北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/11/22

茨城県の遺跡 その9 
土浦市2・つくば市2

茨城県の旅7日目、2024/4/13 


湖北ホテルの朝食バイキング

8時15分に土浦市の湖北ホテルを出発!

地図g

(土浦)浅間塚古墳 土浦市木田余瀬
見学日2024/4/13

ホテルから国体道路に入って北に1.5kmで、南へ入っていった先の墓地隣にある。
台地の先端に位置している。

 浅間塚古墳は  全長30mの前方後円墳 後円部径20m
 土浦市街を見下ろす台地の縁辺に築かれている。

北から見る

前方部から後円部を見る

後円部側

後円部墳頂には石祠がある

後円部から前方部を見る
景色が良い!

  

松塚古墳群 つくば市松塚
見学日2024/4/13

松塚の鹿島神社に古墳がある。1号墳だけ見学した。

 松塚古墳群は  桜川右岸の自然堤防上に存在する前方後円墳2基、円墳1基からなる古墳群
 1号墳は 全長62mの前方後円墳、後円部の一部が神社で削られている。
 2号墳は 前方後円墳で、前方部は墓地で削られている。
 松塚1号墳は  全長62m、後円部径38mの前方後円墳
 鹿島神社境内。

鹿島神社入口 奥に松塚1号墳

後円部を一部削って建てられた鹿島神社社殿

松塚1号墳 全景

前方部側 左奥に後円部
 

前方部から後円部を見る
前方部墳頂には 大青面金剛の石碑
がある

前方部から後円部を見る

後円部墳頂には 壊れた宝篋印塔

後円部から前方部を見る

後円部側

    

栗原愛宕塚古墳
慶長の板碑
つくば市栗原
見学日2024/4/13

つくば市指定史跡の「慶長の板碑」のそばに古墳がある。

 慶長板碑  つくば市指定文化財
 日記待成就碑で、1603(慶長8)年9月、
  栗原村の人たちが7年間続けた「日記待」の満願成就を記念して建立した
  日記待は、豊作や極楽往生などを願った庶民信仰とされる。
 碑には金剛界大日如来を中心とする五智如来をあらわす梵字が刻まれている。
      (つくば新聞から)
説明板から

慶長の板碑の南に墳丘が見える。

 栗原愛宕塚古墳
 径20mの円墳  高さ4m。 墳頂には愛宕神社がある。詳細不明。

慶長の板碑から見た栗原愛宕塚古墳

北から見る

東から見る

墳頂の社殿


栗原愛宕塚古墳
 サビで読めなくなった説明板


十日塚古墳 天神塚古墳が近くにあると
書いてある気がする。

   

田土部地区の古墳
田土部稲荷塚古墳と田土部明神古墳
土浦市田土部
見学日2024/4/13

元筑波鉄道、現在「つくばりんりんロード」の田土部休憩所の近く。

 田土部稲荷塚古墳
 径10m・高さ2~3m程の円墳
 農地の中にポツンと1基。  墳丘上には 石祠と桜の木が1本。

北から見る

墳丘上に石祠と桜

田土部明神古墳は香取神社境内にある。
北から入って、駐車したが、香取神社は南側が入口。

 田土部明神古墳
 香取神社内  詳細不明

南側に鳥居があり、参道がある

社務所?

香取神社本殿
 この裏に田土部明神古墳がある

香取神社にはいくつか石碑がある。
左・針供養塚 右・庚申塚など

社殿の間から墳丘が見える。

田土部明神古墳 墳丘


北から見た
  田土部明神古墳


右奥が香取神社本殿

   

高崎山古墳群西支群
第2号墳横穴式石室移築
つくば市大形
見学日2024/4/13

土浦市小高の大池そばの丘陵先端に横穴式石室が移築されている。つくば市と土浦市の境あたり。

 高崎山古墳群西支群第2号墳横穴式石室 (移築)
 高崎山古墳群は  東支群7基、西支群2基の9基が確認されている。
 2号古墳は全長35mの前方後円墳
 周溝が全周していた
 埴輪あり   形象埴輪(人形・馬形)もあり
 後円部の横穴式石室は、全長4.2m・高さ1.5m 玄室幅2.7m・羨道幅1.1mで南に開口
 土器(土師器・須恵器)、直刀、鉄鏃、勾玉、小玉などが出土
 6世紀の後半の築造と推定されている
 平成9年に発掘調査、墓地建設のために横穴式石室が復元移築された

全景 天井石はすでに無い

羨道入口から見る 

奥壁 手前には仕切り石 内壁面に赤色顔料

石室内から羨道を見る
 説明板から

    

愛宕大権現古墳(仮称) つくば市
見学日2024/4/13

高崎山古墳群西支群第2号墳の移築横穴式石室から甲山古墳に向かっていたら、左手に古墳?
グーグルのストリートビューでは、ジャングルだが、木が切られて、古墳出現!
東側の八幡神社に駐車して、見学。

 (仮称) 愛宕大権現古墳   古墳ではないかもしれないわからない

古墳?

墳頂部の愛宕大権現と彫られた石碑

   

甲山古墳 つくば市小和田
見学日2024/4/13

ニュー高根というレストランの裏。
インターネット上に、筑波大学調査研究報告「つくば市甲山古墳の研究」が
 公開されているので参考にさせていただいた。
レストランが建設されることになり、1981年ごろ発掘調査されたようだ。

 甲山古墳は、直径29.5mの円丘をもつ円墳 もしくは前方後円墳
 周溝部分から円筒埴輪や形象埴輪、須恵器、土師器が出土
 墳頂部では、2基の箱式石棺が確認された。
  第1号棺からは人骨2体分(成人男1・成人女1)、鉄刀2点
  第2号棺からは 人骨4体分(成人男2・幼児2)と
   鉄刀4点、鉄鏃87点、刀子1点、青銅製鋲6点、
   玉類(ガラス製勾玉9点・滑石製臼玉2点・ガラス製小玉4点)
  が出土。
 埴輪と鉄鏃から、6世紀第1四半期の築造と推定されている。

右奥の赤い屋根がレストラン

後円部だけが残る

  

北条中台古墳群1号墳 つくば市北条
見学日2024/4/13

石室が露出している。

 北条中台古墳群は、
 調査では前方後円墳3基、帆立貝式古墳2基、円墳44基、不明16基の計 65 基が確認された
 古墳時代後期から終末期の古墳群で、現存が確認できるのは1号墳1基のみ。
 1号墳は、墳丘は削平されて遺存しないが、
  変成岩の巨大な板石を組んで構築された横穴式石室が露出している。
 埋葬施設からは、装飾大刀や鉄鏃などの武器、
   鞍金具や馬齢などの馬具、耳環や勾玉などの装身具が出土
 埴輪には希少な表現である頭に鳥を付けた盾持埴輪も認められる
   (筑波公式ウェブサイトから)

南西からの登り口

石室露出 西から見る

石室正面

東から見る

天井石

石室内部
説明板から

  

平沢官衙遺跡
国史跡
つくば市平沢
見学日2024/4/13

平沢官衙遺跡歴史ひろば案内所があり、駐車場完備。

 平沢官衙は、
  奈良時代から平安時代にかけて造営された常陸国筑波郡の郡衙(役所)の一部
で、
  その重要性から国の史跡となっている。
 郡衙には、郡衙政庁(役人が執務する場所)、正倉(租税として集められた稲などの保管倉庫)、
  館(宿泊・饗応の役割)、厨(食事を作る場所)などの建物があり、
  平沢官衙跡はこの中の正倉部分と云われている。
 この遺跡には、掘立柱建物跡が55棟、礎石建物基壇跡4基、
  大溝跡や柵列跡、竪穴建物跡25軒が発掘されている。

広場となっている


建物規模が明瞭な中央の一群3棟が
 立体的に復元されている


他は平面復元
 説明板から

発掘調査の様子

遺跡の復元 
赤で示された建物が復元されている
   

ジオサイトの説明板もある
約13万年~12万年前には、この南西には「古東京湾」という海があったそうだ。
旧石器時代からの遺跡が残っている。 北条中台古墳群1号墳についての記述もある。

  

平沢古墳群 つくば市平沢
見学日2024/4/13

平沢官衙遺跡北方 500mの小丘陵斜面には、平沢古墳群がある。

 平沢古墳群は、横穴式石室をもつ古墳5基が確認されている。現存4基
  古墳時代終末期の7世紀中葉頃の築造と推定されている。


付近の配置図
   (つくば公式ウェブサイトから引用)


1号墳(佐都ケ岩屋古墳)は 市指定史跡で、方墳
2号墳は 墳形不明
3号墳は 円墳
4号墳は 円墳 (4号墳は見学しなかった)
いずれも横穴式石室がある。

平沢の集落から北の山上にあるゴルフ場へ登っていく道の途中(標高145m)のヘアピンコーナーに
  1号墳の説明板がある。その奥に墳丘がある。
後室が横になっているのが面白い。

 平沢1号墳 (佐都ケ岩屋古墳)  市史跡
 東西35m・南北25mの方墳
 南に開口する複室構造の横穴式石室は 全長7.65m  後室は丁字形
  後室長2.15m、幅5.45m、前室長2.5m、幅2.1m、
   羨道長2.1m、幅2.1m高さ1.7mm、最大幅 5.4m
  変成岩の巨大な板石を組んで構築されている。
 7世紀後半の築造と推定されている。

ゴルフ場手前のカーブの道路際に説明板がある

草むらの中に開口している

横穴式石室 石室入口

羨道と前室の間の前門が
L字の板石を二枚組み合わせて仕切り
としている

前室から後門と後室を見る

後室西側

 後室東側 床には屍床の仕切り石がある
後室東側の天井石が抜かれていて明るい

東側後室から西側後室を見る 左は前室

後室から前室と羨道方向を見る

前室から羨道を見る
 説明板から

墳丘測量図
 

石室実測図  T字形の石室
  

1号墳の南約500m、ゴルフ場に行く道の手前の墓地の中、道路に接して墳丘があるのが2号墳

 平沢2号墳
 墳形は不明 横穴式石室が開口していて、後室だけが残る。
 玄門は丸く くり貫かれている
 後室床面には敷石が残る。
 石室が後世に一字一経塚として再利用されている。

道路に接して墳丘がある

石柱の前が石室入口

ユニークな後室玄門

奥壁 精緻な切り石

玄室床は石敷き

ハスの花弁形玄門

説明板は読めない
 「平沢2号墳
 4基が現存する平沢古墳群の1つで、通称を開山岩屋という。
 墳丘の規模や形は不詳であるが、横穴式石室の一部で遺体を納めた後室が現存する。
 入口の玄門を精美に加工する特徴から、
  7世紀中葉〜後半頃(古墳時代終末期)の築造が推測される。
 玄門の形が蓮弁を表現したもので、仏教の影響を受けているとする見解もある。
 傍らに「法華一字一石経 雲外謹書」と刻まれた石柱が立ち、
   この古墳が一字 一石経塚として再利用されたことがわかる。  」
   と書かれているようだ

2号墳の車道を挟んで向かい側(東)に山道があり、そこを行くと3号墳。

3号墳に向かう山道入口に
案内表示がある。

上から
平沢3号墳約110m→
←佐都ケ岩屋古墳約900m
平沢2号墳

 平沢3号墳
 一辺19mの方墳
 切り石で構成された整美な複室構造の横穴式石室がある。
 後室は奥行きが短く横長で、現状は石仏が安置されている。
3号墳測量図

(つくば公式ウェブサイトから引用)

 側壁倒壊に伴って平成19年(2007)に
  一部の発掘調査を実施した後、
  所有者が修復を行っている。
 石室の前面からは、
  鉄鏃や須恵器の長頸瓶のほか、
  8世紀初め頃の火葬墓に使用された
    須恵器の壺と蓋に使われた坏が
  出土している。

石室背後から見る

開口部 玄門は板石で仕切り

前室から奥室を見る
奥室に仏像が安置されている
土台部分は後世に築かれたと考えられている

前室床面には敷石がある

奥室に安置されている仏像

前室から入口を見る
説明板から

4号墳は、3号墳の先にあるらしいが、見学しなかった。

諏訪山古墳
臼井古墳群
つくば市臼井
見学日2024/4/13

臼井集落の農地の中に、古墳がぽつりぽつり。
臼井古墳群は、3基、現存2基というが、他にも墳丘がある。
臼井古墳群の西端、集落の南西に隣接して存在するのは、諏訪山古墳。

 諏訪山古墳  
 筑波町史では全長45m・高さ5mの前方後円墳
 現在は径約20mの後円部のみ残存。

諏訪山古墳 全景

墳丘上に石がある。

墳頂に石祠がある。

墳丘上から墳裾を見る

諏訪山古墳の北約50mには、赤塚というのがあるが見ていない。
諏訪山古墳の東300mの農地の中に、金堀塚・大塚・十三塚という塚がある。

 金堀塚  (臼井古墳群) 
 円墳 、現状では東西に細長い長さ30mくらいの墳丘。横穴式石室が残る。

金堀塚

諏訪山古墳から望遠で撮る


小型の横穴式石室が開口しているそうだが
  確認して来なかった。。

金堀塚の北東約200mのところに見える小さな円墳は大塚という。、現状で径10mほど。(写真なし)
金堀塚の南には、土手が見えるが、これは十三塚という名がついている。古墳には見えない。

沼田八幡塚古墳と陪塚
県史跡
つくば市沼田
見学日2024/4/13

つくば市沼田のつくば市教育相談センターの南に前方後円墳がある。
東側くびれ部に駐車スペースがある。

 沼田八幡塚古墳  陪塚とともに県史跡
 全長90mの前方後円墳
  後円部径58m、前方部長さ32m、前方部幅35m
 後円部3段、前方部2段以上の段築がある。
 葺石あり、埴輪あり。
 周溝は八幡池を中心に東側には存在したと考えられている。
 6世紀前葉の築造と推定されている。
 前方部は遺存状態が悪かったため推定復元されている。。

前方部から後円部を見る

前方部から造り出しを見下ろす

後円部墳頂部に 八幡社が鎮座している

後円部から前方部を見る

後円部上の八幡社への入口

前方部脇から後円部を見る
説明板から

写真の人物埴輪は八幡池から出土した

 沼田八幡塚古墳のすぐ西(沼田保育所の南)に円墳がある。

 八幡塚古墳 陪塚  2基併せて県史跡
 径30mの円墳
 古墳上に小さな石祠があり、南側に横穴式石室が開口している。

沼田八幡塚古墳陪塚

墳頂に石祠

羨門框石が露出

 開口部にカメラを突っ込んでみる

  

沼田八幡塚のすぐ西にある「セブンイレブンつくば国松店」にて昼食。

宮山観音古墳 につづく

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