北村さんちの遺跡めぐり
更新日2021/3/10
2020年秋は、栃木県
その4 宇都宮市12020/11/23-29
11/25
ホテルを8時ごろ出発。
3日目最初は高龗神社古墳だが、ナビの入力を間違えてなかなか着かない…。
高龗神社古墳 市史跡 |
宇都宮市河内町飛び地 撮影日2020/11/24 |
農地の中に墳丘が残る。西側に鳥居がある。
高龗神社(タカオジンジャ)古墳は 直径30m・高さ約5mの円墳。 墳丘は旧東北本線建設の際に豪快に削り取られている。 6世紀後半の築造と推定されている。 「高龗神社」とは、こんな字です! 古墳の北東側裾に立つ標柱。 高龗神社の「龗」は 雨かんむりの下に、口を3個並べてその下に「龍」と書く。 一文字で「オカミ」と読み、本来は「タカオカミ神社」だが、 栃木県では「タカオジンジャ」となっている。 北東側からも、墳丘に上がれるようだ。 以前はこの付近一帯に古墳があり、川沿古墳群を形成していたが、 現存するのは高龗神社古墳のみ。 「大塚」「塚原」「十三塚」という地名にその名残をとどめている。 この南にあった大塚新田古墳から出土した馬具は、 日本の編年の基準となる重要な遺物である。 |
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西の道路から見た高龗神社古墳 |
低い墳丘の向こうに高い墳丘なので、 前方後円墳かと思ったが、 手前(西側)は、東北本線建設の際に 削り取られたということらしい。 |
残っている墳丘 |
墳頂には、石祠 |
墳丘上から北東側の墳裾を見る 墳裾に「史跡 高龗神社古墳」の標柱が立つ。 |
墳丘上から西側の墳裾を見る |
北山古墳群 | 宇都宮市岩本町 撮影日2020/11/24 |
宇都宮市の北山霊園南側に、3基の前方後円墳と5基の小円墳があり、北山古墳群と名付けられている。
墓地公園の中の広い道路脇にあるので、路駐しながら見学。
権現山古墳 | 市指定史跡 |
全長40m・後円部径22mの前方後円墳 前方部を南西に向けてつくられた。 古くは「塚穴」と呼ばれていた。 円筒埴輪や馬形埴輪が出土している。 後円部東側に開口する横穴式石室は全長7.8m 奥壁幅1.2m 奥壁の高さ1.75m 羨道部高さ1.1mの無袖型 細長い構造 宇都宮市内では最も古い形態の横穴式石室の一つといわれている。 6世紀中ごろの築造と推定されている。 昭和61年(1986)、横穴式石室が発掘調査された。 |
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道路から見た権現山古墳 後円部側 奥に前方部がある。 雑草が生えていて墳形がよく分からない |
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前方部から後円部を見る。 |
くびれ部から前方部を見る |
石室入口 |
石室内部 奥は埋まっているようだ |
雷電山古墳は、権現山古墳の北100mのところにある。
雷電山古墳 | 市指定史跡 |
全長41m・後円部径24mの前方後円墳 前方部を南に向ける 河原石の葺石あり 後円部の東側に横穴式石室がある。 明治時代の中ごろに発掘されていて、記録では、 横穴式石室は、全長6.3m、玄室長3.57m、幅1.3mの両袖式 出土品は不明 6世紀中頃の築造と推定されている。 墳頂部に雷神を祀った祠がある。 |
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東(道路の反対側)から見た墳丘 左前方部 右の後円部の斜面に横穴式石室がある。 |
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後円部側 後円部頂には、石祠がある (しめ縄なし・お供え物なし) |
後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
前方部の石祠には、しめ縄・お供え物がある。 |
前方部の石祠には、燈籠と参道がある。 道の反対側なので、道からは見えない |
後円部斜面の横穴式石室は埋まっている。 |
雷電山の西約150m、道路の南側にあるのが、宮下古墳。
宮下古墳 | 市史跡 | ||
全長43m・後円部径31mの前方後円墳 丘陵の最高所にある 後円部径約29m・高さ約4m、前方部幅約32m 前方部を南西に向けている。 前方部の発達した後期古墳の形をよくとどめ、 近くには5基の円墳がつき従うように築かれている。 後円部の横穴式石室は、明治32年に発掘調査されて、 石室全長8.48m、玄室長4.39m・幅1.69m・高さ2.49m 羨道長4.09m、幅0.82m、高さ0.7mの片袖式。 直刀・管玉・馬具・土師器などが出土しているが、現在は埋められている。 6世紀後半の築造と推定されている。 |
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宮下古墳上り口 |
後円部正面 |
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後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
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前方部裾から後円部を見る |
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古墳の南側では陪塚とみられる小円墳が5基確認されている。
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谷口山古墳 市指定史跡 |
宇都宮市長岡町 撮影日2020/11/24 |
長岡街道沿いに、インマヌエル宇都宮キリスト教会の駐車場と上り口の階段がある。
駐車場のある道路わきに、案内標識がある。
谷口山古墳は、教会の建物の背後にある。
教会に声をかけたが、返事がなかったので、そぉーっと見せてもらった。
宇都宮丘陵にある中岡町緑ヶ丘団地の南東端の位置になる。
平成7年発行の「久部愛宕塚古墳・谷口山古墳・御蔵山古墳」発掘調査報告書が、
インターネット上で公開されているので、参考にさせてもらった。
谷口山古墳は、丘陵先端に築かれた径24mの円墳 高さ(推定)3.6m 周溝は南側で一部確認しただけであるが、幅1.5m・深さ0.5m 谷口山古墳復元図 (報告書から) 古墳の周辺は道路などの削平により かなり改変されているが、 周辺の状況や地権者の話などから 円墳と考えられている。 平成3年に教会の修理に伴い、調査された。 墳丘の保存状態はよくないが、石室は未盗掘だったので、 人骨や副葬品はほぼ原位置のまま確認された。 南側に開口する横穴式石室は全長7m 玄室長5.5m・幅1.7m・高さ1.57m 羨道長1.5m・幅0.8mの右片袖式。 谷口山古墳石室模式図 (説明板から) 玄室内に境石があり、複室的な構造である。 またこれに伴い,床面の状況も異なり、, 板石のみの奥壁側と、 板石と河原石の組合わせからなる玄門側 とに分かれる。 玄門側の床面が 2層に分かれている。 側壁は、割石が主であるが、一部切石状の石を使用している。 床面には板石や玉石を敷き詰めている。 玄門は立柱石と楣石から成る組み合わせ式である。 石室には最低10人の遺体が埋葬されていて、 直刀3、鉄鏃1、耳環3、ガラス小玉144個が出土した。 6世紀後半の築造と推定されている。 |
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墳丘は、ぼろぼろ |
石室には覆い屋がある。 |
石室入口 |
羨道から玄室を見る |
仕切り石で二つに分かれた玄室の奥の部分 手前下が仕切り石 |
奥壁は巨大な1枚石 |
玄室から羨道を見る 1.5mほどの羨道部 右片袖式だ。 石が不安定に見える。 |
長岡横穴古墳 県指定史跡 |
宇都宮市長岡町 撮影日2020/11/24 |
駐車場あります。
長岡横穴古墳は 凝灰岩路頭の斜面に掘り込まれた横穴群で、 現在52基(東群44基、西群8基)が南向きに開口している。 重複して掘り込まれたものもあり、 実際はもっと多くの墓穴があったと考えられている。 基本形態は、羽子板型の玄室から玄門を経て直接前庭部へ続くもので、 羨道にあたるものは見られない 玄室の奥壁はアーチ型でほぼ垂直で、玄門もほぼ同じ形で、中央部が長方形にあけられている。 玄門には扉石をはめ込んだとみられる切込みがあり、現在はないが、 当時はほとんどの横穴に扉石があったとみられる。 古くから開口しているため、遺物がなく、横穴のつくられた時期は明らかではないが、 7世紀前半の築造と推定され、家族墓てきな性格をもったものと考えられている。 現在各室に観音像などがあるが、これらは後世のもの。 |
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百穴観音堂の左側(西側)の横穴群 |
百穴観音堂の右側(東側)の横穴群その1 |
百穴観音堂の右側(東側)の横穴群その2 |
穴の中の様子その1 |
穴の中の様子その2 |
穴の中の様子その3 |
市街地にあり、駐車場も完備しているので見やすい横穴群だ。
瓦塚古墳 市指定史跡 |
宇都宮市長岡町 撮影日2020/11/24 |
南西の麓に登り口があり、駐車スペースがある。
案内板もあり、そこにパンフレットも置かれているはずだが、なかったので、ネットで検索した。
平成31年度宇都宮市教育委員会発行の「瓦塚古墳」発掘調査報告書も見つかったので、参考にさせていただいた。
瓦塚古墳群は 長岡丘陵の南西斜面につくられた古墳群 前方後円墳1基と円墳約40基からなる。 6世紀後半~7世紀の築造と推定されている。 明治30年ころに前方後円墳の瓦塚古墳(24号墳)の発掘 昭和48年~50年に大規模宅地造成のために周辺の円墳(25・26・32号墳)の発掘調査 平成13・14・15年に保存整備のために瓦塚古墳(24号墳)の発掘調査 |
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昭和58年に作成された分布図 白丸は消滅古墳 (報告書から) 瓦塚古墳群配置図 (パンフレットより) 北側に住宅街が広がっている |
瓦塚古墳整備イメージ図 (パンフレットから) 瓦塚古墳(24号墳)周辺の 20号・21・22・23・25号墳が 調査保存ソーンとして 見学しやすくなっている。 |
登り口から、瓦塚古墳(24号墳)に行く途中の斜面で、20~23号墳が見学できる。
20号墳 直径15mの円墳 高さ1.5m 石室の一部が露出 |
21号墳 直径29mの円墳 高さ4m |
22号墳 直径16mの円墳 高さ1.4m |
23号墳 直径22mの円墳 高さ2m |
瓦塚古墳は、標高180mの丘陵尾根上にある。
瓦塚古墳(24号墳) | 市史跡 | ||||||
全長48mの前方後円墳 後円部径28m・前方部前端幅38m、 墳丘測量図 (報告書から) 2段築成 で、1段目は地山の削り出し 2段目は盛土 2段目の斜面全体に、人頭大の河原石の葺石がある。 周溝は、一重の盾形と考えられている。 上段の裾部と墳頂部では、埴輪列が確認されている。 (円筒埴輪と盾・矛・靫などの形象埴輪) 後円部の南東側にある横穴式石室は、奥行8.4m・最大幅1.7m最大高さ1.6m。 天井石は最大で5トンもの巨大な流紋岩や凝灰岩が使われている。 明治31年の調査では石室から 出雲石製管玉6・水晶製切子玉7・緒締玉1・瑠璃製小玉12 ・轡4組・兵庫鎖2・雲珠5・絞具2・直刀2・刀子1十数本・鍔1 ・金環1・鉄鏃十数点、土師器5・須恵器1 が検出されたと記録が残っている。 平成13・14・15年の発掘調査では、葺石や埴輪が確認されているが、 横穴式石室内部は天井石が危険なため調査はできなかった。 6世紀後半の築造と推定されている。。
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瓦塚古墳 前方部前面 墳丘はきれいになっているが、何もない 前方部と後円部の高さもあまり変わらない |
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横姿 左後円部 |
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後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
24号墳(瓦塚古墳)の北にあるのは、25号墳。
25号墳 直径18mの円墳 高さ1.4m 昭和50年発掘調査 |
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墳丘 |
石室跡 |
29号墳は、24号墳の南南東にあるが、整備保存ソーンからははずれている。
29号墳 直径20mの円墳 高さ3m |
29号墳 墳丘 しっかり高さがある。 遊歩道のそばにあり、きれいになっている。 |
29号墳から南東方向に下りてみたが、整備されていないので、墳丘の確認には至らなかった。
御蔵山古墳 市指定史跡 |
宇都宮市塙田5-535-1 撮影日2020/11/24 |
宇都宮市中心街の県庁の北側の丘陵上にある。
警察署の北側にある塙田トンネルをくぐらずに、その北脇の道路を上ると、駐車場がある。
どこの駐車場かわからないが、しばし駐車。
平成7年発行の「久部愛宕塚古墳・谷口山古墳・御蔵山古墳」発掘調査報告書が、
インターネット上で公開されているので、参考にさせてもらった。
参道途中に案内標識(簡単な説明付き)がある。
周辺の地図g
御蔵山古墳(ミクラヤマコフン)は 全長62mの前方後円墳 後円部径35m・高さ(現存)4.8m 前方部長さ27m・高さ(現存)5.4m 「剣菱形」の前方部を持つ。前方部を西北西に向けている。 3段築成で下半分は山をけずって形を整え、上半分は土を盛り上げて築いている。 周辺からは土器や埴輪の破片が出土している。 6世紀前半の築造と推定されている。 御蔵山古墳測量図 (報告書から) 平成4年 雷神社の改築に伴い発掘調査 限定的な調査だが、 円筒埴輪と朝顔形埴輪の破片、土師器・須恵器が出土している。 古墳のふもとには、 近くの古墳から遺物が出土したことを伝える 石碑「古棺記」がある。 頂上に「雷神社(ライジンジャ)」がある。前方部上に社殿がある。 神社を造るとき、 前方部と後円部の上面の部分が約1mほどけずり取られている。 墳丘下をトンネルが通っている。 |
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後円部登り口 雷神社と刻まれた石碑の後ろに古棺記がある。 木に紛れて見えない。 1998年撮影のHP「古墳のお部屋」様の写真と 同じアングルなのだが、 木が繁り、後円部が見えなくなっている…。 |
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古棺記 漢文で書かれているのでなかなか読めない。 古棺記は漢文で、 県庁の建設に当り、二里山の小丘から石棺が出て、 大きさは長さ六尺余、横二尺五寸、中に黄土と短剣、管玉、歯骨などが入っていた。 黄色土は戻し、他は博物館に収めた。 千年以上前のものとみられ、石棺に一文字も跡が無く、誰が埋葬されていたかは判らない、 と、刻まれているらしい。 |
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後円部から前方部を見る 雷神社は、祭神は大雷神 嵐除け・雷除けの守護神として建立。 塙田村の鎮守様 |
賽銭箱の前の貼り紙が、 面白かったので、パチリ! |
前方部から後円部を見る 現在は前方部の方が少し高い |
後円部から墳裾を見る |
市街地にある古墳なので、見学できるか不安だったか、見学できてよかった!
下栗大塚古墳 市指定史跡 |
宇都宮市下栗 撮影日2020/11/25 |
宇都宮市下栗に、3基の古墳が並んでいる。
一番西側にある1基。 東側から墳頂に上ることができる。駐車は可能。
墳丘全体が神社として利用されている。
下栗大塚古墳は 直径43.5m・高さ6.5mの円墳 平地に築かれている。(裾部で標高約100m) 2段築成 中段に幅4~5mの平坦面がめぐる 埴輪はない。 埋葬施設は不明だが、墳丘南側に横穴式石室がある可能性が高い。 7世紀の築造と推定されている。 |
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北から見た下栗大塚古墳 |
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下栗大塚古墳の鳥居 東側のふもとにある。 |
墳丘への登り口 |
墳頂の丸山稲荷神社社殿 |
下栗念仏塚古墳(東側)から見た下栗大塚古墳 |
下栗念仏塚古墳 | 宇都宮市下栗 撮影日2020/11/25 |
下栗大塚古墳の東300mの農地の中に、石塀に囲まれて保存されている。
下栗念仏塚古墳は 直径7m・高さ2mの円墳。 | |
天神社となっている。 |
小さいけど、きれいになっている墳丘 |
大塚神社古墳 | 宇都宮市下栗 撮影日2020/11/25 |
念仏塚から東へ約350mの神社にも古墳がある。鳥居の横には下栗地区の公民館がある。
境内は児童公園になっている。駐車場あります。
大塚神社古墳は 直径16m・高さ2.5mの円墳 | |
墳頂には社殿が乗っている 南から見る |
北西から見た墳丘 |
古墳の後ろにも高い所がある。 小さな前方後円墳に見えてしまう ➡ |
古墳の後ろの高まりとお社 石組みは「庚申」と彫られている |
どうなっているのかわからないが、本殿裏には2号があるそうなので、
2号墳とくっついて前方後円墳に見えるのかもしれない…。
大山祇神社古墳 オオヤマヅミジンジャ |
宇都宮市上横田町 撮影日2020/11/25 |
下栗大塚古墳の西約1kmの住宅街の端にあるが、道がわかりにくくて、なかなか着かなかった。
説明板はない。
大山祇神社古墳は 径30mの円墳 高さ4m 調査が行われていないので、葺石や埴輪の有無、埋葬施設や周溝など詳細は不明。 田川右岸(西岸)の台地縁辺部にあり、右(東)側は崖となっている。比高差は5~6m。 |
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南から見る きれいになっている。 |
南西から見る 左(西)側の道路で墳裾が削られているので、 方墳のように見える。 |
斜面にみえる石 |
墳丘上の不思議な祀りもの? |
「セブンイレブン宇都宮一里南店」にて 昼食調達
宇都宮市塚山古墳 (2020年秋その5)につづく