北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/10/11

茨城県の遺跡
その8 行方市・潮来市・鹿嶋市・神栖市

茨城県の旅5日目、2024/4/11 午後。
午前中は小美玉を見学し、行方市に入る。

小美玉市の地図g

三昧塚古墳
市史跡
行方市(旧玉造町)沖洲
見学日2024/4/11

国道355号を小美玉市から南に進んでですぐ。

 三昧塚古墳は  全長85mの前方後円墳
  後円部径47m・後円部高さ8m 前方部幅36.5m・前方部高さ6m
 盾形周濠が巡る
 円筒埴輪が3重にめぐる 形象埴輪もある。
 後円部墳頂下2.7mにある箱式石棺には伸展葬の形で遺骸が埋葬されていた。
 石棺の内外から豊富な副葬品が出土、
  金銅製馬型飾付冠、金銅垂飾付耳飾、平緑変形四神四獣鏡等、その他に短甲、鉄鏃、
 そして円筒・形象(人物・動物)埴輪
 特に金銅製馬形飾付冠は国内では唯一
 5世紀後半の築造と推定されている。
  昭和30年、霞ヶ浦堤防工事で墳丘が削平されたが、
  その後、3度にわたる発掘調査を経て、平成17年に復元整備された。


模式図

三昧塚古墳 全景

三昧塚古墳 後円部側

後円部頂の埋葬施設表示

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る
 説明板から

 

  

(行方市)天神塚古墳群 行方市羽生
見学日2024/4/11

かき氷で有名だという「雪見堂」の北側の「天神の杜」という緑地にあり、駐車場もあるはず。
が、雑草ばかりで、単なる空き地にしか見えなくて、誰もいない。
空き地から横の林の中に入ると古墳らしいものがある。

 (行方市)天神塚古墳群は  前方後円墳1、円墳1基が確認されている。
 天神塚古墳群仮1号墳    前方後円墳  詳細不明
 後円部には
  土台から落ちかけた社殿を
  つっかえ棒で支えた稲荷社が鎮座




仮1号墳 後円部から前方部を見る

仮1号墳 前方部から後円部を見る
 天神塚古墳群仮2号墳   円墳   詳細不明

  

(行方市)稲荷山古墳 行方市八木薪
見学日2024/4/11

以前は稲荷山古墳群第1号墳と言われていたが、稲荷山古墳に改名した。
国道355号から1本霞ヶ浦寄りの道路沿いに鳥居がある。
路駐なので、急いで見学。

 稲荷山古墳は  霞ヶ浦を望む台地上に築かれた前方後円墳。後円部上には稲荷社
 南西の道路沿いに鳥居がある。

稲荷山古墳への登り口  稲荷神社鳥居

後円部墳頂の稲荷神社への参道

後円部の稲荷神社

社殿裏側(前方部側)から見る

前方部から後円部を見る

くびれ部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

前方部のピーク

  

東福寺古墳 行方市浜
見学日2024/4/11

東福寺の境内に古墳がある。東側道路沿いに入口と駐車場。

 東福寺
 観応2年(1351年)に創建された薬王院に始まる寺院で、大いに賑わったが、
 江戸時代に大火により焼失し、
  その後、弘化5年(1848年)に天台宗の寺院として再建された。

東福寺境内

山門には仁王像が2体安置されている

山門の横に大きな墳丘がある。

 東福寺古墳は  東福寺の境内にある径20mほどの円墳
  詳細不明

山門の横にある墳丘

東福寺古墳 傍らの石仏群

きれいな円墳かと思ったが……

いびつな形になっているところもある

墳頂部には石材がある。石棺材か?

墳頂部から墳裾を見下ろす

  

矢幡瓢箪塚古墳 行方市矢幡字横須賀
見学日2024/4/11

北東側の道路から入る。墳頂に稲荷神社が祀られている。

 矢幡瓢箪塚古墳は  全長75mの前方後円墳
  後円部径40m、前方部幅20m・前方部長35m  前方部は低く細長い形態
 後円部上には小祠が祭られている。

矢幡瓢箪塚古墳の登り口へ向かう道

後円部

後円部側から階段がある

後円部墳頂 稲荷社が鎮座


稲荷社の後ろにも小社が鎮座しているが
その土台や手前の石材は
埋葬部の石材ではないかといわれている。

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

  

大生古墳群
県史跡
潮来市大生
見学日2024/4/11

矢幡瓢箪塚古墳の南約2.5km、潮来市大生地区には、多くの古墳がある。
鹿見塚の前に説明板がある。

 鹿見塚前の説明板
 大生西部古墳群の説明と思われる。

 大生原台地には110余基からなる古墳群が存在
し、
  県下でも最大の規模を誇る古墳群を形成している。
 大生古墳群は古墳の集中状態から
  大生東部古墳群、大生西部古墳群、カメ森古墳群、田ノ森古墳群に四大別される。
 大生西部古墳群は大生神社の西側に位置し 、
  県指定史跡鹿見塚古墳をはじめ、
  子子舞(マゴマイ)塚古墳、天神塚古墳、白旗八幡古墳など
  20数基の古墳があり、古墳時代中期の築造と推定されている。
 大生西部古墳群 配置図  (説明板に加筆)
8号墳
子子舞塚古墳
鹿見塚古墳
19号墳
20号墳
天神塚古墳
23号墳
5号墳
6号墳
白旗八幡塚古墳
仮1号墳
仮2号墳
仮3号墳
仮4号墳
 模式図なので実際とはちょっと違うような気がする
 北は大体、右斜め上!!  (北の方向指示は、筆者が加筆)
 ⑪から⑭は、筆者が加筆したので、古墳ではないかもしれない

  

 ③ 鹿見塚古墳   県史跡      (大生西部古墳群)
 全長58mの前方後円墳
 前方部西側に造出しがある。

横姿  後円部がとんがり帽子のようだ

鹿見塚古墳 後円部から前方部を見る

鹿見塚古墳 後円部から前方部を見る

前方部裾から後円部を見る

後円部脇から前方部を見る

 鹿見塚の南側の道を西へ進むと、子子舞塚古墳。

 ② 子子舞塚古墳(マゴマイヅカコフン)    (大生西部古墳群)
 全長72mの前方後円墳  後円部径38m、
 墳丘は大きく破壊され、現在は前方部の一部が残っている。

子子舞塚古墳 標柱は「子子前塚」となる

子子舞塚古墳 前方部

後円部が無くなり前方部の一部が残る

前方部から墳裾を見下ろす

さらに西へ進むと8号墳。県立水郷の森公園大生地区の中。

 ① 大生西8号墳      (大生西部古墳群)



円墳

8号墳から北の道を東方向に行くと23号墳、5号墳がある。天神塚の北側。

 ⑦ 大生西23号墳   (大生西部古墳群)    円墳

墳丘

墳頂部 コンクリートの杭あり

  

 ⑧ 大生西5号墳   (大生西部古墳群)
 前方後円墳  詳細は不明。

大生西5号墳 後円部から前方部を見る

前方部先端 ミツバチの巣箱が置いてある

前方部から後円部を見る

前方部脇から後円部を見る

横姿   右に後円部

5号墳、23号墳の周辺には、他にもいくつか円墳状の高まりが見られる。
古墳でないかもしれないが……。

 ⑪ 大生西古墳群(仮)1号墳
 ⑫ 大生西古墳群(仮)2号墳
 ⑬ 大生西古墳群(仮)3号墳
 ⑭ 大生西古墳群仮4号墳

5号墳の南に天神塚古墳。

 ⑥ 天神塚古墳   (大生西部古墳群)
 全長63mの前方後円墳  後円部径40m

前方部後方から後円部を見る

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

横姿  左に後円部

鹿見塚から県道187号線を少し北へ進むと、道路沿いに大生古墳群の説明板がある。
その奥に白旗八幡塚古墳が見える。

 ⑩ 白旗八幡塚古墳   (大生西部古墳群)
 古墳時代)中期の築造とされた西部古墳群の一部
  昭和50年に茨城県指定文化財に大生古墳群として指定されている。 (標柱の説明から)
 詳細不明。

標柱の向こうに墳丘

方墳のように見える

白旗八幡塚古墳の手前の道路沿いに説明板がある。この説明板があるところが6号墳。

 ⑨  大生西6号墳   (大生西部古墳群)

説明板のある茂みが
   6号墳だという……。
 大生東部古墳群の説明板から

左下方は大生西部古墳群(鹿見塚など)
右上方が大生東部古墳群となる。
  
  白旗八幡塚古墳は、 大生古墳群の西部と 東部を分ける境となっている。
 東部は、整備されていないので、見学はなかなかむずかしい。
 説明板の配置図がわかりにくかったので、
   HP「大和國古墳取調室」様の図を参考にさせていただいて作図した。

大生東部古墳群配置図
番号はすべて仮の番号

前方後円墳2基のうち
稲荷塚だけ見学。
もう一つの前方後円墳は
 ジャングルで
 わからなかった。

②、③、④、⑤、⑩、⑪と
方墳の大生殿塚も見学した。
  HP「大和國古墳取調室」様、ありがとうございました。

  

 大生殿塚古墳    (大生東部古墳群)  
 一辺23mの群中唯一の方墳   墳丘上に社殿がある。
 「大生(オオウ)」とは、日本の古代民族の「多氏」「大氏」で、
   この人たちがが移住して、村をつくったと考えられている。(ネット検索)

大生殿神社
神社の創建は、慶長19年(1614)に、
 この地の大生弾正平定守が
 大坂の陣に出陣して藤枝で病死したので、
  領民が神社を建立して祀ったという。

方墳の上に社殿

社殿の壁にある龍の彫り物

きれいな方墳

社殿背後から見る

稲荷塚を探す途中にいくつかの円墳を見る。

 ⑩ (仮)10号墳 大きな交差点にある。   (大生東部古墳群])
 ③ (仮)3号墳   墓地の西側   (大生東部古墳群])

特徴のある木が目印

墳丘上に古い墓石と石祠
 ④ (仮)4号墳    墓地内   (大生東部古墳群])
 ⑤ (仮)5号墳    墓地内   (大生東部古墳群])
 ⑪ (仮)11号墳   墓地内   (大生東部古墳群)

墳丘上にお墓があるような……。
 ② (仮)2号墳   稲荷塚のすぐ南東の農地にある。   (大生東部古墳群)

稲荷塚古墳は現状保存だ。案内板もなく……。
大生殿神社の北東500mほどの墓地奧の林の中にある。

 稲荷塚古墳   (大生東部古墳群)
 全長61mの前方後円墳  詳細不明。

南から見た稲荷塚古墳 左:前方部、右:後円部

前方部先端

前方部

前方部から後円部を見る

くびれ部から後円部を見る

後円部墳頂

後円部から前方部を見る

後円部後ろから墳頂を見上げる
 稲荷社の旧参道か?

大生古墳群最後は大生神社。

 大生神社
 大同元年(806年)創建とも言われるが、年代は明らかではない。
 祭神は鹿島神宮と同じ健御雷之男神(タケミカズチノオオカミ)(武甕槌神)。
 健御雷之男神が最初にこの地で祭られて、
  今の鹿島神宮に遷宮されたと伝えられているので、元鹿島とも言われている。
 大和国の多(飯富・オフ)族がこの地に移住し、
   その氏神としてこの神社か創建されたのではないかといわれている。



大生神社境内

   

午後5時半を過ぎ、ファミリーマート潮来川尾店(潮来市築地字川尾)にて、休憩
今日最後となる天王原古墳へ。

天王原古墳 潮来市須賀南
見学日2024/4/11

潮来市役所の東約700m。案内表示の標柱があったらしいが見あたらない。

 天王原古墳は  全長35mの前方後円墳、後円部径15m・高さ3m
 前方部を南南東に向ける。
 かつて,墳丘の東側部分を削平した際に二神二獣鏡が出土したと伝えられている。

天王原古墳 前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

全景 右に後円部

   

天王山古墳のすぐ北にある「すぎのや本陣潮来店(潮来市辻字横田)」にて夕食。



今回の旅では一番豪華な食事
食べきれなかった……。


 セブンイレブン潮来本町店(潮来字麦ノ内)にて翌朝食を準備して
  午後7時ごろ、「ホテル新まこも (潮来市潮来)」にチェックイン!

茨城県の旅6日目になりました  2024/4/12
午前8時 ホテル出発。
鹿嶋市の宮中野古墳群へ……。

宮中野古墳群 鹿嶋市宮中野
見学日2024/4/12

鹿島浄水場内とその周辺に分布する古墳群。
夫婦塚古墳前と大塚古墳前にパンフレットが置いてあったので、大いに参考にさせていただいた。
夫婦塚古墳周辺、大町塚古墳周辺と千年塚古墳、稲荷塚古墳を見学した。

 宮中野(クウチュウノ)古墳群は  宮中野地区に所在する茨城県内でも最大規模の古墳群で、
 前方後円墳19基、帆立貝式古墳2基、方墳3基、円墳103基の古墳がある。
 対岸には宮中野古墳群の規模に匹敵する大生古墳群(潮来市)がある。
 宮中野古墳群配置図    (パンフレットより  見やすいように加筆)
76号墳
(夫婦塚古墳)
全長107.5mの前方後円墳
115号墳
小町塚古墳)
円墳
114号墳
(大塚古墳)
全長90mの帆立貝形古墳
2号墳
(千年塚古墳)
方墳
3号墳
稲荷塚古墳
円墳
23号墳
お伊勢山古墳
全長96mの前方後円墳

(お伊勢山古墳は見学していない)

浄水場の北隣りにあるのが、古墳群中最大の夫婦塚古墳。

夫婦塚古墳(宮中野73号墳)
   周辺の古墳配置図


  (全体図の部分拡大)


夫婦塚古墳の前には、説明パンフレットが置かれている。

 夫婦塚古墳 (宮中野73号墳)   市史跡
 全長107.5mの前方後円墳、後円部径47.5m後円部高さ7.5m、前方部幅34m、高さ5.7m
 群中最大の前方後円墳。
 盾形周濠が巡り、これを加えると150mとなる。
 6世紀代の築造と推定されている。
 東側周堀に沿って、2基の陪塚がある。

実測図
 (説明板から)
夫婦塚古墳  前方後円墳
116号墳
(陪塚)北側
 直径17.5mの円墳
 高さ1m
117号墳
(陪塚)南側
 直径15mの円墳
 高さ1.25m

南側周堀手前に案内板と説明板がある

前方部脇から後円部方向を見る
 立派な周溝がある

後円部脇から前方部を見る
後円部墳頂  平坦部がほとんど無い
後円部から前方部を見る
前方部頂  コンクリートの杭がある。
 奥に後円部がある。

前方部から後円部を見る
くびれ部から後円部を見る
宮中野116号墳(夫婦塚古墳陪塚) 宮中野117号墳(夫婦塚古墳陪塚)
 説明板から



4か国語で書かれた説明板
 日本語の部分抜粋

夫婦塚古墳の前方部横の周溝の外側の草むらの中に、
  付近の古墳で発見された組合せ式箱式石棺が2基置かれている。

 箱式石棺の展示
 宮中野古墳群の発掘調査で、みつかった箱式石棺
 筑波山産のホルンフェルスとよばれる石を板状に切り出してつくられている。
 6世紀後半~7世紀の築造と推定されている。(説明板から)

箱式石棺その1

箱式石棺その2

夫婦塚古墳の東側のフェンスの向こうに双子塚古墳がある。

 双子塚古墳((宮中野72号墳)
 前方後円墳、半壊。詳細不明


フェンス越しにのぞき込むと
墳丘がある。

入れない……。

夫婦塚古墳の南側の鹿島浄水場の敷地内にも古墳がある。
中には入れないので、塀の外から見えるものを写真に撮る。

 宮中野77号墳
 宮中野78号墳

夫婦塚古墳の東側のフェンスに沿って道なりに南へ進むと、小町塚古墳、大塚古墳がある。


大塚古墳(宮中野114号墳)
   周辺の古墳配置図


  (全体図の部分拡大)

大塚古墳の北に小町塚古墳がある。

 小町塚古墳(宮中野115号墳)
 直径20m以上の円墳


小町塚古墳平面図・断面図


  (大塚古墳パンフから)

北から見る

南西から見る

墳頂

  

 大塚古墳(宮中野114号墳)
 全長96mの帆立貝形古墳
  円形部直径80m 高さ7m 
 3段築成周囲に幅13~14mの周溝がある。
 墳丘西側に幅25m・長さ10mの造り出しがある。
 昭和57(1982)年の発掘調査で、帆立貝式古墳の前庭部から主体部が検出された。  
 周堀から墓道が造られていて、「横口式石郭」と呼ばれる構造。
 破壊されていた石室内から、
  銀象嵌の施された鉄製の円頭柄頭や銀製弓弭金具、銀製刀子などのほか、
  馬具類や武器類の残片などが出土。
 大塚古墳は別名「勅使塚」と呼ばれ、
  国からやってきた役人が病で倒れ葬られたといわれているが、真実は不明。

大塚古墳 前方部側 

大塚古墳 後円部側 全景
 パンフから

大塚古墳平面図・断面図
  

内部主体
赤く塗られている

大塚古墳の東隣には、111号墳。

 宮中野111号墳

大塚古墳の東にある
  小さな円墳

夫婦塚の北の道路に出て、東に約800mのあたりから南へ約500mの位置、
 住宅街を突っ切り、森の中に入ると、稲荷塚古墳がある。


稲荷塚古墳・千年塚古墳
   付近の配置図

 (全体図の部分拡大)

宮中野古墳群の
 鶴来(カクライ)古墳群(支群)に属する古墳

 

 稲荷塚古墳  (宮中野3号墳)
 南北径32.5m・東西34.5mの円墳 高さ6.1m
 墳頂にはこの土地の開拓者が、
  穀物の神である保食命(ウケモチノカミ)を祀った鶴来稲荷大明神の石祠を建てている。
     (説明板から)

稲荷大明神の参道

稲荷塚古墳墳丘

方向を変えて見た墳丘

墳頂には、石祠
 説明板から


4か国語で書かれている。
 日本語の部分抜粋

稲荷塚古墳の北約50m行って、東へ約200mに千年塚古墳がある。

 千年塚古墳   (宮中野2号墳)
 東西32.6m・南北20.8mの長方形墳 高さ34m
 削られていて、詳細不明       (説明板から)

墳丘

角度を変えて見る

墳頂その1

墳頂その2 (長方形墳)
 説明板から


4か国語で書かれた説明板
 日本語の部分抜粋

宮中野古墳群のある丘陵の南端には、お伊勢山古墳がある。
どこからアクセスすればいいのかわからないなぁ……と思いながら、宮中野古墳群を終わる……。  

鹿島神宮 鹿嶋市宮中
見学日2024/4/12

鹿島市に来たら、やはり鹿島神宮を参拝しなければ……。

 鹿島神宮は 全国にある鹿島神社の総本社
 千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社(イキスジンジャ)とともに東国三社の一社
 祭神は武甕槌神(建御雷神、タケミカヅチ 日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する)
 古代には朝廷から蝦夷の平定神として、また藤原氏から氏神として崇敬された。

鹿島神宮 木造の大鳥居

鹿島神宮 楼門は令和の大改修中で見られない

鹿島神宮 拝殿 本殿はこの奥

鹿島神宮 朱塗り建物は宝庫 本殿への標識

鹿島神宮 本殿と拝殿(右手前)

鹿島神宮 楼門から入口の大鳥居を見る
説明板から

     

(神栖市)権現塚古墳 神栖市日川字石塚
見学日2024/4/12

鹿島神宮から約30分、神栖市に残る唯一の前方後円墳を見学。
県道260号線沿いにあるが、神社としては裏側(北)で、南側に参道と鳥居がある。
説明板は見あたらない。(以前は説明板があったようだが)

 権現塚古墳
 全長20mの前方後円墳 高さ5.6m
 後円部は上部が破壊されて、小祠がある。。
 前方部は西向き。
 前方部が細長く、前方部より後円部が高いという墳形から
   古墳時代前期の築造と推定されている。

権現塚古墳 前方部から後円部を見る

後円部上の神社への階段

南側にある鳥居と参道
後円部上の神社への正式な入口

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

前方部斜め後ろから後円部を見る

権現塚古墳を横から見る  左に後円部

この権現塚古墳をグーグルマップで眺めていたら、すぐ近くに「息栖神社旧地」という場所を見つけた。
「息栖神社」は、常陸国一宮「鹿島神宮」と下総国一宮「香取神宮」と合わせて「東国三社」。
現在の息栖神社も近くにあるようだ。参拝してくればよかった……。

ファミリーマート神栖中央公園前店(神栖市大野原)で、国道ステッカーと昼食を購入。
 東日本うさみ51号潮来(茨城県稲敷市西代)にて、ガソリン給油。
茨城県の旅6日目 2024/4/12  午後に入る。

東大沼古墳群(稲敷市) につづく

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