北村さんちの遺跡めぐり
更新日2021/2/4

2020年秋は、栃木県
その2 さくら市・芳賀町1・益子町
2020/11/23-29

gotoトラベルにて、栃木県へ
二日目です!  2020/11/24
7時20分過ぎに、ビジネスホテルサンヒルをチェックアウト。
さくら市の古墳見学へ

地図g

西原古墳
県指定史跡
栃木県さくら市鷲宿
撮影日2020/11/24

大きな円墳!
内川西岸の丘陵上の東端に位置。
墳丘の木が切られて見やすくなっていた。

 西原古墳は  直径約56m・最大高8.4mの円墳
 墳頂部は直径20mの平坦面がある。
 周溝跡は、北西側に残っている。
 未調査のため詳細は不明。
 古墳時代中期~後期の築造と推定されている。

全景

南から見る

「史跡 西原古墳」の石碑

墳頂

麓の家に住む女性の話では、
「墳丘上の木の落ち葉が家の屋根に積もったり、家が木の陰になったりして大変なので、 
木を切ってもらい、その代わりに桜を植えたので、何年かしたら桜の名所になるだろう」
ということです。

お旗塚古墳
オハタヅカコフン
栃木県さくら市狭間田
撮影日2020/11/24

農地と家が混在する中に保存されている。

 お旗塚古墳は、氏家町最古の古墳である。
 墳形は未確認  現状で直径10mほど
 平成3年(1991)の調査で、
  濠を2本巡らすという県内でも特異な形態をもっていることや、
  出土した土器から、4世紀末に築造されたことが明らかになった。
 この古墳の被葬者との強い関わりが注目されている遺跡が
  南東に400m 離れたところにある四斗蒔遺跡(シトマキイセキ)である。
 四方を濠で囲み、土塁と柵で守られた防禦性の強い環濠居館跡が2基確認された。
 内部には、この地域を治めた豪族の住まいと思われるような大型竪穴住居や倉庫、
  祭祀場も確認された。
 また、この近くからは、農耕儀礼を表した、
  貴重な資料である「絵のある土器」も発見されている。
      (説明板から)

四角く残されている。


方向を変えて見る


大塚台古墳
県指定史跡
芳賀郡芳賀町大字芳志戸
撮影日2020/11/24

お旗塚古墳から南に約10km。
八ツ木ニュータウンの南の水道施設のそばに大塚台古墳がある。
ジャングルとなっていて、よく分からなかった…。

 大塚台古墳は  東西径48.5m・南北径44m、高さ5mの円墳
  東西にやや長い楕円形状
  墳頂も楕円形状の平坦で、墳丘全体の側面形は、円錐台形(載頭円錐形)をなしている。
 墳頂には芳賀町最高地点である標高163.1mの三角点がある。
 五行川と小貝川の支流大川によって挟まれた台地上につくられている。
 未調査のため内部構造、埴輪や周濠の有無等は不明。
 墳形などから、竪穴式の埋葬で、5世紀頃の築造と推定されている。

大塚台古墳の墳丘測量図

(芳賀町のHPから引用)


 付近には数基の円墳が分布し、大塚台古墳群を形成している。

大塚台古墳への通路

説明板の後ろに墳丘

墳頂の三角点

水道施設の奥に墳丘

墳裾から、墳丘は、はっきりとは確認できなくて残念!

八ツ木浅間山古墳
町指定史跡
芳賀郡芳賀町大字八ツ木
撮影日2020/11/24

大塚台古墳の西約700m、五行川沖積低地の東岸段丘面の西端にある。
説明板あり。道路脇に駐車スペースあり。

 八ツ木浅間山古墳は 全長57mの前方後方墳
  後方部幅長さとも30m・高さ5m 前方部長さが23m・高さ1.5m
 後方部に対して、前方部か極度に小さく、高さも低い。
 前方部の前面両端が明確ではないが後方部幅に対して狭い
 埋葬施設は未調査だが、竪穴式のものと考えられている。
 中期前半(4世紀後半ころ)の築造と推定されている。

 この後、5世紀から6世紀にかけて、東方の大塚台古墳や琴平山古墳がつくられ、
  さらにこの辺りに古墳群が造られていったと考えられている。
   (説明板から)

鳥居の奥に後方部 右方に前方部。

後方部頂には、小さな祠がある。

後方部から前方部を見る

前方部から後方部を見る

西から見た後方部

右方向(南側)に前方部


前方部そばの陪塚
(?)


  

竹下浅間山古墳
市指定史跡
宇都宮市竹下町
撮影日2020/11/24

住宅街に、四角く石室の部分だけが残されている。墳丘は無い。
駐車場はない 。 宇都宮市の指定史跡である。



国道408号線から一本東の道路沿いにある
  「竹下浅間山古墳」案内板


案内板の道路を挟んで向かい側に、
 人が通れるだけの通路がある。
雑草だらけで、よく石室が見えない…

 竹下浅間山古墳は  全長52.5m・後円部径41mの前方後円墳
  前方部を西に向けていた。 付近の開発で削られている。
 横穴式石室は復元されたもので、鬼怒川の河原石を用いている。
  石室全長4.4m、玄室長3.4m、最大幅1.95m、羨道長0.56m、幅1.16mの両袖式
 頭椎太刀、直刀、鉾、刀子、鉄鏃、馬具類、
  装身具(勾玉・切子玉・耳環・腕輪)などが出土している。

民家の敷地の横に四角く囲まれている。

石室は、周りの地表より下にある。

石室入口

石室内部

どこまでか復元なのか?…。

後久保古墳
ウシロクボコフン
市指定史跡
芳賀郡芳賀町大字東水沼
撮影日2020/11/24

宇都宮市と境を接する東水沼地内の一段高い段丘にある。
住所は芳賀町だが、西隣りは宇都宮市の清風台団地だ。

 後久保古墳は  全長48mの前方後円墳  野元川右岸の宝積寺段丘上に位置する。
   後円部径26m・高さ2.5m、前方部幅24m・高さ2m
 前方部がやや低く、南西に面して築造されている。
 埴輪・周溝あり。
 6世紀後半の築造と推定されている。。

後久保古墳の墳丘測量図

  (芳賀町HPから引用)

 付近一帯は縄文時代からの遺跡が散在している。

左・前方部
右奥・後円部

前方部前端  
道路の手前は宇都宮市の住宅街となる。

前方部から後円部を見る
  

後円部から前方部を見る

後円部脇から前方部を見る

あまり高さの違いがなくて、見ただけでは、どちらが後円部かわからない…。

藤山古墳
町指定史跡
芳賀郡芳賀町大字東水沼
撮影日2020/11/24

十二所神社の背後にある。
十二所神社の鳥居の周辺は、藤山公園となっていて、駐車場もある。

 十二所神社は、1939年に勧請された。
 祭神として、天神七代と地神五代の十二柱の神々を祀ることから、十二所神社と称されている。
 本殿は、繊細精微な彫刻を配し均整のとれた優美な建築で、町指定文化財となっている
 境内には、町指定天然記念物の老杉、樅(モミ)の大木がある
 境内50mの北側には前方後円墳の「藤山古墳」を主墳とする古墳群がある。
    (説明板から)

藤山公園 大鳥居から社殿まで石段百数十段

十二所神社社殿
 参考
 天神七代
  ・天御中主神(アメノミナカヌシノカミ) ・高皇產霊神(タカミムスビノカミ) ・神皇產霊神(カンムスビノカミ) 
  ・可美葦牙舅神(ウマシアシカビヒコジノカミ) ・天常立神(アメトコタチノカミ)  ・瓊国常立神(クニトコタチノミコト) 
  ・豐雲野神(トヨクムヌカミ)
 地神五代
  ・天照大神(アマテラスオオミカミ) ・天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト) ・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト) 
  ・彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト) ・鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)

社殿の背後に、藤山古墳群。

 藤山古墳  町指定史跡
 全長49m・高さ3mの前方後円墳   後円部径29m  
 西に前方部がある。前方部の方が高い。
 埴輪がある。
 全体的には低い墳丘だが、原形が比較的よく残っている。
 内部は未調査なので、詳細不明
 6世紀代の築造と推定されている。
 東部を南に流れる野元川右岸宝積寺段丘の東端に位置し、標高110m
 すぐ南側には十二所神社がある。
 周囲には、小さな4基の円墳があり、藤山古墳群を形成している。



後円部脇から前方部を見る

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

円墳が、1基見つかった
直径9.5m・高さ1.4m
石祠がある

墳頂には、石祠
 他に3基の円墳があるはずだ。

全体に低い墳丘で、後久保古墳に似ている気がした。

小宅古墳群
オヤケコフングン
県指定史跡
益子町大字小宅
撮影日2020/11/24

南側から、丘陵に広がる古墳群を見るととても美しい!
現在地元有志により見学しやすいよう整備を進めているようだ。
駐車場あります。

左・2号墳  右・1号墳


駐車場付近から見上げる

ちょうど2人の方が整備をしていて、ここまできれいにするには大変だったと話しておられた。
菜の花や桜が植えられて、その時期はとてもきれいだそうだ。

 小宅古墳群  県指定史跡
 小貝川の支流である小宅川右岸の丘陵平坦面および南緩斜面上に造られた総数35基の古墳群
  前方後円墳6基、円墳29基(内11基は削平)からなる。
 古墳群は亀岡八幡宮から南西の青田地区まで範囲が広がる。
 古墳群の特徴は次の5点。
 ①6世紀前半の向北原古墳群(前方後円墳3基、円墳6基)に後続して築造したこと。
 ②6世紀後半の築造と推定されている。
 ③墳丘長は3~40mと小規模ながら6基の前方後円墳を築造したこと。
 ④近くに所在する芦沼石(凝灰岩)を用いて精巧な横穴式石室を埋葬施設にしたこと。
 ⑤前方後円墳が消滅する7世紀に入っても、大形円墳(山守塚古墳・消滅)を築造したこと。
    (益子町HPから・八幡宮駐車場の説明板から)


小宅古墳群 案内図

(八幡宮そばの駐車場
    にある案内板に加筆)

△は消滅古墳

Pは駐車場
 1号墳  前方後円墳

左・後円部

左・前方部
 2号墳  円墳
 左から  3号墳 6号墳 5号墳 4号墳
 3号墳  円墳
 4号墳  円墳
 5号墳  円墳
 6号墳  円墳
 12号墳  前方後円墳


左前・後円部

右奥・前方部

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る
 14号墳  前方後円墳

       前方部はほとんど分からない
 15号墳  円墳

小宅古墳群は、亀岡八幡宮の所有だそうだ。

 亀岡八幡宮
 後冷泉天皇の時代(1058~65)に、創建されたと、由来には書かれている。
 祭神は、応神天皇・神功皇后・玉依姫命

鳥居と駐車場 古墳群の配置図がある。

石段の上に社殿

この八幡宮駐車場が古墳群入口だというが、現在は古墳群の南にも駐車場がある。

西坪古墳群 益子町大字小宅
撮影日2020/11/24

亀岡八幡宮の東方400mには 西坪古墳群がある。
小宅古墳群に駐車したまま、徒歩で見学する。
西坪3号墳の前に、古墳群の説明板がある。

 西坪古墳群は南向き斜面に立地する古墳群
 前方後円墳1基(前方部は削平)、円墳3基の合計4基がある。
 近くで採れる芦沼石(凝灰岩)を用いた横穴式石室があり、
  勾玉11、切子玉9、管玉5、小玉16、耳環7の出土物が小宅自治会に伝わっている。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 西坪3号墳
 推定全長30mの前方後円墳だが、前方部は無くなっている削られている。
  前方部は、南側の道路で削られてしまった
 横穴式石室は、玄室長2.89m、奥幅1.75m、中央幅2.05mの胴張りで、高さは1.98m

道路に面する崖に横穴式石室が開口
説明板の右上 

玄門の上の石が落ちている。
地震で石が落ちて、怖くて中には入れない 

石室内部

奥壁 赤く塗られているようだ
道路で削られた墳丘
墳丘上は、個人宅の敷地

擁壁の左奥に
 横穴式石室と説明板



 西坪2号墳
 直径20m・高さ3mの円墳

2号墳

3号墳から1号墳へ向う途中にある。
個人宅敷地の奥にある。

以前にはなかった鳥居がある。
 西坪1号墳
 直径20m・高さ2.5mの円墳 石室が露出している。 

墳丘

元々ひびが入っていたまぐさ石が地震で落ち、
入口が埋まってしまった
 集落の奥まった個人宅にあるので、ちょうど畑作業をしていた方に見学のお願いをしたら、
  石室の所まで案内してくださった。

もう1基あるはずだが、どこにあるのか?

円通寺
入定塚古墳
益子町大沢
撮影日2020/11/24

円通寺の奥にある入定塚古墳を探しに来たが、
 この円通寺は、紅葉で有名なお寺らしく、観光客がかなり訪れている。
お寺の駐車場あります。
紅葉の時期は、ライトアップもされているようだ。

 円通寺
 応永9年(1402)良栄上人開基の浄土宗名越派の総本山。
 学問寺としても栄え、名越派の教義を講義・布教するために大沢文庫(図書館)を設置し、
  多くの学僧がここで学んだ。

国指定重要文化財  表門


応永9年(1402)建立と言い伝えられている。
屋根は以前は茅葺だったが、
 銅板に葺き替えられている。
 2本の支柱を前後4本の支柱が支えられているので別名「四脚門」ともいわれている。
 桁行3m余。総高6m余の堂々たる門 室町時代の代表的なもの
  (唐様式四脚門形式、切妻造り茅葺き型銅板葺きの建造物)

県指定重要文化財  一切経塔(イッサイキョウトウ)
建物の前には、涅槃仏がおいでる。

中世から江戸時代まで文化の中心を成した
  大沢文庫の面影を伝える建物。

重層方形造り柿葺き型銅板葺きの建造物。
上下層とも三間四面。
正面は、下層に桟唐戸や花頭窓、
 上層に板唐戸や丸窓が配置されている。
 天文10年(1541)に円通寺は火災で伽藍の大部分が焼失した。
 その再興に尽力したのが良迦上人で学寮や一切経塔を建設した。



境内は紅葉が美しい!
古墳はこの左奥に上り口があるが、
 そこまではライトアップもされていなくて、 笹が生い茂っている。

 入定塚古墳  県史跡
 全長63m・高さ5mの前方後方墳  前方部を北に向ける
 円通寺一切経塔の南西50mの尾根上にある。
  小貝川の東岸にあたり、八溝山地の一部をなす鶏足山塊の西側に立地する。
 小貝川の沖積地との比高差は約40mあり、樹木がなければ見晴らしのよい環境にある。
 昭和33年(1958)に県の史跡に指定された際には前方後円墳と考えられたが、
  その後の「栃木県史」には前方後方墳との記載がある。
 周溝や葺石、埴輪などは認められない。
 後方部と前方部の高さが同じであることや墳丘全体が平たく低く構えているところから、
  古墳時代後期の築造と思われるが、中期という説もある。
       (益子町HPから)


なんとなく前方後方墳?

笹におおわれていて、
墳丘の確認には至らず…。

    

風戸塚古墳
:県指定史跡
益子町大沢
撮影日2020/11/24

入定塚古墳が、思うように見学できなかったので、入定塚古墳から国道を挟んで西にある古墳へ。
林の中に、墳丘!
説明板も見当たらず、住宅街そばの杉林の中なので、駐車する場所もちょっと考えなければならない。

 風戸塚古墳は 直径38m・高さ4mの円墳
 未調査のため詳細不明。
 小貝川左岸の微高地上で、国道294号の西側にあり、頂頭部は平坦な截頭円墳である。
 比較的大型の円墳であるが、周溝もはっきりせず、また墳端部が削平され墳頂部も変形が著しい。
 また葺石等は不明瞭で埴輪等の細片も見当たらない。
 主体部が未調査のため築造年代は不明であるが、古墳時代後期のものと思われる。

垣根の向こうに墳丘!
何かイベントでも行われたようで、   
   木も切られすっきりしている!

墳丘は削られているという。

凹んだ部分もあるが?

墳頂部

石碑があるらしいが、分からなかった……。

浅間塚古墳
:県指定史跡
益子町大字塙2382-1
益子芳星高等学校
撮影日2020/11/24

浅間塚古墳は、小貝川を挟んで風戸塚古墳の向かい側(西側)、栃木県立益子芳星高等学校のグランド南に保存されている。
益子芳星高等学校のHPに、浅間塚古墳のデータがあったので、引用させていただいた。

 浅間塚古墳は 全長52mの前方後方墳
  後方部長さ28m・幅28m・高さ4m 前方部長さ24m・幅20m・高さ3.5m
 4世紀中葉から後葉の築造と推定されている。
 小貝川が東側を南流し、その沖積低地に面する段丘の先端に位置する。
 東西方向に主軸があり、前方部が東面する。
 葺石はない。
 埋葬施設は未調査のため不明であるが、竪穴系の埋葬施設があるものと推測されている。
 墳丘の周囲には北から西側がわずかにくぼんでいるので周溝の痕跡とみられる。
 南から東側は平坦面があり、構築時の整地面と思われる。

測量図
(益子芳星高等学校HPから)


 芳賀郡に6基存在する古墳時代前期の前方後方墳のうち、
  前方部の発達している様子から構築年代が他よりも下る可能性がある。
 県内の前方後方墳の総数は推定も含め22基であり、
  本古墳のように墳丘が良好に残されている事例は希少である。

南から見た浅間塚古墳

手前にフェンスがあるので、
近づけない!

左が後方部

高校が立てた説明板があるようだが、分からなかった。

午後1時を過ぎて、ようやく昼食。
時間がもったいなくて、古墳めぐりの時の昼食は大体コンビニで済ます。
「セブンイレブン益子中央店」  

もう1基、益子町の古墳を見学。

天王塚古墳
:町指定史跡
益子町大字道祖神土字荒久台
撮影日2020/11/24

益子参考館の西100mの島岡製陶所の西にある山道を行くと、天王塚古墳の前に行く。

山の中で不安だったが、島岡製陶所から出てきた3人連れ男女の1人がこの古墳の存在を知っていて、
 この道を行くとありますよと教えてくれた。
山の中といっても住宅もありそうなので、道はつながっているはずだが、交差ができる道ではない…。

 天王塚古墳は 荒久台古墳群とよばれる28基の古墳群の主墳
 全長43mの前方後円墳 後円部径21m・高さ4m、前方部の幅26m
 側面から見ると、前方部と後円部の高さが同じ
 墳丘の周囲には、幅4~5mの周濠(空堀)がある。
 墳裾から中腹にかけて幅3mに葺石がある。(一個30cm前後の山石)
 後円部南側のややくびれ部寄りで、墳頂下約2.2mに天井石を置く横穴式石室をもつ。
  玄室は  幅1.57m・長さ4・55m・高さ1.61m
  羨道は  幅0.60m・長さ2.30m・高さ1.55m 両側は平石積
  羨門は小さく造っていて、幅0.9m長さ0.75mで その奥に0.85m平方の板石を立てて閉塞していた。
 単葬墳である。
 出土品は、
  石室内部から 珪甲 衝角付兜 白銅鏡 青銅鈴 環頭太刀、鉄刀、鈴杏葉 雲珠
   馬環コハク製勾玉 ガラス製小玉 滑石製管玉 刀子、鉄鏃 
 他から 埴輪(円筒埴輪・家形埴輪・朝顔形埴輪) 土師器壺
  6世紀前半の築造と推定されている。
 昭和29年(1954)から30年にかけて3次の発掘調査。


前方部脇から後円部を見る

後円部脇から前方部を見る

横穴式石室

羨道から玄門を見る

玄室内部

天井石

玄室から入口方向を見る

りっぱな石室を見ることができた。  

(芳賀町)亀の子塚古墳 (2020年秋その3) につづく

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