北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/12/13
茨城県の遺跡 その11 筑西市・桜川市 |
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茨城県の旅7日目、2024/4/13 午後です。
沼田八幡塚のすぐ西にある「セブンイレブンつくば国松店」にて昼食。
つくば市から筑西市に入り、宮山観音古墳の見学です。
宮山観音古墳 県史跡 |
筑西市宮山 見学日2024/4/13 |
道路から階段を上がると観音堂があり、その後ろに古墳があるが、
横に宮山ふるさとふれあい公園があるので駐車。
観音堂の横に鳥居があり、古墳のくびれ部が参道で削られている。
宮山観音古墳は 全長92mの前方後円墳 後円部径45m・高さ6m 前方部幅37m・高さ4m 5世紀早期の築造と推定されている。 |
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観音堂の横にある鳥居 左側前方部 右後円部 くびれ部は参道となる |
鳥居をくぐって続く参道 長さ100m以上の参道の先には鹿島神社 |
鳥居をくぐって振り返って見る 両脇には石が祀られている 左後円部 右に前方部 |
前方部 左奥に後円部 右奥の光っているのが、 後円部の前にある観音堂(の屋根) |
前方部から後円部を見る |
後円部から前方部を見る |
後円部 |
建物の中 石? |
横姿 左が後円部 北から見る |
写真を撮り忘れたのだか、宮山観音堂は市指定文化財(建造物)である。
宮山観音堂は、寄棟造、向拝1間、桁行3間、梁間3間 棟札によれば、享保8年(1723)の上棟。 大工棟梁は、笠間箱田村の藤田孫平次とあり、 同人の名は小山寺(桜川市)楼門の享保17年の棟札に大工棟梁として見え、 また、新勝寺(成田市)三重塔の宝永8年(1711)の心柱墨書にも棟梁の次に見える。 大正9年に屋根葺替が行われ、昭和48年に茅葺の上に鉄板が被せられた。 (筑西市hpから) |
おふじ権現古墳 | 桜川市真壁町飯塚 見学日2024/4/13 |
北東側におふじ権現古墳」の標柱があるが、鳥居は南東側にある。
おふじ権現古墳は 元は60mの前方後円墳 (後円部径31m・高さ6m)とされている。 現状は長さ44mが残っている。 墳丘上に神社や石仏、石碑のほか桜の巨木がある。 |
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全景 高まりが残るところが後円部か 桜も満開 |
鳥居の扁額には「おふじ権現」とある 社殿には「鹿香息神社」と書かれている。 |
後円部の残丘 |
頂部には小さな祠と観音様 |
墳頂からふもとを見る |
墳裾周りにも石碑が並べられてる |
グーグルのストリートビューでは、樹木が繁茂していて、よく見えなかったが、
すっきりしていて見やすくなっていた。
羽鳥天神塚古墳 市史跡 |
桜川市真壁町羽島 見学日2024/4/13 |
柿沼製粉という工場の後ろにあって通りからは見えにくくてなっている。
羽鳥天神塚古墳は 径20mの円墳 高さ3m。 墳丘上に石祠と一本桜がある。 平安時代、この地に国司として赴任した菅原道真の三男がここに塚を築き、 道真の遺骨を一時埋葬したと伝わる。 |
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墳丘 |
「羽鳥天神古墳」真壁町教育委員会の標柱 |
雑草が繁茂していて、入り込めない。
墳丘上に一本桜があるというが、枯れているのか春なのに花がない……。
(児育)八幡山古墳 出土品は市指定文化財 |
桜川市真壁町上谷貝 見学日2024/4/13 |
上谷貝北部田園都市センターの隣にある。
(児育)八幡山古墳は 径20m以上の円墳 墳頂に八幡神社がある。 墳丘か削られた時に発見された石棺材が墳丘裾に置かれている。 石棺内からに直刀と銅鋺が出土、市指定文化財となる。 7世紀以降の築造と推定されている。 |
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東から見る |
北側に鳥居があって、八幡神社の参道となる。 |
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児育八幡神社 平成15年に改修工事が行われた |
東から見る |
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墳丘西面中腹に標柱があり、その横に石棺材が保存されている。
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大岡古墳群 | 桜川市岩瀬 見学日2024/4/13 |
岩瀬亀岡線の道路沿い、9号墳の前に、「大岡古墳群」の標柱がある。
ネット検索するも、全貌はわからない。
大岡古墳群は、岩瀬地区にある古墳群。 9号墳は 直径40m・高さ8mの円墳 |
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2021年度に建て替えられたという標柱 |
平坦部に石祠がある。 |
墳裾に石碑 一里塚と書いてあるような……。 |
変な形で残った墳丘 |
墳丘上 |
墳丘上から麓を見る |
周辺には他にも墳丘が残っているらしいが、詳しいデータが得られず断念……。
花園古墳群 3号墳の板石が市指定文化財 |
桜川市東桜川1丁目 桜川市商工会敷地内 見学日2024/4/13 |
花園古墳群3号墳は装飾古墳で、その石が保存されているというので、桜川市商工会へ。
ところが大通りから直接行けなくて、周りをうろうろ
やっと行けたと思ったら、本物は埋められている?
説明板だけは、読む価値がある。
花園古墳群は、桜川市友部にある。
説明板から
市指定 花園古墳群三号墳の石室壁画板石 花園古墳群は、雨引山北麓標高約70mの大字友部字山田から北へ流れる丘陵の東側斜面にある。 前方後円墳の1号墳(箱式石棺・武人埴輪・墳丘部削平)を主墳として、 横穴式石室のある2号墳・3号墳(消滅)・4号墳・5号墳(欠損)及び円墳3基がある。 装飾古墳の花園3号墳の横穴式石室の壁面は、朱・白・黒の三色の顔料で彩色されている。 図紋は、武具・武器を主体に、舟形・#形・X状を配し、 特に奥壁の上半分は、赤と黒を帯状に交互に彩色し、下半分は靫四組を配している。 花園3号墳は、東国の装飾古墳中第一級のもの(明治大学大塚初重教授)ともいわれたが、 昭和58年8月、民間の土取りによって破壊されたので、奥壁、側室の残存壁画を実測模写し、 そのレプリカを、現在香取考古資料館に展示し、学術上貴重な壁画を公開している。 3号墳の復元は困難であるため、彩色壁画の残存板石(奥壁・両側壁)を、 考古資料として昭和59年10月1日、町の文化財に指定し、現在地に、墳丘を築造し埋蔵した。 花園2号墳は 3号墳のあった南に隣接していて、 花崗岩で構築された、横穴式石室が開口している。 壁画は確認されていないが、考古学上貴重な遺構で消滅した3号墳を知るうえで参考になる。 平成10年9月町指定文化財となる。(現在は桜川市指定)。 |
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残存板石は、現在 この塚に埋められている!? 壁画の模写が香取神社境内にある 香取考古資料館に展示されている。 |
本物が残っている花園2号墳を見学すれば良かった……。
御止山古墳 | 筑西市井出蛯沢 見学日2024/4/13 |
「太陽寺跡 小栗城主 小栗満重公と家臣の供養塔」という市指定文化財かそばにある。
墳丘を削って、太陽寺が建立されたが、廃寺となり、山門と墓地が残る。
御止山古墳は 前方後円墳 詳細不明 全長20mの前方後円墳というデータがある (もっともっと大きいような気がする。) |
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前方部脇から後円部を見る |
後円部の葺石(川原石) |
後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
筑西市は、説教節や浄瑠璃、歌舞伎など多くに登場する小栗判官ゆかりの地。、
小栗判官のモチーフとなったのは、小栗城の城主であった、小栗満重とその子助重である。
太陽寺は小栗氏の菩提寺であったと伝えられている。
富士東古墳(浅間山) 富士東古墳(寺うしろ山)とともに市史跡 |
筑西市中舘 見学日2024/4/13 |
御止山古墳の西約3kmの小高い丘に、富士東古墳(浅間山)と富士東古墳(寺うしろ山)という2基の古墳がある。
前方後円墳の富士東古墳(浅間山)を見学。真岡鉄道折本の南の線路沿いにある。
東麓に無人精米所があるので、駐車させてもらう。
登り口の階段は、西麓にある。
富士東古墳(浅間山)は 全長45mの前方後円墳 後円部径30m・後円部高さ7m 詳細不明 旧国道294号に沿った小高い丘となっている。 |
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「市指定史跡 富士東古墳」の標柱 |
前方部から後円部を見る |
くびれ部脇から後円部を見る |
後円部上の浅間神社 |
後円部から前方部を見る |
前方部脇から後円部を見る |
富士東古墳(浅間山)の横姿 |
その南東300mの農地の中に富士東古墳(寺うしろ山)がある。
行きたかったが道が狭い上に生活道路で、駐車できず断念。
径20mの円墳。高さ4m 詳細不明。
島古墳 | 筑西市島 見学日2024/4/13 |
島集落センターの横にある。駐車スペースあります。
島古墳は 墳長20mの古墳だが、元は全長60mという。 詳細不明 | |
集落センター(南側)から見た島古墳 |
手前には建物があったらしい |
左に建物跡 右は墓地 |
墳頂には小祠 |
墳形もわかっていないのか……。
葦間山古墳 市史跡 |
筑西市徳持 見学日2024/4/13 |
実は茨城県で一番大きな古墳なのだが、前方部が削られているので、影が薄くなっている。
後円部の北側に「市指定文化財 史跡 葦間山古墳」の標柱があって、後円部に上がれるようになっている。
後円部南側には鳥居がある。
葦間山古墳は 後円部直径82m・高さ10.5m、現在の前方部全長30m・高さ3m 削られた部分を含めると、古墳全長141mと推定されている。 (筑波大学先史学・考古学研究調査報告5古墳測量調査報告書から) 前方部を南東方向に向ける。 墳丘外表では壺形土器・壺形埴輪・円筒埴輪が採集されている。 墳丘周囲で周濠の有無は明らかでない。 埋葬施設も未調査のため明らかでない。 4世紀後半の築造と推定されている。 前方部は半分以上削平されて宅地化しているほか、 前方部残存部は畑として利用され、後円部墳頂には小祠が祀られている。 地名から、別に徳持古墳とも呼ばれている。 (筑西市hpほかネット検索から) |
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後円部北側の登り口 「市指定文化財 史跡 葦間山古墳」の標柱 |
後円部頂に小社が鎮座 |
後円部墳頂から南側墳裾の鳥居を見下ろす |
葦間山古墳の後円部 右方向に前方部 南から |
西側に前方部があると思っていたら、前方部は南東側だった……。
台畑古墳 市史跡 |
筑西市村田 見学日2024/4/13 |
きれいな前方後円形がみられる。説明板がある。
説明板の前の道が少し広くなっているかなと駐車。
台畑古墳は 全長68.8mの前方後円墳 後円部高6.65m・後円部東西幅32.8m 前方部高3.1~3.35m・前方部東西幅29m 村田地内の小貝川左岸の台地上に位置する。 後円部が前方部に比べて高く、くびれ部があまり顕著にみられず撫肩状をしている。 主体部は、後円部に置かれているものと思われ、木棺直葬か、粘土槨が考えられている。 立地・墳形などから、5世紀後半~6世紀初頭の築造と推定されている。 (筑西市hpから) |
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後円部頂の板碑 (日月の図と何らかの文字が彫られている) |
後円部頂には石祠もある |
後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
後円部を裾から見上げる |
前方脇部から後円部を見る |
後円部脇から前方部を見る |
くびれ部 左奥に後円部 |
横からみる 右に後円部 |
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説明板から |
セブンイレブン筑西西方店で休憩
西方古墳 西方新畑古墳 市史跡 |
筑西市西方新田 見学日2024/4/13 |
県道23号線が関東鉄道常総線と交差する踏切の北東の林の中に2基の円墳が東西に並んでいる。
ソーラーパネルの北側に、東へ入る細道があり、標柱がある。
東側に西方古墳
西方古墳(ニシホウコフン)は 径38mの円墳 高さ5m 墳頂に稲荷社がある。 未調査で詳細不明 古墳時代後期の築造と推定されている。 (筑西市hpから) |
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きれいな円墳 |
「市指定文化財 史跡 西方古墳」の標柱 |
墳頂にあるはずの稲荷社は無くなっている 台座の一部の石材が残っている |
その西100mにあるのが西方新畑古墳
西方新畑古墳(ニシホウシンハタコフン)は 径27mの円墳 高さ4m 詳細不明 墳頂に庚申様が祀られていて、地元では昔から庚申塚とばれている。 西方古墳と同時期のものと推定されている。 (筑西市hpから) |
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「市指定文化財 史跡 西方新畑古墳」の標柱 |
墳頂 |
墳頂には石仏が祀られている 庚申様? |
6時を過ぎて……
はま寿司 下館店で夕食
ビジネスホテルSANTA(筑西市乙)に宿泊。 朝食付きでうれしい!
女方(おざかた)古墳群 につづく