた円筒埴輪を使用

    

 6号墳は  直径20mの円墳    円筒埴輪、土器が出土している

塚山6号墳 周溝が復元されている。
奥は、塚山西古墳

6号墳墳丘から
 塚山古墳前方部を見る

  

 塚山古墳(1号墳)は  全長98mの前方後円墳

塚山古墳復元図  (説明板から)
 後円部径56m・高さ8.4m
  前方部幅60m・高さ8.5m
 三段築成 
前方部テラス面と後円部に葺石がある。
くびれ部南寄りに造出しがある。
墳丘周りには盾形の周堀がある。
堀の外側に小規模な円墳や埴輪棺が発見されている。
 5世紀後半の築造と推定されている。 古墳群では、最古の築造と考えられている。

前方部手前から
後円部を見る

北から見た塚山古墳

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る・その1

前方部から後円部を見る・その2

塚山古墳の南西にあるのが、塚山西古墳。

 塚山西古墳(2号墳)は  全長65.5mの帆立貝式古墳 後円部径48.3m
  前方部を南南東に向ける
 周溝は、塚山古墳を避けるようにしてつくられているので、
  塚山古墳の後につくられたとわかる。
 周溝がめぐる。 葺石はない。
 周溝内から埴輪、土師器、須恵器などが出土している。
 5世紀後半の築造と推定されている。 塚山古墳の次につくられたと考えられている。

塚山古墳から見た塚山西古墳

北西から見る

西から見る 右に前方部

東から見る

塚山西古墳の南にあるのは、塚山南古墳。

 塚山南古墳は 全長56mの帆立貝式古墳 後円部37m
  前方部を南に向ける
 周溝は塚山西古墳を避けるようにして掘られているので、
  塚山西古墳の後につくられたとわかる。
 葺石はなし。
 周溝内から埴輪片や土器がたくさん出土している。
 5世紀末~6世紀初の築造と推定されている。塚山西古墳よりは新しいと考えられている。

塚山西古墳から見た塚山南古墳

西から見た塚山南古墳 右に前方部

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

   

琴平塚古墳群 宇都宮市インターパーク6丁目
2020/11/25

インターパークという広大なショッピングモールの東側道路沿いに保存されている。
琴平塚古墳公園となっている。
琴平塚古墳(1号墳)だけ保存されているが、フェンスがあって、墳丘に立ち入ることはできない。
琴平塚古墳の前に14号墳の「箱式石棺」も展示されている。 

 琴平古墳群は 前方後円墳3基と円墳11基が確認されている。

琴平塚古墳群全体図

琴平塚古墳群を空から見たところ(北東上空から)

6号墳出土の埴輪
             (いずれも説明板から)
 琴平塚古墳(1号墳)
 くびれの弱い全長52mの前方後円墳
  後円部は直径35.3m・高さ4.7m 前方部は先端幅28m・高さ2.8m。
 2段築成で、1段目は低い。
 堀が二重にめぐり、外側の堀も含めると、全長は72.6mとなる。
 埴輪がある。
 前方部裾部付近から
  円筒埴輪と朝顔形埴輪の口縁を合わせ口にした埴輪棺が発見された。
 5世紀末から6世紀前半の築造と推定されている。

墳丘測量図
(「茂原古墳群」報告書から)
 1号墳の東側から、古代の道路跡が発見されている。

北から見た琴平塚古墳

左が後円部

後円部側 フェンスがあって入れない

琴平塚古墳公園全景
インターパーク駐車場(北)から見る
 箱式石棺
 琴平塚古墳群の中で最も北に位置する14号墳(直径15.2m)の
   堀の底に穴を掘って作られた石棺。
 遺体の周囲に、板状に加工した石材を箱型に立て並べて、5枚の石で蓋をしていた。
 内側の大きさは全長1.82m、北辺幅0.5m、南辺幅0.41m、高さ0.35m

石棺の蓋が乗っている状態
(説明板から)

 石材は流紋岩で、最大のものは、112.6kg。
 ていねいに密封されていたので、石棺内は空洞だった。
 東側の壁には鉄製の刀が刃先を南に向けて置かれていて、
  遺体は頭を北に向けていたと考えられている。
 外に鉄鏃が1点出土している。

箱式石棺展示

方向を変えて見る
蓋石はかなりボロボロに割れている…

インターパークという大きなショッピングモールができて、住所も「インターパーク」となった!

東谷古墳群 宇都宮市東谷
2020/11/25

インターパークの南にある宇都宮上三川ICの南西約1km、笹塚古墳を主墳とする東谷古墳群がある。

東谷古墳群の地図g

 東谷古墳群は 茂原古墳群と田川を挟んで対峙する。立地は田川左岸の低段丘上である。
 笹塚古墳を中心にして、半径500メートル以内に大小11基の古墳が確認されている。
 笹塚古墳(前方後円墳・ 100m)、
  そのすぐ南に接する鶴舞塚古墳(円墳・43m)、
  南東に位置する松の木塚古墳(円墳・50m)、
  その東方の車塚古墳(円墳・35m)、
  権現塚古墳
(円墳・30m)等の大型円墳が分布する。
  笹塚古墳北側には双子塚古墳(前方後円墳)がある。
 笹塚古墳は墳形及び埴輪の特徴から 5世紀中葉に築造されたと推定されている。
 東谷古墳群は田川西側にある茂原古墳群の後を継ぐ形で築成されたと考えられている。

東谷町交差点の北側にあるのは双子塚古墳。
笹塚古墳の北にある前方後円墳だが、前方部はなくなっている。

 双子塚古墳
 全長70mの前方後円墳
 現在径20m・高さ4mの後円部が残る。
 前方部は西側にあったらしいが、削平されて消失している。埴輪は確認されていない。

南から見た後円部

後円部墳丘 左側に前方部があったのか。

墳丘上には小さな石祠がある

墳丘上からふもとを見る

笹塚古墳は農地の中に大きな墳丘。道路わきが広くなっているので、駐車可能。

 笹塚古墳  県史跡
 全長100mの前方後円墳  後円部径63m・高さ約10.5m 前方部幅48m・高さ8.5m
 3段築成   葺石あり  埴輪あり
 周囲にはめぐらされた盾形の2重周溝があり、周溝を含めた全長は200m以上を測る。
 内部構造は未調査のため不明。
 5世紀中頃の築造と推定されている。  
 後円部墳頂には薬師堂が建てられている。
 東谷古墳群を代表する古墳!

笹塚古墳実測図
(「茂原古墳群」報告書から)


後円部は東側
前方部側から墳丘に上れる。

前方部北東隅から墳丘に上がる

前方部から後円部を見る

くびれ部から後円部を見る 観音堂がある。

後円部から前方部を見る

南から見た笹塚古墳全景

右に後円部

笹塚古墳のすぐ南に鶴舞塚古墳があったが消滅している。
グーグルマップで見ると、笹塚古墳の南に丸い地形が確認できるので、ここが鶴舞塚古墳だと思う。

 鶴舞塚古墳 (消滅)
 笹塚古墳の南側に位置する円墳である。
 周溝跡を含めると径は50mを超える。高さは約6m。
 出土品は鉄鍬片、鉄鏃片など
 周溝跡の様子から笹塚古墳より後に築造されたものとみられている。

笹塚古墳の南東の北関東自動車道の向こう側にも、東谷古墳群がある。

 権現塚古墳
 笹塚古墳の東南東に位置する径30m・高さ5mの円墳である。


権現塚古墳
 権現塚北古墳
 権現塚古墳の北側にある小円墳である。


権現塚北古墳



 松の木塚古墳
 笹塚古墳の南西にある径50mの帆立貝型前方後円墳と推定されている。
 2段築成
 その周縁部が田圃により侵食されている。


松の木塚古墳
 原古墳群(1号墳・2号墳)
 原古墳群は、笹塚古墳の東、高速道路のすぐ東にある。
 円墳2基から成る古墳群。
 墳丘は、現在墓地となっている。
 北から、1号墳、2号墳。

1号墳 北側

2号墳
 北関東自動車道新設に伴う墓地移転で、この場所につくられたと説明付きの記念碑がある。

権現塚古墳の東の林には車塚古墳群があるが、見学しなかった。

 車塚古墳
 笹塚古墳の東南東に位置する林の中にある径35m・高さ6m円墳。
 周囲の4基の円墳とともに車塚古墳群と呼ばれている。

   

茂原古墳群 宇都宮市東谷
2020/11/25

笹塚古墳(東谷古墳群)の西約2kmには、茂原古墳群がある。
駐車場は特にないので、路駐しながらの見学となる。
インターネット上に、平成2年発行の「茂原古墳群」報告書が公開されているので、参考にさせてもらった。

茂原古墳群の地図g

 茂原古墳群は宇都宮市街より南方約10km, 東北本線雀宮駅の南南東約2.3kmに位置する。
 3基の前方後方墳がある。

茂原古墳群 配置図  (報告書から)

南から 愛宕塚古墳
その北北西約100mには大日塚古墳
その北北西約400mには権現山古墳
の 3基の前方後方墳がほぼ南北に分布している。
愛宕塚古墳の南西に小古墳(方墳か) 3基
大日塚古墳の付近にもかつ て
 古墳(墳形不明)があり銅鏃・管玉が出土している。
権現山古墳の北東約 100m には五領山古墳があり、
 横穴式石室を伴うと判断されていて時期が下降する。

権現山古墳の北約200mには弥生後期から古墳時代後期を中心とした集落跡である権現山北遺跡がある。
 4世紀後半から 5世紀前半にかけて,
  三代ないし四代にわたる同一系譜の首長の存在が推定されている。

 群中では、南にある愛宕塚古墳は、鉄塔の西側にある。

 (茂原)愛宕塚古墳 宇都宮市茂原町小字御馬前
 全長49mの前方後方墳  
  後方部は長さ29m・幅25m・高さ5m  墳頂部平坦面は一辺が4.4m
  くびれ部幅は13m  ,前方部長さ20.6m・幅19.8m・ 高 さ2.2m
  低くて比較的狭い前方部である。
 まわりには方形の周溝がめぐ っていたと考えられている。
 後方部墳頂下に東西3.5m・南北8.5m・深さ1.8mの墓壙があり、
  その底に幅1m長さ7.4m・深さ0.5mの木棺の痕跡が確認された。
 出土物は 鏡1面径7.2cm, 厚さ 2mm弱)
  ・櫛 1枚・緑色岩製管玉 5・ガラス製小玉 2・刀子2などで、
  すべて棺床面にあった
 周溝から綾杉文をもつ有段口辺壺形土器が出土 (東海系の土器)

愛宕塚古墳 墳丘実測図
 
(報告書から)

前方部南東方 8mの地点に円墳1基
 ( 直径10m前後・ 高 さ 1m程度 方墳かも)
これと同様な小古墳が
 西側の雑木林の中にも 2基

後方部の石祠

後方部から前方部を見る

前方部から後方部を見る

遠景  東から見る

愛宕塚古墳の北北西約100mのところにあるのが、大日塚古墳。

 大日塚古墳 (茂原古墳群) 宇都宮市茂原町御馬前
 全長35.8mの前方後方墳
  後方部長さ20.3m・幅19m・高さ4.2m 前方部15.5m・幅16.6m・高さ2.1m
 後方部頂に小祠があり、各所に崩れているところがあるので、
  埋葬部ははっきりとした確認には至っていないが、
  箱式木棺ではないかと考えられている。
 周溝から東海系の土器を,主体部からは青銅製の素文鏡(径2.6cm) が出土した。

大日塚古墳 墳丘実測図
  (報告書から)

西側の丸い地形はかつてあった水道塔

古墳とその周辺は現在国有地となっていて,
 境界にはフェンスが張りめぐらされている。

 昭和55年測量調査 58年・59年・60年発掘調査


大日塚古墳 後方部

フェンスがあって入れない。
ジャングルになっている。

大日塚古墳の北250mには、権現山古墳がある。
権現山古墳と大日塚古墳の間には浅い開析谷が入り込んでおり、 現在は水田や民家がある。

 権現山古墳 (茂原古墳群) 宇都宮市茂原町字五領山
 63mの前方後方墳 
  後方部幅35m・長さ34m・高さ6.5m  前方部幅20m・長さ29m・高さ3.5m
 埴輪なし 葺石なし
 出土物なし

権現山古墳 墳丘実測図
  (報告書から)
茂原古墳群の前方後方墳3基の中では
 最も新しい時期の築造と推定されている。


昭和56年測量調査
未発掘

前方部手前から見た前方部前面

前方部から後方部を見る

後方部頂の石祠

後方部先端 五領山から見る

後方部から前方部を見る

くびれ部から前方部を見る

権現山古墳の北東約50mには小規模な円墳とみられる五領山古墳がある。
まわりは公園のようにきれいになっている。

 五領山古墳 (茂原古墳群)

五領山古墳 墳丘実測図
  (報告書から)

円墳か方墳かの判断は難しい
ボー リング調査によって、
 墳丘部に石室 と思われるものが
 存在する ことがを確認された。

五領山古墳  きれいな円墳

周溝跡も残っている

 

茂原古墳群の南にある「北関東自動車道」の南側には、神主古墳群があるが、
 あまり時間がないので、明日見学することとし、
 上三川町の石室だけ残った古墳の見学に行く。

上三川愛宕塚古墳
町指定史跡
上三川町上三川
2020/11/25

新しく整備された愛宕山公園の一角に石棺式石室だけが保存されている。

 上三川愛宕塚古墳 直径40mの円墳
 愛宕塚古墳石室は  玄室幅1.5m・玄室長さ2.35m・玄室高さ2m
  戦前に忠霊塔建設に伴い掘り出され、30m離れたこの場所に移転復元された。
 石材は凝灰岩(大谷石)
 6世紀末の築造と推定されている。

鳥居の横に石棺式石室

側壁側

奥壁側から

入り口は四角くくり抜かれている

石室内部 奥壁側

石室内部 入口側

石棺式石室は、出雲でいくつか見学した…。

上三川かぶと(兜)塚古墳
町指定史跡
上三川町上三川
2020/11/25

道端に石棺式石室が残されている。 駐車場はないが、駐車可能。

 かぶと(兜)塚古墳は  全長45m・高さ4.5mの円墳と考えられている。
 2段築成  その姿が「兜」に似ていたのでかぶと塚と名付けられた。
 墳丘は削平されて、現在は横穴式石室だけが露出した状態
 周辺から埴輪片が出土   葺石の有無は不明
 石室は凝灰岩の切り岩を組み合わせて、石棺式石室となっている。
  玄室幅2.1m・長さ・3.3m・高さ2.4m
  側壁には長さ3.7m・高さ2.0mの切石を、天井部には長さ2.4m・幅1.8mの切石2枚
  玄門は1枚岩を刳り貫いて造られている。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 これらの特徴をもつ古墳は、この時期の栃木県南地域の大型古墳に多くみられ、
  「しもつけ古墳群」と総称されている。
 明治13年発掘調査で土師器や埴輪、小札、ガラス小玉などが出土したという記録がある。
 平成30年の調査では、幅14m・深さ1.7mの周溝が確認されている。

出土した遺物
 (説明板から)
左から
靭形埴輪、須恵器ハソウ、
人物埴輪、土師器甕、土師器坏

左 開口部側

奥壁側

左・奥壁

開口部側

石棺式石室の手前に
 低い羨道部が付いている


低い羨道部に隠れて
石室の四角い開口部が見えない


隙間から石室内部を撮影!
  ↓

石室内部 開口部側

石室内部 奥壁側

   

今晩は、日光温泉に宿泊なので、4時半に切り上げて、日光に向かう。
「さつきロード」という有料道路から
東北自動車道・鹿沼IC-宇都宮JCT-日光宇都宮道路・日光IC
5時40分 「ホテル 清晃苑」到着。
gotoトラベルでお土産も調達

日光へ (2020年秋その6) へつづく

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